漢検1級198点!! 満点取るまで生涯学習!! ➪ “俳句”

我孫子・手賀沼と愛猫レオンの徒然日記。漢検1級チャレンジャーの方の参考となるブログ。2018年7月から“俳句”も開始。

漢検1級 27-③に向けて その108 文章題訓練㊲

2016年01月16日 | 文章題
日本漢字能力検定(漢検) ブログランキングへ
<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その108>
●「文章題訓練」その㊲です。これだけやれば、もう万全か(^^)明朝配信予定だったけど、もう前倒しで配信します。
●難度は並み・・・チャレンジャーは80%(24点)以上が目標・・・。リピーターは限りなく100%とりたいところ(^^)

●文章題㊲:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10

「・・・叔母がその時どんな服装をしていたか、全く覚えていないが、ともかく彼女は私のうちを出て、土手を越し、竹藪の中の雑草の生い茂った細道を通り抜け、川原畑の畦道を歩いて、一面の石ころに覆われた川原に出で、そこから舟に乗ったものに相違ない。それは(ア)俥などの通り得る道ではなかった。祖母、父、母、私、弟、これがその一行であったであろう。末の弟は前年に生れてまだ誕生日を過ぎぬ頃のことであったから、多分誰かに預けられて留守居したであろう。
 赤い(1)モウセンを敷いた(2)イッソウの屋形舟は、一行を載せ、夏の川風に吹かれながら、鮎や(イ)鮠などの泳いでいる清い流れの錦川を(ウ)棹して下った。
その後私たちは、毎月一回、青楓氏の仮寓に集って(3)カンボクの遊びをするようになった。・・・
・・・私はこのカンボク会で初めて(4)ガセンシに日本画を描くことを学んだ。(5)ハンセツを赤モウセンの上に(エ)展げて、青楓氏が梅の老木か何かを描き、そこへ私に竹を添えろと云われた時、私はひどく躊躇したものだが、幼稚園の子供のような気持になって、恐る恐る筆を執ったのが皮切りで、その後次第に大胆になり、青楓氏と河田博士と私とで山水の合作を描き、狩野博士がそれへ賛を入れたりなどされたこともある。河田博士は絵専門、狩野博士は書専門、私は絵と書の双方をやった。集っていた人の組合せが好かったせいか、手持無沙汰で退屈するような人は一人もなく、誰かが大字でも書くと硯の墨はすぐ無くなるので、あかまんやの女将までが、墨磨りだけにでも一人前の役割を有っていた。当時私は経済学の研究に夢中になっていた時代なので、月に一回のこうした(6)セイユウは、実に沙漠の中のオアシスであり、忙中の(7)カンジツゲツであって、この上もなく楽しいものに思えた。それは私が一生のうちに見た美しい夢の一つである。
 私は先に、人間は人情を食べる動物であると云った。こうした雰囲気の(オ)裡に在っては、どんな結構な御馳走でも、おいしく頂かれるものではない。しかし私はともかく箸を取って、供された七種粥を食べた。浅ましい話をするが、しゃれた香の物以外に、おかずとしては何も食べるものがなかったので、食いしんぼうの私は(8)サクゼンとして箸をおいた
人は落ち目になると僻み根性を起し易い。ところで私自身は、他人から見たら(9)ショウジョウたる(カ)落魄の一老爺、気の毒にも憐むべき失意不遇の逆境人と映じているだろうが、自分では必ずしもそう観念しては居ない。どんな金持でも、どんな権力者でも、恐らく私のように、目分のしたいと思うこと、せねばならぬと思うことを、与えられている自分の力一杯に振舞い得たものは、そう多くはあるまいと思うほど、私は今日まで社会人としての自分の意志を貫き通して来た。首を回らして過去を顧みるとき、私は俯仰天地に愧ずる所なく、今ではいつ死んでも悔いないだけの、心の満足を得ている積りだ。破れたる(キ)縕袍を衣、(10)コカクを衣る者と、与に立って恥じざる」位の自負心は、(ク)窃かに(ケ)肚の底に蓄えている。しかし何と云っても、社会的には一日毎に世人からその姓名を忘られてゆく身の上であり、物質的には辛うじて米塩に事欠かぬ程度の貧乏人であるから、他人から、粗末に取扱われた場合、今までは気にも留めなかった(コ)些事が、一々意識に上ぼるであろう。そうなれば、いやでもそこに一個の模型的な失意の老人が出来上る。私は注意してそれを避けねばならない。――私はこんな風に自分を警戒して居ながらも、簡素な七種粥の饗応を、何だか自分が軽く扱われた表現であるかの如く感ぜざるを得なかった。・・・」「御萩と七種粥」(河上肇)
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<解答>
(1)毛氈 (2)一艘 (3)翰墨 (4)画箋紙 (5)半截(半切) (6)清遊 (7)閑日月 (8)索然 (9)蕭条 (10)狐貉 
(ア)くるま (イ)はえ(はや) (ウ)さおさ (エ)ひろ (オ)うち (カ)らくはく (キ)おんぽう (ク)ひそ (ケ)はら (コ)さじ

