たーさんの世界(意地悪じーさん)

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延命治療はしません

2013年11月05日 | Weblog

妹から、父の事で電話がありました。

父は最近衰弱が激しく、いつ何時どうなってもおかしくない状態だと医師から言われたとのことで、妹は、僕が父の延命治療についての考え方を尋ねてきたのです。

僕は、以前に父が複数回にわたり、『俺は延命治療なんかして欲しくない。』と言った事実を伝え、延命治療はしない方が父の為だと話したところ、妹もそれに対して賛成してくれました。

父は今月の10日で満九十歳になります。

 

僕は父には長生きして欲しいと思う気持ちは変わりありませんが、管を入れてでも延命治療なんかしたくありません。

 

父は自然に生き、そして自然に逝ってもらいたい。

 

そんな父でも、今日現在でも自炊をして生活しています。

今週は帰省する週なので、父とのこれからの一緒に過ごせる時間は限られていますが、精一杯、父に優しく接してあげたいと思います。

 

皆さんも、自分をここまで育ててくれたご両親に優しく接してあげてください。

 


大学駅伝

2013年11月03日 | Weblog

朝の散歩で熱田神宮に行くと、大学駅伝を見ようとする人でいっぱいでした。

 

スタートするすぐ近くに山梨学院大学の応援団が陣取り、チアリーダーが可愛い応援をしていました。

勿論、他の大学の応援団も応援をしていたので、早速携帯のカメラを向けました。

 

チアガールがきっちりと髪の毛を上げたヘアースタイルは、まさしく若さの象徴でもあり、それを見学した僕も、昔の学生時代の若い感覚を思い出しました。

 

若さって、本当にいいものですね。


農水省は農業を知らない?

2013年11月03日 | Weblog

>一方で、減反を廃止すると多くの農家が主食用のコメを増産するようになり、価格が大幅下落する恐れがある。これを防ごうと、政府はコメ農家に主食用から家畜のエサに使う飼料用への転作を促す新しい補助金を導入することも検討する。飼料用の作付面積に応じて支払う現在の補助金(10アール当たり8万円)に、収穫量に応じて支給する仕組みを加える。

 このほか、コメの価格下落による農家の収入減を補う保険制度の創設なども検討し、農政の大転換につなげる構えだ。

 

上の文章は、農水省が予定している減反政策の見直しに関する記述の一部ですが、農水省の役人は全くおバカな連中が多いようだ。

そもそも水田は、一旦稲作を中止して荒地にすると、水田の働きそのものを止めてしまうので、直ぐには水田として復活しないのが常識なのと、最近の農家は高齢化が目立ち、米作りそのものが減る傾向にあります。

それと最近の農家の傾向として、米作りは自分の家と親戚で使うものしか作らない農家が増えています。

 

減反を中止しても、米は増産には転じないと思います。


偶然の一致

2013年11月03日 | Weblog

最近はバイクに乗る機会が少なくなっていますが、久しぶりにバイクにガソリンを入れに行きました。

走行距離からしてガソリン代は千円ぐらいかと思い、千円札一枚と、小銭入れにあった251円をセルフスタンドの機械に入れ(合計1,251円)、満タンの表示を指先で押しました。

ガソリンをギリギリタンク一杯まで入ったのでそこで給油レバーを緩めて止め、つり銭を機械から出そうとしたら、つり銭がありません。

 

表示をよく確認したら、丁度1,251円のガソリンを入れ終わった時点で、ギリギリ満タンになっていたのです。


修羅場を体験した者の強さ

2013年11月03日 | Weblog

人生を60年以上過ごした僕も、様々なそれなりの体験をして来ました。

子供の頃は、親に怒られた経験や友達と喧嘩した経験。

少し大きくなると、初恋や受験の経験など、それなりに自分は成長してきたつもりです。

 

しかし大学を卒業して社会に入ると、学生時代には全く予想もしていなかった人生が待ち受けていました。

僕はそれらのハードルを、自分で言うのもおかしな話ですが、必死の思いでそれなりにクリアしてきたと自負をしています。

 

そしてそれらの体験が、今の自分を後押ししてくれているように感じています。

 

僕の体験談は今までもここでお話していますが、初めての方もおられるかも知れないので、その体験が今の自分の性格の形成にどのように関わっているかを、簡単にお話しします。

その内容が単なる自慢話や武勇伝と思えるかも知れませんが、そう感じられるのなら、それはそれで結構です。

 

では始めます。

 

