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さて、南京攻城戦の続きだが、当時、城を囲んだ日本軍を前にして、20万人の一般人が南京城の中にいたのは、中国軍の人質政策でもあった。
攻城戦の時には人は「守備軍の一部」だから殺害しても問題はない。それに加えて、当時の戦時国際法によると小さな部隊でも敵に「降伏」するときには厳密な条件が課せられていた。
1)指揮官が降伏を告げること、
2)白旗を掲げ、武器を携帯すること、
であった。
戦闘ではだまし、闇討ち、逃げると見せての攻撃、降伏したように見せかけた反撃・・・なんでもOKである。しかし、「正式な降伏」の作法を決めておかないと、戦闘行為との区別がつかない。
だから、「指揮官」、「白旗」、「武器」などが必要だった。指揮官が居なければ戦闘はできないし、武器を持たないで降伏するとその武器を探さなければならないからである。
さらに加えて軍隊は「軍服」を着る必要があった。ナポレオン戦争などでよくわかるように軍隊は旗を掲げ、ラッパを吹き、ドラを鳴らし、隊列を組んで進撃する。軍服も派手だ。これは「民間人と間違えないために」ということだ。
つまり戦争というのはあるルールで戦うものでスポーツに似ている。
ところが、当時の中国は新しい戦法を編み出し、「民間人の服装をした兵=便衣兵」を創設した。そうなると民間人と兵の区別がつかなくなり、この場合は民間人を殺戮してもよいことになる。
かくして軍隊と民間人が25万人ほどいる南京城に日本軍が攻撃をしかけ、3日間の戦闘と1か月半の掃討戦が行われ、軍人2万人程度、民間人5000人程度が死亡したと推定される。戦後の人口調査によると捕虜は2万人程度、民間人20万人(国際調査)とされている。
逃げる中国人を打ち殺す中国人の督戦隊が逃げるまでは場内から逃亡する中国人はことごとく後ろから銃撃されたので、数はよくわからない。
従って、次の理由から南京では通常の戦争が行われたことがわかる。
1)戦争前の軍人と民間人の合計が30万人程度
2)戦争後の軍人と民間人の合計が22万人程度
3)逃亡したとみられる軍人など5万人程度
4)戦闘で殺害されたとみられる数2万人程度
5)不明1万人程度
城に立てこもり、降伏勧告に従わず、司令官が不在で、城内から逃げる自国民を自国民が殺し、兵士の服を着ていない兵士がいるという状態の中では南京戦は穏やかだったといえよう。
日本軍の砲弾が城内の非戦闘地域に着弾したら、20万人のうち10万人が死んでもおかしくはない。1945年のアメリカ軍による東京大空襲では、投降勧告もなにもなく突如として航空機による爆撃が一般人に対して行われ10万人が焼死した。
南京の穏やかな戦闘が「虐殺」と言い、東京の不意の爆撃を「空襲」と呼ぶのは「言葉の遊び」である。
実は、「南京虐殺」というのは朝日新聞が作った造語で、東京リンチ事件でも使われていない。事実としてなかったものだ。でもいったん朝日新聞が「南京虐殺」という言葉を使うとそれが事実でなくても、「事実ではないがゆえに、そのほかの言葉は存在しない」ということになり、「東京リンチ事件」を「東京裁判」というのと同じように定着していった。
つまり「南京虐殺は無かった」という論説自身が論理矛盾をしている。「南京戦は穏やかだった」といわなければならない。また、南京のことは中国が言い出したものではなく(東京リンチ事件でも問題になっていない)、日本人が言い出したのだから、中国を批判してもはじまらない。
世界の常識では自分の国を故意に悪く言うことはありえないのだから、「日本人がそういうならそうだろう」とする方が当然なのだ。に中関係を改善するには、まず日本人が「東京リンチ事件」、「南京攻城戦」という正しい日本語を使うことだろう。
(平成25年10月26日)