成りにけり成りにけりまで年の暮 芭 蕉
謡曲の詞章を生かして、軽い口調でうたいあげたところが作者としての得意の点である。
師匠の北村季吟も、「としの終になるこころを、成りにけりなりにけりまでといひなせる、ともに感情の所ながら、句は詞(ことば)づかひ一入(ひとしほ)なるべきものなるに、右の重詞(かさねことば)新しく珍重に候なり」と判詞の中でほめている。
西山宗因にも、「年たけてなりけりなりけり春に又」の作があり、当時流行の発想であったことがわかる。
「六百番俳諧発句合」に「歳暮」として所出。同書季吟判は延宝五年閏十二月五日と奥書があるので、延宝四年(1676)ごろの作といわれている。
季語は「年の暮」で冬。
「謡曲では、『なりにけり、なりにけり』というような繰り返しのことばで
終わりになるが、一年もすっかりおしつまって、まさに年の暮に『なり
にけり、なりにけり』というまでになってしまった」
迫り来る年の瀬 片目だるまかな 季 己
謡曲の詞章を生かして、軽い口調でうたいあげたところが作者としての得意の点である。
師匠の北村季吟も、「としの終になるこころを、成りにけりなりにけりまでといひなせる、ともに感情の所ながら、句は詞(ことば)づかひ一入(ひとしほ)なるべきものなるに、右の重詞(かさねことば)新しく珍重に候なり」と判詞の中でほめている。
西山宗因にも、「年たけてなりけりなりけり春に又」の作があり、当時流行の発想であったことがわかる。
「六百番俳諧発句合」に「歳暮」として所出。同書季吟判は延宝五年閏十二月五日と奥書があるので、延宝四年(1676)ごろの作といわれている。
季語は「年の暮」で冬。
「謡曲では、『なりにけり、なりにけり』というような繰り返しのことばで
終わりになるが、一年もすっかりおしつまって、まさに年の暮に『なり
にけり、なりにけり』というまでになってしまった」
迫り来る年の瀬 片目だるまかな 季 己