漢検1級198点!! 満点取るまで生涯学習!! ➪ “俳句”

我孫子・手賀沼と愛猫レオンの徒然日記。漢検1級チャレンジャーの方の参考となるブログ。2018年7月から“俳句”も開始。

漢検1級 27-③に向けて (番外) 0123 四字熟語

2016年01月23日 | 四字熟語
日本漢字能力検定(漢検) ブログランキングへ
<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>
・・・鶇・鶫(←国字はこっち?)
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☆☆☆今年のテーマ:①漢検1級199点以上 ②好きな古代史の研究深化(古田説の研究) ③(非公開) ☆☆☆  
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●文章題訓練その㊿まで完成・・・明朝配信予定。これで限よく、文章題訓練は終了。自分の力にもなっていれば良いのだが・・・(^^;)
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●足元を掬われないよう気をつけよう(^^)・・・満点阻止“虫”撲滅!!・・・その3  四字熟語編

ー漢検四字熟語辞典からー(61頁~185頁まで)  “ウッカリ”ミス撲滅!!

・愛多憎生=恩甚エンセイ(怨 生)・・・恩、甚だしければ即ちエン生ず
・悪人こそ往生するにふさわしいキコン(機 根)である・・・悪人正機
・イケン(夷 険)、節を一にする
・一堂ワキ(和 気
・一労永逸=ザンロウ(暫 労)永逸
・為山シキ(止 簣
・一箭双雕=一挙ソウキン(双 擒)   ×「・・・禽」ではない。ウッカリしそう。
・一筆コウダン(勾 断)=一筆コウショウ
・慇懃ビロウ(尾 籠)=慇懃無礼
・エコウ(回 光)返照         ×「・・・向」ではない。ウッカリしそう、要注意!!
・鴛鴦コウケイ(交 頸)=鴛鴦之契
・延頸挙踵=翹足インリョウ(引 領
・遠水近火=遠水キンカツ(近 渇
・鶴寿センザイ(千 歳)        ×「千載」ではない。ウッカリしそう!要注意!!
・画脂鏤氷=鏤氷チョウキュウ(雕 朽
・画蛇添足=モウガ(妄 画)蛇足
・禍福ソウイ(相 依)・・・災いと幸せは互い違いにやってくるもの   ×「相違」「相異」ではない
・冠前絶後=コウゼン(曠 前)絶後
・眼中之釘=眼中之シ( 刺 
・肌肉玉雪=玉肌コウジ(香 膩)   *「垢・・・」ではない ←これだと“あぶらあか”になっちゃう(^^)
・禽困覆車=困獣ユウトウ(猶 闘
・キュウネン(窮 年)累世 ・・・自分の生きている限り、いつまでも。 ×「久年」ではない
・水月キョウゾウ(鏡 像)・・・はかないまぼろし、詩歌などの深遠な味わい
・玉石混淆=玉石ドウキ(同 匱)=玉石ドウカ(同 架
・軽佻浮薄=軽佻フカ(浮 華
・ホベン(蒲 鞭)の治

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漢検1級 27-③に向けて その119  文章題訓練㊽

2016年01月23日 | 文章題
日本漢字能力検定(漢検) ブログランキングへ
<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その119>
●「文章題訓練」その㊽です。復習・おさらい用にどうぞ👍
●難度は・・・チャレンジャーは80%(24点)以上が目標・・・。リピーターは限りなく90%以上とりたい(^^)

