富士山は、江戸の中心。
「アースダイバー」を読んで納得。
確かに、広重や北斎の版画には、
遠景に必ずと言っていいほどこの山が入る。
遠近だけでは語りきれないものが、富士山にはある。
セザンヌにとってのサント・ヴィクトワール山、いや
太陽と同じく、日本人の信仰の象徴だから、絵に表現する難しさがある。
ある縁があり、御殿場に行く機会を得たものの、
この山を観る機会はなかなかなかった。
あ . . . 本文を読む
御岳にある玉堂美術館はもちろんはじめて。
新宿牛込の家が戦災で焼失。
疎開したのが縁となり、
晩年の十年の住処となったらしい。
この画家の没後、建築家の吉田五十八の設計。
なんとも見事なくらいシンプル。
なるほど…
枯山水のやけに広々とした庭がいい。
ずいぶん、広い。
間が抜けていると感じたが、
まるで玉堂の描く絵の「余白」のようなのだ。
周囲に広がる風景を、どこかしら
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御嶽神社へ行った。
初めてだったが、なかなか興味深い場所。
レトロモダンなフニコラーレ(ケーブルカー)、御神木のケヤキ、
北村西望作の荒々しい狛犬、
店先の円空…?、
下り坂の小高い樹木の山道などなど、
さて帰路。
山を下り多摩川沿いの玉堂美術館へ。
おりしも展示中のスケッチがいい。
15歳くらいの鳥を精確に写し取った絵もいいが、やはりスケッチが素晴らしい。
見開きでスケッチを使ったり . . . 本文を読む
ヴェネツィア製の皮のノートにスケッチとか、
ドローイングしてみたい。
ふふふ… でも、描かれた線をよく観ると、
このデザイナーにしても、
安い方のノートに描いたスケッチの方がいいじゃぁありませんか。
皮ノートの方は、線が萎縮してます。
やはり、高価な素材は、
使いこなすには無神経な度胸も必要なのでしょう。
道具は刺激にもなれば、縛る力もある、
ということでしょう。
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ヴェローナ/スカルパの銀行のスケッチ
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もちろん、
描く対象から学び取ろうと思う時がないわけではない。
そういう場合は
実在する対象をなるべく客観的に観察する。
質感とか、素材も何となく意識する。
そういうこともありますけど、
やはり交感=コラボレーションしたい。
その方が自分がもっと
その風景や建築の近 . . . 本文を読む
エジプトの大地から発掘された品々…
指輪や装飾品、大きい物ではレリーフや神の彫像など。
埋もれていた記号…
信仰の記憶、あるいは象徴
そして、思索の破片…
おっ。
一点の女の像。
これがなんか不思議だった。
なにがと言えば、やはり他と比べエジプトらしさがない。
奴隷女あたりだろうか? 両手がないのもまるでヴィーナス。 . . . 本文を読む
早稲田大学の會津八一記念博物館へ。
吉村作治の早大エジプト発掘40年展へいった。
この40年間にエジプトで発掘された250点の、
エジプト文明の栄華を喚起させるかけらが展示されている。
見ているうちに、どうしても手を動かしてみたくなった。
手帳を出し、目ただないようにボールペンでスケッチ、
したのである。
目だけで楽しむではもったいない、と思う。
だから、よくこうして手も動かすが、 . . . 本文を読む
人が見ている、人に見られていると、
「うまくかきたい」、「うまく見られたい」
という単純な気持ちがわき上がってくる。
たぶんそういうのも慣れてくると変わってくる。
逆にへたくそに書いて、
その相手と絵の善し悪しについて論議する方が面白い。
他人は絵を見ようとは思うけど、それが“うまい”絵である必要はないのだ。
どちらかというと、それが楽しい、面白い絵であるならばいい。
だから、気持ちが妙な . . . 本文を読む
こちらのほうもどうです?
前のサンマルコ寺院もいいけど、このシエナのカンポ広場もいいです。
おなじ人が描いたようではないとは思いませんか。
もうなんかいろんなアカデミックな知識から
解放されてないと
こんな感じのスケッチはできないとぼくは思います。
やっぱり、旅先で描いてると
「ああ、こうなっているの…」
と、たいてい実在の方が手本になる。
手本というのは相手の方がエライ。
そいつをなる . . . 本文を読む
ヴェネツィアのサンマルコ寺院のスケッチ。
まるで音楽みたいな絵!!
建築家のエスキースとか、ドローイングの線が好きだ。
思いやイメージがシンプルな描線に
感じられるからだろうと思う。
ところが、それがスケッチになると、
案外いいなと思うが少ない。
このカーンのスケッチだけは違う。
建築家の記憶のためとか、余技とかという印象ではない。
見事な独創的な絵になっている。そう思いませんか?
ど . . . 本文を読む