「銀杏」は、「いちょう」・「ぎんなん」の二通りの読み方がある。
俳句の場合は、「いちょう」は三音、「ぎんなん」は四音と音数が違うので、自ずと区別がつく。普通の文章では、前後から判断するより他なかろう。
北は黄に銀杏ぞ見ゆる大徳寺 召 波
秋が深まるにつれ、夏の緑からだんだんと黄ばんで来た銀杏の葉が、ひと霜受けると、明るい黄色となり、大きな樹木全体が黄金色の焔となって、秋の空に照り映えているのは、まばゆいばかりの壮観である。
大徳寺は、京都の北にある。京の町の人々には、大徳寺の大銀杏を、北山全体が黄金色に照り映えているものと見たことであろう。
大徳寺の東側を南北に通じる旧大宮通りは、京から上賀茂へ向かう古い道である。西側には大徳寺の石垣と土塀が伸び、東側の家並みにもまだ昔の息吹がいくらか残っている。この道を入ると、梶井門と呼ばれる門がある。ここから大徳寺へ入るのが好きだ。こんな所から入る人はないらしく、門内はいつも静かである。
ただ、変人の好みを言うなら、奈良の正倉院の庭の大銀杏ほど、素晴らしい銀杏黄葉はないと思っている。いま、ちょうど「正倉院展」が、奈良国立博物館で開かれている(11月10日まで)。帰りに正倉院まで足を伸ばし、大銀杏を見るのも一興かと思う。ただし、銀杏黄葉には、まだ早いとは思うが……。
また、鎌倉の鶴岡八幡宮の大銀杏も、思わず息を呑む素晴らしさがある。十二月のいい時期を見計らって、ぜひ、お出かけを!
銀杏散るまつただ中に法科あり 青 邨
鳩立つや銀杏落葉をふりかぶり 虚 子
やがて銀杏の葉は、木枯らしの風も待たずに、思い切りよく散ってしまうが、惜しみなく黄金を敷き詰めて、地上を明るくするものである。
銀杏の木は、わが国と中国の一部とに、ただ一種残された古代の樹木で、一億五千万年前のジュラ紀や、四、五千万年前の第三紀の地層から、銀杏に似たいろいろな木の化石が発見されている。
一億数千万年という長い歴史の間には、この地球上にも、何度か凄まじい変化が起きたであろうに、その変動に堪えて生き抜いてきた銀杏の生活力というものは、何と旺盛なものであったろう。
銀杏の実の銀杏(ぎんなん)には、三粒で鶏卵二個分の栄養価があるなどといわれる根拠が、そこにあるのであろう。
銀杏の木には、雌雄があって、雌の木の雌花がギンナンの実を熟させる。真丸い銀杏の実の果肉は、おそろしく臭い匂いがするもので、ギンナンの落ちた道を、うっかり踏みつけて歩こうものなら、洗濯糊の腐ったのとそっくりの悪臭を放つ。
清少納言が、『枕草子』第百三十四段「取りどころなきもの」の条に、「みぞひめの、古りたる」と挙げたのがそれである。
我々が喜んで食べる栄養価の高いギンナンとは、臭い果肉の中の仁(にん=胚葉)である。
銀杏の木は、その葉の美しさを楽しみ、木を材木として用い、種子を食用にするだけでなく、ことに日本人の生活には、いろいろと馴染みの深いものがある。
銀杏の葉は、書物の間に挟んで栞や虫除けにしたり、毛筆で和歌や俳句を書いて楽しみにした。また、お膳の脚などを銀杏の葉の形にしたものを銀杏脚と言うし、大根や蕪・人参などの包丁の入れ方にも銀杏切りがあり、女性の髪形には、銀杏返しや銀杏崩し・銀杏髷があり、大相撲の関取の大銀杏ときては、無くては叶わぬものである。その大相撲九州場所も、もう間もなく初日を迎える。
