太陽日記

北海道移住10年を機に、日記をこちらに引っ越しました。気が向いた時にひっそりと更新します(笑)

“ほぼ”国鉄型車両のみの乗り鉄旅・その2

2024-04-29 16:25:20 | 日記
 昨夜はギリギリのところで宿無しのピンチを切り抜け、「“ほぼ”国鉄型車両のみで行く北海道乗り鉄旅」も最終日の3日目となりました。深川駅5:47発の留萌本線の始発4921Dに乗車するため、宿代の精算は昨夜のうちに済ませていました。まだ女子高生たちが寝静まっているうちに宿を出発したので、「起きたらもういないし、あのおっさんたちは何者だったんだろう?」と話題になっていたかもしれません。


 深川駅4番線ホームに行くとキハ54 504が待っていました。今日もあまり天気が良くありません。


 この車両はクロスシートが車両中央に向かって設置されている「お見合いシート」だったので、中央にあるテーブル付きのボックス席に4人で座りました。


 峠下で留萌始発の4920Dと交換。


 留萌駅6:38着。増毛始発の4922Dと交換のため27分停車します。一度改札を出ると、窓口はまだ営業開始前でしたが我々のために開けてくれました。増毛駅の入場券も売っていたので一緒に購入。


 留萌~増毛間はタブレット閉塞なので、発車前に駅員さんが跨線橋を通って持ってきます。受け渡しは車内で行われました。


 7:31増毛駅着。車止めが終着駅の雰囲気を盛り上げてくれます。


 増毛駅舎。


 駅前には、すでに営業はしていませんが歴史を感じさせる旅館 富田屋や、映画「駅 STATION」のロケで風待食堂として登場した旧多田商店(中は観光案内所となっています)などがあり、風情があります。しかし、折り返しまで14分しかないのでパパっと写真を撮る事しかできませんでした。
 

 留萌~増毛間は2016年12月5日、石狩沼田~留萌間も2023年4月1日に廃止となってしまいました。残る深川~石狩沼田間も2026年の3月末で廃止となる事が合意されています。


 増毛駅のとなり、箸別駅は板張りのホームが車両の半分もありません。


 返しの4924Dは留萌駅の1番線に到着するので、タブレットの受け渡しは乗務員扉から行われました。


 9:09に深川駅に到着後、旭川までの移動はどうしてもスーパーカムイに乗らざるを得ず、国鉄型車両以外に乗ってしまいました。そして旭川からは富良野線に乗って富良野に向かうのですが、ココもグレーゾーン。というか限りなくクロに近いグレーゾーンです。ちょうどいい時間の列車が「富良野・美瑛ノロッコ1号」だったのですが、そもそも通常の列車に乗ったとしてもキハ150なので、50系51型客車を種車とした510系客車をDE15が牽引するノロッコ号はギリOKとさせてください(笑)


 こんなのが売っていたら、そりゃあ呑みますよね。


 コレのドコが国鉄型車両なんじゃい!というツッコミはごもっともですが、実は最後にもうひとつグレーゾーンがある事をここで白状しておきます(^^;


 冬はスキー場となる中富良野町の北星山ラベンダー園が見えました。


 11:37に富良野駅に到着後、この旅の中で最もタイトな3分という乗り継ぎで根室本線3430D快速 狩勝に乗車。12:35滝川着。タクシー利用という離れ業を用い札沼線の新十津川駅にやって来ました。


 小雨降るホームで待っていたのはキハ40 402でした。


 この当時はまだ3往復の設定がありましたが、2016年3月26日からは1往復となり、始発兼終列車が9:40と、日本一終列車が早い駅として有名になりました。


 それだけ難易度の高いこの区間を行程に組み込めたのは「滝川ワープ」を駆使した結果。我ながら良く練られた行程です。12:57発の5428D。


 当初、2020年5月6日をもって新十津川~北海道医療大学間が廃止されることになっていましたが、新型コロナウィルス感染拡大の影響を受けて運行最終日が4月24日に前倒し。その後、緊急事態宣言の対象地域が全国に拡大した影響でさらに4月17日に前倒しする事を4月16日に発表するなど、最後はドタバタの中で廃止となってしまいました。


