壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

小春日和

2008年11月02日 20時02分18秒 | Weblog
 十一月三日は文化の日。これはもともと明治天皇の誕生日で、明治時代には天長節、太平洋戦争が終わるまでは、明治節とされた。
 戦後、国民の祝日に関する法律によって、自由と平和を愛し、文化をすすめる祭日とされた。
 この日は、各地で文化祭が開かれる。各種のサークル活動の発表会になったり、地方では、民芸品や文化財の展示があったりして、指導する立場にある人たちの腕の見せどころにもなっている。
 制定当初のこの日の意義よりも、そうした文化活動の一つの節目として、今は、国民の中に根強く定着した。
 母は、明治節の式歌だと言って「亜細亜の東、日出づるところ……」と歌うが、荘重な七七調のメロディーは、昭和一桁や大正生まれの人たちの胸の中に、いまもなお残っているのであろう。

 特異日というか、不思議な巡り合わせというか、この日は実に、晴天に恵まれることの多い日なのであるが、さて今年は……?
 陰暦十月、陽暦の十一月には、烈しい風も吹かず、雨も少なく、ぽかぽかとしたよい日和が続くので、これを小春日和という。十一月三日は、その小春日和を象徴したような好日に恵まれることの多い日なのである。

 日差しのあたたかい縁側の障子には、残る命の短さも知らず、蜂や虻が、心地よげに翅をつくろっている。
        虻の影障子にとまる小春かな     也 有

 葉陰の蓑虫さえ、あたたかさに身体を乗り出し、糸を伸ばして地面へ降りて来る。
        蓑虫に人だかりする小春かな     梅 室

 寄せては返す波の音を遠く聞きながら、このあたたかさに、日がな一日うつらうつらとしている。
        海の音一日遠き小春かな     暁 台

 京都、円山公園から知恩院の南門を入ると、胸のすくような広壮な眺めが開ける。全国最大を誇る三門が、高い石段の上に堂々と、かつすっきり姿を現し、左右に松林、背景に東山、前は広々として、さすがにこれほどの正面観の荘美は、京都にも奈良にも他では見られない。
 門内の高い石段を登りつめると、浄土宗総本山知恩院の伽藍中心部である。南面する大きいお堂は本堂で、円光大師法然上人の御影を安置する。左手へ廊下づたいに阿弥陀堂へ通じるが、ここでも宗祖をまつる堂を本堂として、格別に大きく造られているところに、民衆と結んで多くの信者を迎える気持が溢れている。
 その知恩院に、あたたかい、ありがたい小雨が降っている。
        降る雨も小春なりけり知恩院     一 茶

 遠くを見渡すと、比良の山々は、うっすらと雪をかぶっているのに、湖の表面には、霞さえ立ち込めて、ふと春かと思われるほどの暖かさである。
        湖を抱いて近江の小春かな     鳴 雪

 体調がすぐれず、のびのびになってしまったお礼参りの帰り詣。今日はあたたかく気分もいいので、帰り詣に出かけてみようか。
        のびのびし帰り詣や小六月     子 規

 小春は、「小六月(ころくがつ)」ともいい、陰暦十月の異称ともなっている。
 立冬を過ぎて、日ごとに寒さが加わる中にも、よく晴れて風も穏やかな日和が続くことがある。これが「小春日和」。
 「小春日」というと、その中の一日のことをいい、またその日差しの意ともなる。小春風・小春空・小春凪などと使う。


      道に二羽 鳩のふくるる小春かな     季 己