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漢検1級198点!! 満点取るまで生涯学習!! ➪ “俳句”

我孫子・手賀沼と愛猫レオンの徒然日記。漢検1級チャレンジャーの方の参考となるブログ。2018年7月から“俳句”も開始。

漢検1級 27-③に向けて その119  文章題訓練㊽

2016年01月23日 | 文章題
日本漢字能力検定(漢検) ブログランキングへ
<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その119>
●「文章題訓練」その㊽です。復習・おさらい用にどうぞ👍
●難度は・・・チャレンジャーは80%(24点)以上が目標・・・。リピーターは限りなく90%以上とりたい(^^)

●文章題㊽:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10
(A)
「・・・薬師寺の裏門から六条村へ出て、それからまっすぐに東へ、佐保川の流域である泥田の原のなかの道を、俥にゆられながら帰る。(ア)暮靄につつまれた大和の山々は、さすがに古京の夕らしい哀愁をそそるが、目を落として一面の泥田をながめやると、これがかつて都のただ中であったのかと驚く。佐保川の河床が高まって、昔の(1)コウソウな地を今の湿地に変えたのかも知れない。しかしまた都のうちに水田もあったらしい奈良京の大半は、当初からこの種の湿地であったとも考えられる。もしこの想像に相当の根拠が与えられるならば、このことは奈良京が短命であった理由として看過し難い。史家は政治上の理由や古来の遷都思想のみからこの点を説こうとしているが、この湿地の不健康性はもっと根本的な理由となり得たはずである。天平の中ごろに(2)ショウケツをきわめた疫瘡の流行は、特に猛烈にこの湿地を襲ったであろう。次いで起こった光明后の大患も、同じくこの湿地の間接の影響に基づいたのでないとはいえまい。この時に恭仁遷都の議が起こったのは、単に藤原氏の勢力を駆逐しようとする一派の貴族の策略とのみは考えられぬ。・・・
・・・この時代にも(3)ケッパツや衣服の唐風化が急速に行われた。それは外形のことに過ぎない。しかし外形の変革はやがて内部の変革を呼び出さずにはいなかったのである。
・・・さらに新人の(4)ユウなるものは、道昭、智通、定慧などの僧侶である。道昭は古い帰化人の(イ)裔であり、定慧は鎌足の子であるが、共に唐に入って(ウ)玄三蔵に学び、当時の世界文化の絶頂をきわめて来た。彼らのもたらしたものが単に法相宗の教義のみでなかったことはいうまでもない。
・・・掛かりの館員は愛想よく迎えて挨拶がすむと、さて何を出しましょう、まず法華寺三尊、さよう、どうしてもあれですな。館丁は命をうけて(5)キッキュウジョとして出て行く。それから何にしましょう、西大寺の十二天、さよう、(6)イップクでいいとなるとまず水天ですかな、まあそうでしょうな、それから、薬師寺の(7)キッショウテン、さよう、あれも代表的のものですからな、それから信貴山縁起、ようがす、それから、それだけですか、なにおよろしければいくらでも出しますよ。
・・・わたくしが初めてこの画を見た時には(8)バンを持った童子の画と共にガラス戸の中に掛けてあった。その朝奈良停車場に着いてすぐに博物館を訪れ、推古から鎌倉までのさまざまな彫刻をながめ暮らしたのであるが、閉館の時刻の迫った時に急いで画の陳列してある方へ行ってこの画にぶつかったのである。そこは窓のない室で幾分薄暗かった。しかしバンを持った童子の美しさはわたくしの目を引かないではいなかった。(エ)胡粉のはげかかった白い顔の愛らしさ、優しい姿をつつむ衣の白緑や緑青の古雅なにおい、暗緑の地に浮き出ている蓮の花びらの大気に漂う静かな心持ち、吹き流されている赤いバンに感ぜられる運動の微妙さ。わたくしはしばらくその前を動かなかった。やがて迫って来る時間に気づいて、中尊の阿弥陀像に(9)イチベツをくれたまま、急いでその室を立ち去った。阿弥陀像の印象として残ったのは体がいやに扁平なことと眼が特に目立っていながら顔がおもしろくないことぐらいなものであった。もちろんこの画が中尊で童子の画がそれに属していることなどはその時は知らなかった。・・・」「古寺巡礼」(和辻哲郎)
(B)
「・・・鏡の中なる遠柳の枝が風に靡いて動く間あいだに、忽ち(オ)銀の光がさして、熱き埃を薄く揚げ出す。銀の光りは南より北に向って真一文字にシャロットに近付いてくる。女は小羊を覘(ねら)う鷲の如くに、影とは知りながら瞬きもせず鏡の裏を見詰むる。十丁にして尽きた柳の木立を風の如くに駈け抜けたものを見ると、鍛え上げた鋼の鎧に満身の日光を浴びて、同じ兜との鉢金よりは尺に余る白き毛を、飛び散れとのみさんさんと靡かしている。栗毛の駒の逞しきを、頭も胸も革に(カ)裹みて飾れる鋲の数は篩い落せし秋の夜の(10)セイシュクを一度に集めたるが如き心地である。女は息を凝らして眼を据える。・・・
 曲がれる堤に沿うて、馬の首を少し左へ向け直すと、今までは横にのみ見えた姿が、真正面に鏡にむかって進んでくる。太き槍をレストに収めて、左の肩に盾を懸けたり。女は領を延ばして盾に描ける模様を(キ)確と見分けようとする体であったが、かの騎士は何の会釈もなくこの鉄鏡を突き破って通り抜ける勢いで、いよいよ目の前に近づいた時、女は思わず(ク)梭(ケ)抛げて、鏡に向って高くランスロットと叫んだ。ランスロットは兜の廂の下より耀く眼を放って、シャロットの高き(コ)台を見上げる。爛々たる騎士の眼と、針を束ねたる如き女の鋭き眼とは鏡の裡にてはたと出合った。この時シャロットの女は再び「サー・ランスロット」と叫んで、忽ち窓の傍に馳け寄って蒼き顔を半ば世の中に突き出だす。人と馬とは、高き台の下を、遠きに去る地震の如くに馳け抜ける。・・・」」「薤露行」(夏目漱石)
👍👍👍 🙊 👍👍👍

(1)高燥 (2)猖獗 (3)結髪 (4)尤 (5)鞠躬如 (6)一幅 (7)吉祥天 (8)幡 (9)一瞥 (10)星宿
(ア)ぼあい (イ)すえ (ウ)げんじょう (エ)ごふん (オ)しろがね (カ)つつ (キ)しか (ク)ひ (ケ)な (コ)うてな
👍👍👍 🙊 👍👍👍
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漢検1級 27-③に向けて その118  文章題訓練㊼

2016年01月23日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その118>
●「文章題訓練」その㊼です。復習・おさらい用にどうぞ👍
●難度は・・・チャレンジャーは80%(24点)以上が目標・・・。リピーターは限りなく90%以上とりたい(^^)

●文章題㊼:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10

(A)
「・・・楓だけでもそれぐらいであるが、東山の落葉樹から見れば楓はほんの一部分である。新緑のころ、東山の常緑樹の間に(ア)点綴されていかにも(1)モウシュンらしい感じを醸し出す落葉樹は、葉の大きいもの、中ぐらいのもの、小さいものといろいろあったが、それらは皆同じように、新芽の色から若葉の色までの変遷と展開を五月の上句までに終えるのである。そうしてそのあとに常緑樹の新芽が目立ち始める。椎とか(イ)樫とかの新芽である。前に言ったように椎の新芽の黄金色が、むくむくと盛り上がったような形で東山の山腹のあちこちに目立ってくるのは、ちょうどこのころである。やがてその新芽がだんだん延びて、常磐樹らしく落ちついた、光沢のある新緑の葉を展開し終えるころには、落葉樹の若葉は深い緑色に落ちついて、もう色の動きを見せなくなる。そうなるともうすぐに五月雨の季節である。栗の花や椎の花が黄金色に輝いて人目をひくのはそのころである。
・・・ 
少しずつ黄色が目立ちはじめるのは、十月になってからであったと思う。新緑の時に樹の種類によって遅速があり、またその新芽の色を著しく異にしていたように、緑があせて黄色が勝ち始める時期も、またその黄色の色調も、樹によってそれぞれ違う。十月の中ごろにはそういう相違がはっきりと感じられるようになる。(ウ)楢であったか、形のいい大きい葉で、実に純粋な美しい黄色を見せるのもあった。それから(2)ハゼのような真紅な色になる葉との間に、実にさまざまな段階、さまざまな種類がある。それが大きい樹にも見られれば、下草の小さい木にも見られる。
・・・
こういう雪景色と交錯して、二月の初め、立春の日の少し前あたりから、池の鯉が動きはじめ、小鳥がしきりに庭先へ来る。そういう季節が、紅葉と新緑とから最も(エ)距たっていて、そうして最も落ちついた、地味な美しさのある時である。昔の人はちょうどそのころに年の始めを祝ったのであった。・・・」「京の四季」(和辻哲郎)