 よく難読駅にもあげられる晩生内(おそきない)駅。


 14:18石狩当別着。乗り継ぎの14:29発の574Dはキハ143です。そう、コレが最後のグレーゾーン。もうなし崩し的になってきましたが、コレも種車は50系51型客車という事でご勘弁を。しかし、当初キハ141として客車を気動車化したのにも驚きましたが、先日JR北海道が発表した2026年春に導入するという豪華観光列車「赤い星」「青い星」の種車がこのキハ143だというのにも驚きました。ともすればもはや見飽きた感のある水戸岡デザインですが、この作品を最後に引退されるというウワサもありますし、最後に北海道に置き土産を置いて行ってくれるのはありがたいですね。

 というワケで札幌駅に到着後、“ほぼ”国鉄型車両のみで行く北海道乗り鉄旅の公式日程は終了。自分は721系電車(もう公式日程は終了したのでいいのです!)で苫小牧に行き、キハ40の日高本線で帰宅の途へ。友人の中にはさらに国鉄型車両の乗り鉄を継続し、北斗星で帰京した友人もいたようです。それにしても今思い返してもなかなかにハードな、しかし楽しい乗り鉄旅でした。今となってはもう廃止になってしまった路線も多いし、何よりあの頃のような体力もないので二度とこんな旅はできませんね。
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“ほぼ”国鉄型車両のみの乗り鉄旅・その1

2024-04-22 14:53:09 | 日記
 先日の記事(2429D)で書いた「“ほぼ”国鉄型車両のみで行く北海道乗り鉄旅」について振り返ってみたいと思います。
 北海道に移住する前は、鉄道趣味仲間たちが頑張ってチケットを確保してくれたSL会津只見号の乗り鉄会に何度も参加させてもらいました。移住してきてからも飛行機で参加したことがあります。そこで、今度は自分が企画して北海道での乗り鉄会を開催することになりました。日時は2010年7月17~19日。JR北海道が発売していた「三連休おでかけパス(普通列車用)」を使って、極力国鉄型車両のみで道内を乗りまくろうというもので、関東や東北から3名の友人が参加してくれました。旅の始まりは札幌駅6:34発の127Mなので、自分は前日の16日に地元新冠の道の駅の駐車場に車を置き、高速バス「ペガサス号」に乗って札幌へ。駅前のホテルに一泊して17日の早朝、札幌駅で友人たちをお迎えしました。


 東北新幹線で合流した3人は青森から急行はまなすに乗り、6:07に札幌着。彼らは一足先に国鉄型車両での乗り鉄旅が始まっていました。


 ホントは自分もこれに乗りたかったんだけどなぁ


 無事に全員揃い、旅のファーストランナー127Mに乗って滝川へ。711系のS-106編成でした。


 ホームで写真を撮っているとオホーツク1号が到着し、711系とキハ183系のコラボが撮れました。この後の2429D~5639Dについては割愛します。


 翌朝、根室駅は霧に包まれていました。5:58発の始発列車5624D。奥には8:22発の5628Dになるキハ54が留置されています。


 根室駅は日本最東端有人の駅をアピールしていますが、有人であろうと無人であろうと、最東端の駅は東根室駅というのが世間の認識かなぁと思います。


 で、こちらが日本最東端の東根室駅。板張りの小さな駅ですが駅前には団地などがあり、通学の高校生には欠かせない駅なのでしょう。次の駅は花咲駅となっていますが、2016年3月に廃止されてしまいました。釧路~根室間は「花咲線」の愛称があるのに、花咲駅はもう無いのですね。


 車両後部から去り行く景色を眺めますが、ほとんど霧に包まれていて車窓はあまり楽しめませんでした。


 かつては標津線が分岐していた厚床駅。標津線は高校生の頃に全線乗車しています。


 釧路からは釧網本線の3728D快速しれとこに乗車。写真は知床斜里駅。釧路車特有の額縁に絵入りのヘッドマークが掲出されます。


 知床斜里駅で交換する4729Dはキハ40でした。


 網走駅では石北本線の12:10発遠軽行きのキハ40、4662Dに乗車。釧路駅で買っておいた駅弁で昼食。


 留辺蘂駅でオホーツク3号と交換。


 金華駅では4665Dと交換するために8分ほど停車。乗務員さんもホームで休憩する光景がのどかですね。14年も前の写真ですが、勤務中のこういった態度が問題になりかねないご時世なので、念のため顔にぼかしを入れております。
 また、後ろでは同行の仲間が記念撮影をしようとしていますが、せっかくなら車両の顔が見える位置で撮ったらいいでしょうと、乗務員さんがさりげなく場所を譲ってくれました。


