木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

2012年01月22日 | 日常雑感
久しぶりのブログ再開となるが、「夢」から始めたい。
「夢」
①眠っている間に、種種の物事を見聞きすると感ずる現象。
②実現が困難な、空想的な願い。
③(現在のところ実現していないが)将来は実現させたい願い・理想。
④はかないこと。たよりないこと。
(岩波国語辞典)
とある。
古語ではどうなのかと思って調べてみると、
①(いめの転用)睡眠中に種種の事がらを見聞きしたと感ずる現象。
②ぼんやりとして頼りないもの。不確かなもの。はかないもの。
③心の迷い。煩悩。
(福武古語辞典)
とある。
結構、ネガティブである。
ちなみに、longmanの現代英英辞典を引いてみると、DREAMの項には、否定的な意味は存在しない。

農耕民族の日本では、夢を見ることは危険視されたのであろうか。

夢は、宗教的なものとして、捉えられていた。
古来、日本では、人為では説明できない夢の中でなら、人は神と交流できると考えられていたのである。

睡眠中にみるものでない夢を、なぜ夢というか―――。それは、時間や空間の超越ということと関係がある。睡眠中の夢では、過去や未来の人にも会え、遠く離れた人や、神や仏にも会える。過去の誰も頂上をきわめたことのない山に登りたいという夢では、そのような山の頂上に自分が立っている状態を想定しているわけで、これは空間や時間を無視している。つまり意識の中で、それらを超越していることになる。そして、そのような空想を、夢想ということがある。
つまり、正確に言えば、「睡眠中にみる夢のようなこと」という意味で、夢といっているのである。
 

上記の文は、明治生まれの大御所・樋口清之氏の文であるが、この「日本人の歴史」が表されたのは1982年。
翻って、現代では、「君の夢はいつか叶う」とか「諦めないことが夢を叶える秘訣」だとか、かなりの甘言が飛び交う。

作家の五木寛之氏はPHP誌の中で、世の中はポジティブシンキングだとか、強く願えば必ず叶う、などということが声高に語られるが、それらはほとんどが幻想でしかない。世の中には願っても叶わないことのほうが圧倒的に多い。諦める心も大事だ。諦めるとは、明らかに究めるに繋がり、必ずしも悪いだけではない、との苦言を呈している。

今もアメリカではダルビッシュ投手の契約金にもみられるように、アメリカン・ドリームが存在する。
ビッグドリームを夢見るのもその人の勝手である。
ただ、大きい夢のためには、大きい努力が必要とされる。
努力、というよりも、何かを成すために、何を捨てればいいのかと取捨選択をしながら、進んでいくことだろうか。

「明日の朝、目が覚めたら作家になっているなんて、そんなことはありえないのだわ」
やっと、少女にはわかりました。作家になることは、そんなにだいそれたのぞみではないし、魔法でも奇跡でもなかったのです。
一足とびに、作家になることもできないし、じっと待っていたところで、いつかなれるというものでもありません。ひとつの夢を見終わったらもうひとつ、またひとつ、またひとつ、と際限もなく夢みて、その夢を手に入れるために、ありったけの力を注ぎこむことだけが、作家になる方法だったのです。

立原えりか「大人になりたくなかった少女の物語」

「歩くように、書け」
以前、日記に書いていた言葉である。

夢を見るのは、いいことでも、悪いことでもない。
ただ、夢を叶えられるかどうかは、夢見ている本人がどれだけ、真剣に夢と取り組んでいるかなのだろう。

夢しかなかった(プロレスで下半身不随になりながらも夢を諦めないシンガーソングレスラー・ハヤブサの歌です)

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1 コメント

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Unknown (BB)
2012-01-29 13:37:20
私も、「夢は必ず叶う」とか、ポジティブ・シンキング推奨論真っ只中に、五木先生の観念論に一種、倒錯したことがあります。五木先生の根本が仏教であるゆえ、仏教を囓ったりもしてみましたが……(断言への批判――即ち疑い)「夢」という言葉に対して真っ向から取り組むことを止してしまいました。「正しさ」に最も似ているのは、グレーであるように思います。
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