壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

宴席の中座

2009年12月17日 23時00分12秒 | Weblog
 忘年会のシーズンである。アルコール過敏症で酒は飲めず、おまけに魚介類はほとんどダメという変人は、忘年会は大の苦手。
 しかし、欠席するわけにもゆかず、たいていは出席する。昨日も忘年会に出たが、ウーロン茶一杯と、こんにゃくのお通し・枝豆で二時間ほど歓談し、中座させてもらった。「今日中にブログを更新しなければならないので……」と言って。

        憶良らは 今はまからむ 子泣くらむ
          そのかの母も 吾を待つらむぞ 
               (山上憶良『萬葉集・巻三』)

 原文「其彼母毛」は、ふつう「そのかの母も」と読むが、「そもその母も」「それその母も」「そを負ふ母も」「その子の母も」など、さまざまである。

 これは、憶良が宴会の席を退出するときの歌である。
     「憶良は、もうお暇(いとま)をいただきましょう。わたしの子は、
      ひもじさに泣いていることでしょう。そして、その子どもの母親も
      首を長くして待っているでしょう」
 と、ふつうは解釈されている。
 しかし、これは宴会の歌で、本来、もっとおどけたものと思う。

 この宴席の歌は、太宰府でのものであろう。
 この当時、憶良はすでに、七十ほどのご老体である。若い者と一緒に痛飲する体力は、もうない。こっそり中座しようとしたが、上官の大伴旅人に、見とがめられたのかも知れない。
    「憶良めは、そろそろ失礼させていただきます」
    「山上さん、なぜそんなに急いで帰るの。もう少しいいじゃないか」
    「いや、うちのガキどもが、きっと泣いているでしょうから」
    「子どもを出しにして逃げるつもりかね。ほんとうはあの若いカミさんに逢いたいんだろう」
    「そうそう、実は、その子のおっかさんも、私を待ちこがれているので」
 と、憶良はのろけて、さっと身をひるがえして出て行った。
 残された一座は、やんやの喝采で、座は大いに盛り上がったに違いない。

 七十ほどの憶良に、泣きわめく赤子など、おそらくいなかったであろう。いなかったからこそ、あたかも赤子があるかのように、戯れて「子泣くらむ」と、当座の即興で言ったのが効くのだ。
 宴会という場を十分考慮に入れて考えると、この歌は、そういう機知に富んだ、いかにも酒席のにぎわいの聞こえるような歌である。
 一座からの冷やかしを、即興的に歌で応えた、いかにも憶良らしい、飾らない表現の歌である。その即興のうちに、作者の人柄が浮かび上がってくる。


      留学生つれて羽子板市の中     季 己