慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

この国はどうやって守られてきたか(2)(元寇・軍備・鎖国)

2020年12月28日 | 憲法
🌸この国はどうやって守られてきたか(2)(元寇・軍備・鎖国)

⛳朝廷は史上最大の艦隊が来ても祈るだけ、武士が国を守った
 ☆文永の役で撤退した元が再度襲来することは明らか
 *時宗は先手を打つべく、高麗攻撃を計画します
 *出兵準備を進めたが、最終的には中止している
 *博多湾の石塁建設に多額の出費と人員を要したと推定される
 ☆フビライは日本に使節団を送り込んできた
 *時宗は、彼ら全員を斬首に処します
 *使節団は日本の地形、水路、国力などを調べる偵察隊
 *使節団に重大な情報を持ち帰らせるわけにはいかない
 ☆フビライは、再び日本に使節団を送ってきた
 *時宗はこの時も彼ら全員を斬首している

⛳元寇、弘安の役
 ☆元軍と高麗軍の兵士4万人を乗せた900艘の軍船
 *朝鮮半島南部の合浦を出港(東路軍)
 ☆旧南宋軍を中心とした約10万人の兵士を乗せた軍船3500艘
 *大陸の慶元を出港(江南軍)
 ☆日本全土を本気で占領しようと考えていた
 ☆鎌倉幕府は御家人だけでなく、非御家人にも出動を命じた
 ☆日本は国家の命運をかけた弘安の役に突入する
 ☆東路軍は対馬を襲ったあと、博多上陸を試みた
 *日本側は石塁を築いており、武士団が激しく攻撃し上陸できず
 *東路軍は、志賀島を占拠し停泊地とする
 *日本の武士団は、夜襲をかけ勝利する
 *東路軍は連日の敗戦で疲弊し疫病も蔓延、3千人↑の死者を出した
 ☆江南軍が到着し、平戸島一帯に停泊する
 *武士団は壱岐島の東路軍に総攻撃を敢行
 *激戦の末に撤退させる
 ☆江南軍と東路軍が合流する
 *武士団は小舟から敵船に乗り移り、斬り込みをかける
 *襲撃に恐れをなした元・高麗・南宋連合軍
 *船同士を鎖で繋いで砦のようにした
 *夜半、九州北部を台風が襲う
 *連合軍の船の大半は沈没あるいは損壊
 *武士団は攻撃の手をゆるめず、掃討戦をしかける
 *蒙古人と高麗人は皆殺し、南宋人は捕虜にした
 ☆連合軍を襲った台風は後世「神風」と呼ばれた
 * 一種の神風信仰が広まる
 *しかし、台風が来なくても、日本は勝利していた
 *連合軍は武士団に苦戦し九州に上陸できなかった
 ☆神風信仰は朝廷や貴族たちが広めた
 *元寇の際、朝廷は祈祷を行なうだけ
 *武士の奮戦ではなく祈りで救われたとすれば
 *朝廷の権威が高まるから

⛳鉄砲という抑止力
 ☆ヨーロッパの国々は、世界のほとんどを植民地化していく
 ☆日本は、ヨーロッパの大国との対峙が避けら れない時代
 ☆日本人とヨーロッパ人の最初の出会い
 *種子島に漂着した中国船に乗っていた二人のポルトガル人
 *領主・種子島時尭は鉄砲に注目し、二丁購入している
 ☆時尭のすごいところは、鉄砲の購入で終わっていない
 *刀鍛冶に命じる数十丁も作らせた
 ☆その後、鉄砲は堺・紀伊根来・雑賀などでも製造される
 *瞬く間に新技術を吸収して量産化に成功した
 ☆スペインは日本を占領しようと考えていた
 *キリスト教の宣教師を送り込み、その国の文化や宗教観を破壊する
 *国力を弱体化させたところで、軍隊を派遣し、軍事占領する
 ☆南アメリカや東南アジアの多くの国々
 *そのような手順で、ヨーロッパの植民地となった
 ☆日本では、それがうまく行かなかった理由
 *理由の一つは、日本の鉄砲保有数
 *戦国時代末期の日本の鉄砲保有数は世界一

