goo blog サービス終了のお知らせ 

気になる事  blueのためいき

日々気になる事を記します。共感してくださる方もそうでない方もちょっと立ち止まって考えて頂ければ、うれしいです。

西村眞悟の時事通信より 二十一日から二十六日、台湾から火力演習までの報告

2012-08-28 10:43:05 | リンク

二十一日から二十六日、台湾から火力演習までの報告
 この八月、靖国神社に参拝もできない総理大臣を持ち続けている国民の苛立ちと怒りは、
中国の尖閣諸島への隙あらばという露骨な攻勢に加えて韓国大統領の竹島侵入と天皇陛下と日本への侮辱の言動によって、内外に対して爆発しそうになった。
 つまり、日本人は、支那人や朝鮮人のように、街頭のテレビカメラの前で、支那や朝鮮の国旗を焼いて気勢を上げるようなアホなことはしないが、今回は腹の底からこみ上げる怒りがあった。
 八月に入れば、村々各所で盆踊りがある。その会場を訪れると、若い人も年配の人も、私の顔を見て真剣になって、次のように、話しかけてくれる。
 「竹島、あんなことされて、ほっとくんですか」
 「腹立って、腹立って、あの韓国の大統領、あいつはなんちゅう奴や」
 「何とかしてや、がつーんとやったらな分かれへんで、あいつ等」
「なんで、尖閣に上陸したあいつら、そのまま送り返したんですか、裁判にかけて、刑務所に掘り込まなあかん奴とちゃいますか」
 みな、国が辱められたと感じ、国が辱められることは、即ち、自分たちが侮辱されたのだと思っている。
 そして、国が辱められているという国家として看過できない事態に対して、それにふさわしい対応ができない政府、野田内閣、民主党に怒っている。
 多くの盆踊り会場で、このような侮辱された憤りの思いが異口同音にぶつけられたのは、初めての経験であった。
 
 国民は、三年前の真夏の夜に、民主党の「生活第一」、「子供手当」に騙されて、今、その惨憺たる結果を見せつけられた。
 それから三年後の真夏の夜は、真実怒っている。
 願わくば、その真夏の夜の怒りが持続されんことを。
 この怒りは、必ず、明るい国家の未来を開く。
 三国干渉(明治二十八年)への怒りが国民の臥薪嘗胆の覚悟を生み出し日露戦争に勝利したように(明治三十八年)、このたびの怒りが、国防体制構築への覚悟に転化するならば、必ず、我が国と東アジアの未来を開く。

 尖閣や竹島そして北方領土への対処については、現在の野田内閣がしていることに関して、国家観の欠落があり、このままでは、必ず、彼らが我が国を侮る通りの惨めな事態になると切歯扼腕した。
 そして、結局、ここから脱却する方策は、愛国の同志が愛国の内閣を作ることに尽きると思い至る。
 したがって、野田内閣は尖閣や竹島に、ああすればいいとか、ここで「解説」することは控え、ここでは黙っている。
 ただ、諸兄姉、我々が、
次の選挙を「救国」の合言葉で勝ち抜き、
真の保守統一戦線内閣を樹立すれば、
現在の侮日的・自虐的閉塞状況を一挙に打破できる、
と単純明快に言い切っておきたい。

 さて、二十一日から二十六日まで、何をしていたか。
 二十一日から二十四日まで台湾にいて、二十五、二十六日は富士山のふもとの御殿場にいた。
 
 台湾では、この四月の「山の民」(高砂族)訪問の一環として、その時訪問できなかった台湾中部山岳地帯の霧社と川中島を訪れた。
 この一連の旅は、帝国陸軍特務機関員である門脇朝秀翁(九十九歳)が、近い将来、
「純朴忠良にして剽悍決死の帝国陸軍兵士であった高砂義勇軍兵士たちと家族の消息、そして彼らの郷里の状況を、昭和天皇にご報告するための旅」である。
 門脇朝秀翁は、この高砂族のように、命を懸けて帝国のために戦い、戦後は蒋介石の戒厳令下で、その功名を家族に語ることもできず、いつの間にか日本人でなくなって、歴史の闇に沈んでいく臣民たちのことこそ、昭和天皇はお心にかけておられるのだと思い、近いうちにご報告しなければならないからと、現地での確認の旅を続けておられる。

