太陽日記

北海道移住10年を機に、日記をこちらに引っ越しました。気が向いた時にひっそりと更新します(笑)

昔の写真・その3

2016-05-03 14:37:05 | 日記
 連休中にチマチマとUPしている「昔の写真シリーズ」ですが、今のところ北海道の写真ばかりUPしています。しかも3月とか4月の写真ばかり。なぜなら、高校生の頃は春休みにしか北海道に行っていないからです。なぜ春休みなのか? それはこのきっぷのせいです。

北海道ワイド周遊券
北海道内の国鉄全線が20日間も乗り放題という夢のようなきっぷ。しかも特急でも自由席なら乗り放題。
額面を見ると年々値上がりしていますが、昭和60年では35,000円。もちろん消費税なんてありません。
35,000円といえば当時の高校生にとっては高額ですが、このきっぷ、鉄道だけじゃなく国鉄バスも乗り放題。
しかも当時は今ほど道路事情も良くなかったので、冬季は運休になってしまうバス路線も結構ありました。
そこで冬季は2割引き。春休み期間も冬季扱い。しかもそこに伝家の宝刀「学割」の合わせ技もOK つまり35,000円の4割引き、21,000円で買えたのです。
そして春休みならば、まだ「お年玉パワー(笑)」による蓄えもあったので、毎年終了式の日(昭和62年は卒業式の日)の夜には上野駅から北を目指していました。
途中下車する度に押してもらっていた「下車印」がなつかしいね。
わざわざ北海道の形のその位置に下車印を押してくれる駅員さんもいました。
1枚目で言うと、浜頓別、札幌、大沼公園(大公)。
2枚目だと湧別、黒松内。興部、斜里、占冠、国縫もなるべく近付けてくれた感じもする。
これらの下車印と駅のスタンプ、そして入場券(もちろん硬券)購入の3点セットに燃えていたなぁ(笑)

 当時は国鉄経営再建計画の真っただ中で、赤字ローカル線がどんどん廃止、バス転換されていく時期だったので、それらのローカル線に乗りまくっていた。今日はそんなローカル線特集です。


羽幌線 富岡(仮)~鬼鹿 823D (1987年3月4日)
いかにも「冬の日本海」って感じだね~。風が強かった。有名な鰊番屋。


羽幌線 初山別(1987年3月4日)
冬の鉄路を守るラッセル車、DE15 2511[旭] 今でも宗谷本線のラッセルで活躍中。


こちらは天北線でのラッセルシーン。確か、ペンちゃんの知り合いが「ラッセル撮りに行く」というのを聞いて同行したんじゃなかったかな。山軽駅から歩いた気がする。
最初に見えた時はウィングを閉じていたんだけど、同行の彼が両手を大きく振って「撮ってるよ~!」とアピールしたら広げてくれた。踏切をかわしていただけかもしれないけど…
そして、今にして思えば結構線路に近い場所で撮ってたので、ウチらの近くに来た時はウィングを閉じてくれた。ありがと~そしてごめんなさい(^^; (1987年3月)


名寄本線 中湧別(1986年3月31日)
名寄本線が廃止された今も、ホームと跨線橋は当時のままに残されている。


名寄本線 湧別 941D (1986年3月28日)
朝の7時台と夕方の5時台の2本しか列車が来ない名寄本線の湧別支線。↑の中湧別(市街地はこちら)から5kmほどしか離れてないからねぇ
でも、手元に硬券の入場券があるってことは有人駅だったのかな。そりゃ赤字になるわ…


湧網線 志撫子(仮)~芭露(1987年3月6日)
この日はこの後、一部区間で吹き溜まりができた影響で全く列車が来なくなってしまった。すると、「ハイモ(排雪モーターカー)が来るらしい」という情報が入った。
今となってはどうやってその情報を得たのか覚えてないけど、とにかくハイモを撮ろうと現地で粘った。しかし、待てど暮らせどハイモは来ない。
その場に数人の鉄がいたんだけど、自分ともうひとりは諦めて駅に戻った。すると駅員が「吹き溜まりの現場を処理しただけでハイモはもう帰還した」と言う。
予定よりだいぶ遅れて発車した列車が先程の撮影ポイントを通過するので、同行の彼とフィルムケースに「ハイモは来ない」のメモを詰め、
居残り組の鉄たちに向けて車窓から「コレを読め!」と叫んで投げつけた。ケータイの無い時代の原始的な伝達方法だね(笑)
確か、この居残り組の中にペンちゃんがいたんじゃなかったかなぁ。そして一緒に駅に戻った彼がペンちゃんの知り合いで、↑のラッセルの情報を教えてくれたんじゃなかったかと思う。


標津線 光進(1987年3月12日)
アップダウンする単線が北海道らしい光景だけど、実はコレ、駅のホームから撮れる超お手軽ポイント。
乗って来た列車のバックショットや、これから乗る列車も撮れてしまうので、本数の少ないローカル線では非常にありがたい。
それにしてもヘロヘロな線路だな~(^^;


深名線 朱鞠内(1986年4月1日)
晩年の深名線といえばキハ53や54のイメージがあるけど、この頃はキハ24とか40も走ってたんだね。


深名線 朱鞠内(1986年4月1日)
キハ40 107  タブレットプロテクターがカッコイイ。窓配置が初期グループだね。コイツはその後ワンマン化改造されてキハ40 832に改番された。


士幌線 糠平~電力所前(仮) 724D  (1987年3月14日)


士幌線 糠平~電力所前(仮) 723D  (1987年3月14日)
士幌線は正式には十勝三股が終点だけど、糠平から先(約20km)はバス代行。この時、バスに乗って十勝三股まで行っている。


歌志内線 歌志内(1987年3月5日)
標記を見ると(昭和)61-12 新潟鉄工所 とある。新製配置されてまだ3ヵ月だけど、厳冬期の北海道は厳しい環境なんだろうな。それなりに使い込まれた感がある。


歌志内線 歌志内(1987年3月5日)
その横に止まっていた石炭列車。道外禁止の黄帯がいいね。


富内線 日高町 4942D (1986年3月30日)
乗りつぶしにはなかなか難儀する行き止まり線。この時は石勝線の占冠駅からバスで日高町に抜けて乗車した。
この場所は現在、農協の大きな倉庫になっている。


富内線 日高町 4942D (1986年3月30日)
キハ22 287 塗装がだいぶ色褪せてるな。


富内線 日高町 4942D (1986年3月30日)
18年後、まさか自分がこの辺(70kmくらい離れてるけど、まあざっくりこの辺だ・笑)に住むとは夢にも思ってなかったな。


瀬棚線 瀬棚(1986年3月26日)
背後に三本杉岩が見える。これだけ構内が広いってことは、昔は荷物の取り扱いが多かったんだろうな。


瀬棚線 北住吉~種川(1987年3月15日)
この日は瀬棚線廃止の日。さよなら瀬棚線の臨時列車。キハ56系と、3両目にキハ40をはさんだ堂々の6両編成だ。
そういえばこの日、瀬棚駅でレイルウェイ・ライターの種村直樹氏を見かけた。2014年に亡くなられてしまいましたね。

 今日はすごい長い記事になってしまいましたが、最後までお付き合いありがとうございます。自分が初めて北海道に来たのは1985年の3月。その時はポジでの撮影は少なくてネガカラーでの撮影が半分以上。プリントはあるんだけどネガが見当たらない。ネガがあればスキャンできるんだけど、15年以上も前のフラットベッドスキャナーはXPマシンでも使えなかった…
 北海道シリーズはもうちょっとあります。あと、内地編も少しあります。よかったら見てみてね♪
コメント (8)
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