詩人、歌人、童謡・民謡作家の北原白秋は、昭和17年(1942)11月2日に亡くなった。昨日がその祥月命日であった。
北原白秋が、浅間山麓を行ったときに生まれた作品として「落葉松」がある。
からまつの林を出でて、
からまつの林に入りぬ。
からまつの林に入りて、
また細く道はつづけり。
*
からまつの林の奥も
わが通る道はありけり。
霧雨のかかる道なり。
山風のかよふ道なり。
*
からまつの林の道は
われのみか、ひともかよひぬ。
ほそぼそと通ふ道なり。
さびさびといそぐ道なり。
*
からまつの林の雨は
さびしけどいよよしづけし。
かんこ鳥鳴けるのみなる。
からまつの濡るるのみなる。
季節は、夏にまだはやい六月ころ。作中に、「からまつの林を出でて、浅間嶺にけぶり立つ見つ」とあるから、これは浅間山麓の軽井沢あたりの落葉松林であったろう。この詩に出てくる素材めいたものは、細道、霧雨、かんこ鳥、浅間の煙などだが、どれもひっそりとしている。息をひそめたようなその声調の純粋なひびきは、おそらく幽玄の美を試みようとするものであったろう。
浅間山麓の高原地帯はひろい。そのとき白秋はどのあたりを通っていたのだろう。今もかんこ鳥を聞くことはできる。霧雨のかかる日はある。山風も吹く。だが落葉松林は、ずっとずっと少なくなった。ひろく開墾されたところもあるが、別荘地として開発し、切売りされてしまったのである。
この詩について白秋は、「落葉松の幽かなる、その風のこまかにさびしく物あはれなる、ただ心より心へと伝ふべし。また知らむ。その風はそのささやきは、また我が心の心のささやきなるを。読者よ。これらは声に出して歌ふべききはのものにあらず、ただ韻(ひびき)を韻とし、匂(にほひ)を匂とせよ」といっている。
とかく迷いやすいのが「道」である。人生の毎日も、はじめての道だから迷わざるを得ない。
禅語に「荊棘林中一条路(けいきょくりんちゅういちじょうのみち)」というのがある。荊棘林は、茨や枳殻などトゲやハリのある植物で、煩悩など求道者を悩ます障害を象徴する。さらに、既成概念の知識や理論も、直感的体験をはばむ荊棘林である。
茨や枳殻が、われわれの衣服をほころばせ、手足を傷つけるように、煩悩や知性が、求道者の行く手をさえぎるから、禅者は常に警戒を怠らず、修行に励むことが求められるゆえんである。
この語を道歌にしたのが、西国三十三番の第四番の札所、槇尾山施福寺の詠歌ではなかろうか。
みやまじや ひばらまつばら わけゆけば
まきのを寺に こまぞいさめる
この札所を目の前にして胸を突く急坂が、巡礼を厳しい表情で迎える。途中にも“檜原越え”の難所がある。「ひばらまつばら」が、すなわち荊棘林だ。
大切なのは、「わけゆけば」の行く手を切り開く静かな情熱であろう。それによって目的の頂へ達することができ、「こまぞいさめる」となる。「こま」は当時の馬であるが、心の馬――意馬にも通じる。
「意馬心猿(いばしんえん)」の熟語があるように、煩悩や欲情の抑え難いのを、馬の暴走や猿の騒ぎ立てるのに、たとえているのだ。だから「こまぞいさめる」は、目的地に達した喜びとともに、心を諌(勇)めるにかけている。
北原白秋の「落葉松」の詩を読むたびに、「わけゆけば」の詠歌を思い出す。
荒野の道(路)は、自分が「わけいって」こそ、道となるのであるから。
地に足が着き かはたれの蓼の花 季 己
北原白秋が、浅間山麓を行ったときに生まれた作品として「落葉松」がある。
からまつの林を出でて、
からまつの林に入りぬ。
からまつの林に入りて、
また細く道はつづけり。
*
からまつの林の奥も
わが通る道はありけり。
霧雨のかかる道なり。
山風のかよふ道なり。
*
からまつの林の道は
われのみか、ひともかよひぬ。
ほそぼそと通ふ道なり。
さびさびといそぐ道なり。
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からまつの林の雨は
さびしけどいよよしづけし。
かんこ鳥鳴けるのみなる。
からまつの濡るるのみなる。
季節は、夏にまだはやい六月ころ。作中に、「からまつの林を出でて、浅間嶺にけぶり立つ見つ」とあるから、これは浅間山麓の軽井沢あたりの落葉松林であったろう。この詩に出てくる素材めいたものは、細道、霧雨、かんこ鳥、浅間の煙などだが、どれもひっそりとしている。息をひそめたようなその声調の純粋なひびきは、おそらく幽玄の美を試みようとするものであったろう。
浅間山麓の高原地帯はひろい。そのとき白秋はどのあたりを通っていたのだろう。今もかんこ鳥を聞くことはできる。霧雨のかかる日はある。山風も吹く。だが落葉松林は、ずっとずっと少なくなった。ひろく開墾されたところもあるが、別荘地として開発し、切売りされてしまったのである。
この詩について白秋は、「落葉松の幽かなる、その風のこまかにさびしく物あはれなる、ただ心より心へと伝ふべし。また知らむ。その風はそのささやきは、また我が心の心のささやきなるを。読者よ。これらは声に出して歌ふべききはのものにあらず、ただ韻(ひびき)を韻とし、匂(にほひ)を匂とせよ」といっている。
とかく迷いやすいのが「道」である。人生の毎日も、はじめての道だから迷わざるを得ない。
禅語に「荊棘林中一条路(けいきょくりんちゅういちじょうのみち)」というのがある。荊棘林は、茨や枳殻などトゲやハリのある植物で、煩悩など求道者を悩ます障害を象徴する。さらに、既成概念の知識や理論も、直感的体験をはばむ荊棘林である。
茨や枳殻が、われわれの衣服をほころばせ、手足を傷つけるように、煩悩や知性が、求道者の行く手をさえぎるから、禅者は常に警戒を怠らず、修行に励むことが求められるゆえんである。
この語を道歌にしたのが、西国三十三番の第四番の札所、槇尾山施福寺の詠歌ではなかろうか。
みやまじや ひばらまつばら わけゆけば
まきのを寺に こまぞいさめる
この札所を目の前にして胸を突く急坂が、巡礼を厳しい表情で迎える。途中にも“檜原越え”の難所がある。「ひばらまつばら」が、すなわち荊棘林だ。
大切なのは、「わけゆけば」の行く手を切り開く静かな情熱であろう。それによって目的の頂へ達することができ、「こまぞいさめる」となる。「こま」は当時の馬であるが、心の馬――意馬にも通じる。
「意馬心猿(いばしんえん)」の熟語があるように、煩悩や欲情の抑え難いのを、馬の暴走や猿の騒ぎ立てるのに、たとえているのだ。だから「こまぞいさめる」は、目的地に達した喜びとともに、心を諌(勇)めるにかけている。
北原白秋の「落葉松」の詩を読むたびに、「わけゆけば」の詠歌を思い出す。
荒野の道(路)は、自分が「わけいって」こそ、道となるのであるから。
地に足が着き かはたれの蓼の花 季 己