 金華駅も2016年3月に金華信号場となり、駅は廃止となってしまいました。ただ、今でも西留辺蘂止まりの列車はこの金華信号場まで回送でやって来て折り返していきます。


 国道から伸びる細い道がドンと駅舎にぶつかるような、北海道のローカル線にありがちな光景。


 もう少し時間があるので反対側のホームで撮影していたら、乗務員さんが「あいつらまだ撮ってるよ」といった感じで、半ば呆れたようにニコニコしていました。


 14:53遠軽着。駅構内には草に囲まれた転車台が残っていました。


 乗り継ぎの4626Dまで1時間以上あるので、瞰望岩の下に保存されているD51859などを見に行きました。曇り気味の写真が多いので伝わりにくいのですが、この日はめちゃめちゃ暑くて、スーパーでアイスを買ってクールダウンしながら向かったのを思い出します。


 瞰望岩の下にたたずむキ100型。


 16:12発の旭川行き4626Dは先程まで乗っていた4662Dの編成でした。


 上越信号所で特急オホーツク5号と交換のため長時間停車。通常は約30分も停車するようだが、この日は遠軽を出てから大雨になり、北見峠越えは空転を抑えるためにゆっくりゆっくり登ったため時間がかかり、20分ほど停車してオホーツクと交換。当時はまだいわゆる白滝シリーズの各駅が残っていた時期だけど、峠の麓の上白滝駅から峠の向こうの上川駅までの一駅の区間が68分もかかるのがこの4626Dなのだ。これもまたこの乗り鉄旅のクライマックスのひとつでした。

 その後、上川駅でも37分のバカ停があり、大量の高校生を乗せた車内はそれはそれは賑やかなモノでした。そして20:05に旭川駅に到着し、20:46発の岩見沢行き2274M(711系)に乗って今宵の宿泊地、深川駅に到着したのは21:12でした。しかし、ここでこの旅最大のトラブルが! 駅から徒歩数分の予約してあった宿に行くと、玄関の明かりが消えています。しかし、館内はだいぶ賑やかな様子。呼び鈴を押すと明かりが点き、中から出て来た女性は怪訝な様子。予約してある旨を伝えると「今日ですか? 今日は市内でスポーツの大会があって高校生の貸し切りなんですけど…」と言うではないか。そこで予約時のちょっと気になった事を思い出した。この宿はネットの予約サイトには登録していない宿だったので直接電話を掛けたのだが、呼び出し音が鳴るとどこかに転送をかけているようだった。恐らく宿主の携帯電話なのだろう。その時はしばらく待ってみたのだが、電話には出られない状況のようで繋がらなかった。すると、しばらくすると着信履歴に気づいたのか、向こうから折り返しの電話があった。そこで「7月18日に4人泊まれますか?」と聞くと、一瞬の間があってから「あ、あぁ、大丈夫ですよ」と言われた。ちょっと気になったというのはその一瞬の間と会話の雰囲気だった。手元で宿帳を確認して答えている感じではなく、出先で答えているような感じがしたからだ。でも、大丈夫と言っているのだから大丈夫なのだろうと思って、直前に確認の電話をしていなかったこちらにも落ち度はあるのかもしれないけど、そもそも予約管理の徹底は宿泊施設の最も重要な事柄だ。そして予約時の様子を言うと、目の前にいる女性がその時の電話の相手だったようで、「あっ!」といった感じで思い出したような表情を見せた。宿の経営者は別の場所にいるようで電話で状況を説明していたが、3連休の中日、夜の9時過ぎにそもそも宿の少ない深川で放り出されても、今から泊まれるところなんて見つけ出せるわけがない。なんとかしてくれと強く迫ると、部屋が2つだけ空いているので泊めてもらえることになった。館内にいたのはバスケットボールだったかバレーボールだったかの大会に来ていた女子高生で、恐らく貸し切りだったはずなのに何やらフロントで揉め事が起こり、急におっさん4人組がやって来て泊まる事になったらしいとざわざわし始めた。それまでは各部屋のドアを開け放ち、ワイワイガヤガヤ騒がしかった女子高生たちは、おっさんたちが館内に上がり込むと一斉に部屋に戻り、ドアを閉めて静かになってしまった。ゴメンよ~、でも悪いのは俺らじゃなくて宿の人なんだからね。というワケで、なんとか宿無しのピンチは切り抜けたのでした。つづく。
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2429D

