壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

蓑と笠

2009年12月12日 21時02分23秒 | Weblog
          小町画賛
        貴さや雪降らぬ日も蓑と笠     芭 蕉

 「卒都婆小町」の画が発想の契機となったものである。
 美の盛りより、むしろ失われた美を愛好するという態度は、遠く日本文学の伝統の中を流れてきている一つの感じ方でもある。芭蕉も老い衰えたところに、侘びの味わいを見たのかも知れない。

 『奉納集』などに、「あなたふとあなたふと、笠もたふとし、蓑もたふとし。いかなる人か語り伝へ、いづれの人かうつしとどめて、千歳のまぼろし、今ここに現ず。其のかたちある時はたましひ又ここにあらむ。蓑も貴し、笠もたふとし」という文を付して掲出。
 なぜ「あなたふとたふと、笠もたふとし、蓑もたふとし」なのだろうか。小野小町(の画)が貴いのはわかるが、「蓑も貴し、笠もたふとし」がわからなかった。

 スサノオノミコトが、高天原を追放されるときには、蓑・笠を身にまとっていた。又、秋田県男鹿半島の“なまはげ”は、青年たちがカミに仮装して家々を訪れるものであるが、彼らも蓑をまとっている。“かくれ蓑”の昔話は、蓑とか笠とかが、カミの身につけるもので、したがってカミのシンボルであったことをものがたっている。
 さらに、『皇大神宮儀式帳』には、「四月十四日は、アマテラスオオミカミに新しい着物を差し上げるまつりである。この日にはまた、御笠縫内人(みかさぬいのうちびと)という役目の神官が、蓑と笠を二十二ずつ作ってカミに差し上げる」という内容の記事があり、差し上げる神社の名と、差し上げる数を書きあげている。
 だいじなカミまつりの日に、皇大神宮では、天照大神の本宮とおもだった神社に、蓑と笠を差し上げる神事が行なわれていたのだ。蓑・笠は、カミがカミであるしるしに、身につけるものなのである。
 この行事は、風雨を防ぐ道具をカミに差し上げて、風雨の平安を祈る行事であり、農業が順調に行なわれて穀物がよく実るように、太陽や風や雷のカミに天気を祈るまつりでもあったのである。
 以上のようなことから、今は、「蓑も貴し、笠もたふとし」と理解しているが、どうであろうか。

 「雪降らぬ日も蓑と笠」は、落剥(らくはく)した卒都婆小町の姿をいったもの。『奉納集』には、信之筆の画の写しを掲出する。小野小町は、盛りの時は絶世の美女であったが、老後零落したという伝説があるので、それが謡曲にも取材され、俳諧にも非常に多く詠ぜられている。
 「卒都婆小町」には、「破れ蓑、破れ笠、面(おもて)ばかりも隠さねば、まして霜雪・雨露・涙をだにも抑ふべき袂も袖もあらばこそ……」とある。

 季語は「雪」で冬。画賛であるために、「雪降らぬ日」は叙述的で、雪は現実感を生かしたものではない。

    「雪が降ってもいない日に、破れ蓑、破れ笠をつけ、卒塔婆に腰うちかけた
     小野小町のこの老いた絵姿は、絶世の美女ともてはやされたそのかみの
     華やかさよりも、かえって神々しい貴さを感ぜしめることよ」


      北風の磨く星あり美術館     季 己