果物料理と果物食品加工

ビタミン・ミネラルに果物の仄かな香りに目覚める フルーツソムリエ

いかせ  いのち(生命)

2011-05-28 17:10:03 | 日記・エッセイ・コラム
 

たちばな(橘)の
  宇宙に満ちて観世音
   われら子孫の栄え泰産

生かせ
    生命(いのち)

 「生かせいのち」とはお大師様の教えを現在の言葉で端的にあらわした言葉です。
 この宇宙曼陀羅の「地」「水」「火」「風」「空」は宇宙観をあらわしています。空海密教では悠久無限の大宇宙はこの五大要素からできていると考えられています。
 太陽の周囲を主に太陽の重力の影響を受けて公転し、自らは発光しない天体、即ち惑星の中の地球にのみ、この五大要素が実存しています。
 であるがゆえに、地球にのみ一切の生物が育んでいると言われています。無数に存在する生物の一員である、われわれ人間も育んでいるのです。

 輝けいのち

 紀州が生んだ南方熊楠といえば空海密教の信奉者、彼の植物学、民俗学の原点が空海密教にあることはあまり知られていないが、熊楠といえば空海密教を実証した大変重要な人であり、『いのちを輝かせた』一人であります。 
 彼が発見した粘菌のいのちが熊楠を輝かせたのです。
 粘菌は変形菌といってキノコの一種だそうですが、和歌山県紀州の温暖な原生林の湿地帯に生殖している生物だそうです。苔の生えるような場所に生存し、酸素を吸って炭酸ガスを排出する。原生林の生殖のメカニズムは太陽の光合成と相まって、炭酸ガスを吸って酸素を排出しているのです。
 このように粘菌は原生林の成長に大変な役目を果たしているのです。実は粘菌はそれだけで終えるのでありません。粘菌自体は日々アミーバー状に太陽を求めて成長し、太陽にふれると炭酸ガスを吸って酸素を排出するというメカニズムを持っていることを発見するのです。
 そのメカニズムを発見した瞬間の熊楠の喜びは私たちの想像もできない感動と喜びであっただろうと考えます。
 この私たちも含む一切の生物が生存する地球の役目は実は粘菌のような小さく人間に忘れ去られているような小さないのちの集合体であるということです。
 私たち人間は如何に身勝手な動物であるかということですね。
 私たちが食する米・野菜・果物・魚・肉これらすべていのちを持っています。
 人間は、これらの食料、必要なものを害する生物を外敵、害虫、毒なものと排除しなければ生きてゆけない現実をどう考えれば良いのか。
 非常に難しい問題であります。
 仏教では十善戒という戒律を設けて戒めています、
  不殺生とは、あらゆるものの命をなくすことをしてはいけない。
  不偸盗とは、他人の物、公の物を盗んではいけない。
  不邪淫とは、正しい愛情生活をしなければいけない。
  不妄語とは、嘘、いつわりを言ってはいけない。
  不綺語とは、心にもないことを言って人を迷わしてはいけない。
  不悪口とは、人の短所を言って自分の長所を言ってはいけない。
  不両舌とは、あちこちで信用を失うことを言ってはいけない。
  不慳貧とは、けちけちしてはいけない。
  不瞋恚とは、そねみの心を持ってはいけない。
  不邪見とは、正しい考えで生きなければいけない。
 ここで素直に
『不殺生とは、あらゆるものの命をなくすことをしてはいけない』
の項は、私たち人間は誓い、実行できない事です。
 ここで私は再思考する。
 空海密教の六大要素(地・水・火・風・空・識)は大宇宙の惑星、地球にのみ一切の生物が育んでいる摩訶不思議で実存する根源を大日如来という。
 すなわち神仏をも大日如来に抱かれていると考えられます。六大の「大」は世界の構成原理の意。地・水・火・風・空の五大に識大を加えたもので、五大は物質的原理、識大は精神的原理と考えることができるから、六大で物質・精神を合わせたこの世界の総体を指すことになる。この六大が世界の本質・本体にほかならない。
 空海密教では六大が成す総体に優劣は無い。故に「いのち」にも優劣が無い。
 この大宇宙に独立不変のものはひとつもなく凡ての現象は、人間をも含めて、相互依存の関係にあって絶えず移ろいゆくに、人間はそれでも現象に執着するので苦悩する。その執着を離れるとは、宇宙の大生命を認め合い、地球に存在する一切の生物は環境に適応したそれどれ異なる個性を持っている。
 明日はわが身、老いたるもの、病んでいるもの、精神的肉体的に傷害を持ったもの、経済的困窮しているもの、・・・・・
お互いに理解し合う心が大切です。特に経済的困窮を除き人間のみならず一切の生物のいのちそのものであります。