●文章題㊽:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10
(A)
「・・・薬師寺の裏門から六条村へ出て、それからまっすぐに東へ、佐保川の流域である泥田の原のなかの道を、俥にゆられながら帰る。(ア)暮靄につつまれた大和の山々は、さすがに古京の夕らしい哀愁をそそるが、目を落として一面の泥田をながめやると、これがかつて都のただ中であったのかと驚く。佐保川の河床が高まって、昔の(1)コウソウな地を今の湿地に変えたのかも知れない。しかしまた都のうちに水田もあったらしい奈良京の大半は、当初からこの種の湿地であったとも考えられる。もしこの想像に相当の根拠が与えられるならば、このことは奈良京が短命であった理由として看過し難い。史家は政治上の理由や古来の遷都思想のみからこの点を説こうとしているが、この湿地の不健康性はもっと根本的な理由となり得たはずである。天平の中ごろに(2)ショウケツをきわめた疫瘡の流行は、特に猛烈にこの湿地を襲ったであろう。次いで起こった光明后の大患も、同じくこの湿地の間接の影響に基づいたのでないとはいえまい。この時に恭仁遷都の議が起こったのは、単に藤原氏の勢力を駆逐しようとする一派の貴族の策略とのみは考えられぬ。・・・
・・・この時代にも(3)ケッパツや衣服の唐風化が急速に行われた。それは外形のことに過ぎない。しかし外形の変革はやがて内部の変革を呼び出さずにはいなかったのである。
・・・さらに新人の(4)ユウなるものは、道昭、智通、定慧などの僧侶である。道昭は古い帰化人の(イ)裔であり、定慧は鎌足の子であるが、共に唐に入って(ウ)玄三蔵に学び、当時の世界文化の絶頂をきわめて来た。彼らのもたらしたものが単に法相宗の教義のみでなかったことはいうまでもない。
・・・掛かりの館員は愛想よく迎えて挨拶がすむと、さて何を出しましょう、まず法華寺三尊、さよう、どうしてもあれですな。館丁は命をうけて(5)キッキュウジョとして出て行く。それから何にしましょう、西大寺の十二天、さよう、(6)イップクでいいとなるとまず水天ですかな、まあそうでしょうな、それから、薬師寺の(7)キッショウテン、さよう、あれも代表的のものですからな、それから信貴山縁起、ようがす、それから、それだけですか、なにおよろしければいくらでも出しますよ。
・・・わたくしが初めてこの画を見た時には(8)バンを持った童子の画と共にガラス戸の中に掛けてあった。その朝奈良停車場に着いてすぐに博物館を訪れ、推古から鎌倉までのさまざまな彫刻をながめ暮らしたのであるが、閉館の時刻の迫った時に急いで画の陳列してある方へ行ってこの画にぶつかったのである。そこは窓のない室で幾分薄暗かった。しかしバンを持った童子の美しさはわたくしの目を引かないではいなかった。(エ)胡粉のはげかかった白い顔の愛らしさ、優しい姿をつつむ衣の白緑や緑青の古雅なにおい、暗緑の地に浮き出ている蓮の花びらの大気に漂う静かな心持ち、吹き流されている赤いバンに感ぜられる運動の微妙さ。わたくしはしばらくその前を動かなかった。やがて迫って来る時間に気づいて、中尊の阿弥陀像に(9)イチベツをくれたまま、急いでその室を立ち去った。阿弥陀像の印象として残ったのは体がいやに扁平なことと眼が特に目立っていながら顔がおもしろくないことぐらいなものであった。もちろんこの画が中尊で童子の画がそれに属していることなどはその時は知らなかった。・・・」「古寺巡礼」(和辻哲郎)
(B)
「・・・鏡の中なる遠柳の枝が風に靡いて動く間あいだに、忽ち(オ)銀の光がさして、熱き埃を薄く揚げ出す。銀の光りは南より北に向って真一文字にシャロットに近付いてくる。女は小羊を覘(ねら)う鷲の如くに、影とは知りながら瞬きもせず鏡の裏を見詰むる。十丁にして尽きた柳の木立を風の如くに駈け抜けたものを見ると、鍛え上げた鋼の鎧に満身の日光を浴びて、同じ兜との鉢金よりは尺に余る白き毛を、飛び散れとのみさんさんと靡かしている。栗毛の駒の逞しきを、頭も胸も革に(カ)裹みて飾れる鋲の数は篩い落せし秋の夜の(10)セイシュクを一度に集めたるが如き心地である。女は息を凝らして眼を据える。・・・
 曲がれる堤に沿うて、馬の首を少し左へ向け直すと、今までは横にのみ見えた姿が、真正面に鏡にむかって進んでくる。太き槍をレストに収めて、左の肩に盾を懸けたり。女は領を延ばして盾に描ける模様を(キ)確と見分けようとする体であったが、かの騎士は何の会釈もなくこの鉄鏡を突き破って通り抜ける勢いで、いよいよ目の前に近づいた時、女は思わず(ク)梭(ケ)抛げて、鏡に向って高くランスロットと叫んだ。ランスロットは兜の廂の下より耀く眼を放って、シャロットの高き(コ)台を見上げる。爛々たる騎士の眼と、針を束ねたる如き女の鋭き眼とは鏡の裡にてはたと出合った。この時シャロットの女は再び「サー・ランスロット」と叫んで、忽ち窓の傍に馳け寄って蒼き顔を半ば世の中に突き出だす。人と馬とは、高き台の下を、遠きに去る地震の如くに馳け抜ける。・・・」」「薤露行」(夏目漱石)
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(1)高燥 (2)猖獗 (3)結髪 (4)尤 (5)鞠躬如 (6)一幅 (7)吉祥天 (8)幡 (9)一瞥 (10)星宿
(ア)ぼあい (イ)すえ (ウ)げんじょう (エ)ごふん (オ)しろがね (カ)つつ (キ)しか (ク)ひ (ケ)な (コ)うてな
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漢検1級 27-③に向けて その118  文章題訓練㊼

