壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

悲願

2009年12月10日 19時36分46秒 | Weblog
      示 児  〈児(じ)に示す〉     陸 遊(正しくは氵)

    死去元知萬事空    死し去らば元(もと)知る万事空しと
    但悲不見九州同    但(た)だ悲しむ九州の同じきを見ざるを
    王師北定中原日    王師(おうし)北のかた中原を定めん日
    家祭無忘告乃翁    家祭乃翁(かさいだいおう)に告ぐるを忘るること無かれ

     死んでしまえば万事おしまいだ、ということなどはもとより知っている。
     ただ中国全土の統一した姿が、死んでしまって見られないのは残念なことだ。
     天子の軍隊が、北方の中原地帯を平定したならば、その日には、
     先祖の祭をしてお前たちの父に知らせることを、どうか忘れないでくれ。

 この七言絶句には、悲憤慷慨(こうがい)するような、激情を示す言葉は見あたらない。むしろ淡々と、ひとりごとを述べているような作品である。
 しかし、これは1209年、八十五歳の暮れに、死に臨んで子供たちに残した辞世の句であり、およそ一万首に及ぶ彼の作品の最後の詩である。この詩に秘められた彼の思いの深さに感動せざるを得ない。

 間もなく死ぬことをさとった作者は、死の向こうに透明な無の世界を感じている。死の前には、彼が愛した田園も肉親も、一生かけて残した詩も、すべては彼がよく詩にうたった夢のように、はかなく消え去ってしまう。
 しかし、それにしても、死でさえ消すことができないのは、彼が全生涯を通じて叫びつづけてきた国家統一の悲願なのであった。彼はついに一度も中原(ちゅうげん=中国の中央部)に足を踏み入れず、長安に触れることもできなかった。
 物心ついたときから八十年間、片時もなおざりにすることもなく思い続けてきた中原回復の願いは、死の直前に、この詩の中に凝結した。このとき、六十二歳の長男から三十三歳の末子まで、作者の六人の息子たちは健在であった。
 しかし、だれも父の霊に、中原平定の報告をすることはできなかった。宿敵の金ともども、宋が、蒙古(もうこ)の元に滅ぼされようなど、知る由もないことである。


      ホームレスのうしろ師走の街灯り     季 己