(B)
「 数多き観音像、観音崇拝――写実――百済観音
 推古天平室に佇立したわたくしは、今さら、観音像の多いのに驚いた。
聖林寺観音の左右には大安寺の不空羂索観音や楊柳観音が立っている。それと背中合わせにわが百済観音が、(3)ヒョウビョウたる雰囲気を漂わしてたたずむ。これは虚空蔵と呼ぶのが正しいのかも知れぬが、伝に従ってわれわれは観音として感ずる。その右に立っている法輪寺虚空蔵は、百済観音と同じく左手に(オ)澡瓶を把り、右の肱を曲げ、(カ)掌を上に向けて開いている。これも観音の範疇に入りそうである。さらに百済観音の左には、薬師寺(?)の、破損はひどいが稀有に美しい木彫の観音があって、ヴィナスの(4)エンビにも似た印象をわれわれに与える。その後方には法隆寺の小さい観音が立っている。
 目を転じて室の西南隅に向かうと、そこには大安寺の、(5)シャクジョウを持った女らしい観音や一輪の蓮花を携えた男らしい観音などが、ズラリと並んでいる。さらに目を転じて室の北壁に向かうと、そこにも唐招提寺などの木彫の観音が、あたかも整列せしめられたごとくに、並び立っている。室の中央には法隆寺の小さい金銅観音が、奇妙な微笑を口元に浮かべつつ、台上のところどころにたたずんでいる。岡寺の観音は(6)ハンカの膝に肱をついて、夢みるごとき、和やかな瞑想にふける。それが(7)ミロクであるとしても、われわれの受ける印象は依然として観音である。
・・・
天武帝は壬申の乱を通じて即位せられたために、古来史家の間にさまざまの論議をひき起こしてはいるが、われわれにとっては他の意味で興味の深い代表的人物である。第一に、帝は万葉の歌人として名高い。額田王に送って(8)センザイの後に物議の種を残した有名な恋歌「紫の匂へる妹を憎くあらば人妻ゆゑに吾れ恋めやも、」の一首は、帝の情熱的な性質を語って(9)ヨウンがない。その情熱はまた仏教を信ずる上にも現われた。
・・・
カラ風呂――光明后施浴の伝説――蒸し風呂の伝統
 法華寺の境内に光明皇后施浴の伝説を負うた浴室がある。いわゆるカラ風呂である。・・・これがつまり浴槽であって、そのなかへ、床板の下から湧出する蒸気が、充満する仕掛けになっている。純然たる蒸し風呂である。
 この構造が天平時代のものをそのまま伝えているのかどうかはわからない。東側のたき口は西洋(キ)竈風に煉瓦を積んで造ってあったし、北側の隅には現在の尼僧が常用するコンクリート造りの長州風呂が設けてあった。この種の改良が千年にわたって少しずつ試みられたとすれば、これによって原形を想像するのは危険な話である。しかしこの「蒸し風呂としての構造」だけは昔の面影を伝えていはしまいか。少なくともこれに似寄った蒸し風呂が光明皇后の時代に存在したということは確かではなかろうか。
 この浴室に光明皇后施浴の図が額にして掲げてある。現在の銭湯と同じ構造の浴室に偏体(10)カイライの病人がうずくまり、十二ひとえに身を装うた皇后がその側に佇立している図である。光明皇后の十二ひとえも時代錯誤でおかしいが、この蒸し風呂の設備と相面して銭湯風の浴室が画いてあるのは、愛嬌を通り越してむしろ皮肉に感ぜられた。しかし実のところわれわれは光明皇后施浴の伝説を、漠然とこの図のように想像していたのである。施浴が蒸し風呂であるとすると、われわれも考えなおさなくてはならない。
・・・しかし伝説は単にそういう「施浴」を語るだけにとどまってはいないのである。『元亨釈書』などの伝える所によると、――東大寺が完成してようやく慢心の生じかけていた光明后は、ある夜(ク)閤裏空中に「施浴」をすすむる声を聞いて、恠喜(かいき)して温室を建てられた。しかしそればかりでなく同時に「我親ら千人の垢を去らん」という誓いを立てられた。もちろん周囲からはそれを諫止したが、后の志をはばむことはできなかった。かくて九百九十九人の垢を流して、ついに最後の一人となった。それが体のくずれかかったカイライで、臭気充室というありさまであった。さすがの后も躊躇せられたが、千人目ということにひかされてついに辛抱して玉手をのべて背をこすりにかかられた。すると病人が言うに、わたくしは悪病を患って永い間この(ケ)瘡に苦しんでおります。ある良い医者の話では、誰か人に膿を吸わせさえすればきっと癒るのだそうでございます。が、世間にはそんな慈悲深い人もございませんので、だんだんひどくなってこのようになりました。お后様は慈悲の心で人間を平等にお救いなされます。このわたくしもお救い下されませぬか。――后は天平の美的精神を代表する。その官能は馥郁たる熱国の香料と滑らかな玉の肌ざわりと釣り合いよき物の形とに慣れている。いかに慈悲のためとはいっても癩病人の肌に唇をつけることは堪えられない。しかしそれができなければ、今までの行はごまかしに過ぎなくなる。きたないから救ってやれないというほどなら、最初からこんな企てはしないがいい。信仰を捨てるか、美的趣味をふみにじるか。この二者択一に押しつけられた后は、不レ得レ已、癩病の体の頂の瘡に、天平随一の朱唇を押しつけた。そうして膿を吸って、それを美しい歯の間から吐き出した。かくて瘡のあるところは、肩から胸、胸から腰、ついに(コ)踵にまでも及んだ。偏体の賤人の土足が女のなかの女である人の唇をうけた。さあ、これでみな吸ってあげた。このことは誰にもおいいでないよ。――病人の体は、突然、端厳な形に変わって、明るく輝き出した。・・・」「古寺巡礼」(和辻哲郎)
👍👍👍 🙊 👍👍👍

(1)孟春 (2)櫨 (3)縹渺 (4)艶美 (5)錫杖 (6)半跏 (7)弥勒 (8)千載 (9)余蘊 (10)疥癩
(ア)てんてい(てんてつ) (イ)かし (ウ)なら (エ)へだ (オ)そうへい(そうびょう) (カ)たなごころ (キ)かまど (ク)こうり (ケ)かさ(くさ) (コ)かかと
👍👍👍 🙊 👍👍👍

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漢検1級 27-③に向けて その117  文章題訓練㊻

2016年01月22日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その117>
●「文章題訓練」その㊻です。復習・おさらい用にどうぞ👍
●難度は・・・チャレンジャーは80%(24点)以上が目標・・・。リピーターは限りなく90%以上とりたい(^^)

●文章題㊻:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10

「・・・ 後五年、昭帝の始元六年の夏、このまま人に知られず北方に(1)キュウシすると思われた蘇武が偶然にも漢に帰れることになった。漢の天子が上林苑中で得た雁の足に蘇武の(2)ハクショがついていた云々というあの有名な話は、もちろん、蘇武の死を主張する単于を説破するためのでたらめである。十九年前蘇武に従って胡地に来た常恵という者が漢使に遭って蘇武の生存を知らせ、この嘘をもって武を救い出すように教えたのであった。さっそく北海の上に使いが飛び、蘇武は単于の庭につれ出された。李陵の心はさすがに動揺した。ふたたび漢に戻れようと戻れまいと蘇武の偉大さに変わりはなく、したがって陵の心の(ア)笞たるに変わりはないに違いないが、しかし、天はやっぱり見ていたのだという考えが李陵をいたく打った。見ていないようでいて、やっぱり天は見ている。彼は粛然として(イ)懼れた。今でも、己れの過去をけっして非なりとは思わないけれども、なおここに蘇武という男があって、無理ではなかったはずの己れの過去をも恥ずかしく思わせることを堂々とやってのけ、しかも、その跡が今や天下に顕彰されることになったという事実は、なんとしても李陵にはこたえた。胸をかきむしられるような女々しい己れの気持が(3)センボウではないかと、李陵は極度に惧れた。
 別れに臨んで李陵は友のために宴を張った。いいたいことは山ほどあった。しかし結局それは、胡こに降ったときの己れの志が(4)ナヘンにあったかということ。その志を行なう前に故国の一族が(5)リクせられて、もはや帰るに由なくなった事情とに尽きる。それを言えば愚痴になってしまう。彼は一言もそれについてはいわなかった。ただ、宴(ウ)酣にして堪えかねて立上がり、舞いかつ歌うた。
歌っているうちに、声が(6)フルえ涙が頬を伝わった。女々しいぞと自ら叱りながら、どうしようもなかった。
 蘇武は十九年ぶりで祖国に帰って行った。
・・・司馬遷はその後も(エ)孜々として書き続けた。
 この世に生きることをやめた彼は書中の人物としてのみ活きていた。現実の生活ではふたたび開かれることのなくなった彼の口が、魯仲連の舌端を借りてはじめて烈々と火を噴くのである。あるいは伍子胥となって己が眼を(オ)抉らしめ、あるいは藺相如となって秦王を叱し、あるいは太子丹となって泣いて荊軻を送った。楚の屈原の憂憤を叙して、そのまさに(カ)汨羅に身を投ぜんとして作るところの懐沙之賦を長々と引用したとき、司馬遷にはその賦がどうしても己れ自身の作品のごとき気がしてしかたがなかった。
 稿を起こしてから十四年、(7)フケイ(キ)禍いに遭ってから八年。都では(ク)巫蠱の獄が起こり戻太子の悲劇が行なわれていたころ、父子相伝のこの著述がだいたい最初の構想どおりの通史がひととおりでき上がった。これに増補(8)カイサン推敲を加えているうちにまた数年がたった。史記百三十巻、五十二万六千五百字が完成したのは、すでに武帝の崩御に近いころであった。
 列伝第七十太史公自序の最後の筆を擱いたとき、司馬遷は几に凭ったまま(ケ)惘然とした。深い溜息が腹の底から出た。目は庭前の(コ)槐の茂みに向かってしばらくはいたが、実は何ものをも見ていなかった。うつろな耳で、それでも彼は庭のどこからか聞こえてくる一匹の蝉の声に耳をすましているようにみえた。歓びがあるはずなのに気の抜けた漠然とした寂しさ、不安のほうが先に来た。
 完成した著作を官に納め、父の墓前にその報告をするまではそれでもまだ気が張っていたが、それらが終わると急に酷い虚脱の状態が来た。(9)ヒョウイの去った(10)フシャのように、身も心もぐったりとくずおれ、まだ六十を出たばかりの彼が急に十年も年をとったように耄(ふ)けた。武帝の崩御も昭帝の即位もかつてのさきの太史令司馬遷の脱殻にとってはもはやなんの意味ももたないように見えた。前に述べた任立政らが胡地に李陵を訪ねて、ふたたび都に戻って来たころは、司馬遷はすでにこの世に亡なかった。」「李陵」(中島敦)
👍👍👍 🙊 👍👍👍

