五月雨に御物遠や月の顔 桃 青(芭蕉)
「御物遠」という、疎遠をあらわす日常語が笑いを呼んでいるわけで、例の自然の人事化による発想である。『続山井』所出なので、寛文七年(1667)以前の作。
「御物遠」は、当時の手紙などに用いられた言葉で、御疎遠・御無音というのと同じ気持で、ここでは、しばらく月の顔を見なかったことを指す。
季語は「五月雨」で夏。長く続くものという前提のもとに使われている。
「降り続く五月雨のために、月の顔もしばらく御疎遠になってしまったことだ」
――今日から東京も梅雨入り。そこでもう一句サービス。
降る音や耳も酸うなる梅の雨 桃 青
「口が酸っぱくなる」という慣用語がある。同じ言葉を幾度も繰り返すさまにいう。また「口を酸っぱくする」ともいう。
これと同様に、聞き飽きることを俗に「耳が酸っぱくなる」という。これも「梅の雨」という名称が縁語として「耳も酸(す)うなる」と発想を促している作である。
なお、これより先、万治三年(1660)刊の『境海草(さかいぐさ)』には、
「音聞くや耳もすうなる梅の雨 玄良」
という句がある。
「降る音」の句も『続山井』所出なので、寛文七年以前の作。
「梅の雨」が季語で「梅雨(つゆ)」のこと。梅が熟するころ降るのでいう。夏季。
「毎日じめじめと降り続いている梅雨の音を聞いていると、その名の『梅』の酸い
ように、耳も酸っぱくなるような感じだ」
国会の見ざる聞かざる梅雨に入る 季 己
「御物遠」という、疎遠をあらわす日常語が笑いを呼んでいるわけで、例の自然の人事化による発想である。『続山井』所出なので、寛文七年(1667)以前の作。
「御物遠」は、当時の手紙などに用いられた言葉で、御疎遠・御無音というのと同じ気持で、ここでは、しばらく月の顔を見なかったことを指す。
季語は「五月雨」で夏。長く続くものという前提のもとに使われている。
「降り続く五月雨のために、月の顔もしばらく御疎遠になってしまったことだ」
――今日から東京も梅雨入り。そこでもう一句サービス。
降る音や耳も酸うなる梅の雨 桃 青
「口が酸っぱくなる」という慣用語がある。同じ言葉を幾度も繰り返すさまにいう。また「口を酸っぱくする」ともいう。
これと同様に、聞き飽きることを俗に「耳が酸っぱくなる」という。これも「梅の雨」という名称が縁語として「耳も酸(す)うなる」と発想を促している作である。
なお、これより先、万治三年(1660)刊の『境海草(さかいぐさ)』には、
「音聞くや耳もすうなる梅の雨 玄良」
という句がある。
「降る音」の句も『続山井』所出なので、寛文七年以前の作。
「梅の雨」が季語で「梅雨(つゆ)」のこと。梅が熟するころ降るのでいう。夏季。
「毎日じめじめと降り続いている梅雨の音を聞いていると、その名の『梅』の酸い
ように、耳も酸っぱくなるような感じだ」
国会の見ざる聞かざる梅雨に入る 季 己