 ☆イエズス会宣教師
 *本国イタリアヘの報告で日本人の好戦性に触れ
 *軍事費との比較からも日本の征服は不可能であると述べている
 ☆当時の日本は、明確な兵農分離は行なわれていない
 *武士だけでなく、僧侶も農民も武装していた
 ☆成人男性の大半が刀を持っていのも戦争の抑止力
 *武力は、相手を打ち負かすだけでなく
 *相手に強いと思わせることも抑止になる
 ☆世界の大半を支配したヨーロッパの列強も手出しができなかった

日本は、鎖国ができるくらい強かった
 ☆江戸幕府は、全国に「禁教令(キリスト教禁止令)」を発令
 *一部の土地が教会に寄進されていたことなどを重く見た
 *教会領ということはローマ教皇のもの
 *幕府の権力がおよばない治外法権の地である
 ☆島原の乱が起こる
 *乱の先導者たちには、キリスト教徒が多かった
 *幕府はキリスト教をはじめとする宗教管理を強める
 ☆キリスト教は入れたくないが、貿易の利は欲しい
 *それがうまくいかないことを悟った幕府
 *「鎖国令」をだし、最後の鎖国令でポルトガル船の来航を禁上した
 *オランダと中国以外の入国を禁じた
 ☆スペイン・ポルトガル等ヨーロッパの国々がそれに従った理由
 *貿易の利が欲しいのは日本だけでなく他の国々も同様
 *彼らが、日本の鎖国を受け入れたのは、日本が強国だったから
 ☆日本が鉄砲を持たず、武装していなかったら
 *他国は鎖国令に従わず自由に出入りしたことでしょう
 ☆日本は、結果として他国からの侵略をいっさい受けなかった
                  (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
⛳出典、『百田尚樹の日本国憲法』













この国はどうやって守られてきたか(2)(元寇・軍備・鎖国)
(ネットより画像引用)
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鉄血(兵器&兵隊)宰相ドイツのビスマルク

2020年12月28日 | 歴史上の人物
🌸鉄血(兵器&兵隊)宰相ドイツのビスマルク

 ☆ビスマルクは、プロイセン(ドイツ)の政治家、貴族
 ☆ビスマルクがいたプロイセン王国は、多くの国の連合体
 *19世紀以前までドイツ国家は存在せず
 ☆ビスマルクは、オーストリアやフランスに戦争で勝利
 *ビスマルクは、19世紀から、ヨーロッパの勢力図を一変させた
 *プロイセン王国首相⇒北ドイツ連邦首相⇒ドイツ帝国首相へと
 ☆ドイツ統一の中心人物で「鉄血宰相」の異名を持つ
 *武力、外交で巧みに勝利を重ねドイツを統一した
 ☆破天荒な性格と繊細な計算が同居するビスマルク

⛳ビスマルクの履歴
 ☆プロイセン東部の地主貴族ユンカーの出身
 ☆代議士・外交官
 ☆プロイセン国王ヴィルヘルム1世から、プロイセン首相に任命された
 ☆軍制改革を断行してドイツ統一戦争に乗り出した
 ☆プロイセン王国とオーストリア帝国 の戦争の勝利
 *北ドイツ連邦を樹立
 ☆プロイセン王国とオーストリア帝国で戦争の勝利
 *南ドイツ諸国も取り込みドイツ帝国を樹立した
 ☆19世紀後半のヨーロッパを「ビスマルク体制」で構築した

ビスマルクと岩倉使節団との交流
 ☆岩倉使節団がビスマルクから夕食会に招かれた
 ☆席上ビスマルクは述べた
 *貴国と我が国は同じ境遇にある
 *私は三度戦争を起こしたが、好戦者ではなくドイツ統一のため
 *貴国の戊辰戦争と同じ性質のもの
 *英仏露による植民地獲得戦争とは同列にしないで欲しい
 *私は欧州内外を問わずこれ以上の領土拡大に興味を持っていない
 *貴国に対して、現在世界各国は親睦礼儀をもって交流している
 *それは表面上のことで、内面では弱肉強食が実情である
 *万国公法は、列国の権利を保存する不変の法という
 *大国は利があれば公法を守るだろう
 *不利とみれば公法に代わって武力を用いる
 *英仏は世界各地の植民地を貪り、諸国はそれに苦しんでいる
 ☆ビスマルクの日本に対する助言
 *我々は数十年かけ、列強と対等外交ができる地位を得た
 *貴方がたも万国公法を気にするより、富国強兵を行い
 *独立を全うすることを考えるべきだ
 *さもなければ植民地化の波に飲み込まれる