(1)窮死 (2)帛書 (3)羨望 (4)那辺(奈辺) (5)戮 (6)顫(震) (7)腐刑 (8)改刪 (9)憑依 (10)巫者
(ア)しもと (イ)おそ (ウ)たけなわ (エ)しし (オ)えぐ (カ)べきら (キ)わざわ (ク)ふこ (ケ)ぼうぜん (コ)えんじゅ
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漢検1級 27-③に向けて その116  文章題訓練㊺

2016年01月22日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その116>
●「文章題訓練」その㊺です。復習・おさらい用にどうぞ👍
●難度はかなり易・・・チャレンジャーは80%(24点)以上はとりたい・・・。リピーターは限りなく100%とりたい(^^)

●文章題㊺:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10

「・・・街へ下りてニュウスを聞く。流説(1)フンプン。昨夜遅く太鼓が響き、人々は武器を取ってムリヌウに  (ア)馳せつけたが、何事もなかったと。今の所、アピア市には、事なし。市参事官に尋ねたが、情報なしという。
 街から西の渡し場迄行って、マターファ側の村々の様子を見ようと、馬に(イ)騎る。ヴァイムスまで行くと、路傍の家々に人々がごたごた立騒いでいたが、武装はしていない。川を渡る。三百(ウ)碼で又、川。対岸の木蔭にウィンチェスターを担った七人の(2)ホショウがいる。近づいても、動きもしなければ声を掛けもしない。目で追うたのみ。私は馬に水を飲ませ、「タロファ!」と挨拶して其処を過ぎた。ホショウ隊長も「タロファ!」と応えた。之から先の村には武装兵が一杯に詰めかけている。支那人商人の住む洋館一棟あり。中立旗が門の所に(エ)翻る。ヴェランダには人々、女達が多勢立って外を眺めている。中には銃を持った者もいた。此の支那人ばかりではなく、島に住む外国人は皆自己の資財を守るに(3)キュウキュウとしている。(チーフ・ジャスティスと政務長官とがムリヌウからティヴォリ・ホテルに避難したそうだ。)途で土民兵の一隊が銃を担い弾薬筒を帯び、生々した様子で行進して来るのに遇う。ヴァイムスに着く。村の広場マラエには武装した男達が充満。会議室の中にも人々が満ち、その出口の所から外を向いて、一人の演説者が大声でしゃべっている。誰の顔にも歓ばしげな昂奮がある。見知り越しの老酋長の所へ寄ったが、此の前会った時とは打って変って、若々しく活気づいて見えた。少し休んで一緒にスルイを吸う。帰ろうとして外へ出た時、顔を黒く(オ)隈どり、腰布のうしろを捲き上げて(カ)臀部の入墨をあらわした一人の男が進み出て、妙な踊りをして見せ、小刀を空高く投げ上げて、それを見事に受けとめて見せた。野蛮で幻想的で、生気に溢れた観ものである。以前にも少年がこんな事をするのを見たことがあるから、之は(4)キット戦争時の儀礼みたいなものであろう。

八月×日
 医者に執筆を禁じられた。全然よす訳には行かないが、近頃は毎朝二三時間畑で過すことにしている。之は大変工合が良いようだ。ココア栽培で一日十磅も稼げれば、文学なんか他人に呉れてやってもいいんだが。
 うちの畑でとれるもの――キャベツ、トマト、アスパラガス、(5)エンドウ、オレンジ、パイナップル、グースベリィ、コール・ラビ、バーバディン、等。
「セント・アイヴス」も、そう悪い出来とは思わないが、(キ)兎角、難航だ。目下、オルムのヒンドスタン史を読んでいるが、大変面白い。十八世紀風の忠実な非(6)ジョジョウ的記述。
 二三日前突然、碇泊中の軍艦に出動命令が下り、沿岸を廻航してアトゥア叛民を砲撃することになった由。一昨日の午前中、ロトゥアヌウからの砲声が我々を脅した。今日も遠く(7)インインたる砲声が聞える。
一八九四年十月×日
 私がまだマターファの名を挙げるのを聞くと、人々(白人)は妙な顔をする。丁度、去年の芝居の噂でも聞いた時のように。或る者は又、にやにや笑い出す。下劣な笑だ。何は措いてもマターファの事件を可嗤的なものとしてはならぬと思う。一作家の奔走だけでは、どうにもならぬ。(小説家は、事実を述べている時でも、物語を語っているのではないかと思われるらしい。)誰か実際的な地位を有つ人物が援けて呉れなければ駄目だ。
 全然面識の無い人物だが、英国下院でサモア問題に就いて質問したJ・F・ホーガン氏に宛て、手紙を書いた。新聞によれば、彼は再三に亘ってサモアの内紛についての質問をしているから、相当この問題に関心を抱いているものと見られるし、質問の内容を見ても、かなり事情にも通じているらしい。此の議員宛の書面の中で、私は繰り返し、マターファの処刑の厳に失する所以を説明した。殊に、最近叛乱を起した小タマセセの場合と比較して、その余りに(8)ヘンパなことを。何等罪状の指摘できないマターファ(彼は、いわば喧嘩を売られたに過ぎぬのだから)が千(ク)浬離れた孤島に(ケ)流謫され、一方、島内白人の(9)センメツを標榜して立った小タマセセは小銃五十梃の没収で済んだ。こんな莫迦な話があるか。今ヤルートにいるマターファの所へはカトリックの牧師以外に誰も行くことが許されない。手紙をやることも出来ぬ。最近、彼の一人娘が(10)カンゼン禁を犯してヤルートへ渡ったが、発見されれば、又連れ戻されるのだろう。
 千浬以内にいる彼を救う為に、数万浬彼方の国の(コ)輿論を動かさねばならぬなんて、妙な話だ。
 もしマターファがサモアへ帰れるようだったら、彼はきっと僧職に入るだろう。彼は其の方面の教育を受けてもいるし、又、そうした人柄でもあるのだから。サモア迄は望めずとも、せめてフィジイ島位まで来られたら、そうして、故郷のそれと違わぬ食事、飲料を与えられ、慾には時々我々と会うことが出来たら、どんなにか有難いのだが。・・・」「光と風と夢」(中島敦)
👍👍👍 🙊 👍👍👍

(1)紛々 (2)歩哨 (3)汲々 (4)屹度(急度) (5)豌豆 (6)抒情(叙情) (7)殷々 (8)偏頗 (9)殲滅 (10)敢然
(ア)は (イ)の (ウ)やーど (エ)ひるがえ (オ)くま (カ)でんぶ (キ)とかく (ク)かいり (ケ)るたく (コ)よろん
👍👍👍 🙊 👍👍👍
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漢検1級 27-③に向けて その115  文章題訓練㊹

2016年01月22日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その115>
●「文章題訓練」その㊹です。復習・おさらい用にどうぞ👍
●難度はかなり易・・・チャレンジャーは80%(24点)以上はとりたい・・・。リピーターは限りなく100%とりたい(^^)

