「何ておいしいお酒がこの世にあるんだ...」
気がつくと、瓶が空になっていた。
翌日の朝、ぼくはいつも通りに目が覚める。
ふつうのお酒なら二日酔いするところだが、このお酒はいくら飲んでも二日酔いをしないという不思議なお酒だ。
あまりのおいしさに、
「毎晩少しずつ楽しもう」
と思いつつ、ついつい何回もおかわりをしてしまう。
小学校5年のお正月。
1月1日のこと。
「今日はお正月だから、少しこれを飲んでごらん」
ふだんは無口の父が、リビングでぼくに酒をすすめる。
小さなグラスに入っている透明の液体。
わずか一口の量なので、そのまま一気に口に含んだ。
「ま、まずい」
のどもとをツーンとさせながらお腹の中に流れていく
ただ苦いだけで、二度と飲みたいとは思わなかった。
月日がたち大学生に。
友人たちと飲み会に行く機会がふえた。
ビール、日本酒、ワイン、ウイスキーといろいろなお酒を試す。
食通な友人曰く
「モルツは不純物が入ってないから純粋なビールの味が楽しめるんだよ」
味の方は今一だった。
お酒についての結論。
つきあいとして飲むことはできるが、おいしいとは感じなかった。
強いて言うと、ジョッキで飲む生ビールはおいしさを感じないこともない。
でも、自分からすすんでお酒を飲みに行こうとは思わなかった。
それから20年。
奇跡のお酒に巡り合う。
【寺田本家】発芽玄米酒 むすひを飲んで、生まれて初めて、おいしいお酒があることを知った。
無農薬で作られた玄米を使用。
昔ながらの手作りで、自然発酵させたお酒。
使われている水にも秘密がある。
知る人ぞ知る浄活水器ELIXIRII(エリクサー2)の水が使われている。
【寺田本家】発芽玄米酒 むすひを毎日少量飲んで、病気から回復した人がたくさんいるらしい。
このお酒を飲むと、驚くことに、糖尿病と高血圧症が快方に向かうことはあっても悪くなることはないという。
能書きはともかく、とにかくおいしい。それで十分だ。
最後に一つ付け加えることがある。
お酒が冷蔵庫に入っている間、たくさん飲みたくなる。
あっというまに瓶が空になる。
冷蔵庫からお酒がなくなるとどうなるだろうか。
不思議なことに、我慢ができる。
習慣性というか、中毒性を感じない。
「これならアルコール中毒になりようがないので安心だな」
といいつつお酌が進む今日このごろである。
同じ蔵元がつくるもう一つのおいしい酒がある。
【寺田本家】醍醐のしずくだ。
こちらは、まろやかな甘さが最高。
旅先で、ぜひとも至福の一杯を!
蔵元の寺田啓佐さんが記された「微生物に学ぶ」を紹介する。
酒造りにとって何より大切なことは、微生物に良い働きをしてもらうことだ。その為には「エサ」と「住み処」が鍵になる。生命力の有る美味しいお酒は、たくさん微生物達が、それぞれの使命を果たしながら持ち味を発揮し、醸しだされたものである。もちろん仕込み水は生きている自然の水に限る。お米は自然農法による無農薬米がいい。農薬や化学肥料の慣行農法によるお米が出回っているが、残留農薬がないからといっても安心してはならない。
もう15年程前になるが山形県のある農家が10年経ったという農薬で育てられたお米を出してこられた。すでにタール状に変色変形しており、呆然とした。農薬が無かった昔のお米なら1000年も前のお米でも発芽するというのに、どうしてこんなにも違ってしまうのか?分析値では現れない、見えない生命力の違いをまざまざと見せつけられた。
それ以来、形はお米でも「生命力のないお米から生命力のあるお酒は生まれない」の信念のもとに心ある農家の方達と契約栽培で自然農法のお米だけを酒米にしてきた。最近になって、味の点でも自然農法米によるお酒は自然の甘みが微妙に快い味として残ってくることが解ってきた。
微生物にとって、想像以上に影響が大きいのは、「住み処」である場の居心地が良いかということ。快か不快かによって、本来、微生物の持っている働き具合が決まってくる。もちろん、居心地のいい「快い場」では、すばらしい発酵が始まる。不快の場では逆に腐敗が始まる。蔵で私達ができるのは微生物たちの声を聞きながら「快い場」を作る手助けをすること。こうすることで本来のお酒、体に優しいお酒、飲んだ人がみんな楽しくなっちゃうお酒が生れるんです。
微生物は「エサ」と「場」によって、それぞれが持っている特性や持ち味を素直に出しているだけで、善玉菌も悪玉菌もいない。人間が勝手に色分けしているにすぎない。共存共生の関係にあり、いじめも奪い合いもない。微生物同士は自分の居場所を確保しながら、相手の立場を理解し、尊重しながら、自分の出番を心得ているようだ。
今、人類が閉塞状態にある時、謙虚に微生物に学ぶべきだろう。人間は「自然の中での生き物である以上、自然の枠の中でしか生きられない」という大事な事を忘れてしまったような気がする。快か不快かを一人一人が感受性を持って素直に判断し、もっと自分の「生命」に真面目に生きたら、楽しいすばらしい発酵が始まると思うのだが。
