聖書日課 デボーションノート
聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。




日時:2006年10月8日
聖書箇所:出エジプト2章11~25節

イスラエルの家に生まれながら、時の権力者の陰謀により生きることを否定され、しかしながら、神の導きによってエジプトの王女の息子となったモーセ。彼のその特殊な出生は、彼の人格形成や思考に、大きな影響を与えたことは間違いないでしょう。
アイデンティティを見失った状態とも言え、ある意味、悲劇的な状態であったとも言えます。
自分はイスラエル人なのか、それとも、エジプト人なのか。
そのような心の葛藤が、エジプト人の殺害という事件により、ミデヤンの地に逃れ、そこで暮らしていくことで、さらに迷走してゆくことになります。
自分はイスラエル人なのか、エジプト人なのか、はたまた、ミデヤン人なのか。
モーセは、ミデヤンの地で妻をめとり、まるで自分の境遇をうらむかのごとく、生まれてきた子どもに「ゲルショム(私は外国にいる寄留者だ)」と名づけ、自分がさまよえる者であることを自覚するのです。
しかし、彼のこのような自覚は、実は、人間なら誰もが本来思い巡らすべきことであり、地上をさまよう「さすらいの民」であるということを認識すべきであろうと思うのです。
「ヘブル人」とい呼び名は、「さすらいの民」との意味があるそうですが、わたしたち人間は、全て、真の神様を知らず、神様を離れて生きている間、ずっと「さすらいの民」であり、神様との出会いを経験してはじめて、生きる者「真の人」となりうるのではないでしょうか。
その点、イエス様が「真の人」であられたという事実は、興味深いことです。
イエス様を知り、イエス様の十字架の贖いの故に、失われていた者が命を得、真の人となりうるということ。
なぜ怒るのか、なぜ苦しむのか、なぜ悲しいのか・・・それは、失われた者だからなのかもしれません。
神様に見出され、主イエス様の尊い贖いの犠牲によって命ある者とされた者であることを覚え、感謝に満たされて歩むことができますように。

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詩篇63:1 【賛歌。ダビデの詩。ダビデがユダの荒れ野にいたとき。】
63:2 神よ、あなたはわたしの神。わたしはあなたを捜し求め わたしの魂はあなたを渇き求めます。あなたを待って、わたしのからだは 乾ききった大地のように衰え 水のない地のように渇き果てています。
63:3 今、わたしは聖所であなたを仰ぎ望み あなたの力と栄えを見ています。
63:4 あなたの慈しみは命にもまさる恵み。わたしの唇はあなたをほめたたえます。
63:5 命のある限り、あなたをたたえ 手を高く上げ、御名によって祈ります。
63:6 わたしの魂は満ち足りました 乳と髄のもてなしを受けたように。わたしの唇は喜びの歌をうたい わたしの口は賛美の声をあげます。

ダビデは、ユダの荒野に逃れ、魂が渇ききったような状態の中、主なる神様に祈り求めました。
そして、祈りの中で主なる神様の力と栄光を見上げ、神をほめたたえる賛美の歌を歌う時、そこが聖所であると。

かつて、ヤコブが兄エサウの手を逃れ、荒野に逃亡した時、主なる神様が夢の中で現れ、彼を祝福して下さったことがありました。
そのとき、ヤコブは、その土地を「神の家(ベテル)」と名づけ、主はどこに行っても必ず共にいて下さることを覚え、自分自身の存在が神の住まわれる聖なる御住まい(神殿)となりうることを知ったのです。

創世記28:10 ヤコブはベエル・シェバを立ってハランへ向かった。
28:11 とある場所に来たとき、日が沈んだので、そこで一夜を過ごすことにした。ヤコブはその場所にあった石を一つ取って枕にして、その場所に横たわった。
28:12 すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。
28:13 見よ、主が傍らに立って言われた。「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。
28:14 あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がっていくであろう。地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る。
28:15 見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」
28:16 ヤコブは眠りから覚めて言った。「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。」
28:17 そして、恐れおののいて言った。「ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。」
28:18 ヤコブは次の朝早く起きて、枕にしていた石を取り、それを記念碑として立て、先端に油を注いで、
28:19 その場所をベテル(神の家)と名付けた。ちなみに、その町の名はかつてルズと呼ばれていた。

たとえ私がいまどのような「荒野」にいたとしても、神の御救いを信じ、静かに祈り、賛美の歌を歌うとき、そこは主の聖所であり、主は私と共にいたもうお方であることを感謝します。

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