●文章題㊹:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10

「・・・午前中、稜鏡(プリズム)羅針儀を借りて来て仕事にかかる。この器械に私は一八七一年以来触れたことがなく、又、それに就いて考えたこともなかったのだが、兎に角、三角形を五つ引いた。エディンバラ大学工科卒業生たるの誇を新たにする。だが、何という怠惰な学生で私はあったか! ブラッキイ教授やテイト教授のことを、ひょいと思出した。
 午後は又、植物共のあらわな生命力との無言の闘争。こうして斧や鎌を揮って六(ア)片分も働くと、私の心は自己満足でふくれ返るのに、家の中で机に向って二十(イ)磅稼いでも、愚かな良心は、己の怠惰と時間の空費とを悼むのだ。之は一体どうした訳か。
 働きながら、ふと考えた。俺は幸福か? と。しかし、幸福というやつは解らぬ。それは自意識以前のものだ。が、快楽なら今でも知っている。色々な形の・多くの快楽を。(どれも之も完全なものとてないが。)其れ等の快楽の中で、私は、「熱帯林の静寂の中で唯一人斧を揮う」この伐木作業を、高い位置に置くものだ。誠に、「歌の如く、情熱の如く」此の仕事は私を魅する。現在の生活を、私は、他の如何なる環境とも取り換えたく思わない。しかも一方、正直な所を云えば、私は今、或る強い嫌悪の情で、絶えずゾッとしているのだ。本質的にそぐわない環境の中へ強いて身を投じた者の感じねばならない肉体的な嫌悪というやつだろうか。神経を逆撫でする荒っぽい残酷さが、何時も私の心を押しつける。(1)ウゴメき、まつわるものの、いやらしさ。周囲の(2)クウジャクと神秘との迷信的な不気味さ。私自身の荒廃の感じ。絶えざる(3)サツリクの残酷さ。植物共の生命が私の指先を通して感じられ、彼等のあがきが、私には歎願のように応える。血に塗れているような自分を感じる。
・・・
 やがて又も河床は乾き、いよいよヴァエア山の(ウ)嶮しい面を上って行く。河床らしいものもなくなり、山頂に近い台地に出る。彷徨すること暫し、台地が東側の大峡谷に落ちこむ縁の所に、一本の素晴らしい巨樹を見付けた。(エ)榕樹だ。高さは二百(オ)呎もあろう。巨幹と数知れぬ其の従者共(気根)とは、地球を担うアトラスの様に、怪鳥の翼を拡げたるが如き大枝の群を支え、一方、枝々の嶺の中には、羊歯・蘭類がそれぞれ又一つの森のように(カ)叢がり茂っている。枝々の群は、一つの途方もなく大きな円蓋(ドーム)だ。それは層々累々と盛上って、明るい西空(既に大分夕方に近くなっていた)に高く向い合い、東の方数(4)マイル(キ)谿から野にかけて(5)エンエンと拡がる其の影の巨きさ! 誠に、何とも(6)ゴウトウな観ものであった。
・・・
マターファの大(7)キョウエンに招かれているので、朝早く出発。同行者――母、ベル、タウイロ(うちの料理番の母で、近在のの(8)シュウチョウ夫人。母と私とベルと、三人を合せたより、もう一周り大きい・物凄い体躯をもっている。)通訳の混血児サレ・テーラー、外、少年二人。
 カヌーとボートとに分乗。途中でボートの方が、遠浅の礁湖の中で動かなくなって了う。仕方がない。跣足になって岸まで歩く。約一マイル、干潟の徒渉。上からはかんかん照り付けるし、下は泥でぬるぬる滑る。シドニイから届いたばかりの私の服も、イソベルの・白い・縁とりのドレスも、さんざんの目に逢う。午過ぎ、泥だらけになって、やっとマリエに着く。母達のカヌー組は既に着いていた。最早、戦闘舞踊は終り、我々は、食物献納式の途中から(といっても、たっぷり二時間はかかったが)見ることが出来ただけだった。
 家の前面の緑地の周囲に、(9)ヤシの葉や、荒布で囲われた仮小舎が並び、大きな(10)クケイの三方に土人達が別に集まっている。実にとりどりな色彩の服装だ。タパを纏った者、パッチ・ワークを纏った者、粉をふった(ク)白檀を頭につけた者、紫の花弁を頭一杯に飾った者…………
・・・それから、未だ見たこともない不思議な情景が現れた。突然、ポポ父子が立上り、長い棒を手に、食物の(ケ)堆く積まれた庭に飛出して、奇妙な踊りを始めた。父親は腕を伸ばし棒を廻しながら舞い、息子は地に蹲り、其の儘何ともいえない恰好で飛び跳ね、此の踊りの画く円は次第に大きくなって行った。彼等のとび越えただけのものは、彼等の所有になるのだ。中世のダンテが忽然として怪しげな情ないものに変った。此の古式の(又、地方的な)儀礼は、流石にサモア人の間にさえ笑声を呼起した。私の贈ったビスケットも、生きた一頭の(コ)犢も、ポポにとび越えられて了った。が、大部分の食物は、一度己のものなることを宣した上で、再びマターファに献上された。・・・」「光と風と夢」(中島敦)
👍👍👍 🙊 👍👍👍

(1)蠢 (2)空寂 (3)殺戮 (4)哩 (5)蜿蜒 (6)豪宕 (7)饗宴 (8)酋長 (9)椰子 (10)矩形
(ア)ぺんす (イ)ぽんど (ウ)けわ (エ)がじゅまる (オ)ふぃーと (カ)むら (キ)たに (ク)びゃくだん (ケ)うずたか (コ)こうし

👍👍👍 🙊 👍👍👍

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漢検1級 27-③に向けて (番外) 0122  雑談

2016年01月22日 | 日記
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>
・・・鶇・鶫(←国字はこっち?)
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☆☆☆今年のテーマ:①漢検1級199点以上 ②好きな古代史の研究深化(古田説の研究) ③(非公開) ☆☆☆  
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●自分の模擬試験問題(夏20作、冬12作)の復習終了・・・意外に忘れているもんだ(^^;)「夏の補習その2」ってやはり相当の難度だったことを実感した(^^)
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●校讐(こうしゅう)
 ・訓読み:讐す・・・(くらべただ)す
 ・同義語:きょうごう・・・(校  合
●故事成語類「コウを(中原)に争う」・・・( 衡 
 *青空文庫の編集員(ボランテイアさん?)が(誤って?)読みを入れているだけなのかもしれない・・・普通は「(くびき=衡)を争う」という。念の為、他の文庫(講談社文庫)で、この著作(「斗南先生」(中島敦))の文章を確認したら、読みは振っていなかった(ーー)
 *補足説明・・・(“くびき”を争うなら、「頸木」「軛」「衡」のいづれでもOK。

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(🚬 🚬 🚬 以下はお遊び・・・反映するかどうかのテスト 🚬 🚬 🚬)
🀅🀅🀑🀑🀒🀒🀓🀓🀕🀕🀕🀗🀗🀗
・麻雀を知らない人にとっては何の絵か?ってとこか(^^)
・緑一色(リューイーソウ)と言って、麻雀の上がり役の中でも最高点の「役満(やくまん)」、その中でもなかなか出来ない役です。
・経験上、25年に1回ぐらいしかできません・・・私が50年の間に2回完成・・・。ちなみに、2回目の緑一色を記念して、私の携帯のストラップには🀓がぶら下がっています👍

👍👍👍 🙊 👍👍👍  ←新しい 🙊 の登場。
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漢検1級 27-③に向けて その114  文章題訓練㊸

2016年01月21日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その114>
●「文章題訓練」その㊸です。㊴~㊸まで連続して「俳人蕪村」(正岡子規)からの出題です。
●難度は並み・・・チャレンジャーは80%(24点)以上が目標・・・。リピーターは限りなく100%とりたいところ(^^)