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漢検1級 27-③に向けて その107   勦、嘔、欹

2016年01月16日 | 熟語の読み(音・訓) -個別記事- 
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

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☆☆☆今年のテーマ:①漢検1級199点以上 ②好きな古代史の研究深化(古田説の研究) ③(非公開) ☆☆☆  
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<漢検1級 27-③に向けて その107>
●文章題訓練は㊱まで公開。㊲と㊳も出来てる(予約投稿済み)。文章題を作り出したら、青空文庫をまた読み始めちゃって、更に多くの文章題ができそう・・・㊴~㊸の原案も完成済み(公開用にゴチックにしたり、傍線ひいたり・・・といった作業待ち。これが結構面倒。)。自分の学習には大いに役立っているけど、皆さんのためにもなっているでしょうか・・・。もう、あと3週間か・・・。
●最近は古代史の方に時間の比重を移しつつある。古い文献からの引用や古の漢字が多く、1級配当外の漢字が一杯あるので、その学習もせざるを得ない・・・ははは、1級受検には何の役にも立たないが、こんなの、やってる場合か(^^;)でも、面白いんだよな(^^)
●過去問の復習・・・H4年度版から全部入手したと思ったら、H24年度版がヌケていたことが判明。図書館経由で国会図書館のコピーサービスを利用して、この間、手に入れた。勿体ないので、本番直前まで我慢していようと思ってたけど、我慢できずに24-①をやっちゃった・・・200点だった👍
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●漢検漢字辞典第2版から・・・
<勦:ソウ、ショウ、た(つ)、ほろ(ぼす)、かすめと(る)、すばや(い)>
・第2版は音による意味分けなし。音訓はすべてあり。掲載熟語は「勦滅(ソウメツ)」「勦絶(ソウゼツ)」
・大字源・漢字源では音分けあり・・・
 「ソウ」・・・①かすめる ②すばやい
 「ショウ」・・・①つかれる ②つかれさせる ③つくす ④たつ、たちきる ⑤ころす、ほろぼす ⑥おやゆび
 *大字源は「ショウ」にあたる熟語はすべて「ショウ」読み・・例:「勦滅(ショウメツ)」「勦絶(ショウゼツ)」など・・・
 *漢字源は、「正しくは“ショウ”と読むべきであるが、普通、“ソウ”と読む」だって…勦滅(ソウメツ)・勦掃(ソウトウ)・勦除(ソウジョ)など・・・。
・以前の音訓読み整理では、すべて「ソウ・・・」読みで熟語を紹介ずみ。大字源を考慮すると、「ショウ」音での熟語ものせるべきであるが、この時期、混乱するし、漢検辞典が読み分けしていないこと・すべて「ソウ」音熟語であることから、そのまま、「ソウ・・・」にしておく
<嘔:オウ、ク、は(く)、うた(う)>
・第2版は音による意味分けがあった!!
 「オウ」・・・①はく 「嘔吐(オウト)」「嘔血」「嘔心」 *後者2熟語はフリなし ②うたう 「嘔啞(オウア)」「嘔歌(=謳歌)」「嘔吟」 ③むかつく 「嘔気(オウキ)」
 「ク」 ・・・やしなう、いつくしみ育てる *掲載熟語ナシ。
・大字源・漢字源でも音による意味分けがあった。両辞典とも似たような内容・・・第2版とちょっと違うのは、「ク」音で「あたためる」意もある。
 「ク」音の熟語・・・「嘔煖(クダン)」=あたためる、「上下、相嘔(ソウク)」=いつくしむ、「嘔嘔(クク)」=ことばが穏やかで暖かそうなさま(大字源:「項王、言語、嘔嘔(クク)」)、くっくっと喜びしゃべるさま(漢字源:「項王、人を見るに、恭敬慈愛、言語嘔嘔(クク)たり」)
 (要注意)「嘔嘔」には「オウオウ」の読みもあり、「オウオウ」の場合は「車輪の軋る音」の意味。「嘔嘔(オウオウ)啞啞、車、転急」(大字源)「嘔嘔(オウオウ)啞啞、車の転ずること、急なり」(漢字源)
・しかし、漢検も「ク」音で意味分けしているなら、も少し親切に何か載せておいたらどうなんだ(ーー)
<欹:イ、キ、ああ、そばだ(てる)、かたむ(ける)>
・第2版でも音による意味分けナシ・・・①ああ(感嘆の声)「欹歟(イヨ)」 ②そばだてる、かたむける 「欹危」*フリなし。(*ふつう「キキ」と読んでる)
・意味②の場合、「キ」音で良いと思うが、第2版では分けていないので「イ」でも「キ」でも良いのかも知れない。4辞典調べても、今一つ、明確ではない・・・
 「欹案(イアン)」=読書机(字通)*「依に通じる」由。この熟語、他の3辞典にないため、検証できず。
 「欹眠すれば嘔軋(オウアツ)として鳴櫓あるがごとし」(漢字源)・・・「欹眠」:「キミン」だと思うがフリなし、検証できず。