 では、この旅に同行するとはいかなる意義があるのか。
 まず第一に、昭和天皇へのご報告は、歴史の回復そのものである。歴史の回復とは甦りであり、国家の回復と甦りそのものである。
 次に、この国家の回復とは何か。
 それは、具体的には国家戦略の構築に他ならない。
 そこで、言う。私の目指す、国家戦略とは何か。
 それは、如何にして、中国共産党を打倒するのか、そのうえで、如何にして東アジアの諸国家、諸国民の安定と共栄を確保する体制を構築するか、である。
 ここでいう、東アジアの諸国家とは、当面は(我々の目の黒いうち)、台湾と日本とアセアン諸国とインドをさし、大陸と半島は含まない。大陸と半島の独裁体制、独善体制は、いずれ崩壊するからである。当面は、その崩壊の混乱を最小限に押しとどめるために、海洋の我が国からインドに通じる東アジア諸国家の共存共栄の戦略構築が必要なのだ。

 台湾中部山岳地帯の霧社で、昭和五年、台湾原住民最大の対日騒乱事件である霧社事件が起こった。
 日本人巡査に侮辱されたと感じた首狩りの習慣があった原住民が決起して、運動会中の小学校を襲い、百三十四人の日本人の首を狩った。
 日本は軍隊を派遣して彼らを鎮圧した。その際、同じ高砂族の他の部族も鎮圧に参加して反乱部族の多くの首を狩った。
 反乱部族の頭目であったモーナ・ルーダは、反乱に参加せずむしろ反対していたのだが、反乱後、山に入り自決した。
 そして、反乱終息後、同じ日本人であった彼らは、高砂義勇兵として大東亜戦争の戦場に向かった。しかし戦後、台湾に進駐した蒋介石軍は、霧社事件で首をはねられた百三十四人の日本人慰霊碑を破壊し、霧社事件を、霧社原住民の「抗日決起」に仕立て上げ、モーナ・ルーダの銅像を建てた。
 私は、破壊された日本人慰霊碑の残骸に手を合わせ、モーナ・ルーダの銅像に手を合わせた。霧社のメーンストリートに沿った両者の距離は二百メートルほど。
 そこで、特筆すべきものがもう一つあった。
 モーナ・ルーダの像から三百メートルばかり離れた警察署の前に大きな木が枝を広げて茂っている。
 この木は、大正十二年に、昭和天皇が皇太子の時に霧社を訪れられた際に記念植樹された。皇太子の前で実際に土を掘って苗木を建てた人は、葉炳然という人だ。
 その人の娘さんが木の傍に来て日本語で説明してくれた。お名前は、葉清子さん、大正十五年生まれ。
「この木は、大きくなりすぎたので道路拡張のために切るか移設するという話がたびたび出たが、その都度地元に人たち(高砂族)の反対によってその話は立ち消えになった。みな、昭和天皇の植えられた木を切ることに反対だった」
 そして、清子さんは、
「大陸の人は、すぐ嘘をつく。山の人は、嘘つかない」と言った。インデアンを思い出した。
 この清子さんは、戦前、結婚するはずの人がいたが、敗戦で結婚できなくなり、その人は日本に帰って行って私は一人台湾に残った。そして、忘れられないその人とは文通を続けていたが、六年前に亡くなった、今はその方の娘さんと文通している、と木の前で語り始めたら止まらなくなった。誠にきれいな日本語だ。
 映画「海角七号」の物語は台湾の各所にあるのだと思った。
 
 葉清子さんは、自分も日本人だと思って我々日本人に語っていた。
 霧社に入る前に台北であった昭和三年生まれの2・28事件の白色テロで父親を蒋介石に殺された阮美妹さんも日本人として我々に語っていた。
 かつて、ブラジルを訪問された皇后陛下は、ブラジルに移民した日系一世の人々のコーラスを聞かれて、次の御歌を詠まれた。
「移り住む 国の民とて 老いたまう
             君らが歌う さくらさくらと」
 もし、天皇皇后両陛下が、台湾を行幸され、日本人として育ちながら、いつの間にか日本人ではない扱いをされるようになった彼女らに会われれば、如何なる御歌をうたわれるであろうか。
 彼女らの生きている日に、その行幸があるだろうか、如何ばかり今も乙女のごとき彼女らと台湾の高砂義勇兵の英霊が喜ばれようか、と、しばし思った。