●文章題㊸:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10
「・・・(履歴性行等)
 蕪村は摂津浪花に近き毛馬塘の片(ほと)りに幼時を送りしことその春風馬堤曲に見ゆ。彼は某に与うる書中にこの曲のことを記して
馬堤は毛馬塘なり、すなわち余が故園なり
といえり。やや長じて東都に遊び、巴人の門に入りて俳諧を学ぶ。夜半亭は師の名を継げるなり。宝暦のころなりけん、京に帰りて俳諧ようやく(1)シンに入る。蕪村もと名利を厭い聞達を求めず、しかれども俳人として彼が名誉は次第に四方雅客の間に伝称せらるるに至りたり。天明三年十二月二十四日夜歿し、亡骸は洛東金福寺に葬る。享年六十八。
 蕪村は総常両毛奥羽など遊歴せしかども紀行なるものを作らず。またその地に関する俳句も多からず。西帰の後丹後におること三年、因って谷口氏を改めて与謝とす。彼は讃州に遊びしこともありけん、句集に見えたり。また厳島の句あるを見るにこの地の風情写し得て最も妙なり、空想の及ぶべきにあらず。蕪村あるいはここにも遊べるか。蕪村は読書を好み和漢の書何くれとなくあさりしも字句の間には眼もとめず、ただ大体の趣味を(2)ガンミして満足したりしがごとし。俳句に古語古事を用いること、蕪村集のごとく多きは他にその例を見ず。
 彼が字句にかかわらざりしは古文法を守らず、仮名遣いに注意せざりしことにもしるけれど、なおその他にしか思わるるところ多し。・・・
彼は俳人が家集を出版することをさえ厭えり。彼の心性高潔にして(ア)些の俗気なきこともって見るべし。しかれども余は磊落高潔なる蕪村を尊敬すると同時に、小心ならざりし、あまり名誉心を抑え過ぎたる蕪村を惜しまずんばあらず。蕪村をして名を文学に揚げ誉を百代に残さんとの些の野心あらしめば、彼の事業はここに止まらざりしや必せり。彼は恐らくは一俳人に満足せざりしならん。春風馬堤曲に溢れたる詩思の(3)フセンにして情緒の纏綿せるを見るに、十七字中に屈すべき文学者にはあらざりしなり。彼はその余勢をもって絵事を試みしかども大成するに至らざりき。もし彼をして力を俳画に伸ばさしめば日本画の上に(4)イッセイメンを開き得たるべく、応挙(5)ハイをして名をほしいままにせしめざりしものを、彼はそれをも得なさざりき。余は日本の美術文学のために惜しむ。
 春風馬堤曲とは俳句やら漢詩やら何やら(イ)交ぜこぜにものしたる蕪村の長篇にして、蕪村を見るにはこよなく便となるものなり。俳句以外に蕪村の文学として見るべきものもこれのみ。蕪村の熱情を現わしたるものもこれのみ。春風馬堤曲とは支那の曲名を真似たるものにて、そのかく名づけしゆえんは蕪村の書簡に詳らかなり。書簡に曰く
・・・
一軒の茶店の柳老いにけり
茶店の老婆子(ウ)儂を見て慇懃に(エ)無恙を賀し且つ儂(わが)春衣を(オ)美
・・・
 なおこのほかに澱河歌のうた三首あり。これらは紀行的韻文とも見るべく、諸体(6)コンコウせる叙情詩とも見るべし。惜しいかな、蕪村はこれを一篇の長歌となして新体詩の源を開く能わざりき。俳人として第一流に位する蕪村の事業も、これを広く文学界の産物として見れば誠に規模の小なるに驚かずんばあらず。
 蕪村は鬼貫句選の(7)バツにて其角、嵐雪、素堂、去来、鬼貫を五子と称し、春泥集の序にて其角、嵐雪、素堂、鬼貫を四老と称す。中にも蕪村は其角を推したらんと覚ゆ、「其角は俳中の李青蓮と呼ばれたるものなり」といい「読むたびにあかず覚ゆ、これ角がまされるところなり」ともいえり。しかもその欠点を挙げて「その集を閲するに大かた解しがたき句のみにてよきと思う句はまれまれなり」といい「百千の句のうちにてめでたしと聞ゆるは二十句にたらず覚ゆ」と評せり。自己が唯一の俳人と崇めたる其角の句を評して佳什二十首に上らずという、見るべし蕪村の眼中に古人なきを。その五子と称し四老と称す、もとより比較的の讃辞にして、芭蕉の俳句といえどもその一笑を博するに過ぎざりしならん。蕪村の眼高きことかくのごとく、手腕またこれに副う。而して後に俳壇の革命は成れり。
 ある人咸陽宮の釘かくしなりとて持てるを蕪村は誹りて「なかなかに咸陽宮の釘隠しと云わずばめでたきものなるを無念のことにおぼゆ」といえり。蕪村の俗人ならぬこと知るべし。蕪村かつて大高源吾より伝わる高麗の茶碗というをもらいたるを、それも咸陽宮の釘隠しの類なりとて人にやりしことあり。またある時松島にて重さ十斤ばかりの埋木の板をもらいて、辛うじて白石の駅に持ち出でしが、長途の(カ)労れ堪うべくもあらずと、旅舎に置きて帰りたりとぞ。これらの話を取りあつめて考うれば、蕪村の人物はおのずから描き出されて目の前に見る心地す。
 蕪村とは天王寺(キ)蕪の村ということならん、和臭を帯びたる号なれども、字面はさすがに雅致ありて漢語として見られぬにはあらず。俳諧には蕪村または夜半亭の雅名を用うれど、画には寅、春星、長庚、三菓、宰鳥、碧雲洞、紫狐庵等種々の異名ありきとぞ。かの謝蕪村、謝寅、謝長庚、謝春星など言える、門弟にも高几董、阮道立などある、この一事にても彼らが徂徠派の影響を受けしこと明らかなり。二字の苗字を一字に縮めたるは言うまでもなく、その字面より見るも修辞派の臭味を帯びたり。
 蕪村の絵画は余かつて見ず、ゆえにこれを品評すること(ク)難しといえども、その意匠につきては多少これを聞くを得たり。(筆力等の技術はその書及び俳画を見て想像するに足る)蕪村は南宗より入りて南宗を脱せんと工夫せしがごとし。南宗を学びしはその雅致多きを愛せしならん。南宗を脱せんとせしは南宗の(ケ)粗鬆なる筆法、狭隘なる規模がよく自己の美想を現わすを得ざりしがためならん。彼は俳句に得たると同じ趣味を絵画に現わしたり、もとより古人の(8)フンポンを摸し意匠を(9)ヒョウセツすることをなさざりき。あるいは田舎の風光、山村の景色等自己の実見せしもの(かつ古人の画題に入らざりしもの)を捉え来たりて、支那的空想に  (コ)耽りたる絵画界にイッセイメンを開かんと企てたり。あるいは時間を写さんとし、あるいは一種の色彩を施さんとして苦心したり。(色彩に関する例を挙ぐれば春の木の芽の色を樹によって染め分けたるがごとき、夜間燈火の映じたる樹を写したるがごとき)絵画における彼の眼光はきわめて高く、到底応挙、呉春らの及ぶところにあらず。しかれども蕪村は成功する能わずして歿し、かえって(10)ジュシをして名を成さしめたり。 ・・・」「俳人蕪村」(正岡子規)
👍👍👍 🐵 👍👍👍

(1)神 (2)翫味(玩味) (3)富(豊)贍 (4)一生面 (5)輩 (6)混淆 (7)跋 (8)粉本 (9)剽窃 (10)豎子
(ア)さ (イ)ま (ウ)われ(わし) (エ)むよう (オ)ほ (カ)つか (キ)かぶら (ク)かた (ケ)そしょう (コ)ふけ
👍👍👍 🐵 👍👍👍
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漢検1級 27-③に向けて (番外) 0120  熟字・当て字

2016年01月20日 | 難読・当て字
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

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☆☆☆今年のテーマ:①漢検1級199点以上 ②好きな古代史の研究深化(古田説の研究) ③(非公開) ☆☆☆  
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●足元を掬われないよう気をつけよう(^^)・・・満点阻止“虫”撲滅!!・・・その2

・鼴鼠/鼯鼠     もぐら/むささび・ももんが
・羅漢柏/羅漢松   あすなろ/いぬまき
・転寝/仮寝     ごろね/うたたね(=転た寝)
・石蚕/沙蚕     いさごむし/ごかい

・安石榴/山石榴/海石榴    ざくろ/のぼたん/つばき

<要注意①>
・青繦(あおざし)    =青緡=青差
・手繦(たすき)     =襷
・寄坐・憑坐(よりまし) =尸童 
<要注意②>
・茶梅/山茶    さざんか/つばき

👍👍👍 🐵 👍👍👍
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漢検1級 27-③に向けて その113  文章題訓練㊷

2016年01月20日 | 文章題
日本漢字能力検定(漢検) ブログランキングへ
<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その113>
●「文章題訓練」その㊷です。㊴~㊸まで連続5題、「俳人蕪村」(正岡子規)からの出題です。ちょっとおもしろい趣向の出題になったと思いますが如何でしょうか(^^)
●難度は並み・・・チャレンジャーは80%(24点)以上が目標・・・。リピーターは限りなく100%とりたいところ(^^)

●文章題㊷:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10
「・・・(材料)
 蕪村は(1)コリ怪をなすことを信じたるか、たとい信ぜざるもこの種の談を聞くことを好みしか、彼の自筆の草稿新花摘は怪談を(2)サイすること多く、かつ彼の句にもコリを詠じたるもの少からず。
 コリにはあらで(ア)幾何か怪異の聯想を起すべき動物を詠みたるもの、
(イ)獺の住む水も田に引く早苗かな
・・・
 蕪村はこれら糞尿のごとき材料を取ると同時にまた上流社会のやさしく美しき様をも巧みに詠み出でたり。
・・・
名月や秋月どのの(3)フナヨソオ
・・・
 蕪村の句新奇ならざるものなければ新奇をもって論ずれば蕪村句集全部を見るの完全なるにしかず。かつ初めより諸種の例に引きたる句多く新奇なるをもって特にここに拳ぐるの要なしといえども、前に挙げざりし句の中に新奇なる材料を用いし句を少し記しおくべし。
・・・
(4)ノバカマの法師が旅や春の風
陽炎や(ウ)簣に土をめつる人
・・・
 これらの材料は蕪村以前の句に少きのみならず、蕪村以後もまた用いる能わざりき。
(縁語及び譬喩)
 蕪村が縁語その他文字上の遊戯を主としたる俳句をつくりしは怪しむべきようなれど、その句の巧妙にして(5)フサク(エ)痕を留めず、かつ和歌もしくは檀林、支麦のごとき没趣味の作をなさざるところ、またもってその技倆を窺うに足る。縁語を用いたる句、
・・・ 
愚痴無智のあま酒つくる松が岡
(オ)蝸牛や其の角文字のにじり書
・・・
 俳句に譬喩を用いるもの、俗人の好むところにしてその句多く理窟に堕ち趣味を没す。蕪村の句時に譬喩を用いるものありといえども、譬喩奇抜にして多少の(6)ガチ(カ)具う。また支麦輩の夢寐にも知らざるところなり。
・・・
夕顔のそれは(キ)髑髏か鉢叩(はちたたき)
蝸牛の住はてし宿やうつせ貝
・・・
水仙や(ク)鵙の草茎花咲きぬ
  ある隠士のもとにて
古庭に(7)チャセン花咲く椿かな

浪花の旧国主して諸国の俳士を集めて円山に会筵しける時
(ケ)萍を吹き集めてや花筵
・・・
(時代)
 蕪村は享保元年に生まれて天明三年に歿す。六十八の長寿を保ちしかばその間種々の経歴もありしなるべけれど、大体の上より観れば文学美術の衰えんとする時代に生まれてその盛んならんとする時代に歿せしなり。俳句は享保に至りて芭蕉門の英俊多くは死し、支考、乙由らが(8)ザンゼンを保ちてますます俗に堕つるあるのみ。明和以後枯楊孽(こようげつ)を生じてようやく春風に吹かれたる俳句は天明に至りてその盛を極む。俳句界二百年間元禄と天明とを最盛の時期とす。元禄の盛運は芭蕉を中心として成りしもの、蕪村の天明におけるは芭蕉の元禄におけるがごとくならざりしといえども、天明の隆盛を来たせしものその力最も多きにおる。天明の余勢は寛政、文化に及んで漸次に衰え、文政以後また(9)コンセキを留めず。
 和歌は万葉以来、新古今以来、一時代を経るごとに一段の堕落をなしたるもの、真淵出でわずかにこれを挽回したり。真淵歿せしは蕪村五十四歳の時、ほぼその時を同じゅうしたれば、和歌にして取るべくは蕪村はこれを取るに躊躇せざりしならん。されど蕪村の句その影響を受けしとも見えざるは、音調に(コ)泥みて清新なる趣味を欠ける和歌の到底俳句を利するに足らざりしや必せり。
 当時の和文なるものは多く(10)ギコブンの類にして見るべきなかりしも、ギコということはあるいは蕪村をして古語を用い古代の有様を詠ぜしめたる原因となりしかも知らず。しかして蕪村はこの材料を古物語等より取りしと覚ゆ。・・・」「俳人蕪村」(正岡子規)
👍👍👍 🐵 👍👍👍

