木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

京女 くるり捲くって 立ち小便

2008年04月18日 | 江戸の風俗
古書店で「江戸のおトイレ」という本を入手した。
著者は、元深川高校校長の渡辺信一郎という方である。裏表紙の写真を見ると、少しいかつい感じだが、ごく真面目な方のように見受けられる。
しかし、本をめくって、びっくり。あまりに赤裸々な、江戸庶民の排泄に関する情報がぎっしりと網羅されている。これだけの知識を得るには、相当な時間が必要であったに違いない。ことあるごとに知見を蓄積していかないと、とてもこのような濃い内容のものは書けない。名著である。手元の本は2002年の初版であるが、渡辺氏は残念なことに、2004年に亡くなられている。合掌。
さて、本題に入る。
ちょっと、尾篭な話なので、興味がない方は飛ばして頂きたい。
以前、アメリカ映画で、飛び散って便器が汚れるというので、座って小便をさせられる夫が描かれていた。
男性は立って事を済ませ、女性は座って事を済ませるのがごく一般的である。
江戸時代においても、江戸の町では、それが当たり前だった。
しかし、京都では違ったという。大田南畝の作った戯れ歌に次のようなものがある。

いなかにまさるきたなさは
のきをならぶる町中で
おいえさんでもいとさんでも
くるりとまくって立ち小便


「おいえさん」とは奥様、「いとさん」とはお嬢様を指す。
強烈な戯れ歌であるが、もっと強烈な引用もある。「静軒痴談」という書物からのものらしい。

京師の貴き女は、被(かつぎ)というものを蒙(かぶ)るよし。賤しきも推しはかるべし。然れども被きながら、途中にて浄手(ちょうず)することは、憚らぬ(はばからぬ)よし。

江戸時代、人糞が肥料として使われ、有料で取引されていたのは有名であるが、江戸では、大と小はきっちりと分けられ、小は、肥料として利用されなかった。大小混じっているのは、「混じりもの」として引き取り拒否されることもあったと言う。
しかし、京都や上方にあっては、小も有料で取引されていた。特に、京都は、店先のあらゆるところに桶が置いてあり、尿意を覚えた人々は男女問わず、その桶の中に放尿したと言う。
そこで、冒頭の句である。
女性も、人目を憚ることなく、桶目掛け、放尿したのである。
さらには、被りものをするような高貴な女人も、立小便は、恥ずべき行為ではなかったと見えて、普通に放尿している。桶に入った尿は月6回程度、引き取りに来るといい、その尿代は、
桶を置いた店の者のものになるというから、現代の感覚でいうと、飲料水の自販機を置くような感覚だったのだろうか。
もっとも、女性の立ち小便は、京都に限ったことではなく、田舎へ行くとごく普通に見られた光景であったそうだ。
しかし、江戸では、そういうことはなく、桶もなかった。

江戸を見よ 小便などは 垂れ流し

などと言う句もあり、田舎から江戸に出てきた者が天水桶(火災に備えて水をいれておく桶。よく飲食店などの店先に置かれた)を見て、それに小便をしようとして止められたなどの笑い話もある。
特に女性は困ったであろうが、盛り場にあった貸しトイレは、一回五文というのが、相場であったようである。

次回は、大について引用したいと思っている(しつこい?)。

参考:「江戸のおトイレ」 渡辺信一郎 新潮選書


男性用のトイレには、よくこのような「教歌」が貼ってある


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