漢検1級198点!! 満点取るまで生涯学習!! ➪ “俳句”

我孫子・手賀沼と愛猫レオンの徒然日記。漢検1級チャレンジャーの方の参考となるブログ。2018年7月から“俳句”も開始。

漢検1級 27-③に向けて (番外) 0124 その2 四字熟語

2016年01月24日 | 四字熟語
日本漢字能力検定(漢検) ブログランキングへ
<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

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☆☆☆今年のテーマ:①漢検1級199点以上 ②好きな古代史の研究深化(古田説の研究) ③(非公開) ☆☆☆  
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●漢検・四字熟語辞典ひととおり1回読了(復習)・・・何回やっても新しい発見があるなあ(^^;)
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●足元を掬われないよう気をつけよう(^^)・・・満点阻止“虫”撲滅!!・・・その5  四字熟語編その3

ー漢検四字熟語辞典からー(315頁~最終頁まで)  “ウッカリ”ミス撲滅!! 変則手・奇策に気をつけよう!!
・チョウエイ(朝 栄)夕滅 ・・・人生のはかないことのたとえ。ひっかかるな!1級レベルの人は「朝盈夕虚」の頭になってるからポカしそう。
・直言極諫=直言ムキ(無 諱
・轍乱旗靡=ソウキ(喪 旗)乱轍
・天地玄黄、宇宙コウコウ(洪 荒)・・・
・刀耕火種=刀耕カドウ(火 耨
・同床異夢=イトウ(異 榻)同夢
・兎葵燕麦=トシ(菟 糸)燕麦  ・・・トシの方は「くさかんむり」だから注意。ちなみに、( <菟葵>は当て字でイソギンチャク(^^)。
・斗斛之禄=トショウ(斗 升)之禄・・・これもひっかかりそう・・・「斗筲」なんて書かないようにしないと!
・輭紅塵中=ナンコウ(軟 紅)塵中 ・・・これは、「・・・とも書く」となってるから出るかも。
・輭紅コウジン(香 塵)、輭紅シャジン(車 塵
・売剣買牛=売剣バイトク(買 犢
・日昃之労・・・・日昃 ー 昃(ひるす)ぎ、昃(かたむ)く
・博引旁証=博引ボウソウ(旁 捜)=考証ガイハク(該 博
・比肩随踵=マケン(摩 肩)随踵=キカン(揮 汗)成雨
・逢掖之衣・・・逢掖 ー逢(ゆ た)か、逢(お お)きい
・泛駕之馬・・・泛駕(ほうが)ー泛(くつがえ)す
・茅堵蕭然・・・蕭然 ー 蕭(ものさび)しい、蕭(し ず)か   *満目蕭条の「蕭」も同じ。
・放辟邪侈・・・放辟 ー 辟(かたよ)る
・鳳友鸞交=鳳友ランカイ(鸞 諧
・ヤロウ(夜 郎)自大  ・・・念のため(^^) 「野郎」と書く人は大ポカ野郎~。
・ヒリュウ(蜚 流)之言 ・・・確かな根拠のないいいかげんなうわさ。
・柳巷花街=花柳キョウシャ(狭 斜) ・・・「キョウシャ」だけでも花街、遊里の意味あり(広辞苑にもあり、文章題訓練等でも既出。)

🚬 🚬 🚬 🚬  閑  話  休  題  🚬 🚬 🚬 🚬
・以下の訓読みは現行読みにはないのに、四字熟語辞典に読みが振ってある・・・人を惑わすだけだとおもうけど(ーー)昔はそういう読みや意味があったと説明しておかないとマズイのでは?・・・勘違いしてそのまま(そういう訓があると思って)覚えちゃう人もたくさんいると思う。
 ①不将不迎・・・将(おく)らず、迎えず   *将:はた、ひき(いる)、まさ(に)
 ②大海撈針・・・針を撈(すく)う      *撈:すくいと(る)、と(る) 
 ③万寿無疆・・・疆(きわま)り無し     *疆:さかい、かぎ(る)、かぎ(り)
 ④披星戴月・・・星を披(かぶ)り・・・   *披:ひら(く)
 ⑤含英咀華・・・英を含み華を咀(くら)う  *咀:か(む)、あじ(わう) 
 ⑥摩頂放踵・・・頂を摩して踵に放(いた)る *放:はな(す)、はな(つ)、はな(れる)、ほう(る)、ほしいまま、まか(す)、ゆる(す)、ひ(る)、こ(く)、さ(く)
🚬 🚬 🚬 他にもまだまだあるかもしれません、気が付いたものを簽(しる)しました 🚬 🚬 🚬

