支梁亭口切
口切に堺の庭ぞなつかしき 芭 蕉
支梁(しりょう)の口切(くちきり)の茶事に招かれての挨拶の意がふくまれている。
場所も深川のこととて、木の間がくれの海も見え、そこに堺の利休居士(りきゅうこじ)指図の有名な露地も、おのずから眼底に彷彿させられたことであろう。
「支梁」は、江戸の蕉門であるが、詳しいことはわからない。その亭は深川にあったものらしい。
「口切」は、「壺の口切」ともいい、新茶を壺に入れ密封して冷涼の地で夏を越させ、初冬のころ、この壺の口を切り、茶臼で抹茶にひいて行なう茶事。最も晴れの茶会とされ、茶人正月の名もある。
「堺」は、大阪府堺市のこと。茶人紹鷗(じょうおう)・利休ゆかりの地。
「堺の庭」については、『芭蕉句解』に、「泉州堺に利休居士指図の露地あり。句意是等によるか。此の露地は蒼海満々と見え渡りたるを、ことごとく植ゑかくし、手水(ちょうず)などつかふとき少し見せたり。ある茶伝の書に。海すこし庭に泉の木の間かな 宗祇」とある。
季語は「口切」で冬。堺の庭を通しての利休への思いがそのまま挨拶となっている。元禄五年(1692)の作。
「口切の席に列してまことに結構な庭を見ることが出来ました。これを見る
につけ、茶事で知られた堺の庭が、しみじみなつかしく慕わしく偲ばれる
ことです」
冬うらら好きで集めし画の五十 季 己
口切に堺の庭ぞなつかしき 芭 蕉
支梁(しりょう)の口切(くちきり)の茶事に招かれての挨拶の意がふくまれている。
場所も深川のこととて、木の間がくれの海も見え、そこに堺の利休居士(りきゅうこじ)指図の有名な露地も、おのずから眼底に彷彿させられたことであろう。
「支梁」は、江戸の蕉門であるが、詳しいことはわからない。その亭は深川にあったものらしい。
「口切」は、「壺の口切」ともいい、新茶を壺に入れ密封して冷涼の地で夏を越させ、初冬のころ、この壺の口を切り、茶臼で抹茶にひいて行なう茶事。最も晴れの茶会とされ、茶人正月の名もある。
「堺」は、大阪府堺市のこと。茶人紹鷗(じょうおう)・利休ゆかりの地。
「堺の庭」については、『芭蕉句解』に、「泉州堺に利休居士指図の露地あり。句意是等によるか。此の露地は蒼海満々と見え渡りたるを、ことごとく植ゑかくし、手水(ちょうず)などつかふとき少し見せたり。ある茶伝の書に。海すこし庭に泉の木の間かな 宗祇」とある。
季語は「口切」で冬。堺の庭を通しての利休への思いがそのまま挨拶となっている。元禄五年(1692)の作。
「口切の席に列してまことに結構な庭を見ることが出来ました。これを見る
につけ、茶事で知られた堺の庭が、しみじみなつかしく慕わしく偲ばれる
ことです」
冬うらら好きで集めし画の五十 季 己