慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

武田薬品経営会議20人中16人が外国籍

2019年03月24日 | 企業
武田薬品「メガフアーマ」後の期待と不安

 ☆シャイアー買収での、これほどまでの大ナタ捌き
 *外国人プレーヤーならではの「ハードワーク」の賜物だろう
 ☆何かと後ろ指をさされるのはトップ企業武田の宿命
 *体質を刷新できない他社の僻みや焦りも多分に入り混じっている?
 ☆外野が静まるのも、今後の武田の世界ランキング次第

世界ランキングトツプ10入りを
 ☆世界トップ10入りを果たした、国内製薬トツプの武田薬品
 ☆東京、武田グローバル本社で、シャイアー買収の記者会見が開かれた
 *フランス出身のクリストフ・ウエバー社長が説明する
 *国内では、最大となる総額7兆8千億円に上る大型買収
 ☆道のりは平坦ではなかった
 *創業家やOBらで構成する「武田薬品の将来を考える会」買収反対を表明
 ☆巨額の買収資金を賄うには、膨大な借入金を調達する必要がある
 *追加の株式を大量発行すれば、1株あたりの価値が薄まる
 *株主が眉をひそめるのも無理はない
 ☆大勝負を仕掛ける社長、産業界広しといえどもそうはいない
 ☆グローバル化に振り切った理由
 *ウエバー社長を招聘した前社長谷川氏に依るところが大きい
武田薬品のグローバル化路線
 ☆長谷川氏が、社長就任時に自身のミッションとしてグローバル化を掲げた
 ☆長谷川氏が社長に就任時の武田薬品の業績
 *4品目で6千億円の売り上げを誇った
 *「タケプロン」「アクトス」「ブロプレス」「リュープリン」(日本の商標名)
 *10年前後に、4製品の特許が相次いで切れることがわかっていた
 ☆長谷川氏、持続的な成長を遂げるため企業の買収しグローバル化を急いだ
 *将来を見越した取り組みだったが、風当たりは強かつたようだ
 *改革に抵抗勢力はつきものである
 *特に他産業と比べてスピード感のない製薬業界
 ☆長谷川社長は、ウェバー社長をはじめ、グローバル人材の登用に踏み切った
研究拠点を日米中心に再編ヘ
 ☆その象徴的な出来事は、旧湘南研究所の「リフォーム」
 *旧湘南研究所は、約1千200人の研究者を集結させた巨大組織だった
 *思うような成果を出せなかった
 ☆ウェバー社長は、研究拠点の再編を断行するのである
 *重点領域「がん」「消化器系疾患」を米ボストンの研究所担う
 *重点領域「中枢神経」「再生医療」を湘南が担う
 *他の領域は、武田本体から切り離したべンチャー発足を支援した
 ☆自社の研究所で創薬のタネを見出してきた「自前主義」は、過去の遺物となった
 ☆旧湘南研究所は、べンチャーなどにテナントを貸し出す施設へと変貌を遂げた
大阪本社など21件も売却
 ☆ウェバー社長は、シャイアー買収についてコメントする
 *大きな会社なった、会社ををシンプルにする機会だ
 ☆武田薬品、製品の数を減らし、サプライチェーンの簡素化を図る
 *武田薬品は、今後5領域に傾注する
 *武田が力を入れてきた「がん」「消化器系疾患」「中枢神経」
 *シャイアーの強みである「希少疾病」「血漿分画製剤」が加わる
 ☆ウェバー社長の財務健全化に向けてノンコア事業も売却する方針
 ☆売却予定候補
 *米国プライマリ領域やシャイアーが保有していた眼科領域
 *「武田コンシューマーヘルスケア」(国内で「アリナミン」など一般用医薬品を扱う)
 ☆事業以外
 *大阪本社の「武田御堂筋ビル」など計21件の不動産の売却
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『THEMIS3月』








武田薬品経営会議20人中16人が外国籍
(『THEMIS3月』記事、ネット、他より画像引用)

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日本を形づくった古事記の神様20(仁徳天皇)

2019年03月24日 | 宗教
日本を形づくった古事記の神様20

古事記が伝える天皇の姿(仁徳天皇)

 ☆父は応神天皇
 ☆仁徳天皇は、恋多き、人望篤き聖帝
 *女官を寵愛し好色な人物としても伝わる
 ☆妻は建内宿禰(たけのうちのすくね)の孫にあたる石之比売命
 *非常に嫉妬深い妃だったと伝わる
 ☆名の「仁徳」は、民衆への徳を示す
 ☆記紀では、父 応神天皇と事績が重なる
 *応神天皇の一部を別人物として記したとする説もある