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漢検1級 27-③に向けて (番外) 0124 四字熟語

2016年01月24日 | 四字熟語
日本漢字能力検定(漢検) ブログランキングへ
<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

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☆☆☆今年のテーマ:①漢検1級199点以上 ②好きな古代史の研究深化(古田説の研究) ③(非公開) ☆☆☆  
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●文章題訓練その㊿まで配信完了。よく作ったもんだ(^^)ついてきてくれていたのは3、4名か?(^^;)?
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●足元を掬われないよう気をつけよう(^^)・・・満点阻止“虫”撲滅!!・・・その4  四字熟語編その2

ー漢検四字熟語辞典からー(186頁~314頁まで)  “ウッカリ”ミス撲滅!! 変則手・奇策に気をつけよう!!

・好事多魔=好事タソ(多 阻
・骨肉相食=骨肉ソウキ(相 軌
・五穀豊穣=五穀ホウトウ(豊 登
・独学にて友無ければ即ちコロウ(孤 陋)にして寡聞なり  *「固陋」ではない
・蛍雪之功=ノウケイ(囊 蛍)映雪
・セキセキ(射 石)飲羽     *“セキセキ”の読みに注意(ーー)・・・普通、「シャセキ」だよな。一般的でない「・・・とも読む」となっているものが他にもあるから気をつけよう・・・何しろ、「頃刻(キョウコク)」なんて奇策を出してきたからな(ーー)
・碩学大儒=碩学コウジュ(鴻 儒
・前虎後狼=シャコ(舎 虎)ホウロウ(逢 狼
・前車覆轍⇔ジュウトウ(重 蹈)覆轍
・簇酒斂衣=簇酒カンイ(歛 衣)     *これはひっかけやすいから、奇手で出すかも(ーー)
・ソウチュウ(甑 中)塵を生じ、釜中、魚を生ず
・束帛加璧=ソクキン(束 錦)加璧


🚬 🚬 🚬 🚬  閑  話  休  題  🚬 🚬 🚬 🚬
虎擲竜挐・・・「挐」(繁体字)が対象外だけど、「拿」(簡体字、異体字?)や「拏」(拿の許容字体)に置換できそう・・・「虎擲竜拿(拏)」で出題されるってことはないのかしら(ーー)
犀舟勁檝・・・「檝」は「楫」の異体字みたいだけど、「犀舟勁楫」で出題されることはないのかな(ーー)
🚬 🚬 🚬 出題範囲などに詳しい方がいたら教えてほしいな🚬 🚬 🚬

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漢検1級 27-③に向けて その121  文章題訓練㊿

2016年01月24日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その121>
●「文章題訓練」その㊿です。復習・おさらい用にどうぞ👍 「文章題訓練」も今回で最終です。なんとか50作まで完成した。お付き合いいただいた方々、お疲れさまでした。本番でのご健闘をお祈りします👍少しでも役に立ってると嬉しいのですが(^^;)
●難度は・・・チャレンジャーは80%(24点)以上・・・。リピーターは90%以上はとりたいところ(^^)