2016年01月23日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その118>
●「文章題訓練」その㊼です。復習・おさらい用にどうぞ👍
●難度は・・・チャレンジャーは80%(24点)以上が目標・・・。リピーターは限りなく90%以上とりたい(^^)

●文章題㊼:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10

(A)
「・・・楓だけでもそれぐらいであるが、東山の落葉樹から見れば楓はほんの一部分である。新緑のころ、東山の常緑樹の間に(ア)点綴されていかにも(1)モウシュンらしい感じを醸し出す落葉樹は、葉の大きいもの、中ぐらいのもの、小さいものといろいろあったが、それらは皆同じように、新芽の色から若葉の色までの変遷と展開を五月の上句までに終えるのである。そうしてそのあとに常緑樹の新芽が目立ち始める。椎とか(イ)樫とかの新芽である。前に言ったように椎の新芽の黄金色が、むくむくと盛り上がったような形で東山の山腹のあちこちに目立ってくるのは、ちょうどこのころである。やがてその新芽がだんだん延びて、常磐樹らしく落ちついた、光沢のある新緑の葉を展開し終えるころには、落葉樹の若葉は深い緑色に落ちついて、もう色の動きを見せなくなる。そうなるともうすぐに五月雨の季節である。栗の花や椎の花が黄金色に輝いて人目をひくのはそのころである。
・・・ 
少しずつ黄色が目立ちはじめるのは、十月になってからであったと思う。新緑の時に樹の種類によって遅速があり、またその新芽の色を著しく異にしていたように、緑があせて黄色が勝ち始める時期も、またその黄色の色調も、樹によってそれぞれ違う。十月の中ごろにはそういう相違がはっきりと感じられるようになる。(ウ)楢であったか、形のいい大きい葉で、実に純粋な美しい黄色を見せるのもあった。それから(2)ハゼのような真紅な色になる葉との間に、実にさまざまな段階、さまざまな種類がある。それが大きい樹にも見られれば、下草の小さい木にも見られる。
・・・
こういう雪景色と交錯して、二月の初め、立春の日の少し前あたりから、池の鯉が動きはじめ、小鳥がしきりに庭先へ来る。そういう季節が、紅葉と新緑とから最も(エ)距たっていて、そうして最も落ちついた、地味な美しさのある時である。昔の人はちょうどそのころに年の始めを祝ったのであった。・・・」「京の四季」(和辻哲郎)

