太陽日記

北海道移住10年を機に、日記をこちらに引っ越しました。気が向いた時にひっそりと更新します(笑)

昔の写真・その6

2016-05-15 15:50:26 | 日記
 古~いEPSONのフラットベッドスキャナーだけど、EPSONのサイトを見てみたらXP用のドライバがあったのでインストールしたら使えるようになった。中学生の頃のしょぼい写真だけど、恥を忍んでUPします(^^;

 今までの鉄道趣味のなかでも、「撮り鉄」「乗り鉄」ともに一番多く訪れた地域であり、一番思い入れのある場所が福島の会津。初めて会津を訪れたのは1983年(昭和58年)、中学3年の9月だった。主な目的は国鉄会津線に乗りに行く事。今では会津鉄道となり、浅草から東武~野岩鉄道と繋がって東京からのアクセスも楽になったが、当時は会津若松~会津滝ノ原の盲腸線だったので、郡山から入るルートと新潟(新津)から入るルートしか無かった。
 手元に残っているきっぷを見てみると、なぜか福島・会津磐梯ミニ周遊券ではなく、南東北ワイド周遊券を使っている。確かこの時は上野発長岡行きの上越夜行733M(当時はムーンライトなんて名前は無かったね)に乗り、信越本線で新津、そこから磐越西線で会津若松に向かったんだと思う。新津駅でこれから乗る50系客車の普通列車が写っている。写真は全て1983年9月15日撮影。


新津駅 DD51 1027 このカマはその後、大阪の吹田機関区に異動となったが、東日本大震災後の迂回石油輸送列車の牽引機に抜擢され、再び会津路に帰って来たのが話題になった。 奥に見える貨物はスニ40かな?
また、自分では覚えていなかったけど、友人の考察によるとこの列車は2222レで、この時点で11両という長大編成のようだ。


白崎駅で対向列車待ち。途中の馬下で後ろの8両を切り離し、3両という身軽な編成で日出谷を目指す。


交換したのはキハ45系のディーゼルカーだった。


ところで白崎なんて駅あったっけ?と思ったら、今の三川駅だった。この2年後に改称したようだ。


列車は日出谷行きだったけど、なぜか鹿瀬駅で途中下車している。そして駅長さんにおにぎり(めちゃめちゃデカイ)をもらって食べた事をはっきりと覚えている。


会津若松 DE10 47 1968年、富山第一機関区に新製配置。自分と同い年だったのね。右にチラッと見えるのは何だろ?オハフ33かな?


湯野上 今は萱葺き屋根が有名な湯野上温泉駅だが、当時は駅名に「温泉」は付かず、駅舎もトタン屋根の先代駅舎。


湯野上 乗った列車の最後尾はキハユニ26 54 真中がたぶんキハ58(車番不明)で、先頭はキハ48 533 あとキハ48をゲットすればNゲージでこの編成を再現できる。


湯野上 キハユニに差してあったサボ。


会津滝ノ原 キハ48 533 ココより手前に列車が来る事は無いのでレールはサビサビだ。


会津滝ノ原 当時は山間のひっそりとした終着駅。ススキの陰からターンテーブルが見える。


会津滝ノ原 車止めも無く、ススキの手前でプッツリと途絶えるレール。この先、野岩鉄道が開業するのは3年後だが、当時はホントに繋がるの?って感じだった。保線小屋がイイ味出してるね~


会津滝ノ原 なんとも地味な駅舎。1986年の野岩鉄道開業時に会津高原駅となり、その後、2006年に会津高原尾瀬口駅と改名。
今では三角屋根のおしゃれな駅舎があるが、この建物もいまだに残っているそうだ。


会津滝ノ原 当時「乗って残そう○○線」という看板は、あちこちのローカル線沿線で見られた。そのほとんどが鉄路を残す事ができなかったが、会津線は東京とレールが繋がったことで生き残る事ができた。今年は野岩鉄道開業30周年の年だそうだ。


湯野上 キハ23(車番不明) 折り返しの列車から交換する列車を撮影。動いてる車内から撮ったのでブレブレだけど、この編成もNゲージで再現しようと、先日ヤフオクでゲット。


湯野上 キハ52 143 ダブルタイフォンに改造されているので143と判明。こちらもキハ52を物色中。このダブルタイフォンも再現するぞ~

 というわけで内地編はまずは会津でした。次も会津かな。
コメント (4)
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