岩倉使節団&日本の政治家の反応
 ☆小国プロイセンを大国ドイツにしたビスマルクの率直な言葉
 *使節団に深い印象を残した
 ☆欧州各国は不平等条約の改正に応じる条件として
 *日本に万国公法に沿った法整備を行うよう外圧をかけていた
 ☆ビスマルクだけがそれを否定する発言を使節団に行った
 ☆大久保利通はビスマルクに強い感銘を受けた
 *富国強兵・殖産興業を推し進めることが必要だと確信した
 ☆伊藤博文も日頃からビスマルクを尊敬
 *ビスマルクを真似て葉巻をくゆらせていた
 *伊藤は「日本のビスマルク」と呼ばれていた
 ☆山県有朋もビスマルクに親近感をもつ
 *「日本のビスマルク」をもって自認した
                  (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
⛳出典、NHK『ザ・プロファイラー』、WIKIPEDIA


















鉄血(兵器&兵隊)宰相ドイツのビスマルク
『ザ・プロファイラー』テレビ画面より画像引用)
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中国には進んで協力も

2020年12月28日 | 反日(朝日新聞他Medea)
🌸自衛隊を敵視した学術会議の「独善」斬る

 ☆学術会議、基礎研究も軍事に関連すると拒否する
 ☆学術会議、自衛官の大学院進学も許可しなかった
 ☆戦後体制の「炙り出し」と学術界の立て直しを図ることが必要

⛳GHQの日本占領政策の残滓
 ☆日本学術会議、連日報じられている
 *期待したいのは「炙り出し」効果
 ☆野党が俎上に乗せれば乗せるほど同組織の問題点が明らかになる
 *日本にとって必要なことだ
 ☆学術会議が「占領政策の残滓」であるのを日本人に知ってもらいたい
 ☆同会議はGHQが占領政策を進める中で発足した
 *占領下の日本では軍事に関わるもの
 *転用できそうな技術も全て禁じられた
 *それがそのまま同会議の理念にある
 ☆学術界には「学問の自由」が免罪符のように立ちはだかる
 *国立大学でも調査・介入は困難だった
 *所管の経産省・文科省は、事実上タッチできなかった
 (北朝鮮への制裁、対中国規制にも抜け穴が?)

⛳民生技術と軍事技術は不可分
 ☆国民の税金が国立大学でどのような研究に使われているのか
 *国の発展に結びつけると同時に社会に貢献してもらう
 *至極当然の考え方である
 ☆あらゆる大学では、中国など留学生の割合が大きい
 *日本には報告の制度はなくどれほどの大学が金銭を受け取り
 *共同研究を現在も進行しているのか分からないのが実態
 ☆学術界の「国益に反する学問の自由」を是正
 *日本の国力を向上させるに力を合わせるのが時代の要請だ
 ☆学術会議は「第2次大戦中に研究者が戦争に関与した反省から」と
 ☆防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」事実上拒否する声明
 *防衛装備庁の制度とは
 (将来的に防衛分野での活用を期待できる基礎研究を支援するもの)
 *学術会議がタブー視する「軍事研究」と同義とは思えない
 ☆現代の時代、民生技術と軍事技術の区別
 *できなくなってきていることは常識
 *何をもって「軍事技術」に棲み分けするか分からない

学術会議自身が「学問の自由」を奪った
 ☆研究室の当事者たちは、学術会議の圧力に委縮する
 *日本の安全保障に資するかもしれない資金は辞退する
 *一方で、中国からの協力は得ることができる
 *中国との共同研究は盛んに行っている
 *反日行為以外の何ものでもない
 ☆学者たちによる陰湿な「いじめ」の歴史
 *自衛隊が、職務上の必要から隊員を大学院に進学させることがある
 *受験の辞退を大学院側から求められた事例もある
 (願書の返送事例、7年間で延べ約50人)
 *以後、自衛隊トラブルが予想される大学には出願を控えている
 ☆東大は近年まで自衛官との理由で試験も受けさせなかった
 *一方で多くの中国人留学生は受け入れている
 ☆元自衛官の大学教授は論文発表の際に
 *「軍事研究でない」旨の承認を得る必要があったという
 *自衛隊に対する失礼な態度は果れるばかりだ
                  (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
⛳出典、『THEMIS12月号』


中国には進んで協力も
『THEMIS12月号』記事より画像引用)
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