(1)狐狸 (2)載 (3)艤(*原文は「ふなよそ(ひ)」) (4)野袴 (5)斧鑿 (6)雅致 (7)茶筌 (8)残喘 (9)痕跡 (10)擬古文
(ア)いくばく (イ)おそ (ウ)あじか(「もっこ」でも漢検的にはOKかも。) (エ)あと (オ)ででむし (カ)そな (キ)どくろ (ク)もず (ケ)うきくさ (コ)なず
👍👍👍 🐵 👍👍👍

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漢検1級 27-③に向けて (番外) 0119 熟字・当て字

2016年01月19日 | 難読・当て字
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
☆☆☆今年のテーマ:①漢検1級199点以上 ②好きな古代史の研究深化(古田説の研究) ③(非公開) ☆☆☆  
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●足元を掬われないよう気をつけよう(^^)・・・満点阻止“虫”撲滅!!・・・
 ・青蝦と青竜蝦   しばえび しゃこ
 ・水雲と水綿    もずく あおみどろ
 ・馬蹄草と馬鞭草  かきどおし  くまつづら 
 ・杜夫魚と杜父魚  かくぶつ かじか
 ・天蛾と天蚕    すずめが やままゆ
 ・杜松と杜衡    ねず かんあおい
 ・珍珠菜と珍珠花 おかとらのお ゆきやなぎ
 ・地楡と地錦   われもこう  つた 
 ・連銭草と連枝草 かきどおし  うまごやし
 ・兄鷂と兄鷹 このり しょう (弟鷹は「だい」)
 ・睡蓮と睡菜 ひつじぐさ みつがしわ

 ・刷子・・・はけ     *「ブラシ」(広辞苑)と書いたら×か(ーー)
 ・臭橙・・・かぶす    *「かぼす」とか「だいだい」とか書いたら×なのか(ーー)
 ・山女・・・あけび    *「やまめ」(広辞苑)と書いたら×になるのか(ーー)
 ・商陸・・・やまごぼう  *「いおすき」(ヤマゴボウの古名)と書いたら×になるのか(ーー)
 ・天名精・・・やぶたばこ *「いのしりぐさ」(別名)と書いたら×になるのか(ーー) 

 *たしか、初合格で182点も獲ったrikurokuさんが、雪洞(ぼんぼり)で「かまくら」と書いたら×だったらしいからな・・・「かまくら」と読んでる場合もあるのに(ーー)
 *この辺のことは、ボクちゃん先生か凛太郎さんが詳しそう・・・教えてくんないかな(^^;)

 ・荊棘 おどろ
 ・垂髪 すべらかし


👍👍👍 🐵 👍👍👍
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漢検1級 27-③に向けて その112  文章題訓練㊶

2016年01月19日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その112>
●「文章題訓練」その㊶です。㊴~㊸まで連続5題、「俳人蕪村」(正岡子規)からの出題です。ちょっとおもしろい趣向の出題になったと思いますが如何でしょうか(^^)
●難度は並み・・・チャレンジャーは80%(24点)以上が目標・・・。リピーターは限りなく100%とりたいところ(^^)

●文章題㊶:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10
「・・・芭蕉も初めは
菖蒲(ア)生り軒の鰯の(イ)髑髏 
のごとき理想的の句なきにあらざりしも、一たび古池の句に自家の立脚地を定めし後は、徹頭徹尾(1)キジツの一法に依りて俳句を作れり。しかもそのキジツたる自己が見聞せるすべての事物より句を探り出だすにあらず、キジツの中にてもただ自己を離れたる純客観の事物は全くこれを(2)ホウテキし、ただ自己を本としてこれに関連する事物の実際を詠ずるに止まれり。今日より見ればその見識の(ウ)卑きこと実に笑うに堪えたり。
・・・
蕪村はいかにして理想美を探り出だすべきかを召波に示したるなり。筆にも口にも説き尽すべからざる理想の妙趣は、輪扁の木を断(き)るがごとくついに他に教うべからずといえども、一棒の下に(3)トンゴせしむるの工夫なきにしもあらず。蕪村はこの理想的のことをなお理想的に説明せり。かつその説明的なると文学的なるとを問わず、かくのごとき理想を述べたる文字に至りては上下二千載我に見ざるところなり。奇文なるかな。
・・・
 芭蕉は一定の真理を言わずして時に随い人により思い思いの教訓をなすを常とす。その洒堂を(エ)誨えたるもこれらの佳作を斥けたるにはあらで、むしろその濫用を(オ)誡めたるにやあらん。・・・芭蕉これに対して今少し和歌の臭味を加えよという、けだし芭蕉は俳句は簡単ならざるべからずと断定してみずから美の区域を狭く(カ)劃りたる者なり。芭蕉すでにかくのごとし。芭蕉以後言うに足らざるなり。
 蕪村は立てり。和歌のやさしみ言い古し聞き古して紛々たる臭気はその腐敗の極に達せり。和歌に代りて起りたる俳句幾分の和歌臭味を加えて元禄時代に勃興したるも、支麦以後ようやく腐敗してまた(キ)拯うに道なからんとす。ここにおいて蕪村は複雑的美を捉え来たりて俳句に新生命を与えたり。彼は和歌の簡単を斥けて唐詩の複雑を借り来たれり。国語の柔軟なる、冗長なるに飽きはてて(4)カンケイなる、豪壮なる漢語もてわが不足を補いたり。先に其角一派が苦辛して失敗に終りし事業は蕪村によって容易に成就せられたり。衆人の攻撃も(ク)慮るところにあらず、美は簡単なりという古来の標準も棄てて顧みず、卓然として複雑的美を成したる蕪村の功は没すべからず。
 ・・・
 一句五字または七字のうちなお「草霞み」「雨後の月」「夜蛇を打つ」「水に銭蹈む」と曲折せしめたる妙は到底「頭よりすらすらと言い下し来たる」者の解し得ざるところ、しかも洒堂、凡兆らもまた(5)ムビにだも見ざりしところなり。客観的の句は複雑なりやすし。
・・・
蚊帳釣りて(6)スイビつくらん家の内
 特にスイビというはスイの字を蚊帳の色にかけたるしゃれなり。
(7)クンプウやともしたてかねつ厳島
・・・ただ夏の風というくらいの意に用いるものなれば「クンプウ」とつづけて一種の風の名となすにしかず。けだし蕪村の(8)ケイガンは早くこれに注意したるものなるべし。
・・・
(ケ)茯苓(コ)伏れ松露はあらはれぬ
・・・
をさな子の寺なつかしむ銀杏かな
「なつかしむ」という動詞を用いたる例ありや否や知らず。あるいは思う、「なつかし」という形容詞を転じて蕪村の創造したる動詞にはあらざるか。はたしてしかりとすれば蕪村は傍若無人の振舞いをなしたる者と謂うべし。しかれども百年後の今日に至りこの語を(9)シュウヨウするもの続々として出でんか、蕪村の造語はついに(10)ジイ中の一隅を占むるの時あらんも測りがたし。英雄の事業時にかくのごときものあり。・・・」「俳人蕪村」(正岡子規)
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(1)記実 (2)抛擲(放擲) (3)頓悟 (4)簡勁 (5)夢寐 (6)翠微 (7)薫風 (8)炯眼(慧眼) (9)襲用 (10)字彙
(ア)な (イ)されかうべ (ウ)ひく (エ)おし (オ)いまし (カ)かぎ(原文ルビ「かぎ」。現行読みなら「くぎ」) (キ)すく (ク)おもんぱか (ケ)ぶくりょう (コ)かく
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漢検1級 27-③に向けて (番外) 雑談

2016年01月18日 | 日記
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>
・・・鵯・・・
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☆☆☆今年のテーマ:①漢検1級199点以上 ②好きな古代史の研究深化(古田説の研究) ③(非公開) ☆☆☆  
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●この間入手した過去問の23-②も手を付けてしまった・・・198点だった(ーー)・・・どうもポカをやる癖が抜けない・・・。
●皆さんの学習の進捗状況はいかがでしょうか・・・模試問題は役に立ってますか?
●文章題訓練㊸までは予約投稿してありますので、毎日、訓練してみてください・・・限の良い㊿まで作ろうと思って、また、青空文庫を読みだしているけど、どうなることやら・・・一応、正岡子規の㊸で終了としておりますが・・・。
●今、読んでいる文庫から故事成語にもなりそうなものを発見・・・

 ①コウチョの交わり
 ②コウを(中原に)争う

・これ、このまま、検索してもなかなか見つかりませんが、わかりますか? とりあえず、宿題ということで提示しておきますね。時間のある方は、探すなり、考えてみたりしてみてください(^^) 
 ①のヒント:類似の成句は、金蘭の契り、断金の交わり、膠漆の交わり、管鮑の交わり などなど。
 ②のヒント:「コウ」は音読み。「功」ではありません。