2024-04-08 16:46:50 | 日記
 根室本線の富良野~新得間が廃止になってから1週間が経ちました。2016年の台風被害によって列車による運行が分断されてしまうまでは、「日本一運行時間が長い定期普通列車2429D」という名物列車がありました。(2015年3月のダイヤ改正で2427Dに変更) 「運行時間が」と注釈が入るのは、「運行距離」だと山陽本線岡山~新山口間を走る371Mが日本一の315.8kmで、2429D滝川~釧路間の308.4kmを上回っているからです。しかし371Mは複線区間を走る電車なので所要時間は5時間45分。それに対して2429Dは単線区間を走る気動車。列車の行き違いや特急退避などで停車時間が長い駅が複数あるので、所要時間は8時間2分と2時間以上も長いのです。そんな2429Dに2010年に乗車しています。今日はその時の様子を振り返ってみたいと思います。

 2010年7月17日から19日にかけて、海の日に絡んだ3連休に鉄道趣味仲間数名と「“ほぼ”国鉄型車両のみで行く北海道乗り鉄旅」というものを自分が企画立案して行いました。“ほぼ”と注釈が入るのは、3日目の深川~旭川間で、行程上どうしてもスーパーカムイ(※当初の記事ではスーパー宗谷と記述していましたが、スーパーカムイの誤りでしたので訂正しました)に乗らないと乗り継げないからで、それ以外は「三連休おでかけパス(普通列車用)」というきっぷを使ったので、乗車するのも普通・快速列車のみというなかなかにハードな乗り鉄旅でした。その中でもメインの列車のひとつが2429Dでした。


 まずは札幌から711系の127Mに乗り滝川へ。当時の根室本線は2429D推しでした。


 確か当時は釧路支社のサイトにタラコの運用情報が載っていたり、比較的2429Dに優先的にタラコが充当されていたりしたけど、この日はタラコじゃないことが事前に判っていたような気がする。滝川発車時は1両でした。


 釧路行きのサボ


 電光掲示板には「日本一長~いローカル線」の文字が。他には「日本一運行時間の長い普通列車」という文字も表示されていた。滝川発車は9:37。


 野花南で2428Dと交換。こちらも池田~滝川間244.4kmを5時間7分と、なかなかの列車。


 10:45富良野着。発車は11:06。


 ココで後ろに1両連結して2両編成に。


 5番線にはノースレインボーエクスプレス、その横にはクリスタルエクスプレスが。どちらもフラノラベンダーエクスプレスとして札幌~富良野間で活躍していましたが、今では共に引退してしまいましたね。この頃は華やかでした。


 落合で2432Dと交換。1749のタラコでした。あたしゃアンタに乗りたかったよ。


 この当時はまだタイフォンが残ってるし運転席のHゴムもグレーだね。


 落合では16分ほど停車。


 2432Dが行ってからもまだ8分ほどあるので反対側のホームから2429Dを撮影したり…


 駅を出て写真を撮ったりしていました。のんびりしたもんですね。


 次の新得では777のタラコが昼寝をしていました。2駅連続でタラコに遭遇するなんて、そっちに乗りたかった身としては、ツイているのかいないのか。


 窓が開くキハ40の乗り鉄は最高ですね!


