木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

文章について気になっていること

2013年11月08日 | 日常雑感
鍵を忘れたことに気づいたので取りに帰ったとする。
取りに帰ったのは太郎という人物で、取りに帰ると遅刻しそうだ、との細かい設定を加えることにしてみる。
シンプルに書くならば、

①-1 太郎は鍵を忘れたので、遅刻しそうだったが取りに帰った。

となる。
太郎の位置を変えることも可能で、

①-2 遅刻しそうだったが、太郎は鍵を忘れたので取りに帰った。
①-3 遅刻しそうだったが、鍵を忘れたので太郎は取りに帰った。

①-3は、文の最後まで読まなければ、誰が遅刻しそうだったのか、誰が鍵を忘れたのか、分からない。
悪文である。
①-2の書き方は、書くほうからすれば自由だが、読む側からすると、分かり難い。
①-1の文自体、平易な表現だが、「忘れた」「遅刻する」「取りに帰った」と三つの動詞が混在している。
複雑な構成だ。
マニュアル書の文体が読みにくいのは、構造が複雑な文章がびっちりと並べられているせいである。

①をもっとすっきり書くなら、

②-1 太郎は遅刻しそうだったが、忘れた鍵を取りに帰った。

と書ける。
①からすると、格段に読みやすい。

だが、この文章において太郎の位置は、

②-2 遅刻しそうだったが、太郎は忘れた鍵を取りに帰った。
②-3 遅刻しそうだったが、忘れた鍵を太郎は取りに帰った。

と変えられる。
②-2はいいとしても、②-3となると、読みにくいこんな文を書く人間は相当なひねくれ者だ。

ぶつぶつと短く切ることもできる。安っぽいハードボイルド作家がよく使いそうな文体だ。

③-1 太郎は鍵を忘れた。遅刻しそうだった。それでも取りに帰った。

この場合、文は時系列的に並べる必要がある。
「太郎は遅刻しそうだった。鍵を忘れた。取りに帰った」では、文脈が成り立たない。
敢えて試みるならば、「遅刻しそうだった。急ぎ足で歩く中、鍵を忘れたことに気付いた。慌てて取りに帰った」とでもなるのだろうか。
短く区切ることによりテンポアップを図ったつもりが、却って間延びしてしまう。

では、2センテンスではどうだろうか?

④-1 太郎は鍵を忘れた。遅刻しそうだったが、取りに帰った。
④-2 太郎は遅刻しそうだった。それでも忘れた鍵を取りに帰った。

分かりやすいほかに、①-1と決定的に違う点がある。
④では、文中にニュアンスの違いを含めることができる点だ。
④-1よりも④-2のほうが、鍵の重要性が高まる。
「それでも」という接続詞を使っているのが大きい。
この接続詞は、①の文例だと、①-2、①-3に持ってくることが可能である。
「遅刻しそうだったが、それでも太郎は鍵を忘れたので取りに帰った」
可能であるが、いい文章とは思わない。②だと
「遅刻しそうだったが、それでも太郎は忘れた鍵を取りに帰った」
少しはましだが、どうしてそこまでして文を繋げなければならないのか、と感じる。

③の場合は、④-1のニュアンスを伝えることが困難だ。

結論的なものを導き出すとすれば、1センテンスの中には、あまり多くの情報を盛り込まないほうがいい。
文章がねじれがちになり、読者が混乱しやすい。
それに、細かいニュアンスが伝わらない。
分かりにくい文章は問題外だが、分かりやすければいい文章と、小説の文章は違う。
特別の制約がない限り、私であれば冒頭の忘れた鍵を取りに帰るという動作には④の文章を使う。

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