壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

藪柑子

2008年11月22日 21時58分33秒 | Weblog
 冬の山道を歩いて、ふと崖を見上げると、褐色に塗り潰された冬枯れの藪蔭に、僅かに残る緑の葉の間に、美しい紅色の実が、ちらちらと見え隠れしている。藪柑子だ。いじらしくもあり、懐かしい気持がして、足を止める。
 南天の実にも似て、なお可憐な美しさと、これはまた、木というにはあまりにも小ぶりな、15センチほどの小潅木、これが藪柑子なのである。

 藪柑子は、昔は山橘(やまたちばな)と呼ばれていた。また、深見草とも言ったらしい。そういえば、柑子も橘も、ともに柑橘類の植物であり、『萬葉集』巻四に見える、
        あしびきの 山橘の 色に出でよ
          語らひ次ぎて 逢ふこともあらむ
 という春日王(かすがのおおきみ)の歌は、恋する者が恋の成就を祈った歌ではあるが、その恋心が、はっきりと表に現われる意味の「色に出でよ」と言う言葉は、この藪柑子の実の、鮮やかに目立つ紅色にかけて用いられたものである。
 同じく巻十九にある大伴家持の、
        この雪の 消遺る時に いざゆかな
          山橘の 実の照るも見む
 という歌は、雪深い山道の雪がようやく消え残るばかりになって、その雪間から藪柑子の実が鮮やかな紅に輝くのを見がてらに、山越しに、恋人のもとへ急ごうという、ひたむきな恋心を歌ったものである。

 この山橘が、いつの頃から藪柑子と呼ばれるようになったか、正確なことはわからない。京都あたりでは、室町時代にも、まだ山橘の名で庭園に栽培されていたことが知られるが、元禄時代の江戸ではすでに、藪柑子の名が通っていたようで、多くの園芸品種が作り出されていたようだ。

 芭蕉の弟子の杉風(さんぷう)の句にもあるが、古くから藪柑子は、正月飾りにも使われている。
 紅い実がふつうだが、白い実のなる白実藪柑子、葉に白と淡紅色がまじる三色藪柑子がある。


      鎮魂の歌かちらちら藪柑子     季 己