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漢検1級 27-③に向けて その106 文章題訓練㊱

2016年01月16日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その106>
●「文章題訓練」その㊱です。・・・これだけやれば大丈夫でしょう(^^)
●難度は並み・・・チャレンジャーは80%(24点)以上が目標・・・。リピーターは限りなく100%とりたいところ(^^)

●文章題㊱:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10
「・・・即ち北斎が(1)フガク三十六景においてなせしが如く北寿もまた全画面の彩色中その(2)コンチョウとなるべき一色を選びて常にこれによつて諧音的の効果を奏せんとする苦心を示したり。(道灌山の図を見るものは直ちに黄色を帯びたる淡く軟らかき緑色とこれに対する濃き緑と藍との調和に感じまた他の一作洲崎弁天海上眺望の図においては黄色と橙色との調和を見るべし。)なほ道灌山の図についていふべきは、左方に立つ崖の側面を画くに北寿は三角形の連続を以てし、またその麓に横たわる広き畠をば黄と緑と褐色の三色を以て染分けたる格子となし、これを遠近法によりて配列せしめたる事なり。もし北寿をして今一歩を進ましめんか日本における最初の立方体画家となりしや知るべからず
・・・国芳は決して武者奮戦の図をのみよくせしにはあらず、その描ける範囲は美人花鳥山水諷刺滑稽画に及べり。西洋画写生の法を浮世絵の人物に施してよく成功せる点はむしろ北斎の上に出づといふも(3)カショウにあらず(浅草観音堂内奉納の絵額に一ツ家の  (ア)姥の図あり)。一度その秘戯画に現はれたる裸体画を検するものはその骨格の形状正確にして繊巧を極めし線の感情の能く(4)ハイタイ的気風に富める(イ)漫ろに歌麿を思はしむる所あるを知るべし。仏人 Tei-san が美術史に曰く、「国芳の作画は常に活動の気に満ちその描線の甚だ鮮明正確なるしばしば称賛に価すべきものあり。しかしてその色彩には好んで赤と藍とを混和せしめたる極めて明快なる(5)リンゴ色の緑を用ひ文化以前の木板絵に見るが如き色調の美妙を示す所あり。されど或時は全くその反対に、人物奮闘の状を描ける図に至つては色彩をしてこれと一致せしめんがため殊更多数の色を設けて衝突混乱せしむ。」
・・・国芳の山水画には東海道及東都名所の二種あれどもいづれもその数多からず。東海道の作は重に(6)チョウカンズ的なる山水村落の眺望を主とし、東都名所は人物を配置して風景中に自ずから江戸生粋の感情を(7)ハツラツたらしめたり。東都名所新吉原と題したる日本堤夜景の図を見よ。中空には大なる(ウ)暈戴きし黄いろき月を仰ぎ、低く地平線に接しては煙の如き横雲を漂はしたる田圃を越え、彼方遥かに(エ)廓の屋根を望む処。(オ)一梃の夜駕籠頻りと道をいそぎ行く傍に二匹の犬その足音にも驚かず疲れて眠れる姿は、土手下の閉ざせる人家の様子と共に夜もいたく深け渡りしのみか、雨持つ空に月の光もまた(カ)朧なる風情を想像せしめて余りあり。羽織に着流しの裾をかかげ、ぱつちに(8)セッタをはきし町人の二人連れあり。その一人は頬冠りの結び目を締め直しつつ他の一人は懐中に(9)ヤゾウをきめつつ廓をさしておのづと歩みも急し気なる、その向うより駒下駄に(キ)褞袍の裾も長々と地に曳くばかり着流して、三尺を腰低く前にて結びたる遊び人らしき男一人、両手は打ち斬られし如く両袖を落して、少し仰向き加減に大きく口を明きたるは、春の朧夜を我物顔に咽喉一杯の声張上げて(ク)投節歌ひ行くなるべし
