慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

この国はどうやって守られてきたか(1)(白村江、元寇他)

2020年12月27日 | 憲法
🌸この国はどうやって守られてきたか1(白村江、元寇他)

⛳最初の国家危機
 ☆日本は島国で大陸国家と違い、異民族との戦いはなかった
 ☆国を脅かす外敵からの危機もあった
 ☆最初の危機は、飛鳥時代の白村江の戦い
 *日本は大国・唐の脅威に直面していた
 *唐は軍事力で、朝鮮半島の新羅と同盟し百済を減ぼした
 *日本は百済再興を目的に、5千人の兵士を送り込む
 *白村江の海戦で唐・新羅連合軍に大敗した
 *日本が百済のために派遣した兵士の数は累計約2万7千人
 *日本が百済に大量の兵士を送った理由
 (百済は日本の植民地に近い存在だったのかも)
 ☆白村江の戦いのあと
 *日本は唐・新羅の侵攻を恐れ、九州に水城や朝鮮式山城を築く
 *防衛政策を誤れば国も民族も滅亡しかねません
 *斉明・天智天皇は国の守りを考えこのような措置を取った
 ☆白村江の戦いでの大伴部博麻(はかま)
 *唐軍に捕らえられ、長安に送られた
 *唐の日本に侵攻計画を知った博麻
 *遣隋使を通して朝廷に唐の計画を伝えた
 *唐に残された博麻は奴隷として暮らした
 ☆持統天皇は、博麻の国を思う心と行動に感動した
 *史上唯一の勅語を与えた
 *一兵士の博麻が「愛国」の精神を持っていたことに驚く

侵略者を撃退しても、評価せず
 ☆平安時代になると国内の政情は安定する
 ☆遣唐使を廃上して以降、国外の情報が入ってこなくなる
 ☆国全体が「平和ボケ」の時代に入る
 ☆「刀伊の入寇」事件
 *約50艘余りの賊船が北九州などを襲う
 *老人や子供を殺して農作物を奪った
 *刀伊とは、高麗が蛮族とした女真族
 *刀伊を撃退したのは藤原隆家(叔父の道長と折り合いが悪い)
 *朝廷では、ほとんど恩賞を与えませんでした
 ☆侵略者を撃退した英雄に対し低い評価で

⛳死刑廃止の裏で
 ☆朝廷と貴族は治安維持には無力で、武士に任せきり
 ☆藤原隆家の評価からもわかるように、兵士に高い地位を与えない
 ☆朝廷と貴族は戦争を「穢れ」として忌み嫌う
 ☆平安時代は刑罰としての死刑を廃止していた
 *太政官たちは、死刑を宣告すると身が「穢れる」と考えた
 *死刑に処された者が怨霊となって祟ることも恐れた
 ☆平和だった平安時代も、末期になると治安は悪化してた
 *都では盗賊が増え殺人事件も少なくありませんでした
 *朝廷は犯人を捕まえても死刑にせず、都から追放する処分
 *地方では罪人たちは普通に処刑されていた
 ☆朝廷や貴族たちは嫌なものが目に入らないようにしていただけ

⛳最強国に狙われた日本
 ☆平安時代が終わると鎌倉幕府の誕生は日本にとって幸運でした
 ☆元寇
 *ニ度にわたって襲来した元に対して武士団
 *武士団は、死力を尽くして戦い、この国を守った
 *平安 時代が続いていたら、日本は元の領土の可能性が高かっ
 ☆チンギス・ハンが建国したモンゴル帝国
 *モンゴル帝国は西夏や金を滅ぼす
 *ロシア、ペルシャに侵攻して手中に収める
 *ドイツ・ポーランド連合軍を破りユーラシア大陸の大半を支配する
 ☆チンギス・ハンの孫であるフビライ・ハン
 *日本を支配下に置こうとしました
 *高麗の使者を介して、武力制圧を仄めかす国書を送りつける
 ☆外交の権限を持っていた朝廷、対応わからず、右往左往するだけ
 ☆執権職、北条時宗は、元とは交渉しないことを決断
 *元は何度も使者を派遣し時宗は黙殺し続ける
 *時宗の国を預かる宰相としての覚悟が見て取れる
 ☆フビライは元と、征服した高麗との連合軍を送り込んできた
 *その数、約二万人、文永の役の始まりです
 *元・高麗軍は対馬、壱岐島の順に侵攻して多くの島民を虐殺
 *捕虜とした女性たちの掌に穴を開け
 *そこに縄を通して船縁に吊したと伝わっている
 *元・高麗軍は九州の博多に上陸する
 ☆九州の御家人たちは勇敢に立ち向かう
 *御家人は、元・高麗軍にかなりの損害を与えている
 *元・高麗軍の軍船は突如、海上に撤退する