 いのち輝かす友人

 西家保夫(五十八歳)さんは中学時代に事故で両腕くを無くして、突然訪れる大変な苦悩、高校中退後、病院、宗教、精神修養等々温かい両親と共に通い続ける。その間、大好きな電子工作を義手に夢を託しその結果、自身の腕のために義手を考案工夫、電子回路の複雑な配線、半田付け切断はその道具ニッパ、ペンチ、半田コテの見事な手さばきに工作の美観は勿論の事、当時の低品質なゲルマニウム半導体を使った最先端の研究開発に企業内で携わる。今は脚光を浴びてるLED表示素子も応用面で品質が保証されず、その特性試験が素子メーカーの或る部長の博士号取得の論文に貢献する西家さんの凄い功績が燦然と輝く。
 それだけで終わらない。父を亡くし、年老いた母親を他人の介護を求めず、停年を少し前に退職、苦労をかけた最愛の母親の介護に専念、二年前に九十二歳の素晴らしい人生を全うする。死後の慌しい中で供養祭を見事にやり遂げる。
 ご本人の西家さんも六十に届く身でありながら、昨年はアマチュア無線(JO3AMV)の資格を取得、アンテナポール、アンテナ等は彼の自作品、しかもローテーターまで自作、今では彼自身が障害者に優しい広い自宅(奈良県宇陀郡室生村)で人生を謳歌している。
 しかし、それだけでない。彼は種智院大学(弘法大師創設の「綜藝種智院」) で仏教の勉学に専念されている事であります。
 尊いいのちを輝かせている数少ない素晴らしい方です。
両親に先断たれ障害者として一人身で生活する不自由さに負けてしまう事の多い昨今ですが、大宇宙の法身大日如来の説法に『如実知自心』の言葉どおり、彼は在家出家者として日々亡き両親への供養を通じ、自分自身に目覚めた結果として今日の幸せがあります。

 境内の櫻に学ぶ

 当山は昔から桜の名所として有名でしたが櫻が全滅、三十一年前、当在所の篤志家、落合久雄氏が二百本植樹されたのが今日の見事な境内の櫻です。
 「櫻切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」の諺がありますが、私は櫻が何故全滅したのか不思議に思いながら境内の昔からの茶の木が可笑しい、何百年も経っている筈が新芽である。二年たった頃にその謎が解けた。無造作に櫻の木の下刈りをしていたので大切な茶の木をも毎年刈り取られていたのです。
 今では春になりますと茶摘をし、おいしい新茶が出来、ご本尊様にお供えいたします。 それでは桜の木が何故、全滅したのか?桜の枝を剪定したのでもなく、それも理由が判明致しました。 
 櫻の樹木の下刈りは在所から五十人からの大勢の奉仕によって行われますが、その心が境内を守る、樹木のいのちを大切にする手入れの下刈りでなかったように思うのです。
 何故、櫻の樹木が全滅したのか?
 良く観察してみますと、境内には蔓(カズラ)が多いのです。櫻以外の雑木にも多く絡まっているのですが、枯れかけた桜、枯れた櫻にも蔓が見事にまつわりついているのです。
 他の樹木に比べ枯れ方が酷い。
 本来、櫻自身はは免疫性(私の表現)が大きく枝に菌が付いたり、病原菌が付きますとそれをキャッチして櫻に菌が侵食しないように枝の根元で自ら皮膜を作り侵食された病原菌の枝を枯らし落としてしまう。素晴らしい生命力だ。ところが、蔓に絡まれた桜はその素晴らしいはずの生命力が実は災いするのです。
 外敵の蔓をいち早くキャッチし、・・・自ら櫻自身を枯らせてしまう結果となるこんなむなしい無常な事があろうか。
その蔓はどうなのか?
 その蔓も桜の樹木の枯れと同時に枯れはじめる。すると蔓の根っこがそれを感知すると新しい蔓の芽を出し、新鮮な桜の樹木をめがけ蔓(つる)を伸ばす。
 一般に桜の樹木以外は蔓に桜より強い。したがって庭木でない当山の自然林に近い境内では手入れが最も大切です。
 生きがいは助け合い 空海密教に六大要素(地・水・火・風・空・識)という言葉があります。前項での五大要素に人の識、即ち心が育んでいることを意味します。
 大宇宙で唯一つ、この地球にのみ、五大要素が育み、故に一切の生物が実存し、異なる環境に則した生物が実存する。
 この識は人の心・いのちが、人にのみ育んで助け合う心、唯一人の誇るべき要素であります。
 境内の手入れ、桜の樹木の手入れ、花の手入れの心が子供や老人や障害者への助け合いの癒しの心に通ずる。
 手入れされた生物を観察する人の心まで癒される。 どんな素晴らしい庭師でも広い境内を一人で手入れが出来ない。多くの心ある人々の応援があって、素晴らしさが保た
れる。社会や企業の何事にも通じる。
 輝く命です。   合掌

平成15年7月号「観音たより」 発行・編集人 本多碩峯