●文章題㊿:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10

「・・・雲海蒼茫 佐渡ノ洲  郎ヲ思ウテ 一日三秋ノ愁  四十九里 風波悪シ 渡ラント欲スレド 妾ガ身自由ナラズ・・・
ははあ、来いとゆたとて行かりょか佐渡へだな、と思った。題を見ると、戯翻竹枝とある。
それは彼の伯父の詩文集であった。伯父は一昨年(昭和五年)の夏死んだ。その(1)イコウ(2)マトめられて、この春、文求堂から上梓されたのである。清末の(3)セキジュで、今は満洲国にいる羅振玉氏がその序文を書いている。その序にいう。
「予往歳(ア)滬江(上海のこと)ニ(4)グウキョス。先後十年間、東邦ノ賢豪長者、道ニ滬上ニ出ヅルモノ、(イ)縞紵ノ歓ヲ聯ネザルハナシ。一日昧爽、櫛沐ニ方リ、打門ノ声甚ダ急ナルヲ聞キ、楼欄ニ憑ツテ之ヲ観ルニ、客アリ。・・・日本男子中島端ト書ス。懐中ノ(5)チョボクヲ探リテ予ト筆談ス。東亜ノ情勢ヲ指陳シテ、傾刻十余紙ヲ尽ス。予(ウ)洒然トシテ之ヲ敬ス。行クニノゾンデ、継イデ見ンコトヲ約シ、ソノ館舎ヲ(エ)詢ヘバ、豊陽館ナリトイフ。翌日往イテ之ヲ訪ヘバ、則チ已ニ行ケリ矣。…………」
・・・ 伯父の遺稿集の巻末につけた、お髯の伯父の跋によれば、死んだ伯父は「狷介ニシテ善ク罵リ、人ヲ仮ス能ハズ。人マタ因ツテ之ヲ仮スコトナシ。大抵視テ以テ狂トナス。遂ニ自ラ号シテ斗南狂夫トイフ。」とある。従って、その遺稿集は、『斗南(オ)存藁』と題されている。この『斗南存藁』を前にしながら、三造は、これを図書館へ持って行ったものか、どうかと頻りに躊躇している。(お髯の伯父から、これを帝大と一高の図書館へ納めるように、いいつけられているのである。)図書館へ持って行って寄贈を申し出る時、著者と自分との関係を聞かれることはないだろうか? その時「私の伯父の書いたものです」と、昂然と答えられるだろうか? 書物の内容の価値とか、著者の有名無名とかいうことでなしに、ただ、「自分の伯父の書いたものを、得々として自分が持って行く」という事の中に、何か、おしつけがましい、図々しさがあるような気がして、神経質の三造には、堪えられないのである。が、また、一方、伯父が文名(6)サクサクたる大家ででもあったなら、案外、自分は得意になって持って行くような軽薄児ではないか、とも考えられる。三造は色々に迷った。とにかく、こんな心遣いが多少病的なものであることは、彼も自分で気がついている。しかし、自己的な虚栄的なこういう気持を、別に、死んだ伯父に対して済まないとは考えない。ただ、この書の寄贈を彼に託した親戚や家人たちが、この気持を知ったら烈しく責めるだろうと思うのである。
 だが、結局彼は、それを図書館に納めることにした。生前、伯父に対してほとんど愛情を抱かなかった罪ほろぼしという気持も、少しは手伝ったのである。実際、近頃になっても伯父について思出すことといえば、大抵、伯父にとって意地の悪い事柄ばかりであった。死ぬ一月ばかり前に、伯父が遺言のようなものを予め書いた。「勿葬、(7)ブップン、勿碑。」(・・・葬式を出すな。墓に埋めるな。碑を立てるな。)これを死後、新聞の死亡通知に出した時、「ブップン」が誤植で、「勿憤」になっていた。一生を焦躁と憤懣との中に送った伯父の遺言が、皮肉にも、憤る(カ)勿れ、となっていたのである。三造の思出すのは大抵このような意地の悪いことばかりだった。ただ、一、二年前と少し違って来たのは、ようやく近頃になって彼は、当時の伯父に対する自分のひねくれた気持の中に「余りに子供っぽい性急な自己反省」と、「自分が最も嫌っていたはずの乏しさ」とを見るようになったことである。
