気になる事  blueのためいき

日々気になる事を記します。共感してくださる方もそうでない方もちょっと立ち止まって考えて頂ければ、うれしいです。

「大城浩」氏が来る11月の沖縄県知事選挙に立候補

2014-05-01 21:49:47 | 動画

 

琉球独立って本気?

そんなに中国の自治区になりたいの?

それとも韓国の属国にでも?

この大城浩氏の政策は

「1年以内の琉球独立」

「米軍退却後に韓国か中国か台湾の軍隊を駐留させる」

自立独立って言っているけど

韓国か中国か台湾の軍隊を駐留させるって自立、独立からほど遠い。

中国様の為に献身的に働きます。どうぞ私達から搾取して下さいって・・・?

本気? 

 

沖縄には琉球独立を主張している人がいるとは聞いていましたが

こんな事になっていたとは・・・・。

でもこれって独立どころか、植民地みたいな事を希望しているだけでは?

って言う事は今より後退というか歴史の逆戻りじゃん。

それとも究極のファンタジーですか????

 

応援にルーピー鳩山が駆けつけたら、傑作やな。

 

 

 

 

 

 

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沖縄を独立させ、中国韓国の軍を置こうとするマジキチ県知事候補

2014-05-01 21:36:29 | 動画

 

<!-- 沖縄を独立させ、中国韓国の軍を置こうとするマジキチ県知事候補 -->

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2014/05/01 ザ・ボイス 青山繁晴 ニュース解説「新疆ウイグルの駅で爆発 」「日独首脳会談」など

2014-05-01 20:59:39 | 動画

 

2014/05/01 ザ・ボイス 

青山繁晴 ニュース解説「新疆ウイグルの駅で爆発 習近平国家主席を狙ったテロの可能性も」

「日独首脳会談 ウクライナ問題で連携」など

 

<!-- 2014/05/01 ザ・ボイス 青山繁晴 ニュース解説 -->


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【普通の歴史】番外編 日本人が創造した日中問題の2(後半)   武田邦彦(中部大学)

2014-05-01 15:14:08 | リンク
【普通の歴史】番外編 日本人が創造した日中問題の2(後半)
http://takedanet.com/2013/10/post_8f35.html

 

「futuunankintdyno.424-(11:21).mp3」をダウンロード

 

さて、南京攻城戦の続きだが、当時、城を囲んだ日本軍を前にして、20万人の一般人が南京城の中にいたのは、中国軍の人質政策でもあった。

攻城戦の時には人は「守備軍の一部」だから殺害しても問題はない。それに加えて、当時の戦時国際法によると小さな部隊でも敵に「降伏」するときには厳密な条件が課せられていた。

1)指揮官が降伏を告げること、
2)白旗を掲げ、武器を携帯すること、
であった。

戦闘ではだまし、闇討ち、逃げると見せての攻撃、降伏したように見せかけた反撃・・・なんでもOKである。しかし、「正式な降伏」の作法を決めておかないと、戦闘行為との区別がつかない。

だから、「指揮官」、「白旗」、「武器」などが必要だった。指揮官が居なければ戦闘はできないし、武器を持たないで降伏するとその武器を探さなければならないからである。

 

さらに加えて軍隊は「軍服」を着る必要があった。ナポレオン戦争などでよくわかるように軍隊は旗を掲げ、ラッパを吹き、ドラを鳴らし、隊列を組んで進撃する。軍服も派手だ。これは「民間人と間違えないために」ということだ。

つまり戦争というのはあるルールで戦うものでスポーツに似ている。

ところが、当時の中国は新しい戦法を編み出し、「民間人の服装をした兵=便衣兵」を創設した。そうなると民間人と兵の区別がつかなくなり、この場合は民間人を殺戮してもよいことになる。

かくして軍隊と民間人が25万人ほどいる南京城に日本軍が攻撃をしかけ、3日間の戦闘と1か月半の掃討戦が行われ、軍人2万人程度、民間人5000人程度が死亡したと推定される。戦後の人口調査によると捕虜は2万人程度、民間人20万人(国際調査)とされている。

逃げる中国人を打ち殺す中国人の督戦隊が逃げるまでは場内から逃亡する中国人はことごとく後ろから銃撃されたので、数はよくわからない。

従って、次の理由から南京では通常の戦争が行われたことがわかる。

1)戦争前の軍人と民間人の合計が30万人程度
2)戦争後の軍人と民間人の合計が22万人程度
3)逃亡したとみられる軍人など5万人程度
4)戦闘で殺害されたとみられる数2万人程度
5)不明1万人程度

城に立てこもり、降伏勧告に従わず、司令官が不在で、城内から逃げる自国民を自国民が殺し、兵士の服を着ていない兵士がいるという状態の中では南京戦は穏やかだったといえよう。

日本軍の砲弾が城内の非戦闘地域に着弾したら、20万人のうち10万人が死んでもおかしくはない。1945年のアメリカ軍による東京大空襲では、投降勧告もなにもなく突如として航空機による爆撃が一般人に対して行われ10万人が焼死した。

