太陽日記

北海道移住10年を機に、日記をこちらに引っ越しました。気が向いた時にひっそりと更新します(笑)

追悼乗り鉄会

2016-07-07 18:23:34 | 日記
 2月に鉄道趣味仲間が急逝され、葬儀に参列してきた話は以前の日記にも書きました。その後、趣味関連の膨大な遺品整理に仲間たちが協力していたのですが、ご遺族の方から「皆さんで一緒にSL列車に乗りませんか?」と提案がありました。葬儀の際に仲間内で「追悼乗り鉄会やりたいね」と話は出ていたのですが、ご遺族の方からそういう提案を頂いたのがとても嬉しく、日程的にも行けそうな日程だったので時刻表を調べてみました。乗車する列車は7月2日のSLばんえつ物語の復路(会津若松→新潟)。なんと、北海道新幹線を利用すれば鉄路で間に合う事が判明。新潟着が午後の7時過ぎなので新潟で1泊。翌日のばんえつ物語往路に乗り、同じルートの逆走でも最終のスーパー北斗に間に合う。つまり、北海道の山の中から1泊2日でばんえつ物語往復が出来てしまうのです。スゴイ時代になったなぁ。
 で、当日。間に合うと言っても、苫小牧6:44発の特急スーパー北斗2号に乗らなければならないので、朝4時に起きて5時に自宅を出発。苫小牧駅の場合、往復特急乗車だと駐車料金が無料になるので、指定の駐車場にクルマを止めて駅へ。


苫小牧から乗車したキハ281系の特急スーパー北斗2号。20年くらい前に初めて乗った時、函館駅を発車してからの加速に「コレ、ディーゼルの加速じゃねーだろ!」とビックリした覚えがあるけど、今回はそれほどの驚きは無かった。


北海道新幹線! と言いたいところだけど、車両はJR北海道のH5系ではなく、JR東日本のE5系なのが残念。 新函館北斗駅


スーパー北斗からの乗り換え客が新幹線ホームに移って来た直後は写真を撮る人たちで混雑していたが、10分もするとその混雑はすっかり落ち着いてしまった。
行き先に「東京」って文字が表示された電光掲示板が、新幹線が北海道にやって来た事を実感させてくれる。 新函館北斗駅


 開業直後の盛り上がり以降、乗車率が苦戦しているような報道もあったけど、土曜日の午前中という事もあってか、パッと見7割程度の乗車率で新函館北斗を発車。そもそも途中から乗って来る客もいるのだから、始発駅を出た時点で「空席が目立つ!」なんてイキりたってはいけないと思う。現に、新青森を発車した時にはデッキに立ち客もいたくらいだ。まぁ、新青森以降の乗客の運賃はJR東日本に入っちゃうんだけどね。だからJR北海道としては、新幹線をなんとか札幌まで延伸しなければうま味が得られないと思っているのだろう。そう言えば、新函館北斗を発車直後、函館山が右側の車窓に見えて驚いた。レールは新函館北斗駅の手前で急激に北へ向かっているのだろう。その事からも北海道新幹線の終点はあくまで札幌であるという意志を感じた。

 さっきまで床下からディーゼルエンジンがガーーーッと唸っていて、レールの継ぎ目や車体の横揺れもある在来線特急に乗っていたから、それに比べると新幹線のまぁ快適な事。滑るように発車するとはまさにこういう事か!と、10数年ぶりの新幹線に浸っていたら、あっという間に木古内。ここから次の奥津軽いまべつまでは在来線供用区間となり、貨物列車と高速ですれ違う都合上、最高速度が140キロに制限されてしまう(他の北海道新幹線内は最高260キロ)。東北新幹線区間では最高320キロ運転もこなす車両が半分以下のスピードしか出さないのだから、感覚としては徐行しているようなものだ。乗り心地は320キロ運転の時よりもさらにイイけど、スピードが命の新幹線にとっては「う~む…」と言わざるを得ない。実際、自分が乗っている間は貨物列車とはすれ違わなかった。時間をお金で買うのが新幹線なのに、スピードを出せない北海道新幹線がスピードを出せる東北新幹線よりも特急料金が割高ってぇのも気に入らない。なんとかならんのかね…
 また、先ほどE5系なのが残念と書いたけど、H5系に乗るのは非常に困難。そもそも4編成しかないのに1編成は予備車、1編成は緊急時の救援車として車両基地に待機。つまり2編成しか走っていないのだ。しかも、始発の「はやぶさ10号」に使用されるH5系の編成は、東京到着後は折り返し新青森行きの「はやぶさ17号」となり、しばらく車両基地で休息した後、東京行き「はやぶさ32号」、そしてその後は仙台行きの「やまびこ223号」としてその日の運用を終える。つまり、朝イチに新函館北斗を出たら、その日は北海道に戻ってこないのだ。そして翌日は仙台発の「はやぶさ95号」として新函館北斗にやって来ると、一旦車両基地に戻ってから「はやぶさ22号」として東京に行き、「はやぶさ29号」として新函館北斗に戻って来る。この運用を繰り返しているわけだ。そして今回、自分が乗った「はやぶさ16号」では青函トンネル内で「はやぶさ95号」のH5系と、仙台で乗り換えた「やまびこ140号」では「はやぶさ17号」のH5系とすれ違った。2編成しか走っていないその両方とすれ違ったのは珍しいかもしれないけど、俺はそっちに乗りたいんだよー!(>_<)
 そう言えば、北海道新幹線開業時にちょっと話題になった奥津軽いまべつ駅(青森県にあるけどJR北海道の駅)。新幹線の駅が所在する市町村の人口が日本一少ない駅として紹介される事が多かった。その駅で、自分の前の席に座っていたご夫婦が下車したので驚いた。「えっ!ココで降りんの!」と。失礼な話ですよね(^^;
 また、東北に入ってからつくづく「東北は米どころなんだな~」と実感した。1枚の田んぼが広いし、ほとんど段差のない圃場が延々と広がっている。自分も米農家の手伝いをする事があるから、「1軒の農家の面積ってどれくらいあるんだろう?」とか、「こんだけの面積あったら育苗ハウス何本あるんだよ!」とか、「籾まきとか田植えって何日かかるんだろ?」とか気になってしまう(笑) また、牧場も何軒かあったけど、北海道のような広大な牧草地はあまり見られない。デントコーンも作っていないようだ。自給飼料が少ないと飼料価格が牧場経営を直撃しそうだなぁとか、都会に住んでいたら全く気にもかけないような事が気になって仕方ない(笑)


