西村眞悟ホームページ No.714 平成24年 2月28日(火)
三国干渉後の東アジアと現代
本日、産経新聞朝刊の一面には、次の記事。
中国が、東シナ海の巡回体制強化に乗り出していて、監視船の数で我が国を上回ることを目指し五年以内に最新鋭の三十六隻の監視船を建造する。そして、既に、我が国の排他的経済水域内での調査活動についても、中止を要求してきており、「日本艦船の不法調査を駆除した」と国内で報じている。これは胡錦涛政権の海洋権益の維持拡大という国家目標の具体化である。
そして、「正論」欄には、平松茂雄氏の「中国の軍事戦略と一体のGPS」が掲載されている。
それは、中国の全地球航法測位衛星「北斗」によって、中国軍のミサイルの精度と射程が大幅に改善され、複数の軍区を跨ぐ統合軍による遠距離機動作戦が可能になり、海軍の空母戦闘群の西太平洋やインド洋における作戦行動を強化できる、として、否が応でも、その中国の大戦略の最前線に立つ我が国に対する警告の論考である。
以上の産経新聞の記事は、一言で言えば、中国の海洋への拡大という国家意思が実践段階に入っていることを示すものであると言えよう。
さらに、我が国周辺で、露骨な国家意思を見せてきた国は、何も中国だけではない。
ロシアは、大統領や国防相が我が国の北方領土に飛来して視察し、支那人や朝鮮人をそこに入れて「開発」をする姿勢を示しており、
さらに韓国は、竹島に護岸、接岸工事を強行しているし、大統領自身が、日韓首脳会談で従軍慰安婦への補償だけを要求して帰って行った。北朝鮮は、我が国を無視して、拉致被害者を抑留したままだ。
即ち、我が国の西に位置する大陸の北から、ロシア、朝鮮そして中国は、一斉に、露骨な、また、傍若無人な態度を示して自分たちの我が国に対する一方的主張を貫徹しようとし始めている。
この周辺諸国の状況を観て、かつての三国干渉後の東アジアの変動を想起するもは私だけであろうか。
三国干渉とは、明治二十八年四月十七日に締結された日清戦争を終結させる下関講和条約で、清国から我が国に割譲された遼東半島を、六日後の二十三日に、ロシア、ドイツ、フランス三国が武力を背景に我が国に清国へ還付するよう要求し、我が国が「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」と受諾するのやむなきに至った事件である。
この三国干渉によって、東アジアは、「東亜五十年の禍根」といわれる流動期に入る。そしてその流動は、我が国を、日露戦争必至の国際環境に落とし込んでいった。
何故、国際環境はこのように動いたのか。
それは、三国の干渉に屈服した我が国を、周辺国が侮ったからである。
まず、朝鮮は、日本が清国と戦った御陰で、清国から独立できたのであるが、ロシアに屈服した我が国から離れ「強いロシア」に引っ付いてゆく。果ては、朝鮮国王がロシア公使館のなかに移り、朝鮮内の親日派は粛正一掃される。つまり、ロシアは朝鮮を事実上乗っ取った。
また下関条約交渉における清国全権の李鴻章は、こんどはロシアに旅順と大連を与え、対日攻守同盟さらに密約を結び、事実上満州をロシアに与えて巨額な賄賂をロシアからせしめる(露清密約)。
そして、朝鮮を掌中に収め、満州に鉄道を敷き軍隊の駐留権を得たロシアは、如何なる野望を逞しくしたのか。
それは、極東でロシアが「絶対優位権を確立する」ことである。その為に、「日本を撃破し」、さらに「撃破するのみにては不十分で、之を撃滅する」ことであった(ロシア海軍編纂「千九百四、五年露日海戦史」、平間洋一著「日露戦争が変えた世界史」より)。
このように、三国干渉後の我が国を取り巻く状況は、周辺国の侮日により我が国の存続の条件を奪う危機的状況に流れていったのである。
そこで、私は、冒頭、この三国干渉後の周辺国の動きと現在が似ていると述べた。
しかも、その動きが侮日を切っ掛けに露骨になっていることも同じである。
では、この動きが、何を切っ掛けに露骨になったのか。遙か、明治二十八年の三国干渉に相当する切っ掛けがあったのか。
それは、あった。
まさに、平成二十一年九月の民主党政権の出現、これが周辺国の動きに、三国干渉に匹敵する切っ掛けを与えている。
ルーピー(アホ)の鳩山から始まって菅そして野田という日教組を中心とするソビエトと中共に共鳴する左翼組織に支えられた内閣の出現は、三国干渉並みのインパクトを周辺諸国に与えた。
特に、同年十二月、与党幹事長に引率された百五十名近くの我が国国会議員団の胡錦涛への拝謁は、最大の侮りを招いた愚挙であった。
そして、斯くの如き事態が進行しているのに、国土防衛の決断と実践に向かわず、消費税増税というひたすら内側だけの課題に熱中している現在の野田内閣は、周辺国にさらなるエスカレートを促している。
この我が国政界の姿は、あたかも、左翼の究極の目的通り、我が国家の解体と支那への明け渡しを指向しているとしか思えない。
ここが、臥薪嘗胆を決意して来たるべき危機を克服しようとした明治の日本人と、現在が違うところだ。つまり、明治は、国家存立への決意を強めたが、現在の平成は、国家解体への流れに身を委ね加速させている。
よって、現在の危機を克服する第一歩は、このような売国と亡国の民主党内閣を打倒し、真の保守の救国内閣を樹立することである。
その上で、一刻も速く具体的に何を為すか。