「五人娘」蔵元 寺田 啓佐(転載ここまで)
気がつくと、瓶が空になっていた。
翌日の朝、ぼくはいつも通りに目が覚める。
ふつうのお酒なら二日酔いするところだが、このお酒はいくら飲んでも二日酔いをしないという不思議なお酒だ。
あまりのおいしさに、
「毎晩少しずつ楽しもう」
と思いつつ、ついつい何回もおかわりをしてしまう。
小学校5年のお正月。
1月1日のこと。
「今日はお正月だから、少しこれを飲んでごらん」
ふだんは無口の父が、リビングでぼくに酒をすすめる。
小さなグラスに入っている透明の液体。
わずか一口の量なので、そのまま一気に口に含んだ。
「ま、まずい」
のどもとをツーンとさせながらお腹の中に流れていく
ただ苦いだけで、二度と飲みたいとは思わなかった。
月日がたち大学生に。
友人たちと飲み会に行く機会がふえた。
ビール、日本酒、ワイン、ウイスキーといろいろなお酒を試す。
食通な友人曰く
「モルツは不純物が入ってないから純粋なビールの味が楽しめるんだよ」
味の方は今一だった。
お酒についての結論。
つきあいとして飲むことはできるが、おいしいとは感じなかった。
強いて言うと、ジョッキで飲む生ビールはおいしさを感じないこともない。
でも、自分からすすんでお酒を飲みに行こうとは思わなかった。
それから20年。
奇跡のお酒に巡り合う。
【寺田本家】発芽玄米酒 むすひを飲んで、生まれて初めて、おいしいお酒があることを知った。
無農薬で作られた玄米を使用。
昔ながらの手作りで、自然発酵させたお酒。
使われている水にも秘密がある。
知る人ぞ知る浄活水器ELIXIRII(エリクサー2)の水が使われている。
【寺田本家】発芽玄米酒 むすひを毎日少量飲んで、病気から回復した人がたくさんいるらしい。
このお酒を飲むと、驚くことに、糖尿病と高血圧症が快方に向かうことはあっても悪くなることはないという。
能書きはともかく、とにかくおいしい。それで十分だ。
最後に一つ付け加えることがある。
お酒が冷蔵庫に入っている間、たくさん飲みたくなる。
あっというまに瓶が空になる。
冷蔵庫からお酒がなくなるとどうなるだろうか。
不思議なことに、我慢ができる。
習慣性というか、中毒性を感じない。
「これならアルコール中毒になりようがないので安心だな」
といいつつお酌が進む今日このごろである。
同じ蔵元がつくるもう一つのおいしい酒がある。
【寺田本家】醍醐のしずくだ。
こちらは、まろやかな甘さが最高。
旅先で、ぜひとも至福の一杯を!
蔵元の寺田啓佐さんが記された「微生物に学ぶ」を紹介する。
酒造りにとって何より大切なことは、微生物に良い働きをしてもらうことだ。その為には「エサ」と「住み処」が鍵になる。生命力の有る美味しいお酒は、たくさん微生物達が、それぞれの使命を果たしながら持ち味を発揮し、醸しだされたものである。もちろん仕込み水は生きている自然の水に限る。お米は自然農法による無農薬米がいい。農薬や化学肥料の慣行農法によるお米が出回っているが、残留農薬がないからといっても安心してはならない。
もう15年程前になるが山形県のある農家が10年経ったという農薬で育てられたお米を出してこられた。すでにタール状に変色変形しており、呆然とした。農薬が無かった昔のお米なら1000年も前のお米でも発芽するというのに、どうしてこんなにも違ってしまうのか?分析値では現れない、見えない生命力の違いをまざまざと見せつけられた。
それ以来、形はお米でも「生命力のないお米から生命力のあるお酒は生まれない」の信念のもとに心ある農家の方達と契約栽培で自然農法のお米だけを酒米にしてきた。最近になって、味の点でも自然農法米によるお酒は自然の甘みが微妙に快い味として残ってくることが解ってきた。
微生物にとって、想像以上に影響が大きいのは、「住み処」である場の居心地が良いかということ。快か不快かによって、本来、微生物の持っている働き具合が決まってくる。もちろん、居心地のいい「快い場」では、すばらしい発酵が始まる。不快の場では逆に腐敗が始まる。蔵で私達ができるのは微生物たちの声を聞きながら「快い場」を作る手助けをすること。こうすることで本来のお酒、体に優しいお酒、飲んだ人がみんな楽しくなっちゃうお酒が生れるんです。
微生物は「エサ」と「場」によって、それぞれが持っている特性や持ち味を素直に出しているだけで、善玉菌も悪玉菌もいない。人間が勝手に色分けしているにすぎない。共存共生の関係にあり、いじめも奪い合いもない。微生物同士は自分の居場所を確保しながら、相手の立場を理解し、尊重しながら、自分の出番を心得ているようだ。
今、人類が閉塞状態にある時、謙虚に微生物に学ぶべきだろう。人間は「自然の中での生き物である以上、自然の枠の中でしか生きられない」という大事な事を忘れてしまったような気がする。快か不快かを一人一人が感受性を持って素直に判断し、もっと自分の「生命」に真面目に生きたら、楽しいすばらしい発酵が始まると思うのだが。
「五人娘」蔵元 寺田 啓佐(転載ここまで)