 霧社に案内してくれたのは、霧社事件における反乱族の頭目である自決したモーナ・ルーダと同僚の反乱族の頭目であるバガハ・ポッコハの曾孫でモーナ・ルーダと姻戚関係にあるタクン・ワリス(日本名安田、昭和二十七年生まれ)という地域自治体の道路整備所長だった。つまり、日本人の首を刈った反乱軍の頭目の系統。
 その前日の夕食時、彼は従弟と台湾軍OBと私で、アルコール度数五十八度の高粱酒を飲もうという。同行の三宅博は、「わて、それ飲んだら死にます」と言ってはじめから離脱。
 そこで、高砂族三名を相手に小生一人頑張ることになった。
 何回も何回も、乾杯、乾杯の一気飲みを続けてビンが空になった。確か、タクンとタクンの従弟が寝はじめた。
 自己判定はできないので、翌日、同席した人に聞いた。「どっちが勝った」と。「西村が勝った」、が答えだった。
 しかし私は、酔いつぶれて寝たというものの、翌朝私より早く起きて、台風近づく山々の道路を見分し後に私たちを霧社に案内してくれたタクンの義侠心と誠実さそして体力に脱帽した。

 台湾東沖の洋上には、滞在中、ずっと台風が居座っていた。事と次第によっては、山道が通行不能になるとの情報も入り、下山を一日早め、二十三日には夜台北についた。そして、二十四日の夜大阪に帰り、翌二十五日に御殿場について二十六日午前十時からの陸上自衛隊富士総合火力演習を見学した。
 
 まず第一に、この火力演習に参加した各部隊と自衛隊員の練度の高さに敬意を表し、日ごろの努力を讃えたい。
 諸君らの日頃の努力と二十六日の富士山が見下ろす広大な演習場において示された高い連度は、抑止力として大いに国家に貢献している。
 以上のとおり、演習参加部隊を讃えた上で、
次に、この部隊をコントロールすると称する防衛省および民主党野田内閣を叱る。
 そして、お前たちは、日々訓練に励む部隊のためにも、国家のためにも、いざとなれば、何の役にも立たない平素も有害な穀潰しであり、打倒しなければならないと明言する。
 そして、この明言の根拠と理由は、表面に現れた象徴的な一点を指摘すれば足りる。
 何故なら、この表面に現れた一点は、シロアリに床下が食い荒らされた家と同じように、民主党内の左翼が防衛省と自衛隊内部において「日本という国家」を消去しようと反日的策謀を繰り返した結果であるからだ。

 そもそも、自衛隊の各部隊の「演習」は、何のためにするのか。それは、いったん有事ともなれば、各部隊は、
  国家を守るために、
斯く戦う、このために、斯くの如き訓練を積んだ精強部隊が存在する、この練度をさらに高め、同時にこのことを国民に広く見て知ってもらう、このためだ。
 従って、演習においても実戦と同様に、各部隊は何のために戦うのか、一目瞭然それを象徴するもの、即ち日の丸・国旗を掲げなければならない。
 よって演習開始に当たり、まず、武装した兵士に守られた国旗が演習場に入場し、各部隊および演習参観者は国旗に敬意を表してそれを迎える。
 そのうえで、国旗が演習観閲官のもとに掲げられて演習が開始されるのだ。
 この何のために行うのかという象徴的な「けじめ」がなければ、演習は近頃はやりのコンバットゲームと違いがなくなる。

 では、昨日の富士山が見下ろす演習場に、この「けじめ」があったのか。
 皆無だ。
「けじめ」どころか、演習場に日の丸・国旗の一つもなかった。
 この火力演習でも、かつては、国旗が掲揚されていた。
 また、国旗掲揚の際に起立したこともあった。
 しかし、二年ぶりに見た二十六日の総合火力演習は、既にどこの国のものか分からないように一切の国旗は抹殺されていた。
 小さなことのように見えるが、私は、ここに、民主党政権三年間の「亡国の成果」を見たのだ。
 膨大な国費を使って行う戦車八十両、火砲八十門、航空機三十機、車両六百両そして二千四百名の隊員が参加する火力演習場から、
ついに国旗を追放できた「成果」を、民主党内の顔を見せない左翼幹部も、昨夜どこかで乾杯していたであろう。
 斯くの如くして、国家は内部から崩壊させられる。
 敵は外部ではない。内部にいる。
 二十六日、政権内部の亡国的策謀が、
富士総合火力演習場から国旗が消去されたという現象で目に見えたので、ここにご報告しておく。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« どこまで中国に配慮するつも... | トップ | 8.29青山繁晴のインサイドSHO... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。