てな訳で新幹線を乗り継ぎ、郡山から磐越西線で会津若松へ。仲間と合流したらお目当てのSLばんえつ物語。新幹線から蒸気機関車というギャップがスゴイね(笑)


今まで1999年の運行開始から北海道に移住する前の2003年までの5年間、何回も撮影に来たSLばんえつ物語だけど、実は乗車するのは今回が初めて。
今回乗るのは7号車のグリーン車。ご遺族の義理の弟さんを含めた総勢10名での乗り鉄だったけど、30席しか無いグリーン席を10席も押さえてくれた仲間に感謝!
また、故人同様にこの列車の常連で、毎週のように車内で見かけるという事から親しくなったという方も一緒に追悼乗り鉄する事になった。
それと、ウチらのメンバーで今日たまたま会津に来る予定がある人がいて、自分はタイミング的に会えなかったけど、昼食時に顔を出してくれたようだ。


グリーン車の乗客専用のパノラマ展望室。グリーン車は窓が開かないから蒸気機関車特有のブラスト音とかがあまり聞こえてこないけど、ココにいれば連結器のガッチャンガッチャンいう音が聞こえて、「客車列車に乗ってるな~」と実感する。


列車に揺られて酒を呑むのが何よりの楽しみだった故人を偲び、それぞれが持ち寄ったり、今回参加できない友人からの差し入れの日本酒が並んだ。
最初「こんなに飲みきれないよ~」とみんな言っていたけど、新潟までの3時間半で飲みきってしまったのには驚いた(笑)


野沢駅では地元の幼稚園児が記念撮影。嬉しそうだね♪


車内での仲間内の思い出話については割愛させていただきます。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、終点の新潟駅。ここで、当初は所用で参加できないと言っていたメンバーがひとりサプライズ登場して、みんなをビックリさせた。
写真は最近その数を減らしつつある115系。こういう国鉄時代の車両が好きです。右側の車両は何系か全く知らない(^^;


 この日しか都合がつかないメンバーもいたので、オフィシャルな追悼乗り鉄会はココまで。新潟に宿泊した7人で、翌日の追悼乗り鉄会延長戦に臨んだ。


翌朝の新潟駅。ばんえつ物語の編成を牽引してきたのはEF81だった。普通のお客さんは最後尾に繋がれているC57を撮りに行くけど、自分はこっちを優先。
双頭連結器がカッコイイね! パンタが両方上がってるけど、こういうもんなの?
左に見えるのが特急いなほだというのはわかるけど、何系か全く知らない(^^;


結局C57も撮りましたよ。現在新潟駅は高架化工事中。


1号車は「オコジョ展望車両」というフリースペース。キッズスペースや展望スペースとなっている。


4号車もフリースペースで、展望車となっている。赤い円筒形ポストは実際に手紙を投函できる。


こちらの車端部はハイデッカー構造になっていて、自由に座れるソファが設置されている。


蒸気機関車は途中で水や石炭の補充をするけど、各部への注油や点検も怠らない。 津川駅 


その作業中は絶好の撮影タイム。 津川駅


蒸気機関車のメカニカルな部分も間近に観察できる。 津川駅


会津若松に到着すると、中線にED75+チキが止まっていた。引き上げていくばんえつ物語とパチリ。


 その後は磐越西線で郡山、東北新幹線やまびこ211号、仙台ではやぶさ25号に乗り換えて新函館北斗、最終のスーパー北斗23号で苫小牧22:50着。自宅に着いたのは日付け変わって7月4日の0:20頃でした。
 今回、遺品の中に同じ列車の指定券やグッズが大量にあるのが、当初義理の弟さんには理解が出来なかったようですが、同好の士と汽車に乗り酒を酌み交わす楽しみを大切にしていた事や、車内や沿線にたくさんの知り合いがいた事が、実体験を通して少しは理解して頂けたのではないかと思います。そういった意味では、自分たち仲間内だけでの追悼乗り鉄会ではなく、ご遺族の方と一緒に乗れた事が本当に良かったと思いました。別れ際におっしゃった「また誘ってください」は、決して社交辞令ではないですよね!
コメント (2)
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