壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

あきれた話

2008年11月01日 21時42分45秒 | Weblog
 とうとう思い出せなかった。2週間ほど前から必死に思い出そうとした、自作の一句が。応募したことさえ忘れていた一句が……。

 10月17日、荒川区教育委員会から一枚の葉書が届いた。
   「平成二十年度荒川区文化祭俳句展示会のご案内

    審査の結果、あなたの作品が二位に入賞されました。
    当日の表彰式に是非ご参加くださいますようご案内いたします。
    ………
                             ………」

 一瞬、新手の詐欺かと思った。それにしてはお金に関することが一言もない。よくよく考えたら、応募したことだけは、ぼんやりと思い出せた。ところが肝心の応募した句がまったく思い出せない。季語はもちろんのこと、カケラさえも覚えていないのだ。
 そういえば、こうして毎日つづっているブログの最後の一句、これも殆どといっていいくらい覚えていない。だがこれは、覚えておく必要がないからだ。必要ならば、自分のブログを調べればいいのだから。 
 昔から俳句手帳の類は持たず、「忘れた句は、自分とは縁がなかった句」などとうそぶいていた。本当はただの横着で、面倒くさがりやにすぎないのに。
 記憶力は、そんなに落ちていないと思うが、瞬時に思い出す力が、非常に鈍ってきたと痛感している。

 今日から、『荒川区文化祭俳句展示会』が始まり、一位から五位までと秀逸・佳作の合計、四十五句が、展示されていた。

      一 位  久々の母の便りや小鳥来る     千代美
      二 位  裸婦像の足より暮るる蓼の花    季 己
      三 位  菅笠の口に愁ひや風の盆      太 一
      四 位  手料理を持寄る主婦や十三夜    綾 子
      五 位  一輪車乗れて兄呼ぶ赤とんぼ    貞 子

 たしかに自分の句であった。記憶が一気によみがえった。
 応募締切の迫った九月二十日過ぎに詠んだものだ。
 この俳句展示会の一位作品は、子供や母を題材に詠んだ句が多いので、変人としてはまず、それらを排除し、公園の裸婦像を詠むことにした。
 裸婦像の近くで凝視していると‘エロじじい’と思われるので、少し離れたところから密かに観察を続けた。そう、何かを発見するまで……。
 日が翳り始めた。裸婦像の足元が暗くなりかけた。「よし、これだ」ということで、この光景を胸中に再現し、「裸婦像の足より暮るる」を得る。
 長年、俳句を声に出して読むクセをつけているので、今では身体がリズムを覚えていて、指折り数えなくとも、‘五・七・五’の韻律をもって口から飛び出してくる。
 問題は、季語を何にするかである。ふつうはその場にある物を持ってくるのだろうが、「絵を描くように、歌うように!」をモットーとしているので、五音の植物なら何でもOKというわけにはいかない。
 俳句は事実の報告や説明ではなく、胸中の絵であり、つぶやきである。
 発見した「足より暮るる」と「裸婦像」を生かすには、ある程度の花丈があり、華々しくなく、ひっそりした花……ということで、「蓼の花」にしたと記憶している。

 応募したことをすっかり忘れて、他に予定を入れてしまったので、11月3日の表彰式には出られない。
 この旨を会長さんに言うと、「なんとか出られませんか」とおっしゃる。
 「どうしても駄目なので、賞状と賞品は要りませんから」と応えたら、「あなたのような方は初めてです」と、あきれられてしまった。



      胸中の絵を言の葉に文化の日     季 己