 13:51帯広着。発車は14:22。帯広駅では改札を出て豚丼をテイクアウト出来るのを知っていたので、ちょっと遅めですがお昼ご飯をココまでガマンしていました。しっかり白い紙をレフ版代わりにしてサッポロクラシックが黒く潰れないように撮ってます(笑)


 浦幌では3両目のタラコ1758に遭遇。だから、そっちに乗りたいんだってば!(泣)


 あと1年足らずで北海道のキハ40は引退となってしまいますが、2両のタラコは一足先に引退という噂もあります。


 常豊信号場で貨物列車と交換。


 今は信号場となってしまった古瀬駅。板張りのホームはまだ張り替えて間もない感じだけど、いかにも北海道の駅って感じでイイですね。


 特急スーパーおおぞらと交換するので9分ほど停車します。


 のんびり乗り鉄旅ならではの光景ですね。


 もうすぐ終点の釧路ですが、大楽毛で貨物列車と最後の交換。しかしこのDFきったねぇなぁ。


 17:39釧路着。8時間2分の日本一運行時間が長い定期普通列車の旅が終わりました。長かったけど楽しかった~♪


 後ろに見えるホームのキオスクは今はもう無いみたいだ。駅ビル内でセブンイレブンとの複合店になったらしい。時代ですね。


 2429Dの旅はココで終了ですが、今宵の宿は根室。同じホームから18:30に発車するキハ54の5639Dに乗車します。


 程なく夜になるので車窓からの風景は翌朝の楽しみにして、ほとんど寝ていた記憶が。20:49根室着。


 当時は2429Dに乗って釧路駅で下車すると、こんな完全乗車証明書がもらえました。線路が途中で途切れてしまった今となっては、やりたくても出来ない旅となってしまいましたね。「“ほぼ”国鉄型車両のみで行く北海道乗り鉄旅」の全容はいずれ記事にしてみたいと思います。
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根室本線一部区間廃止

2024-04-01 15:10:11 | 日記
 常々、「葬式鉄は趣味じゃない」と言っていますが、昨日の根室本線富良野~新得間の最終日に行ってきました。2年前の日高本線浜田浦駅の最終日は、たまたま近くで仕事があったので立ち寄りましたが、○○系引退とか特急○○廃止の類のラストランにはほとんど行った事がありません。路線が廃止になる最終日に写真を撮りに行ったのは、高校卒業直後の国鉄瀬棚線ぐらいしか記憶にない。そんな自分がなぜ富良野に行ったのか。それには地元日高本線の廃止が影響しています。厳密には苫小牧~鵡川間が営業していますが、「一部廃止」ではなく「一部区間を残してほぼ廃止」となったきっかけは2015年の高波被害による路盤流失。ある日突然自然災害によって運行が休止され、そのまま再開できずに廃止となってしまった。根室本線も2016年に台風10号による豪雨被害で東鹿越~新得間がバス代行となってしまった。その時、新得駅北側の橋梁も流失したのだが、石勝線経由の特急が走る大動脈だったので年内に復旧。しかし根室本線の滝川~新得間は特急も走らないローカル区間。JR北海道からは完全に見放されてしまった。結局、東鹿越~新得間は災害による突然の運行休止からそのまま廃止ということで、地元日高本線の境遇と相通じるところがあるし、「まだまだ撮ってみたかったカットもあるのに」という心残りもあった。それでも富良野~東鹿越間は列車による運行が再開されたし、釧路運転所のキハ40の運行が終了してからはタラコやツートンが撮れる自宅から最も近い区間だったので、ここ2年ほどはたびたび撮影に訪れていた。そして3月16日のダイヤ改正で石北本線のキハ40の運行が終了してからは、タラコが富良野周辺に集中的に投入されると思っていたのだが、最初の7日間だけでぱったりと運用が止まってしまった。「このままタラコが走らないのなら最終日もパスかなぁ」と思っていたら、どうやら最終日の午後から走りそうだという事で急遽行く事にしたのでした。

 で、当日の朝を迎えると、なんと雨が降っていた。すぐさま現地の状況を確認すると、富良野は雪が降っているらしい。天気予報は晴れだったのに! 芦別岳がキレイに見えていたら、冬季通行止めの区間を歩いて撮影に行こうと思ってリュック型のカメラバッグに機材を移し替えていたのに~(>_<) しかし午後には晴れてくるみたいだったので、出発を遅らせて朝食を自宅で食べてから出発することにした。


 のんびりと朝食を食べていたらのんびりし過ぎてしまい、東鹿越発2本目の9474Dにギリギリとなってしまった。いつもはクルマで横目に見て素通りしてしまっていた鉄橋を真横から撮影できるポイントで初めて撮ってみた。背後の山には着雪があり、直前に陽も射してきたのでまずまず良きカットが撮れた。


