7/2旅人 

山と旅が好きです。

キンデンオロシ、金兵衛殺し 大尾山

2017年01月06日 | 遠州の山

さて前回の続き

 

今は昔、関ヶ原合戦から三ヶ月後・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

石田三成が家臣田中金兵衛満義

以下八人が、泉の里におりたったのは慶長六年一月二日の事でありました。 

しかし、徳川家康より関ヶ原合戦の落ち武者に、ついてのお告れが届いていた泉村では、酒に眠り薬を混ぜ金兵衛らを捕らえ首をはねてしまいました。

首をはねられる間際、金兵衛は末期の代まで呪ってやると叫びました。

恐れた村人は八つの墓を建て弔いました。

 

しかし、この後、良くない事が続き、このあたりをいつしか八つ墓村と呼ぶようになりました。

 

え~~い、ウソつけ、八つ墓村そのまんまやないかい!!

 

そんな、いわれがあるのかもしれない、(キンデンオロシ)金兵衛殺しを通り

大尾山に向かう

 

途中にあった足跡

う~ん

 

なんの足跡か解らない?? 

先程の妄想を満足させる、

金兵衛殺しは、いつまでたっても現れ無い

僕の持っている地図の金兵衛殺しは、とっくに過ぎている

金兵衛殺しキンデンオロシは、何処だったのだ_| ̄|○・・・・・・・・・・・・・・・・・・

八高山~カゼンダオまでは、やはり登山者が多いらしく

バランダ、天狗の座敷、女天狗の峰などの標識が確認できた。

バランダ~大尾山は、まったく人に会わず。

だいたいが金兵衛殺しの由来も伝説も解らない??

と、なれば妄想するしか無い^ー^

 

最初は登山道らしきものを歩いていたのだが、茨が多く林道に降りた。 

これが、また立派な林道で・・・・・・・・・・・・・・・・

藪を抜け、林道をダラダラ歩き

やっと、大尾山の標識が現れた。

暫く歩くと、なにやら民家の裏のようなところに到着

これで、いいのかな? 

どうも、お寺さんの車庫だったようで 


真言宗醍醐派、顕光寺 

中には人がいてなにやら酒宴が行われているらしく、笑い声や嬌声が聞こえた。

お正月だしね^ー^

寺のわきから、また道がついていて

奥の院へ 

奥の院の裏に登ると

大尾山だ。 

さて、目標は達成したので

あとは、降るだけだ。

 

途中にあった、切り株のベンチ

後ろが急過ぎる!! 

やっぱり、こっちから登るのが本筋だね

標識もしっかりしている。

此処には、水場が在る

最近、雨が降っていないのに水は流れていた。 

そして、居尻のバス停に到着

これで、今回の山旅は終わりだ。 

この掛川バスサービスはこの辺の登山口に行くのには

大変ありがたいサービスだ。

終点の泉まで300円の運賃

安い!!!^ー^

 

次回は高塚山よりも北にある山から此処に降りてくる予定だ。

 

 

今回の山行は3年前に買った。「さくら咲く学校」と掛川市の協働事業で作った地図

「八高山 大尾山トレッキングマップ」を見ながら妄想と想像を懐きながら、

歩いてみた。

西側の山域は、林道が多くちょっと期待はずれだったけど。

想像の世界では十分楽しんだ。

 

日陰に入ると、ぐっと寒かったけど

まあ、陽だまりは、暖かった。

 

お正月山行、これにて、おしまいm(_ _)m

 

 

 

 

1/2      2017

 

 

 



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