壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

わけゆけば

2008年11月03日 21時41分04秒 | Weblog
 詩人、歌人、童謡・民謡作家の北原白秋は、昭和17年(1942)11月2日に亡くなった。昨日がその祥月命日であった。

 北原白秋が、浅間山麓を行ったときに生まれた作品として「落葉松」がある。

        からまつの林を出でて、
        からまつの林に入りぬ。
        からまつの林に入りて、
        また細く道はつづけり。
          *
        からまつの林の奥も
        わが通る道はありけり。
        霧雨のかかる道なり。
        山風のかよふ道なり。
          *
        からまつの林の道は
        われのみか、ひともかよひぬ。
        ほそぼそと通ふ道なり。
        さびさびといそぐ道なり。
          *
        からまつの林の雨は
        さびしけどいよよしづけし。
        かんこ鳥鳴けるのみなる。
        からまつの濡るるのみなる。

 季節は、夏にまだはやい六月ころ。作中に、「からまつの林を出でて、浅間嶺にけぶり立つ見つ」とあるから、これは浅間山麓の軽井沢あたりの落葉松林であったろう。この詩に出てくる素材めいたものは、細道、霧雨、かんこ鳥、浅間の煙などだが、どれもひっそりとしている。息をひそめたようなその声調の純粋なひびきは、おそらく幽玄の美を試みようとするものであったろう。

 浅間山麓の高原地帯はひろい。そのとき白秋はどのあたりを通っていたのだろう。今もかんこ鳥を聞くことはできる。霧雨のかかる日はある。山風も吹く。だが落葉松林は、ずっとずっと少なくなった。ひろく開墾されたところもあるが、別荘地として開発し、切売りされてしまったのである。

 この詩について白秋は、「落葉松の幽かなる、その風のこまかにさびしく物あはれなる、ただ心より心へと伝ふべし。また知らむ。その風はそのささやきは、また我が心の心のささやきなるを。読者よ。これらは声に出して歌ふべききはのものにあらず、ただ韻(ひびき)を韻とし、匂(にほひ)を匂とせよ」といっている。

 とかく迷いやすいのが「道」である。人生の毎日も、はじめての道だから迷わざるを得ない。
 禅語に「荊棘林中一条路(けいきょくりんちゅういちじょうのみち)」というのがある。荊棘林は、茨や枳殻などトゲやハリのある植物で、煩悩など求道者を悩ます障害を象徴する。さらに、既成概念の知識や理論も、直感的体験をはばむ荊棘林である。
 茨や枳殻が、われわれの衣服をほころばせ、手足を傷つけるように、煩悩や知性が、求道者の行く手をさえぎるから、禅者は常に警戒を怠らず、修行に励むことが求められるゆえんである。

 この語を道歌にしたのが、西国三十三番の第四番の札所、槇尾山施福寺の詠歌ではなかろうか。
        みやまじや ひばらまつばら わけゆけば
          まきのを寺に こまぞいさめる

 この札所を目の前にして胸を突く急坂が、巡礼を厳しい表情で迎える。途中にも“檜原越え”の難所がある。「ひばらまつばら」が、すなわち荊棘林だ。
 大切なのは、「わけゆけば」の行く手を切り開く静かな情熱であろう。それによって目的の頂へ達することができ、「こまぞいさめる」となる。「こま」は当時の馬であるが、心の馬――意馬にも通じる。
 「意馬心猿(いばしんえん)」の熟語があるように、煩悩や欲情の抑え難いのを、馬の暴走や猿の騒ぎ立てるのに、たとえているのだ。だから「こまぞいさめる」は、目的地に達した喜びとともに、心を諌(勇)めるにかけている。

 北原白秋の「落葉松」の詩を読むたびに、「わけゆけば」の詠歌を思い出す。
 荒野の道(路)は、自分が「わけいって」こそ、道となるのであるから。


      地に足が着き かはたれの蓼の花     季 己