 彼は、軽い罪ほろぼしの気持で『斗南存稾』を大学と高等学校の図書館に納めることにした。但し、神経の浪費を防ぐために、郵便小包で送ろうと考えたのである。図書館に納めることが功徳になるかどうか、すこぶる疑問だな、などと思いながら、彼は、渋紙を探して小包を作りにかかった。
・・・
右の一文は、昭和七年の頃、別に創作のつもりではなく、一つの私記として書かれたものである。十年経たつと、しかし、時勢も変り、個人も成長する。現在の三造には、伯父の遺作を図書館に寄贈するのを躊躇する心理的理由が、もはや余りにも滑稽な羞恥としか映らない。十年前の彼は、自分が伯父を少しも愛していないと、本気で、そう考えていた。人間は何と己れの心の在り処を自ら知らぬものかと、今にして驚くの外はない。
 伯父の死後七年にして、支那シナ事変が起った時、三造は始めて伯父の著書『支那分割の運命』を(8)ヒモトいて見た。この書はまず袁世凱・孫逸仙の人物(9)ゲッタンに始まり、支那民族性への洞察から、我が国民の彼に対する買い被り的同情(この書は大正元年十月刊行。従ってその執筆は民国革命進行中だったことを想起せねばならぬ)を(キ)嗤い、一転して、当時の世界情勢、就中、欧米列強の東亜侵略の勢を指陳して、「今や支那分割の勢既に成りて復、動かすべからず。我が日本の之に対する、如何にせば可ならん。全く分割に(ク)与らざらんか。進みて分割に与らんか」と自ら設問し、さて前説が我が民族発展の閉塞を意味するとせば、勢い、欧米諸国に伍して進んで衡を中原に争わねばならぬものの如く見える。しかしながら、この事たる、究極よりこれを見るに「黄人の相(ケ)食み相闘ふもの」に他ならず、「たとひ我が日本甘んじて白人の牛後となり、二三省の地を割き二三万方里の土地四五千万の人民を得るも、何ぞ黄人の衰滅に補あらん。又何ぞ白人の横行を妨げん。他年(コ)煢々孤立、五洲の内を環顧するに一の同種の国なく一の(10)シンシ輔車相倚り相扶くる者なく、徒らに目前区々の小利を貪りて千年不滅の醜名を流さば、豈大東男児無前の羞に非ずや。」という。則ち分割のこと、これに与るも不利、与らざるも不利、然らばこれに対処するの策なきか。曰く、あり。しかも、ただ一つ。即ち日本国力の充実これのみ。「もし我をして絶大の果断、絶大の力量、絶大の抱負あらしめば、我は進んで支那民族分割の運命を挽回せんのみ。四万々生霊を水火塗炭の中に救はんのみ。蓋し大和民族の天職は殆ど之より始まらんか。」思うに「二十世紀の最大問題はそれ殆ど黄白人種の衝突か。」而しこうして、「我に後来白人を東亜より駆逐せんの絶大理想あり。而して、我が徳我が力能く之を実行するに足らば」則ち始めて日本も救われ、黄人も救われるであろうと。そうして伯父は当時の我が国内各方面について、他日この絶大実力を貯うべき備えありやを顧み、上に聖天子おわしましながら有君而無臣を慨き、政治に外交に教育に、それぞれ得意の辛辣な皮肉を飛ばして、東亜百年のために国民全般の奮起を促しているのである。・・・」「斗南先生」(中島敦)
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(1)遺稿 (2)纏 (3)碩儒 (4)寓居 (5)楮墨 (6)嘖々 (7)勿墳 (8)繙(紐解) (9)月旦 (10)唇歯(脣歯)
(ア)ここう (イ)こうちょ (ウ)せんぜん (エ)と (オ)そんこう (カ)なか (キ)わら (ク)あずか (ケ)は (コ)けいけい
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漢検1級 27-③に向けて その120  文章題訓練㊾

