秋はもの思いの季節である。
ことに寄せてしみじみと秋を感じ、物を見てしみじみ秋を思うことを「秋思(しゅうし)」という。人生の寂寥、生存の哀しみから発生するところのもの思いともいえる。心のゆらめきを感ずることが「秋思」の本意という。「秋あはれ」「秋淋し」などという季語もある。
この秋思五合庵よりつききたる 五千石
秋思は、露骨に言わないで、何とか句にこころを打ち出したいときに、重宝な季語である。並みの人が使うと陳腐になりやすいが、老練な人が使うと、素晴らしい効果を発揮する。上田五千石氏の上掲の句のように。
秋 思 (秋の思い) 張 籍
洛陽城裏見秋風 洛陽城裏秋風を見る
欲作家書意萬重 家書を作らんと欲して意(おも)い万重
復恐忽忽説不尽 また恐る忽忽(そうそう)説いて尽くさざるを
行人臨発又開封 行人発するに臨んで又封を開く
洛陽のまちに逗留するうちに、枝々の葉裏をひるがえし、木々の葉を
散らせ、秋風が渡るようすが見えるようになった。
郷里が無性に恋しくなり、手紙を書こうと思いたったが、募る思いに
あれこれと書きたいことばかり。
したためてはみたが、あわただしく書いたので、言い落としがないか
と気がかりだ。
ことづける旅人が出発するとき、もう一度、封を開いて点検しなおす
のである。
作者が洛陽の都に勤めていた際、秋風の気配に望郷の念にかられ、手紙を書こうとしたときの感慨をうたった詩である。故事の使用、情景・心理の描写が冴えている。
木々の様子に秋風を見る、という起句が心憎い。
晋の張翰(ちょうかん)は洛陽で、吹きはじめた秋風に、呉の郷土料理が懐かしくなり、「心にかなった生き方こそ大切。なんで遠い異郷に役人暮らしをし、名誉や地位を求めることがあろうか」といい、さっさと帰郷してしまったといわれる。
「秋風を見る」は、この故事を踏まえている、といわれる。張籍(ちょうせき)は、自分と同じ洛陽勤務、同姓、しかも同郷人かも知れぬ晋の張翰の故事を踏まえて、望郷の念にせかれる心中をたくみに想像させ、承句との間にも、心理の動きの自然な流れをつけている。
募る思いに胸中をすっかり語りつくせない(転句)、語りつくせぬから気がかりになり、手紙をことづける間際に、また封を開いてみる(結句)。
このように自然の流れの中に、あわただしさ、心残りが訴えられ、それが望郷の念を強める効果をあげている。
風に対する秋の気配の感覚をうたうとき、人はふつう聴覚的にとらえる。藤原敏行の「秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞ驚かれぬる」のように。
けれどもこの詩は「秋風を見る」といい、木々や落葉の様子から、風を目でとらえるという発想をみせている。この句はもちろん、故事を連想させる技法から生まれているが、叙景面でも一つの新しい方面を開いたものといえよう。
からまつの林をいそぐ秋の水 季 己
ことに寄せてしみじみと秋を感じ、物を見てしみじみ秋を思うことを「秋思(しゅうし)」という。人生の寂寥、生存の哀しみから発生するところのもの思いともいえる。心のゆらめきを感ずることが「秋思」の本意という。「秋あはれ」「秋淋し」などという季語もある。
この秋思五合庵よりつききたる 五千石
秋思は、露骨に言わないで、何とか句にこころを打ち出したいときに、重宝な季語である。並みの人が使うと陳腐になりやすいが、老練な人が使うと、素晴らしい効果を発揮する。上田五千石氏の上掲の句のように。
秋 思 (秋の思い) 張 籍
洛陽城裏見秋風 洛陽城裏秋風を見る
欲作家書意萬重 家書を作らんと欲して意(おも)い万重
復恐忽忽説不尽 また恐る忽忽(そうそう)説いて尽くさざるを
行人臨発又開封 行人発するに臨んで又封を開く
洛陽のまちに逗留するうちに、枝々の葉裏をひるがえし、木々の葉を
散らせ、秋風が渡るようすが見えるようになった。
郷里が無性に恋しくなり、手紙を書こうと思いたったが、募る思いに
あれこれと書きたいことばかり。
したためてはみたが、あわただしく書いたので、言い落としがないか
と気がかりだ。
ことづける旅人が出発するとき、もう一度、封を開いて点検しなおす
のである。
作者が洛陽の都に勤めていた際、秋風の気配に望郷の念にかられ、手紙を書こうとしたときの感慨をうたった詩である。故事の使用、情景・心理の描写が冴えている。
木々の様子に秋風を見る、という起句が心憎い。
晋の張翰(ちょうかん)は洛陽で、吹きはじめた秋風に、呉の郷土料理が懐かしくなり、「心にかなった生き方こそ大切。なんで遠い異郷に役人暮らしをし、名誉や地位を求めることがあろうか」といい、さっさと帰郷してしまったといわれる。
「秋風を見る」は、この故事を踏まえている、といわれる。張籍(ちょうせき)は、自分と同じ洛陽勤務、同姓、しかも同郷人かも知れぬ晋の張翰の故事を踏まえて、望郷の念にせかれる心中をたくみに想像させ、承句との間にも、心理の動きの自然な流れをつけている。
募る思いに胸中をすっかり語りつくせない(転句)、語りつくせぬから気がかりになり、手紙をことづける間際に、また封を開いてみる(結句)。
このように自然の流れの中に、あわただしさ、心残りが訴えられ、それが望郷の念を強める効果をあげている。
風に対する秋の気配の感覚をうたうとき、人はふつう聴覚的にとらえる。藤原敏行の「秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞ驚かれぬる」のように。
けれどもこの詩は「秋風を見る」といい、木々や落葉の様子から、風を目でとらえるという発想をみせている。この句はもちろん、故事を連想させる技法から生まれているが、叙景面でも一つの新しい方面を開いたものといえよう。
からまつの林をいそぐ秋の水 季 己