僕は高校時代は園芸班(高校ではそう呼んでいます)でしたが、浪人時代に風邪を引きやすくなり人間健康が第一だと感じた僕は、入学の手続きの前に空手部に入りました。

国立大学の空手部なら練習も楽だろうと思って入部したのですが、その予想は直ぐに外れたのです。

練習は日曜日と祭日以外は、昼の一時間と午後の二時間半もびっちりあり、合宿は、春が二回、夏が二回、秋と冬がそれぞれ一回づつの合計六回もあり、そのほかに部費を稼ぐ強制労働(学年が進むにつれて少なくなる)が、年に二ヶ月以上もありました。

また練習は厳しく、風邪なんかでは休ませてもらえませんし、一年生の最初の合宿では、裸足で走る足の裏に豆が出来て、さらにその豆の中に小石が入ってランニングを続けなくてはなりませんでした。

先輩の突きや蹴りをまともに喰らうことも日常茶飯事でした。

僕はそこで、【忍耐】を学びました。

 

次に社会に入る(ゼネコン)と、いろんな現場を体験しました。

工期がない現場、お金が無い現場、いろんな施工条件がついてシンドイ現場、作業員が見つからない現場など、様々な現場を体験しました。

 

或る現場(僕が35歳ぐらい)は岐阜県の山の中でキャンプ場を造る現場でしたが、発注者の名古屋市長が発注前にキャンプ場のオープンの知らせを既にボーイスカウトの団体に配ってしまっていたのですが、詳細は省きますが、常識的に考えるとそのキャンプ場は工期が全くたりないのでした。

しかも当時、その近辺で大きな災害があり、現場近くの職人さんたちはその災害復旧に取られ、探しても職人さんが見つからなかったのです。

そこに加え、積算が市内単価で行なわれたので標高の高い山の単価と合わず、実行予算を組むと、請負金額に対して二千万ぐらいオーバーしてしまい、更に不幸な事に、その現場の担当責任者を命じられた時は、アキレス腱断裂の入院から退院して一週間も経っていないのでした。

 

でも僕は、役所の理不尽な要求に対し、ウルトラC(表現が古い?)的な発想と腹で、最期は現場を無事に納め、収支も大儲けをし、発注者側の建築局(当時の名称)次長が僕に、『たーさん、ありがとうございます。』と握手を求めて来たほどでした。

 

僕はその現場で、モノの見方・考え方と、腹で勝負の大切さを学びました。

 

そのほかにもいろいろありますが、最後は贈収賄と裏金で警察と国税とまともに闘った体験が圧巻です。

それらの金額も半端ではありませんでしたが、僕は警察の取調べ(逮捕はされていません)に対し正面から挑み、締上げをして来た刑事にカウンターパンチ(手出しでなく口で)を喰らわしてあげ、僕の証言は調書にならないと警察内部で言われた程でした。

 

それが元で会社を名誉の懲戒解雇処分となりましたが、僕はこの体験で、自分の勝負強さに磨きあかかりました。

(※ 詳細は、【私が見た新南陽事件】を参照)

 

まだまだ修羅場(病気においては、重症筋無力症、脊柱管狭窄症、掌せき膿胞症との闘い)は沢山体験していますが、そんな僕も既に還暦を過ぎ少しは大人しくなりました。

 

そんな僕は、先日も書きましたが、トンでもない現場の担当になってしまったのです。

名古屋市内の土木と造園会社にそっぽを向かれる担当係長が関係する物件に、我社(我社の積算担当者が知らずに応札)以外は応札しなかった物件で、しかも、その現場の土質条件は最悪(雨が降ると一週間はぬかるんで、乾くとカチカチで掘り難い最悪土質)で或ることをバカな我社の積算担当者が全く調べないで応札してしまったのです。

 

しかし今のところ役所の直接の担当者には、僕の方が一歩リードしたペースで打合わせを進めています。

僕の考え方は、いくら悪い客でもお金をいただくのですから、お客様に満足し納得していただけるように努力するのが道理です。

イエ、言い方を変えれば、無理やりでもお客様に納得していただくように努力するのです。

 

皆さんは僕のこの抽象的な言い方を理解できないかも知れませんが、僕は今までの修羅場の体験を通じて滲み出る僕のオーラを全力で使い、今度の現場に立ち向かいます。

 

僕の全部を知らない会社の人達に、僕という人間を知らしめる絶好の機会だと思います。

 

モノは、考えようなのです。