 *御家人たちの反撃で大きな損害を被ったから
 *海上に引き上げた元・高麗軍の船の多くが沈没した
 *帰還中に、大きな時化に巻き込まれた可能性が高い
                     (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
⛳出典、『百田尚樹の日本国憲法』










この国はどうやって守られてきたか(1)(白村江、元寇他)
(ネットより画像引用)
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『十二支考』22(世の中の仕組みを俯瞰する)

2020年12月27日 | 文学
🌸『十二支考』21(世の中の仕組みを俯瞰する)

 ☆科学から神話まで見据えた「巨人」のづ遺筆
 ☆民族学のフィルターを通して執筆された
 ☆『十二支考』は、十二支の動物についての”熊楠流”エッセイ
 ☆著者、南方熊南

⛳『十二支考』著者、南方熊南のプロフィール
 ☆南方熊楠を「巨人」や「巨星」と呼ぶ者もいる
 *半生を映画化しようとした者もいる
 ☆幾度となく大小の「熊楠ブーム」が起こる
 ☆水木しげるが『猫楠 南方熊楠の生涯』を連載
 ☆南方熊楠
 *「きのこ」と真言密教と結び付け『南方マンダラ』として図にする
 *革命家・孫文と交流する
 *民俗学を追究
 (神社を統合する明治政府に対し「神社合祀反対運動」を挑む)
 *博物学、植物学、生物学、民俗学、宗教学等これあれも研究
 *最大の科学雑誌『ネイチャー』に論文が掲載さた
 (彼の研究は最先端のもので、評価にふさわしい

⛳『十二支考』の概要
 ☆『十二支考』は、雑誌『太陽』に連載されたものをまとめた
 ☆十二支の動物についての随筆
 *古今東西に関するあらゆる知識の中から
 *民俗学というフィルターを通して執筆されている
 ☆熊楠が、世界中から集められた無数の箱
 *箱の中の生物はすでに死んでいる
 *顕微鏡で観ると、粘菌は死んでいるようでも生きているようでもある
 *それに気づけばその先は、宗教学や哲学へ向かつていく
 ☆その先には民俗学があり、神話へつながる
 ☆熊楠にとつては、進むベくして進んだ道
                     (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
⛳出典、『世界の古典』








『十二支考』22(世の中の仕組みを俯瞰する)
(ネットより画像引用)
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菅政権は「CO2ゼロ」宣言するも

2020年12月27日 | 官僚
🌸小泉環境大臣・環境次官の「脱酸素社会」に不安あり

 ☆世界に「CO2ゼロ」を表明する菅政権
 ☆それには、原発再稼働や炭素税導入などの解決が必要

⛳原発「再稼働」が必要不可欠だ
 ☆菅義偉首相の所信表明演説
 *温室効果ガスの「2050年ゼロ」を表明し世界にアピールする
 *菅首相が脱炭素社会実現へ時期を示したことは、各方面に波紋を呼んだ
 ☆今後必要になるのは温室効果ガス削減の仕組みづくり
 *抵抗勢力との粘り強い交渉で、小泉氏に出来るか問題である
 ☆CO2の排出を抑えるためには原発の再稼働が必要不可欠
 *現在、国内で再稼働できる原発は33基(建設中の3基を除く)
 *実際に再稼働している原発は2基のみである
 *こうした状況が続けば原子力の研究者が海外に流出する
 *又学生が原子力を研究対象にしなくなる可能性もある

