たーさんの世界(意地悪じーさん)

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僕の修羅場体験その二

2009年11月21日 | Weblog
(^_^;)そんな状態の時僕は精神的に開き直り、ただ前に進む事だけを考えました。
(~o~)そう気持ちを整理すると、いくら立場の強い役所が相手であっても、僕は捨て身の強気の交渉を始めたのです。

そして役所に工法変更を認めさせ、設計変更の増額が無い代わりに減額も無いとの約束を引き出したのです。

(^O^)そして工事が終わる迄、僕はキャンプ場を造るのであるとの基本姿勢をつらぬいたのです。

(^O^)キャンプ場造りは自然の中での生活体験が目的であるので、そこに人工的な構造物は必要無いのです。

(^O^)もっと言えば、出来るだけ手を入れない方が(工事をしない方が)、キャンプ場らしいものが仕上がるのです。
その間、僕は一度も現場に行かないで(行きたくても行けなかった)、事務所で図面とにらめっこでした。

\(^_^)/必要最小限の工事だけを施工し、他の余分な工事は極力抑えたのでした。

\(^_^)/それでも減額が無いのですから、世の中簡単な話です。

\(^o^)/最終的にキャンプ場オープンも間に合い、収支も大幅な黒字となり、オープン当日には役所の局次長が僕に握手を求めて来ました。
その上、名古屋市から感謝状まで戴いたのでした。
(~o~)これは僕が体験した信じられない修羅場の一つですが、こんな体験を幾つもしていると、少々の事には動じなくなります。

(~o~)因みに工事は重機屋さんを相手の言い値で名古屋から連れて行き、他の仕事は地元のお百姓さんが暇な時に手伝って貰いました。

(^^)稲刈りが終わったお百姓さんにとって、端境期の仕事は喜んでしてくれました。

(^^)又最初の設計では一本道であった道路を、阿木の生産森林組合長に許しを得て裏手からもう一本勝手に造り、建築工事が並行して出来るようにしました。 (工事後に行った岐阜県の開発確認の検査は、名古屋市に全て尻拭いをして貰いました。)

僕の修羅場体験

2009年11月21日 | Weblog
(^_^;)人間は、生きている限りは苦労が絶えないものです。

(^_^;)僕も今まで幾つかの修羅場を体験しましたが、その内の差し障りの無い修羅場体験をお話しします。

(^^)愛知県や岐阜県にお住まいの皆さんの中に、中津川の阿木に、名古屋市が運営する子供会のキャンプ場があるのをご存知の方がいらっしゃるかも知れません。

(^^)そのキャンプ場は、約二十年前の僕が土木工事の責任者として携わった施設です。

(^_^;)そのキャンプ場は標高千メートル弱の山を切り開いて造るのですが、その限られた範囲の中で一年間の期間で、僕の会社の二億円の土木工事費の他に、他社の八億の建築工事と六千万の設備工事が重なる現場でした。(標高の高い山間部で雪も降るので、普通なら工期は二年必要)

(^_^;)しかもこのキャンプ場の完成は、絶対に遅らせる事が出来ない理由がありました。

(^_^;)その理由は、当時の西尾名古屋市長がキャンプ場オープンの招待状を、既に全国に発送してしまっていて、この工事が遅れる事は名古屋市長の顔を潰す事になるのです。

(>_<)でもこれは序の口の問題でした。

(@_@)と云うのは、この現場を受注し責任者に命じられた時は、僕はアキレス腱断裂の入院が開けたばかりで松葉杖歩行の状態でしたので、土木屋として急傾斜地の山の中を歩くのは不可能でした。

(@_@)そして実行予算を弾くと名古屋市の単価の積算は通用せず、請け負い金額を二割も飛び出してしまいました。(役所は、増額変更しないと言っていました。)
これは大切な三十代の、僕の社内での立場を悪くする事を意味します。

(-_-;)でもそれが全てではありませんでした。

(>_<)受注した直後に工事をする地域で災害があり、殆んどの地元の業者が、その災害の復旧工事でてんてこ舞いの状態で、僕の現場を手伝ってくれそうな下請けは何処を探しても見つからなかったのです。

(~o~)時間が無い、お金が無い、下請けが居ない、自分の体が動かないのナイナイづくめ状態でした。

※こんな状態になったら、皆さんはどうしますか?
後編はまた後で。