壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

立冬

2008年11月07日 21時37分39秒 | Weblog
 冬が来た。
 暦の上では今日、十一月七日から冬に入るわけだが、日本の大半の地域ではまだ晩秋の気象である。
 その時候の冷たさ、厳しさそして暗さ、――そういったものが現代人の心を捉えるのであろうか。

        冬来れば大根を煮るたのしさあり     綾 子
        音たてて立冬の道掃かれけり       稚 魚
        海辺の町両手をひろげ冬が来る       眸

 冬の季節風が吹き出すのもこのころで、地方によっては初霜・初氷の報を聞くことも多くなる。日差しも弱く、日暮れも早くなり、冬を迎える緊張感を覚える。ことに朝など、冷気に身のひきしまることがあり、「今朝の冬」とは、そのような思いをもつ立冬の朝のことをいう。
 古典句のなかには数えるほどしかないこの季題が、今では、だれでも詠むものとなった。単なる流行であろうとは思われない。
 稚魚・眸の両先生は、変人の俳句の師で、眸先生から俳句の手ほどきを受け、「俳句は愛」「俳句は日記」を学んだ。また、稚魚先生からは、「俳句は省略して単純化」を教えられた。ただ、不肖の弟子であったことを今でも恥じている。

        あらたのし冬立つ窓の釜の音     鬼 貫
        百姓に花瓶売りけり今朝の冬     蕪 村

 ずしり、ずしりと近づく冬の足音を、いやおうなしに感じ取らされる最初の日が、暦の上の立冬なのである。
 立冬の数少ない古典句から、鬼貫・蕪村の句を掲げたが、俳聖芭蕉に立冬の句は一句もない。

        秋深き隣は何をする人ぞ     芭 蕉

    こうして旅のやどりに身を置いていると、深まった秋の寂しさの最中、
   静まり返った隣の家に、人の営みのひそかな気配が感じられる。いったい
   そこには何をする人が住んでいるのであろう。寂しさの底からしきりに人
   懐かしさを感じることだ。

 『笈日記』には、「明日の夜は、芝柏(しはく)が方にまねきおもふよしにて、ほつ句つかはし申されし」と前書があり、元禄七年(1694)九月二十八日にこの句を作り、明夜、芝柏の家で催される連句の会の発句として、芝柏に届けたことがわかる。
 体調不良のため、芝柏亭の俳席に出席できないのを見込んで、あらかじめ前日のうちに送った句のようである。必ずしもはじめから俳席用に詠んだものではなく、手持ちの作品を流用したものであったかもしれない。
 事実、翌二十九日から病臥し、二度と起き上がれなかった。
 季語は「秋深き」で、芭蕉の師であった北村季吟篇『増山井(ぞうやまのい)」の九月の部に「秋深き」を季題として挙げてある。
 
 隣り合って住んでいても、結局、人間はひとりひとりで、めいめいの営みをするだけだという寂しさと、同時に、やはり一人では生きて行けず、いつも誰かを求めている人恋しさとを、人間存在の本質として諦観し、それを晩秋の衰え行く自然のあわれとを重ね合わせて、重層的に把握した作品だと思う。
 さりげない、平易な表現の中に、芭蕉最晩年の底辺感情が揺曳していて、いわゆる「軽み」の極致といえよう。


      立冬の雀の胸の夕明り     季 己