第16代仁徳天皇
 ☆古事記下巻の最初に登場する仁徳天皇
 ☆仁徳天皇の有名な逸話
 *天皇が高い山に登ってあたりを見渡すと、煙がまったくみえない
 *人々が、食事の支度をしている様子が見られない
 *人びとが貧しいからだと思った天皇
 *3年の間、税や労役の義務を免除した
 *その間天皇は住まいも修復せず、雨漏りもそのままだった
 *時が過ぎ、また国を見渡すと、今度は煙が方々にみえる
 *人びとが豊かになったのだ
 *天皇は、納税と労役の再開を命じると、人びとは喜んでそれに応じた
 ☆仁徳天皇は聖帝、その治世を聖の御世という
 *神の力に頼るのではなく、知恵や工夫で乗り切る時代になったことを示す逸話
『古事記』
 ☆上巻は、神々の物語
 ☆中巻は、人の時代だが、神々も多く登場する神話的な話が多い
 ☆下巻は、神はあまり登場しない
 *人間たちの物語が繰り広げられる
 ☆下巻の最初を飾るのが第16代仁徳天皇
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『日本の神様解剖図鑑』




日本を形づくった古事記の神様20(仁徳天皇)
(『日本の神様解剖図鑑』記事、ネットより画像引用)



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立花宗茂、天下無双の名将(改易→大名へ返り咲き)

2019年03月24日 | 歴史上の人物
立花宗茂~関ヶ原敗戦・奇跡の復活劇~

 ☆天下無双の名将・立花宗茂、関ヶ原の戦いの敗者には大逆転の秘策があった
 ☆幻の大坂城決戦と大名に復帰した(秀吉・家康も愛した宗茂の実像)
 ☆立花宗茂、関ヶ原の戦いで西軍に属した宗茂は、決戦に参加できずに敗軍の将となった
 ☆西軍の拠点・大坂城に籠城し、東軍を迎え撃つという秘策があった
 ☆宗茂は、九州に帰り、宗茂は改易された
 ☆西軍武将の中で唯一旧領柳川への復帰を果たす
 ☆波乱万丈な生きざまで人々を魅了する立花宗茂の実像

立花宗茂(たちばな むねしげ)概要
 ☆戦国時代の戦国武将。江戸時代初期の大名。大友氏の一族で筑後柳河初代藩主
 ☆実父、養父共に名将と名高い武将を父に持つ、戦国時代のきってのサラブレット
 ☆また本人もそんな父親たちに負けず劣らずの勇名をはせている
 ☆生涯何度も改名
立花宗茂生い立ち
 ☆大友家の重臣・高橋鎮種(紹運)の長男として生まれる
 ☆男児の無かった戸次鑑連(立花道雪)は立花氏の跡継ぎになる
 *はじめは断っていた紹運
 *必死さに折れて宗茂は道雪の養子として迎えられる
 *鑑連の娘を、宗茂の妻とした
 *幾度の戦において優秀な戦果を挙げていった
 ☆関ヶ原の戦いにおいては西軍に属し、獅子奮迅の活躍をした
 *西軍が敗北してしまい、宗茂は改易され浪人となった
 ☆大坂の役において宗茂を部下にするため、徳川家康は必死に説得
 *徳川秀忠の配下とすることに成功
 ☆大坂の役においても驚くほど的確な指示を行う
 *家康は秀忠と比較し、宗茂の非凡さと恐ろしさも覚えた
 ☆宗茂は、大名として返り咲き旧領の柳河藩に封ぜられた
 *晩年には島原の乱に参陣し、武神再来と諸大名は驚愕した
立花宗茂の人物評
 ☆豊臣秀吉は九州征伐で、活躍した宗茂の評価
 *「その忠義も武勇も九州随一である」
 *「九州の逸物」
 ☆秀吉は諸大名の前でも高く評価した
 *「東に本多忠勝と天下無双の大将、西に立花宗茂と天下無双の大将がいる」
 ☆慶長の役で、窮地に陥った加藤清正を寡兵で救出した
 ☆白村江の戦い以来の千年振りとなる唐王朝との正面衝突
 *碧蹄館の戦いで先発軍の先鋒大将を務め、初戦勝となる立役者
 ☆武両道の武将
 *剣術と弓術で免許皆伝を持ち、茶道や連歌などに長けていた
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『ピクシブ百科事典』、NHKBS『英雄たちの選択』














立花宗茂~関ヶ原敗戦・奇跡の復活劇~
(NHKBS『英雄たちの選択』テレビ画面より画像引用)




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