木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

帯と貞操

2008年04月04日 | 江戸の風俗
着物と帯、どちらが早く誕生したのであろうか。
これは、妙な質問で、大概の人が、着物のほうに決まっていると思うのではないだろうか。

話は江戸時代を遠く飛び越えて、古代までさかのぼる。
人々は、裸で暮らしていたが、恥部を隠すのに帯を巻いていたいたという。だから、衣服より先に帯ができていたという主張がある。しかし、それは帯ではなく、褌ではないか、と思うのだが。

少々ロマンチック(?)な別な説もある。
それによると、古代人は、適齢期になった者は互いの腰に帯を結んで、夫婦契約の固めのしるしとしたという。帯が呪術的なシンボルとなり、恥部を隠し、貞操を守ることになったという。このように帯と貞操には、深いつながりがあり、当事者である夫婦以外に、帯に触らせることはなかった。
これは、ドイツの学者ラッツェルという人物の主張したものだということであるが、日本でも「結ぶ」ということには、指切りからも分かるように「契る」という意味がある。

この説によると、裸体の原始人も最初は、契約のために一本の蔓草を巻いたに過ぎなかったのであるが、その草が二本になり、やがて三本、四本と増えていって、衣服に進展していったという。
人間の心理であるが、お隣さんが、腰に二本の草を巻いたら、自分は三本、すると、向こう隣は四本というように、増えて行ったのである。
今度は、本数だけでなく、創意工夫が加わり、草が段々衣服らしくなっていった。
そうすると、草が衣服になっていく経過には、人間の見栄というものが多分に働いていることになる。

裸の「ヒト」が衣服を着るようになったのは、羞恥心や利便性からではなく、見栄からだったと考えると、なかなか興味深いものがあるのではないだろうか。

帯の趣味 石崎忠司 徳間書店