⛳財務省では「過去の人」扱いだ
 ☆環境省の次官に中井総合環境政策統括官が就いた
 *財務官僚の中井次官、主要局長を経験しないまま抜擢さた
 *省内からも疑問の声が上がっている
 *増税路線を進める財務省の先兵だと批判する人もいる
 ☆中井氏を起用したのは小泉環境相なのでは
 *炭素税は21年の税制改革要望にも盛り込まれる予定だった
 *コロナ禍での増税になるため見送られた
 ☆小泉氏は炭素税を導入は、国際社会ヘのアピールになると熱心
 *今回の中井次官の起用
 *「2050年ゼロ」を利用し炭素税を世界にアピールする戦略

安藤経産次官は返り咲いた
 ☆日本のエネルギー政策をコントロールしてきた経産省
 ☆福島第一原発事故をきっかけに出世コースの”地殻変動”が起きた
 ☆新原経済産業政策局長省内では傍流だった
 *再生エネに力を入れていたので官邸で重用された
 ☆原発畑のエース官僚だった安藤久佳次官の返り咲き
 *安藤氏一時期、関東経済産業局長に”島流し”された
 *返り咲いた理由は、産業界とのパイプ
 ☆世界は「50年ゼロ」に向けて着実に動いている
 ☆従来から、日本は目標を掲げるだけで、単なる大風呂敷で終わる
 ☆どんな政策を打ち出し実行するかによって菅政権の評価は決まる
                     (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
⛳出典、『THEMIS12月号』


菅政権は「CO2ゼロ」宣言するも
『THEMIS12月号』記事より画像引用)
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あの人に会いたい(作家、阿川弘之氏)

2020年12月27日 | 有名人
🌸 あの人に会いたい「 阿川弘之(作家)」

 ☆阿川さんは強い疑問を抱く
 *日本が負けるとわかっているのに戦争を続けた事を
 ☆終戦後、日本人今度は手のひらを返したように
 *「戦争反対」を叫び続ける世論
 ☆戦後阿川氏は、小説家になる
 *違和感を感じ軍人や軍隊をテーマにした作品を執筆
 ☆戦争の本質を明らかにしようと闘い続けた

⛳『私の履歴書』(阿川氏自身の記載)
 ☆地方の平凡な中流家庭に生まれた
 ☆小学校から大学まで、平坦平凡な学生生活を送る
 ☆戦争中は海軍に従軍して多少の辛酸を嘗めた
 ☆戦後志賀直哉の推輓により文壇に登場
 ☆以後作家として今日に至ると回顧する

⛳阿川氏の学生時代
 ☆旧制広島高等学校を経て
 ☆東京帝国大学文学部国文科を繰り上げ卒業
 ☆卒業論文の表題は「志賀直哉」

⛳阿川氏の海軍時代
 ☆海軍予備学生として海軍に入隊する
 ☆対中国の諜報作業担当に配属される(中国語ができた)
 ☆阿川氏は中尉迄進級した

⛳阿川氏の戦後
 ☆揚子江を上海へ下り、博多へ上陸復員する
 ☆広島市への原子爆弾投下により焼き尽くされた故郷の街を見る
 ☆家は丸焼けだったが、両親は無事だった
 ☆中風の父親と、母親の甥の若者と三人でひっそり暮らしていた

⛳阿川氏作家として
 ☆志賀直哉に師事して小説を書く
 ☆著作は『春の城』『雲の墓標』『山本五十六』等
 ☆文化勲章受章
                     (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
⛳出典、『NHK映像ファイル あの人に会いたい』




軍艦長門原爆の実験で爆破された




あの人に会いたい(作家、阿川弘之氏)
(『NHK映像ファイル あの人に会いたい』、ネットより画像引用)
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