狭野茅上娘子
あしひきの 山路越えむと する君を
心に持ちて 安けくもなし (『萬葉集』巻十五)
中臣朝臣宅守(なかとみのあそみやかもり)が、結婚問題で罪を得て、越前国に配流された時に、狭野茅上娘子(さののちがみのおとめ)の詠んだ歌である。
『萬葉集』巻十五の後半は、ふつう「宅守相聞(やかもりそうもん)」といわれる六十三首からなる歌群である。
娘子の伝ははっきりわからないが、宅守と深く親しんだことは、この一聯の歌群を読めばわかる。目録に蔵部女嬬(にょじゅ)とあるから、低い女官であったと思われる。
一首の意は、「あなたがいよいよ山越えをして行かれるのを、しじゅう心の中に持っておりまして、あきらめきれず、不安でなりませぬ」という程の歌である。
「君を心に持つ」は、あなたを心の中に持つこと、心に抱き持つこと、恋しくて忘れられぬこと、あきらめられぬこと、というぐらいになる。
「君を心に持つ」と具体的に云ったので、親しさがかえって増したように思われる。
『萬葉集』目録にある詞書によると、宅守は、娘子との結婚問題が罪に問われて、越前の国に流された。そういう境遇におかれた二人の間に交わされた歌だとある。けれども詳しいことはわからない。
この「あしひきの」の歌は、歌群の第一首目である。まさに流されようとしている時、別れにあたっての歌である。
大和から近江に出て、さらに北国に行くのだから、その道中を想像して、「山路越えむとする」と言ったのだが、歌群の第一首目として、叙事詩的な価値を十分に示している。
この歌の次に、
君が行く 道の長路(ながて)を 繰りたたね
焼き亡ぼさむ 天の火もがも
がつづく。一般的には、この歌のほうが人気があろう。
情熱が、過重な技巧によって露出している点を高く見るかどうか、ということになるが、「焼き亡ぼさむ天の火もがも」の情熱を心の底に沈潜させた「心に持ちて安けくもなし」のほうが、一段と、歌としては秀でていると思う。
和歌に限らず、俳句・絵画等においても、過重な技巧よりも、心の底に沈潜させた情熱の作品が好きである。
宅守は越前に流されたのだから、娘子はここで、逢坂山から琵琶湖の北岸を経て、塩津山を抜けて敦賀へ出る山道を考えているのである。
その恋人の山越えに難儀する姿を思いやり、「心に持ちて安けくもなし」と言った。
「山路越えむとする君」とは、今やまさに山越えにかかろうとする、といった、一種の活弁口調に似たものが感じられる。まざまざと眼に浮かべているかのように、切実感を強調して、聴き手の心をそそるのである。
胸中のあらひざらひを冬一番 季 己
あしひきの 山路越えむと する君を
心に持ちて 安けくもなし (『萬葉集』巻十五)
中臣朝臣宅守(なかとみのあそみやかもり)が、結婚問題で罪を得て、越前国に配流された時に、狭野茅上娘子(さののちがみのおとめ)の詠んだ歌である。
『萬葉集』巻十五の後半は、ふつう「宅守相聞(やかもりそうもん)」といわれる六十三首からなる歌群である。
娘子の伝ははっきりわからないが、宅守と深く親しんだことは、この一聯の歌群を読めばわかる。目録に蔵部女嬬(にょじゅ)とあるから、低い女官であったと思われる。
一首の意は、「あなたがいよいよ山越えをして行かれるのを、しじゅう心の中に持っておりまして、あきらめきれず、不安でなりませぬ」という程の歌である。
「君を心に持つ」は、あなたを心の中に持つこと、心に抱き持つこと、恋しくて忘れられぬこと、あきらめられぬこと、というぐらいになる。
「君を心に持つ」と具体的に云ったので、親しさがかえって増したように思われる。
『萬葉集』目録にある詞書によると、宅守は、娘子との結婚問題が罪に問われて、越前の国に流された。そういう境遇におかれた二人の間に交わされた歌だとある。けれども詳しいことはわからない。
この「あしひきの」の歌は、歌群の第一首目である。まさに流されようとしている時、別れにあたっての歌である。
大和から近江に出て、さらに北国に行くのだから、その道中を想像して、「山路越えむとする」と言ったのだが、歌群の第一首目として、叙事詩的な価値を十分に示している。
この歌の次に、
君が行く 道の長路(ながて)を 繰りたたね
焼き亡ぼさむ 天の火もがも
がつづく。一般的には、この歌のほうが人気があろう。
情熱が、過重な技巧によって露出している点を高く見るかどうか、ということになるが、「焼き亡ぼさむ天の火もがも」の情熱を心の底に沈潜させた「心に持ちて安けくもなし」のほうが、一段と、歌としては秀でていると思う。
和歌に限らず、俳句・絵画等においても、過重な技巧よりも、心の底に沈潜させた情熱の作品が好きである。
宅守は越前に流されたのだから、娘子はここで、逢坂山から琵琶湖の北岸を経て、塩津山を抜けて敦賀へ出る山道を考えているのである。
その恋人の山越えに難儀する姿を思いやり、「心に持ちて安けくもなし」と言った。
「山路越えむとする君」とは、今やまさに山越えにかかろうとする、といった、一種の活弁口調に似たものが感じられる。まざまざと眼に浮かべているかのように、切実感を強調して、聴き手の心をそそるのである。
胸中のあらひざらひを冬一番 季 己