木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

ダメだったら死ぬだけ

2012年05月18日 | 日常雑感
「宵越しの金は持たねえ」とは江戸っ子の捨て台詞のような言葉であるが、裏を返せば多くの江戸庶民は宵越しの金は持てなかった。
バリバリと働いていても、病気になって長いこと寝込んでしまえば路頭に迷う。
大店の旦那であっても、ひとたび商いに躓けば、娘を女郎屋に売り飛ばさなければならなかった。
虫歯だって、我慢できるだけ我慢して、後は抜くしかない。
「江戸には明るい絶望が漂っている」と言ったのは杉浦日向子だが、言い得て妙である。
現代にはアンチエイジングという言葉があるが、昔にあっては不老不死のような言葉となり、庶民の考えるところではなかった。
寄る年波には敵わないと思うのが普通であった。

伊能忠敬という人物がいる。
日本の測量史に燦然たる功績を残した人物である。忠敬が江戸の高橋 至時の門を叩いたときは、既に50歳を超えていた。一方の高橋 至時は31歳。それでも忠敬は躊躇しなかった。
江戸では50歳は年寄りである。年寄りになってまで新しいことをしようと行動する人間は「年寄りの冷や水」と冷笑されたに違いない。
それでも行動に出た忠敬の心境を考えると、忠敬は何歳になっても達成したい夢があった。

年を取ると情熱は失せる。
夢は霞む。
若い頃は称賛された考えも、やめておけ、という外部の声のみ高まる。
その中で、敢えて自分の夢を追うという行為は江戸の時代にあっては、あまりにもリスクが高ったに違いない。
しかし、一方で、無理だったら死ぬだけだという諦観もあったのだろう。この諦観は覚悟に繋がった。不退転の態度になった。
「ダメだったら死ぬだけ」
覚悟として、これほどすごいものはない。
自分も含めて現代人。「ダメだったら死ぬだけ」と思える夢を抱いている人はどれだけいるのだろう。
自分の夢。
「ダメだったら死ぬだけ」と思えるかどうか……。
自分の夢に対峙する時が近づいた。

もうひとつ。
思いこみは暗さや重さとなる。
「これだけ頑張っているのだから」という思いはマイナスでしかない。
陰で頑張り、気持や表面では明るく行かないと、運命の女神様も微笑みにくいに違いない。

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