南京の穏やかな戦闘が「虐殺」と言い、東京の不意の爆撃を「空襲」と呼ぶのは「言葉の遊び」である。

実は、「南京虐殺」というのは朝日新聞が作った造語で、東京リンチ事件でも使われていない。事実としてなかったものだ。でもいったん朝日新聞が「南京虐殺」という言葉を使うとそれが事実でなくても、「事実ではないがゆえに、そのほかの言葉は存在しない」ということになり、「東京リンチ事件」を「東京裁判」というのと同じように定着していった。

つまり「南京虐殺は無かった」という論説自身が論理矛盾をしている。「南京戦は穏やかだった」といわなければならない。また、南京のことは中国が言い出したものではなく(東京リンチ事件でも問題になっていない)、日本人が言い出したのだから、中国を批判してもはじまらない。

世界の常識では自分の国を故意に悪く言うことはありえないのだから、「日本人がそういうならそうだろう」とする方が当然なのだ。に中関係を改善するには、まず日本人が「東京リンチ事件」、「南京攻城戦」という正しい日本語を使うことだろう。

(平成25年10月26日)


 

武田邦彦

 
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【普通の歴史】番外編 日本人が創造した日中問題の2(前半)

2014-05-01 15:13:38 | リンク
武田教授の南京大虐殺についての解説です。工学(環境問題)が専門ですが歴史問題については詳しくわかり易い説明です
http://takedanet.com/2013/10/post_63d5.html
【普通の歴史】番外編 日本人が創造した日中問題の2(前半)

「tdyno.423-(10:29).mp3」をダウンロード


先回の番外編で、「戦争で自ら尊い命を犠牲にした人を祀る所に、戦争の記念日に首相が行く」という世界的に何の問題の無いことを、朝日新聞という日本人が「東京裁判のA級戦犯の靖国参拝」という間違った言葉を使ったことで、日中間の争いになったことを示した。

現実には戦後の東京で「リンチ」は行われたが、「裁判」が行われていないのだから「犯罪人」もいないので、すべては朝日新聞という日本人がねつ造したもので、それが元になって日中間の争いが生まれているのだから、中国の責任ではなく、日本の責任と考えられる。

靖国問題が「日本人が創造した日中問題」の1に相当するが、これに類似したのが「南京事件(反日日本人の命名による南京虐殺事件)」である。

1930年代の終わりの頃、南京付近で起きた日中間の紛争は、1937年に起こった上海事変(第二次)から戦闘が広がって南京事変に至った約5か月間のことである。

事実は簡単で、清朝を滅ぼした中華民国の軍隊がドイツなどの支援を受けて次第に力をつけ、当時、上海に駐留していた日本軍に攻撃を掛けて追い出そうとした。

この軍事行動は、もともと中国の領土だった上海に、日本、イギリス、フランス、アメリカなどが一部を占領して「租界地」を作り、そこに自国軍隊を派遣していたのだから、中国が力をつければ反撃は当然のことでもある。

前の政権(清朝)の時に奪われた国土だから、新政権(中華民国)が領土回復を期して外国軍を攻めるのは問題ではない。中華民国は精鋭部隊を上海に投入して租界地を持っていた5カ国のうち、日本軍を攻めた。

しかし、当時の日本軍は強かったので、激戦の末、上海戦に勝ち、逃げる中国軍を追って当時の首都の南京に到達した。1937年12月のことである。

南京に日本軍が迫る中、中国の民間人はかなり南京から奥地に逃げたが、それでも20万人程度の民間人が軍と一緒に南京城に残った。ところが「普通の戦争の常識」と「中国という国の常識」が大きく違うことが起こった。

中国軍は自ら仕掛けて上海で日本軍を攻撃し、敗退して南京まで下がった。南京は当時の首都で、難攻不落の南京城で囲まれ、軍隊も首都防衛軍がいる。史上名高いコンスタンチノーブルの戦いやさまざまな攻城戦などの例から見ても、世界の常識ならそこに立てこもって最後の一戦ということになる。

ところが世界の常識と中国の常識は違う。こともあろうに総大将の蒋介石は日本軍が南京城を包囲した12月9日の2日前に逃亡、続いて総大将の唐生智も12日の逃亡。首脳部は逃亡したのに兵は逃亡できないように長江への逃げ道に「督戦隊(逃げる味方を打ち殺す任務を持った憲兵隊)」を配置した。

攻城戦では攻める側は城の中がどうなっているかは不明だから、攻撃をし始めたら城の中に砲弾を撃ち込む。そうすると無差別に殺すことになるので、かならず「投降勧告」を行い、1日ほど置いて白旗が上がらなければ攻撃を開始するという手順を踏む。

この場合も12月9日に南京城を包囲し、降伏しなければ翌日の正午から攻めるという投降勧告を行ってから日本軍が攻め入った。南京城の中には中国側や外国人がいる「非戦闘地域」があったが、攻める日本軍に地図が示されているわけではないので、どこが非戦闘地域か不明だった。

事実を確認するのは大切な事で、日中間に故意に争いをもたらすのは両国にとって望ましくない。反日日本人が事実と違うことを作り上げたことで、日中間にいざこざが起こるのは実にばからしい。

(平成25年10月26日)

                                                                           武田邦彦

 
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