 次のポイントは決めていなかったので探しながらとなったが、その前に通りかかった下金山カーブがスゴイ事になっていた。道路からチラッと見ただけで40台ほどのクルマが狭い未舗装路に数珠つなぎに駐車していた。芦別岳は上のほうは雲に隠れているのに、どうしてもココで撮りたい人が沢山いるんだね。で、芦別岳よりは標高が低いこちらの山、西富良野岳と書いている人がいたけど、こちらのほうがほぼ山が見えているし、順光で撮れるのでココにしました。


 臨機応変に複数アングルで撮影したいので基本的に手持ち撮影派ですが、風が強くてカメラ保持に難儀しました。お別れのヘッドマークを掲げた森メグちゃんを先頭にした3両編成です。


 今日は今まで撮ってなかった場所で撮ってみたかったので、返しはこんな場所で撮ってみました。下金山神社の鳥居です。3両がスッキリと撮れないので、こんな所で撮っているのは自分だけでした。タラコだったらもうちょっと画になる場所でしたね。


 午後の9477Dからはタラコ+白+白+タラコの4両編成です。自分的には真ん中2両の白が気に入らないので、最初から白を排除したカットを撮ってやろうとこの場所に来たのでした。狙いどうりに撮れました。


 実際はこういう編成です。4両はちと長過ぎた。で、現地で聞いた話によると、ツートンの1759は現在、検査で釧路入りしているそうです。最近全然見かけなかったのはそういう事だったのね。引退じゃなくてよかった。ただ、タラコの2両は引退が近いそうです。これからは富良野より先の区間まで行かないと撮れなくなりますが、なるべく多く撮りに行きたいですね。


 返しは最初、下金山駅の山部方にある踏切で撮ろうと思っていました。普通、踏切周辺は何かしら「ぼっこ」(棒っこ・北海道弁で棒のことです)やら箱ものだったり、設備関係のものがあってスッキリ撮れないことが多いのですが、ココの踏切の下金山方は何もなくていいな~とロケハン時に思っていたのです。ただ、行ってみると線路端の木の影が思いっきり車両側面にかかりそうだったので次の候補地へ。ココは開けていて車両にかかる影はありませんが、微妙に車両にかかる木があったりします。ただ、条件のいい場所はどこも人がいっぱい。今日はあまりガツガツしないと決めていたのでココでOK


 列車は富良野に戻って2往復目。アウトカーブに来たという事は~


 はい、こういう事です! 先程のカーブより曲率が緩いので先頭車はほぼ正面になってしまいました。また、横位置で撮影したのを無理くり縦に切り取ったのでパツンパツン。


 返しは暗くなるので、先週味をしめたアウトカーブバルブ。今度は逆向きで。芦別岳は見えなかったのでカラマツ林バックです。4両編成だからもっと車内の明かりが写ると思っていましたが、あまり明るく写っていませんでした。また、テールランプの揺れ具合がローカル線の線路状態を表していますね。


 今日はもう最終列車まで見送ろうと決めました。いつも基本的に時系列的に写真を並べていますが、コレが富良野~新得間の最終列車。金山~下金山間の小さな踏切で見送りました。ちょっとシャッタースピードをミスって遅くし過ぎた。もうちょっと窓が判る感じが良かったかな。右側に北海道色の残像が…


 で、コレが時系列的には最後の1本前。シメのカットはこちらの方が適しているでしょう。山部の野球場ウラの直線の星空バルブ。一週間で過去最高傑作を更新してしまいました。光の筋がなんのこっちゃ分からないかもしれませんが、信号を入れたことによって鉄道写真であることを物語っています。しかし、惜しむらくは芦別岳が雲に覆われてしまっている事。この雲が無かったら、空前絶後超絶怒涛の最高傑作と言えたでしょう。右側には流れ星も写っています。ただ、ホントは先日、これで雲が無く、恐らく月明かりに照らされたのであろう雪の芦別岳がくっきりと浮かぶ写真をネットで見て、自分も撮ってみたいと思ったのでした。でももう撮れないんですよねぇ。

 というワケで、局地的には大混雑していた最終日でしたが、極力そういう場所とは距離をとってラストを見送ってきました。もう今日から根室本線は完全に分断されてしまったんですね。日高振興局管内に乗り入れない日高本線とともに、名前と実態の乖離が悲しいです。
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