(B)
「 数多き観音像、観音崇拝――写実――百済観音
 推古天平室に佇立したわたくしは、今さら、観音像の多いのに驚いた。
聖林寺観音の左右には大安寺の不空羂索観音や楊柳観音が立っている。それと背中合わせにわが百済観音が、(3)ヒョウビョウたる雰囲気を漂わしてたたずむ。これは虚空蔵と呼ぶのが正しいのかも知れぬが、伝に従ってわれわれは観音として感ずる。その右に立っている法輪寺虚空蔵は、百済観音と同じく左手に(オ)澡瓶を把り、右の肱を曲げ、(カ)掌を上に向けて開いている。これも観音の範疇に入りそうである。さらに百済観音の左には、薬師寺(?)の、破損はひどいが稀有に美しい木彫の観音があって、ヴィナスの(4)エンビにも似た印象をわれわれに与える。その後方には法隆寺の小さい観音が立っている。
 目を転じて室の西南隅に向かうと、そこには大安寺の、(5)シャクジョウを持った女らしい観音や一輪の蓮花を携えた男らしい観音などが、ズラリと並んでいる。さらに目を転じて室の北壁に向かうと、そこにも唐招提寺などの木彫の観音が、あたかも整列せしめられたごとくに、並び立っている。室の中央には法隆寺の小さい金銅観音が、奇妙な微笑を口元に浮かべつつ、台上のところどころにたたずんでいる。岡寺の観音は(6)ハンカの膝に肱をついて、夢みるごとき、和やかな瞑想にふける。それが(7)ミロクであるとしても、われわれの受ける印象は依然として観音である。
・・・
天武帝は壬申の乱を通じて即位せられたために、古来史家の間にさまざまの論議をひき起こしてはいるが、われわれにとっては他の意味で興味の深い代表的人物である。第一に、帝は万葉の歌人として名高い。額田王に送って(8)センザイの後に物議の種を残した有名な恋歌「紫の匂へる妹を憎くあらば人妻ゆゑに吾れ恋めやも、」の一首は、帝の情熱的な性質を語って(9)ヨウンがない。その情熱はまた仏教を信ずる上にも現われた。
・・・
カラ風呂――光明后施浴の伝説――蒸し風呂の伝統
 法華寺の境内に光明皇后施浴の伝説を負うた浴室がある。いわゆるカラ風呂である。・・・これがつまり浴槽であって、そのなかへ、床板の下から湧出する蒸気が、充満する仕掛けになっている。純然たる蒸し風呂である。
 この構造が天平時代のものをそのまま伝えているのかどうかはわからない。東側のたき口は西洋(キ)竈風に煉瓦を積んで造ってあったし、北側の隅には現在の尼僧が常用するコンクリート造りの長州風呂が設けてあった。この種の改良が千年にわたって少しずつ試みられたとすれば、これによって原形を想像するのは危険な話である。しかしこの「蒸し風呂としての構造」だけは昔の面影を伝えていはしまいか。少なくともこれに似寄った蒸し風呂が光明皇后の時代に存在したということは確かではなかろうか。
 この浴室に光明皇后施浴の図が額にして掲げてある。現在の銭湯と同じ構造の浴室に偏体(10)カイライの病人がうずくまり、十二ひとえに身を装うた皇后がその側に佇立している図である。光明皇后の十二ひとえも時代錯誤でおかしいが、この蒸し風呂の設備と相面して銭湯風の浴室が画いてあるのは、愛嬌を通り越してむしろ皮肉に感ぜられた。しかし実のところわれわれは光明皇后施浴の伝説を、漠然とこの図のように想像していたのである。施浴が蒸し風呂であるとすると、われわれも考えなおさなくてはならない。
・・・しかし伝説は単にそういう「施浴」を語るだけにとどまってはいないのである。『元亨釈書』などの伝える所によると、――東大寺が完成してようやく慢心の生じかけていた光明后は、ある夜(ク)閤裏空中に「施浴」をすすむる声を聞いて、恠喜(かいき)して温室を建てられた。しかしそればかりでなく同時に「我親ら千人の垢を去らん」という誓いを立てられた。もちろん周囲からはそれを諫止したが、后の志をはばむことはできなかった。かくて九百九十九人の垢を流して、ついに最後の一人となった。それが体のくずれかかったカイライで、臭気充室というありさまであった。さすがの后も躊躇せられたが、千人目ということにひかされてついに辛抱して玉手をのべて背をこすりにかかられた。すると病人が言うに、わたくしは悪病を患って永い間この(ケ)瘡に苦しんでおります。ある良い医者の話では、誰か人に膿を吸わせさえすればきっと癒るのだそうでございます。が、世間にはそんな慈悲深い人もございませんので、だんだんひどくなってこのようになりました。お后様は慈悲の心で人間を平等にお救いなされます。このわたくしもお救い下されませぬか。――后は天平の美的精神を代表する。その官能は馥郁たる熱国の香料と滑らかな玉の肌ざわりと釣り合いよき物の形とに慣れている。いかに慈悲のためとはいっても癩病人の肌に唇をつけることは堪えられない。しかしそれができなければ、今までの行はごまかしに過ぎなくなる。きたないから救ってやれないというほどなら、最初からこんな企てはしないがいい。信仰を捨てるか、美的趣味をふみにじるか。この二者択一に押しつけられた后は、不レ得レ已、癩病の体の頂の瘡に、天平随一の朱唇を押しつけた。そうして膿を吸って、それを美しい歯の間から吐き出した。かくて瘡のあるところは、肩から胸、胸から腰、ついに(コ)踵にまでも及んだ。偏体の賤人の土足が女のなかの女である人の唇をうけた。さあ、これでみな吸ってあげた。このことは誰にもおいいでないよ。――病人の体は、突然、端厳な形に変わって、明るく輝き出した。・・・」「古寺巡礼」(和辻哲郎)
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(1)孟春 (2)櫨 (3)縹渺 (4)艶美 (5)錫杖 (6)半跏 (7)弥勒 (8)千載 (9)余蘊 (10)疥癩
(ア)てんてい(てんてつ) (イ)かし (ウ)なら (エ)へだ (オ)そうへい(そうびょう) (カ)たなごころ (キ)かまど (ク)こうり (ケ)かさ(くさ) (コ)かかと
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