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漢検1級 27-③に向けて その111  文章題訓練㊵

2016年01月18日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その111>
●「文章題訓練」その㊵です。㊴~㊸まで連続5題、「俳人蕪村」(正岡子規)からの出題です。ちょっとおもしろい趣向の出題になったと思いますが如何でしょうか(^^)
●難度は並み・・・チャレンジャーは80%(24点)以上が目標・・・。リピーターは限りなく100%とりたいところ(^^)

●文章題㊵:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10
「・・・(客観的美)
 積極的美と消極的美と相対するがごとく、客観的美と主観的美ともまた相対して美の要素をなす。これを文学史の上に照すに、上世には主観的美を発揮したる文学多く、後世に下るに従い一時代は一時代より客観的美に入ること深きを見る。古人が客観に動かされたる自己の感情を(1)チョクジョするは、自己を慰むるために、はた当時の文学に幼稚なる世人をして知らしむるために必要なりしならん。これ主観的美の行われたるゆえんなり。かつその客観を写すところきわめて(ア)麁鹵にして精細ならず。例えば絵画の輪郭ばかりを描きて全部は観る者の想像に任すがごとし。全体を現わさんとして一部を描くは作者の主観に出づ。一部を描いて全体を想像せしむるは観る者の主観に訴うるなり。後世の文学も客観に動かされたる自己の感情を写すところにおいて毫も上世に異ならずといえども、結果たる感情をチョクジョせずして原因たる客観の事物をのみ描写し、観る者をしてこれによりて感情を動かさしむること、あたかも実際の客観が人を動かすがごとくならしむ。これ後世の文学が面目を新たにしたるゆえんなり。要するに主観的美は客観を描き尽さずして観る者の想像に任すにあり。
・・・
 蕪村の句の絵画的なるものは枚挙すべきにあらねど、十余句を挙ぐれば
木瓜の陰に顔たくひすむ(イ)雉かな
釣鐘にとまりて眠る胡蝶かな
やぶ入りや(ウ)鉄漿もらひ来る傘の下
小原女の五人揃ふて袷かな
照射(ともし)してささやく近江八幡かな
葉うらうら(エ)火串に白き花見ゆる
卓上の(オ)鮓に眼寒し観魚亭
・・・
のごとし。一事一物を画き添えざるも絵となるべき点において、蕪村の句は蕪村以前の句よりもさらに客観的なり。
(人事的美)
 天然は簡単なり。人事は複雑なり。天然は沈黙し人事は活動す。簡単なるものにつきて美を求むるは易く、複雑なるものは難し。沈黙せるものを写すは易く、活動せるものは難し。人間の思想、感情の単一なる古代にありて比較的によく天然を写し得たるは易きより入りたる者なるべし。俳句の初めより天然美を発揮したるも偶然にあらず。しかれども複雑なるものも活動せるものも少しくこれを研究せんか、これを描くことあながち難きにあらず。ただ俳句十七字の小天地に今までは辛うじて一山一水一草一木を写し出だししものを、同じ(カ)区劃のうちに変化極まりなく活動止まざる人世の一部分なりとも縮写せんとするは難中の難に属す。俳句に人事的美を詠じたるもの少きゆえんなり。芭蕉、去来はむしろ天然に重きを置き、其角、嵐雪は人事を写さんとして端なく佶屈聱牙に陥り、あるいは人をしてこれを解するに苦しましむるに至る。かくのごとく人は皆これを難しとするところに向って、ひとり蕪村は何の苦もなく進み思うままに(2)カッポ横行せり。今人はこれを見てかえってその容易なるを認めしならん。しかも蕪村以後においてすらこれを学びし者を見ず。
・・・
 蕪村の句は
行く春や選者を恨む歌の主
(キ)命婦より牡丹餅たばす彼岸かな
短夜や同心衆の川手水
少年の矢数問ひよる念者ぶり
水の粉やあるじかしこき後家の君
・・・・・
のごとき数え尽さず、これらの(3)ジュウ必ずしも力を用いしものにあらずといえども、皆よく蕪村の特色を現わして一句だに他人の作とまごうべくもあらず。(4)テンピンとは言いながら老熟の致すところならん。
 天然美に空間的のもの多きはことに俳句においてしかり。けだし俳句は短くして時間を容るる能わざるなり。ゆえに人事を詠ぜんとする場合にも、なお人事の特色とすべき時間を写さずして空間を写すは俳句の性質のしからしむるに因る。たまたま時間を写すものありとも、そは現在と一様なる事情の過去または未来に継続するに過ぎず。ここに例外とすべき蕪村の句二首あり。
御手討の夫婦なりしを更衣
打ちはたす(ク)梵論つれだちて夏野かな
 前者は過去のある人事を叙し、後者は未来のある人事を叙す。一句の主眼が一は過去の人事にあり、一は未来の人事にあるは二句同一なり、その主眼なる人事が人事中の複雑なるものなることも二句同一なり。かくのごときものは(5)コオウ今来他にその例を見ず。
(理想的美)
 俳句の美あるいは分って実験的、理想的の二種となすべし。実験的と理想的との区別は俳句の性質においてすでにしかるものあり。この種の理想は人間の到底経験すべからざること、あるいは実際あり得べからざることを詠みたるものこれなり。また実験的と理想的との区別俳句の性質にあらずして作者の境遇にあるものあり。この種の理想は今人にして古代の事物を詠み、いまだ行かざる地の景色風俗を写し、かつて見ざるある社会の情状を描き出すものこれなり。ここに理想的というは実験的に対していうものにして両者を包含す。
 文学の実験に依らざるべからざるはなお絵画の写生に依らざるべからざるがごとし。しかれども絵画の写生にのみ依るべからざるがごとく、文学もまた実験にのみ依るべからず。写生にのみ依らんか、絵画はついに微妙の趣味を現わす能わざらん、実験にのみ依らんか、尋常一様の経歴ある作者の文学は到底(6)チントウを脱する能わざるべし。文学は伝記にあらず、記実にあらず、文学者の頭脳は四畳半の古机にもたれながらその理想は天地(7)ハッコウのうちに(8)ショウヨウして無碍自在に美趣を求む。羽なくして空に(ケ)翔るべし、  (9)ヒレなくして海に潜むべし。音なくして音を聴くべく、色なくして色を観るべし。かくのごとくして得来たるもの、必ず斬新奇警人を驚かすに足るものあり。俳句界においてこの人を求むるに蕪村一人あり。   (コ)翻って芭蕉はいかんと見ればその俳句平易高雅、奇を(10)ゲンせず、新を求めず、ことごとく自己が境涯の実歴ならざるはなし。二人は実に両極端を行きて毫も相似たるものあらず、これまた蕪村の特色として見ざるべけんや。・・・」「俳人蕪村」(正岡子規)
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(1)直叙 (2)濶歩(闊歩) (3)什 (4)天稟 (5)古往 (6)陳套 (7)八荒 (8)逍遥 (9)鰭 (10)衒
(ア)そろ (イ)きぎす (ウ)かね (エ)ほぐし (オ)すし (カ)くかく (キ)みょうぶ (ク)ぼろ (ケ)かけ (コ)ひるがえ
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対海国、𣴴神(かいしん)の宮

2016年01月17日 | 古代史
日本漢字能力検定(漢検) ブログランキングへペット(猫) ブログランキングへ気まぐれ日記 ブログランキングへ
<この記事は漢検1級とほとんど関係ありません・・・ちょっとは関連していますが・・・>

●ブログ開設当初から作成しておいたカテゴリー「古代史」に書き込みを開始しています。
●私事の単なるメモ帳のようなものですので、興味のない方はスルーしてください。
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☆☆☆今年のテーマ:①漢検1級199点以上 ②好きな古代史の研究深化(古田説の研究) ③(非公開) ☆☆☆  
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●「古代史をひらく 独創の13の扉」から・・・
<第3の扉>・・・倭人にも漢字能力があった・・・
・「一大(イキ)国」「対海国」は倭人による命名・・・現在の「壱岐」「対馬」のこと・・・
 *倉田命題「中華思想の古代中国が“一大”などという大それた命名をするわけがない」等。
・だとすると、倭人伝の時代にはすでに倭人に漢字能力があったことになる。
 *俾弥呼が後漢の明帝に報恩の上表文を送っていることからも裏付けられる。*上表文の現物や文章は見つかっていないが、俾弥呼が上表文を送ったとの記録は倭人伝にある。・・・この上表文と(当然あるはずの)俾弥呼の自署名が見つかるととても面白いのに・・・。
・一大(イキ)国、一大(イキ)率
 *イキ(壱岐)は古名「伊伎島(いきのしま)、天比登都柱(あまのひとつばしら)」(古事記)
 *「一(イチ)」はこの古名からきている、「大」は「大国」の意で、壱岐から九州本土に侵略してきた“壱岐軍団”が自らの“母国”を誇らしげに命名した名残り。「一大(イキ)率」・・・九州本土への駐留軍、「諸国、これを畏怖する・・・」
・対海国
 *上島・下島の間に浅茅(あそう)湾という瀬戸あり。この浅茅湾をはさんで両島を支配していたことから(倭人によって)命名されたのではないか・・・。
 *対馬に「和多都美(わたつみ)神社」(浅茅湾のそば)と「“𣴴”神の宮」という神社あり・・・古い時代の漢字教養が伝えられている。
  (注)「𣴴神の宮」というのは現在の「海神神社」のこと。(この神社は、地図をみると、朝鮮半島方面の海のそばにあるが・・・)今、こういう字が現地で使われているかどうか不詳。ネット上では見当たらない。いま、とうなってるんだろ。神社の由来書か何かを入手すればわかるのかな。
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 <𣴴>
 *海の異体字とも。Unicode U+23D34 。
 *ネットで色々探したら、面白い発見・・・あの、弘法大師・空海もこの「𣴴」を使って、自分の名前を「空𣴴(くうかい)」としている文献あり。ネットのその記事では、この「𣴴」の字は、空海が唐から持ち帰った漢字で、それをはじめて使ったとの説明があったが、この神社の創建(不詳だが社伝によれば相当古い・・・神功皇后の3韓征伐に由来する由←この3韓征伐てのも相当怪しいが・・・)からしたら、相当前の時代の字を(倭人)がすでに使っていたことになる。
<対海国>
 *上記の(「対海」国の命名の“湾を両岸から支配したので対・海としたのでは”との)説明はちょっと今一つしっくり来ていない、納得感がまだない。もっと詳しい説明がどこかにあるのかな・・・。
 *それと本件とは関係ないが、倭人伝にある「対海国 方400里」「一大国 方300里」・・・地図で見る限り、方400里のほうは、対馬の南半分ぐらいの大きさのような気がするが・・・。どうなんだろう。