それは、東アジアにおける「軍事的バランスの回復」である。
三国干渉後の東アジアと現代
本日、産経新聞朝刊の一面には、次の記事。
中国が、東シナ海の巡回体制強化に乗り出していて、監視船の数で我が国を上回ることを目指し五年以内に最新鋭の三十六隻の監視船を建造する。そして、既に、我が国の排他的経済水域内での調査活動についても、中止を要求してきており、「日本艦船の不法調査を駆除した」と国内で報じている。これは胡錦涛政権の海洋権益の維持拡大という国家目標の具体化である。
そして、「正論」欄には、平松茂雄氏の「中国の軍事戦略と一体のGPS」が掲載されている。
それは、中国の全地球航法測位衛星「北斗」によって、中国軍のミサイルの精度と射程が大幅に改善され、複数の軍区を跨ぐ統合軍による遠距離機動作戦が可能になり、海軍の空母戦闘群の西太平洋やインド洋における作戦行動を強化できる、として、否が応でも、その中国の大戦略の最前線に立つ我が国に対する警告の論考である。
以上の産経新聞の記事は、一言で言えば、中国の海洋への拡大という国家意思が実践段階に入っていることを示すものであると言えよう。
さらに、我が国周辺で、露骨な国家意思を見せてきた国は、何も中国だけではない。
ロシアは、大統領や国防相が我が国の北方領土に飛来して視察し、支那人や朝鮮人をそこに入れて「開発」をする姿勢を示しており、
さらに韓国は、竹島に護岸、接岸工事を強行しているし、大統領自身が、日韓首脳会談で従軍慰安婦への補償だけを要求して帰って行った。北朝鮮は、我が国を無視して、拉致被害者を抑留したままだ。
即ち、我が国の西に位置する大陸の北から、ロシア、朝鮮そして中国は、一斉に、露骨な、また、傍若無人な態度を示して自分たちの我が国に対する一方的主張を貫徹しようとし始めている。
この周辺諸国の状況を観て、かつての三国干渉後の東アジアの変動を想起するもは私だけであろうか。
三国干渉とは、明治二十八年四月十七日に締結された日清戦争を終結させる下関講和条約で、清国から我が国に割譲された遼東半島を、六日後の二十三日に、ロシア、ドイツ、フランス三国が武力を背景に我が国に清国へ還付するよう要求し、我が国が「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」と受諾するのやむなきに至った事件である。
この三国干渉によって、東アジアは、「東亜五十年の禍根」といわれる流動期に入る。そしてその流動は、我が国を、日露戦争必至の国際環境に落とし込んでいった。
何故、国際環境はこのように動いたのか。
それは、三国の干渉に屈服した我が国を、周辺国が侮ったからである。
まず、朝鮮は、日本が清国と戦った御陰で、清国から独立できたのであるが、ロシアに屈服した我が国から離れ「強いロシア」に引っ付いてゆく。果ては、朝鮮国王がロシア公使館のなかに移り、朝鮮内の親日派は粛正一掃される。つまり、ロシアは朝鮮を事実上乗っ取った。
また下関条約交渉における清国全権の李鴻章は、こんどはロシアに旅順と大連を与え、対日攻守同盟さらに密約を結び、事実上満州をロシアに与えて巨額な賄賂をロシアからせしめる(露清密約)。
そして、朝鮮を掌中に収め、満州に鉄道を敷き軍隊の駐留権を得たロシアは、如何なる野望を逞しくしたのか。
それは、極東でロシアが「絶対優位権を確立する」ことである。その為に、「日本を撃破し」、さらに「撃破するのみにては不十分で、之を撃滅する」ことであった(ロシア海軍編纂「千九百四、五年露日海戦史」、平間洋一著「日露戦争が変えた世界史」より)。
このように、三国干渉後の我が国を取り巻く状況は、周辺国の侮日により我が国の存続の条件を奪う危機的状況に流れていったのである。
そこで、私は、冒頭、この三国干渉後の周辺国の動きと現在が似ていると述べた。
しかも、その動きが侮日を切っ掛けに露骨になっていることも同じである。
では、この動きが、何を切っ掛けに露骨になったのか。遙か、明治二十八年の三国干渉に相当する切っ掛けがあったのか。
それは、あった。
まさに、平成二十一年九月の民主党政権の出現、これが周辺国の動きに、三国干渉に匹敵する切っ掛けを与えている。
ルーピー(アホ)の鳩山から始まって菅そして野田という日教組を中心とするソビエトと中共に共鳴する左翼組織に支えられた内閣の出現は、三国干渉並みのインパクトを周辺諸国に与えた。
特に、同年十二月、与党幹事長に引率された百五十名近くの我が国国会議員団の胡錦涛への拝謁は、最大の侮りを招いた愚挙であった。
そして、斯くの如き事態が進行しているのに、国土防衛の決断と実践に向かわず、消費税増税というひたすら内側だけの課題に熱中している現在の野田内閣は、周辺国にさらなるエスカレートを促している。
この我が国政界の姿は、あたかも、左翼の究極の目的通り、我が国家の解体と支那への明け渡しを指向しているとしか思えない。
ここが、臥薪嘗胆を決意して来たるべき危機を克服しようとした明治の日本人と、現在が違うところだ。つまり、明治は、国家存立への決意を強めたが、現在の平成は、国家解体への流れに身を委ね加速させている。
よって、現在の危機を克服する第一歩は、このような売国と亡国の民主党内閣を打倒し、真の保守の救国内閣を樹立することである。
その上で、一刻も速く具体的に何を為すか。
それは、東アジアにおける「軍事的バランスの回復」である。