・・・折々恐しい音して鼠の走る天井からホヤの曇った六分心のランプがところどころ宝丹の広告や『都新聞』の新年附録の美人画なぞで破れ目をかくした襖を始め、飴色に古びた箪笥、雨漏りのあとのある古びた壁なぞ、八畳の座敷一体をいかにも薄暗く照てらしている。古ぼけた葭戸を立てた縁側の外には小庭があるのやらないのやら分らぬほどな闇の中に軒の風鈴が淋しく鳴り虫が静かに鳴いている。師匠のお豊は縁日ものの植木鉢を並べ、不動尊の掛物をかけた床とこの間を後ろにしてべったり坐った膝の上に三味線をかかえ、樫の(ケ)撥で時々前髪のあたりをかきながら、掛声をかけては弾くと、稽古本を広げた桐の小机を中にして此方には三十前後の商人らしい男が中音で、「そりや何をいはしやんす、今さら兄よ妹といふにいはれぬ恋中は……。」と「小稲半兵衛」の道行を語る。・・・
・・・蘿月は稽古のすむまで縁近くに坐って、扇子をぱちくりさせながら、まだ冷酒のすっかり醒めきらぬ処から、時々は我知らず口の中で稽古の男と一しょに唄ったが、時々は目をつぶって遠慮なく(コ)噯をした後、身体を軽く左右にゆすりながらお豊の顔をば何の気もなく眺めた。お豊はもう四十以上であろう。薄暗い釣るしランプの光が痩せこけた小作りの身体をばなお更に老けて見せるので、ふいとこれが昔は立派な質屋の可愛らしい箱入娘だったのかと思うと、蘿月は悲しいとか淋しいとかそういう現実の感慨を通り過して、唯だ唯だ不思議な気がしてならない。その頃は自分もやはり若くて美しくて、女にすかれて、道楽して、とうとう実家を(10)シチショウまで勘当されてしまったが、今になってはその頃の事はどうしても事実ではなくて夢としか思われない。算盤で乃公(おれ)の頭をなぐった親爺にしろ、泣いて意見をした白鼠の番頭にしろ、暖簾を分けてもらったお豊の亭主にしろ、そういう人たちは怒ったり笑ったり泣いたり喜んだりして、汗をたらして飽きずによく働いていたものだが、一人々々皆死んでしまった今日となって見れば、あの人たちはこの世の中に生れて来ても来なくてもつまる処は同じようなものだった。まだしも自分とお豊の生きている間は、あの人たちは両人の記憶の中に残されているものの、やがて自分たちも死んでしまえばいよいよ何も彼も煙になって跡方もなく消え失うせてしまうのだ……。」「江戸芸術論 ―浮世絵の山水画と江戸名所―」(永井荷風)
👍👍👍 🐵 👍👍👍

<解答>
(1)富嶽 (2)根調 (3)過賞 (4)敗頽 (5)林檎 (6)鳥瞰図 (7)溌剌(溌溂) (8)雪駄(雪踏) (9)弥蔵 (10)七生
(ア)うば(ばば) (イ)そぞ (ウ)かさ (エ)くるわ (オ)いっちょう (カ)おぼろ (キ)どてら (ク)なげぶし (ケ)ばち (コ)おくび
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