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漢検1級 27-③に向けて その110  文章題訓練㊴

2016年01月17日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その110>
●「文章題訓練」その㊴です。㊴~㊸まで連続5題、「俳人蕪村」(正岡子規)からの出題です。ちょっとおもしろい趣向の出題になったと思いますが如何でしょうか(^^)
●難度は並み・・・チャレンジャーは80%(24点)以上が目標・・・。リピーターは限りなく100%とりたいところ(^^)

●文章題㊴:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10
「(緒言)
 芭蕉新たに俳句界を開きしよりここに二百年、その間出づるところの俳人少からず。あるいは芭蕉を(1)ソジュツし、あるいは檀林を主張し、あるいは別に門戸を開く。しかれどもその芭蕉を尊崇するに至りては衆口一斉に出づるがごとく、檀林等流派を異にする者もなお芭蕉を排斥せず、かえって芭蕉の句を取りて自家俳句集中に加うるを見る。ここにおいてか芭蕉は無比無類の俳人として認められ、また一人のこれに匹敵する者あるを見ざるの有様なりき。芭蕉は実に敵手なきか。曰く、否。
 芭蕉が創造の功は俳諧史上特筆すべきものたること論を竢たず。この点において何人かよくこれに凌駕せん。芭蕉の俳句は変化多きところにおいて、雄渾なるところにおいて、高雅なるところにおいて、俳句界中第一流の人たるを得。この俳句はその創業の功より得たる名誉を加えて無上の賞讃を博したれども、余より見ればその賞讃は俳句の価値に対して過分の賞讃たるを認めざるを得ず。誦するにも堪えぬ芭蕉の俳句を註釈して(2)モッタイつける俳人あれば、縁もゆかりもなき句を刻して芭蕉塚と称えこれを尊ぶ俗人もありて、芭蕉という名は徹頭徹尾尊敬の意味を表したる中に、(3)ガイダ珠を成し句々吟誦するに堪えながら、世人はこれを知らず、宗匠はこれを尊ばず、百年間空しく(4)ガレキとともに埋められて光彩を放つを得ざりし者を蕪村とす。蕪村の俳句は芭蕉に匹敵すべく、あるいはこれに凌駕するところありて、かえって名誉を得ざりしものは主としてその句の平民的ならざりしと、蕪村以後の俳人のことごとく無学無識なるとに因れり。著作の価値に対する相当の報酬なきは蕪村のために悲しむべきに似たりといえども、無学無識の徒に知られざりしはむしろ蕪村の喜びしところなるべきか。その(5)ホウショウ不羈世俗の外に卓立せしところを見るに、蕪村また性行において尊尚すべきものあり。しかして世はこれを容れざるなり。
・・・・
(積極的美)
 美に積極的と消極的とあり。積極的美とはその意匠の壮大、雄渾、(6)ケイケン、艶麗、活溌、(7)キケイなるものをいい、消極的美とはその意匠の古雅、幽玄、悲惨、沈静、平易なるものをいう。概して言えば東洋の美術文学は消極的美に傾き、西洋の美術文学は積極的美に傾く。もし時代をもって言えば国の東西を問わず、上世には消極的美多く後世には積極的美多し。(ただし壮大雄渾なるものに至りてはかえって上世に多きを見る)されば唐時代の文学より悟入したる芭蕉は俳句の上に消極の意匠を用うること多く、従って後世芭蕉派と称する者また多くこれに(ア)倣う。その寂といい、雅といい、幽玄といい、細みといい、もって美の極となすもの、ことごとく消極的ならざるはなし。(ただし壮大雄渾の句は芭蕉これあれども後世に至りては絶えてなし)ゆえに俳句を学ぶ者消極的美を唯一の美としてこれを尚び、艶麗なるもの、活溌なるもの、キケイなるものを見ればすなわちもって邪道となし卑俗となす。あたかも東洋の美術に心酔する者が西洋の美術をもってことごとく野卑なりとして貶するがごとし。艶麗、活溌、キケイなるものの野卑に陥りやすきはもとよりしかり。しかれども野卑に陥りやすきをもって野卑ならざるものをも棄つるはその弁別の明なきがゆえなり。しかして古雅幽玄なる消極的美の弊害は一種の厭味を生じ、今日の俗宗匠の俳句の俗にして嘔吐を催さしむるに至るを見るに、かの艶麗ならんとして卑俗に陥りたるものに比して(イ)毫も優るところあらざるなり。
 積極的美と消極的美とを比較して優劣を判せんことは到底出来得べきにあらず。されども両者ともに美の要素なることは論を竢たず。その分量よりして言わば消極的美は美の半面にして積極的美は美の他の半面なるべし。消極的美をもって美の全体と思惟せるはむしろ見聞の狭きより生ずる誤謬ならんのみ。日本の文学は源平以後地に墜ちてまた振わず、ほとんど消滅し尽せる際に当って芭蕉が俳句において美を発揮し、消極的の半面を開きたるは彼が非凡の才識あるを証するに足る。しかもその非凡の才識も積極的美の半面はこれを開くに及ばずして逝きぬ。けだし天は俳諧の名誉を芭蕉の専有に帰せしめずしてさらに他の偉人を待ちしにやあらん。去来、丈草もその人にあらざりき。其角、嵐雪もその人にあらざりき。五色墨の徒もとよりこれを知らず。新虚栗(しんみなしぐり)の時何者をか(8)ツカまんとして得るところあらず。芭蕉死後百年に(ウ)垂としてはじめて蕪村は現われたり。彼は天命を負うて俳諧壇上に立てり。されども世は彼が第二の芭蕉たることを知らず。彼また名利に走らず、(9)ブンタツを求めず、積極的美において自得したりといえども、ただその徒とこれを楽しむに止まれり。
 一年四季のうち春夏は積極にして秋冬は消極なり。蕪村最も夏を好み、夏の句最も多し。その佳句もまた春夏の二季に多し。これすでに人に異なるを見る。今試みに蕪村の句をもって芭蕉の句と対照してもって蕪村がいかに積極的なるかを見ん。
 四季のうち夏季は最も積極なり。ゆえに夏季の題目には積極的なるもの多し。牡丹は花の最も艶麗なるものなり。芭蕉集中牡丹を詠ずるもの一、二句に過ぎず。その句また
 尾張より東武に下る時
牡丹(エ)蘂深くわけ出づる蜂の名残かな  芭蕉
 ・・・
等のごとき、前者はただ季の景物として牡丹を用い、後者は牡丹を詠じてきわめて(オ)拙きものなり。蕪村の牡丹を詠ずるはあながち力を用いるにあらず、しかも手に随って佳句を成す。句数も二十首の多きに及ぶ。
・・・
蕪村には直ちに若葉を詠じたるもの十余句あり。皆若葉の趣味を発揮せり。例、

山にそふて小舟漕ぎ行く若葉かな
(カ)蚊帳を出て奈良を立ち行く若葉かな
不尽一つ埋み残して若葉かな
窓の灯の梢に上る若葉かな
・・・
そのほか春月、春水、暮春などいえる春の題を艶なる方に詠み出でたるは蕪村なり。例えば
(キ)伽羅くさき人の仮寝や朧月
・・・
河内路や(ク)東風吹き送る巫が袖
・・・
梅散るや(ケ)螺鈿こぼるる卓の上
・・・
 いずれの題目といえども芭蕉または芭蕉派の俳句に比して蕪村の積極的なることは蕪村集を (コ)繙く者誰かこれを知らざらん。一々ここに(10)ゼイせず。」「俳人蕪村」(正岡子規)
👍👍👍 🐵 👍👍👍

(1)祖述(漢検辞典にもあり) (2)勿体 (3)咳唾 (4)瓦礫 (5)放縦(*「ほうじゅう」の方が一般的か・・・) (6)勁健 (7)奇警 (8)攫 (9)聞達 (10)贅(*「贅言」「贅語」のような熟語が頭に浮ばないと苦しいかも)
(ア)なら (イ)ごう (ウ)なんなん (エ)しべ (オ)つたな (カ)かや (キ)きゃら (ク)こち (ケ)らでん (コ)ひもと
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