銀杏散る正倉院に白瑠璃碗 季 己
俳句の場合は、「いちょう」は三音、「ぎんなん」は四音と音数が違うので、自ずと区別がつく。普通の文章では、前後から判断するより他なかろう。
北は黄に銀杏ぞ見ゆる大徳寺 召 波
秋が深まるにつれ、夏の緑からだんだんと黄ばんで来た銀杏の葉が、ひと霜受けると、明るい黄色となり、大きな樹木全体が黄金色の焔となって、秋の空に照り映えているのは、まばゆいばかりの壮観である。
大徳寺は、京都の北にある。京の町の人々には、大徳寺の大銀杏を、北山全体が黄金色に照り映えているものと見たことであろう。
大徳寺の東側を南北に通じる旧大宮通りは、京から上賀茂へ向かう古い道である。西側には大徳寺の石垣と土塀が伸び、東側の家並みにもまだ昔の息吹がいくらか残っている。この道を入ると、梶井門と呼ばれる門がある。ここから大徳寺へ入るのが好きだ。こんな所から入る人はないらしく、門内はいつも静かである。
ただ、変人の好みを言うなら、奈良の正倉院の庭の大銀杏ほど、素晴らしい銀杏黄葉はないと思っている。いま、ちょうど「正倉院展」が、奈良国立博物館で開かれている(11月10日まで)。帰りに正倉院まで足を伸ばし、大銀杏を見るのも一興かと思う。ただし、銀杏黄葉には、まだ早いとは思うが……。
また、鎌倉の鶴岡八幡宮の大銀杏も、思わず息を呑む素晴らしさがある。十二月のいい時期を見計らって、ぜひ、お出かけを!
銀杏散るまつただ中に法科あり 青 邨
鳩立つや銀杏落葉をふりかぶり 虚 子
やがて銀杏の葉は、木枯らしの風も待たずに、思い切りよく散ってしまうが、惜しみなく黄金を敷き詰めて、地上を明るくするものである。
銀杏の木は、わが国と中国の一部とに、ただ一種残された古代の樹木で、一億五千万年前のジュラ紀や、四、五千万年前の第三紀の地層から、銀杏に似たいろいろな木の化石が発見されている。
一億数千万年という長い歴史の間には、この地球上にも、何度か凄まじい変化が起きたであろうに、その変動に堪えて生き抜いてきた銀杏の生活力というものは、何と旺盛なものであったろう。
銀杏の実の銀杏(ぎんなん)には、三粒で鶏卵二個分の栄養価があるなどといわれる根拠が、そこにあるのであろう。
銀杏の木には、雌雄があって、雌の木の雌花がギンナンの実を熟させる。真丸い銀杏の実の果肉は、おそろしく臭い匂いがするもので、ギンナンの落ちた道を、うっかり踏みつけて歩こうものなら、洗濯糊の腐ったのとそっくりの悪臭を放つ。
清少納言が、『枕草子』第百三十四段「取りどころなきもの」の条に、「みぞひめの、古りたる」と挙げたのがそれである。
我々が喜んで食べる栄養価の高いギンナンとは、臭い果肉の中の仁(にん=胚葉)である。
銀杏の木は、その葉の美しさを楽しみ、木を材木として用い、種子を食用にするだけでなく、ことに日本人の生活には、いろいろと馴染みの深いものがある。
銀杏の葉は、書物の間に挟んで栞や虫除けにしたり、毛筆で和歌や俳句を書いて楽しみにした。また、お膳の脚などを銀杏の葉の形にしたものを銀杏脚と言うし、大根や蕪・人参などの包丁の入れ方にも銀杏切りがあり、女性の髪形には、銀杏返しや銀杏崩し・銀杏髷があり、大相撲の関取の大銀杏ときては、無くては叶わぬものである。その大相撲九州場所も、もう間もなく初日を迎える。
銀杏散る正倉院に白瑠璃碗 季 己