人生を60年以上過ごした僕も、様々なそれなりの体験をして来ました。
子供の頃は、親に怒られた経験や友達と喧嘩した経験。
少し大きくなると、初恋や受験の経験など、それなりに自分は成長してきたつもりです。
しかし大学を卒業して社会に入ると、学生時代には全く予想もしていなかった人生が待ち受けていました。
僕はそれらのハードルを、自分で言うのもおかしな話ですが、必死の思いでそれなりにクリアしてきたと自負をしています。
そしてそれらの体験が、今の自分を後押ししてくれているように感じています。
僕の体験談は今までもここでお話していますが、初めての方もおられるかも知れないので、その体験が今の自分の性格の形成にどのように関わっているかを、簡単にお話しします。
その内容が単なる自慢話や武勇伝と思えるかも知れませんが、そう感じられるのなら、それはそれで結構です。
では始めます。
僕は高校時代は園芸班(高校ではそう呼んでいます)でしたが、浪人時代に風邪を引きやすくなり人間健康が第一だと感じた僕は、入学の手続きの前に空手部に入りました。
国立大学の空手部なら練習も楽だろうと思って入部したのですが、その予想は直ぐに外れたのです。
練習は日曜日と祭日以外は、昼の一時間と午後の二時間半もびっちりあり、合宿は、春が二回、夏が二回、秋と冬がそれぞれ一回づつの合計六回もあり、そのほかに部費を稼ぐ強制労働(学年が進むにつれて少なくなる)が、年に二ヶ月以上もありました。
また練習は厳しく、風邪なんかでは休ませてもらえませんし、一年生の最初の合宿では、裸足で走る足の裏に豆が出来て、さらにその豆の中に小石が入ってランニングを続けなくてはなりませんでした。
先輩の突きや蹴りをまともに喰らうことも日常茶飯事でした。
僕はそこで、【忍耐】を学びました。
次に社会に入る(ゼネコン)と、いろんな現場を体験しました。
工期がない現場、お金が無い現場、いろんな施工条件がついてシンドイ現場、作業員が見つからない現場など、様々な現場を体験しました。
或る現場(僕が35歳ぐらい)は岐阜県の山の中でキャンプ場を造る現場でしたが、発注者の名古屋市長が発注前にキャンプ場のオープンの知らせを既にボーイスカウトの団体に配ってしまっていたのですが、詳細は省きますが、常識的に考えるとそのキャンプ場は工期が全くたりないのでした。
しかも当時、その近辺で大きな災害があり、現場近くの職人さんたちはその災害復旧に取られ、探しても職人さんが見つからなかったのです。
そこに加え、積算が市内単価で行なわれたので標高の高い山の単価と合わず、実行予算を組むと、請負金額に対して二千万ぐらいオーバーしてしまい、更に不幸な事に、その現場の担当責任者を命じられた時は、アキレス腱断裂の入院から退院して一週間も経っていないのでした。
でも僕は、役所の理不尽な要求に対し、ウルトラC(表現が古い?)的な発想と腹で、最期は現場を無事に納め、収支も大儲けをし、発注者側の建築局(当時の名称)次長が僕に、『たーさん、ありがとうございます。』と握手を求めて来たほどでした。
僕はその現場で、モノの見方・考え方と、腹で勝負の大切さを学びました。
そのほかにもいろいろありますが、最後は贈収賄と裏金で警察と国税とまともに闘った体験が圧巻です。
それらの金額も半端ではありませんでしたが、僕は警察の取調べ(逮捕はされていません)に対し正面から挑み、締上げをして来た刑事にカウンターパンチ(手出しでなく口で)を喰らわしてあげ、僕の証言は調書にならないと警察内部で言われた程でした。
それが元で会社を名誉の懲戒解雇処分となりましたが、僕はこの体験で、自分の勝負強さに磨きあかかりました。
(※ 詳細は、【私が見た新南陽事件】を参照)
まだまだ修羅場(病気においては、重症筋無力症、脊柱管狭窄症、掌せき膿胞症との闘い)は沢山体験していますが、そんな僕も既に還暦を過ぎ少しは大人しくなりました。
そんな僕は、先日も書きましたが、トンでもない現場の担当になってしまったのです。
名古屋市内の土木と造園会社にそっぽを向かれる担当係長が関係する物件に、我社(我社の積算担当者が知らずに応札)以外は応札しなかった物件で、しかも、その現場の土質条件は最悪(雨が降ると一週間はぬかるんで、乾くとカチカチで掘り難い最悪土質)で或ることをバカな我社の積算担当者が全く調べないで応札してしまったのです。
しかし今のところ役所の直接の担当者には、僕の方が一歩リードしたペースで打合わせを進めています。
僕の考え方は、いくら悪い客でもお金をいただくのですから、お客様に満足し納得していただけるように努力するのが道理です。
イエ、言い方を変えれば、無理やりでもお客様に納得していただくように努力するのです。
皆さんは僕のこの抽象的な言い方を理解できないかも知れませんが、僕は今までの修羅場の体験を通じて滲み出る僕のオーラを全力で使い、今度の現場に立ち向かいます。
僕の全部を知らない会社の人達に、僕という人間を知らしめる絶好の機会だと思います。
モノは、考えようなのです。