2016年01月24日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その120>
●「文章題訓練」その㊾です。復習・おさらい用にどうぞ👍 「文章題訓練」・・・ここまできたら限の良い次回50回目でめでたく訓練終了~!!
●難度はやや難・・・チャレンジャーは、なんとか80%(24点)以上・・・。リピーターはなんとか90%以上(^^)

●文章題㊾:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10
(A)
「・・・もう一つこの日の新発見は、五重塔の動的な美しさであった。天平大塔がことごとく(1)インメツし去った今日、高塔の美しいものを求めればこの塔の右にいづるものはない。塔の好きなわたくしはこの五重塔の美しさをあらゆる方角から味わおうと試みた。中門の壇上、金堂の壇上、講堂前の石燈籠の傍、講堂の壇上、それからまた石燈籠の傍へ帰り、右へ回って、回廊との間を中門の方へ出る。さらにまた塔の軒下を、頸が痛くなるほど仰向いたまま、ぐるぐる回って歩く。この(2)マンポの間にこの塔がいかに美しく動くかを知ったのである。
 塔は高い。従ってわたくしの目と五層の軒との距離は、五通りに違っている。各層の(ア)勾欄(3)トキョウ(注)もおのおの五通りに違う。その軒や勾欄やトキョウがまた相互間に距離を異にしている。その他塔の形をつくりあげている無数の細かい形象は、ことごとく同じようにわたくしの眼からの距離を異にしているのである。しかしわたくしが静止している時には、これは必ずしも重大なことではない。静止の姿においてはむしろ塔の各層の釣り合いが――たとえば軒の出の多い割合に軸部が低く屋根の勾配が緩慢で、塔身の高さがその広さに対し最低限の(4)ケンコウを示していること、あるいは上に行くほど縮まって行く軒のうちで第二と第四がこころもち多く引っ込み、従って上部にとがって行く塔勢が、かすかな変化のために一層美しく見えることなどが、重大な問題である。しかるにわたくしが一歩動きはじめると、このケンコウや塔勢を形づくっている無数の形象が一斉に位置を換え、わたくしの眼との距離を更新しはじめるのである。しかもその更新の度が一つとして同一でない。眼との距離の近いものは動きが多く、距離の遠い上層のものはきわめてかすかにしか動かない。だからわたくしが連続して歩くときには、非常に早く動く軒と緩慢に動く軒とがある。軒ばかりでなく勾欄もトキョウもことごとく速度が違う。塔全体としては非常に複雑な動き方で、しかもその複雑さが不動のケンコウと塔勢とに統一せられている。またこの複雑な塔の運動も、わたくしが塔身と同じき距離を保って塔の周囲を歩く場合と、塔に近づいてゆく場合と、また斜めに少しずつ遠ざかりあるいは近づく場合とで、ことごとく趣を異にする。斜めに歩く角度は伸縮自在であるから、塔の運動の趣も変幻自在である。わたくしの歩き方はもちろん不規則であった。塔の運動も従って変幻きわまりなかった。しかもその変幻を貫いている(5)カイチョウは、――というよりも絶えず変転し流動するカイチョウは、崩れて行く危険の微塵もないものであった。
 この運動にはもとより色彩がからみついている。五層の屋根の瓦は蒼然として緑青に近く、その屋根の上下両端には点々として濃い緑青がある、――そうしてこれらの色彩の最下層には、(イ)裳階の板屋根の灰色と、その下に微妙な濃淡を示す(ウ)櫺子の薄褐灰色と、それを極度に明快に仕切っている白壁の色とがある。――これらすべての色彩が、おのおの速度を異にして、入り乱れ、走(は)せちがい、流動するがごとくに動くのである。
法隆寺の印象についてはかつて木下杢太郎へあててこう書いたことがある。
 わたくし一己の経験としては、あの中門の内側へ歩み入って、金堂と塔と歩廊とを一目にながめた瞬間に、サアァッというような、非常に透明な一種の音響のようなものを感じます。二度目からは、最初ほど強くは感じませんでしたが、しかしやはり同じ感触があって、同じようなショックが全身を走りました。痺れに似た感じです。次の瞬間にわたくしの心は「魂の森のなかにいる」といったような、妙な静けさを感じます。最初の時にはわたくしは何かの錯覚かと思いました。そうしてあの古い建物の、半ばははげてしまった古い朱の色が、そういう響きのようなものに感じられるのかとも考えてみました。しかしあとで熟考してみると、そのサアァッという透明な響きのようなものの記憶表象には、必ずあの建物の古びた朱の色と無数の櫺子との記憶表象が、非常に鮮明な姿で固く結びついているのです。金堂のまわりにも塔のまわりにもまた歩廊全体にも、古び黒ずんだ(エ)菱角の櫺子は、整然とした平行直線の姿で、無数に並列しています。歩廊の櫺子窓からは、外の光や樹木の緑が、透かして見えています。この櫺子の並列した線と、全体の古びた朱の色とが、特に、そのサアァッという響きのようなものに関係しているのです。二度目に行った時には、この神々しい直線の並列をながめまわして、自分にショックを与えた美の真相を、十分味わおうとすることができました。
・・・
このフェノロサの発見はわれわれ日本人の感謝すべきものである。しかしその見解には必ずしもことごとく同意することができない。たとえばこの微笑をモナリザの微笑に比するのは正当でない。なるほど二者はともに内部から肉の上に造られた美しさである。そうして深い微笑である。しかしモナリザの微笑には、人類のあらゆる光明とともに人類のあらゆる暗黒が宿っている。この観音の微笑は(6)メイソウの奥で得られた自由の境地の純一な表現である。モナリザの内にひそむヴィナスは、聖者の情熱によって修道院に追い込まれ、騎士の情熱によって霊的憧憬の対象となり、奔放な人間性の自覚によって反抗的に罪悪の国の女王となった。この観音の内にひそむヴィナスは、単に従順な慈悲の(オ)婢に過ぎぬ。この観音の像が感覚的な肉の美しさを閑却して、ただ瞑想の美しさにのみ人を引き入れるのはそのためである。・・・」「古寺巡礼」(和辻哲郎)
(注)トキョウ:建築物の柱上にあって軒を支える部分
(B)
「・・・かくしてエレーンは眼を眠る。眠りたる眼は開く期なし。父と兄とは唯々として遺言の如く、憐れなる少女の(カ)亡骸を舟に運ぶ。
 古き江に(キ)漣さえ死して、風吹く事を知らぬ顔に平かである。舟は今 緑(ク)罩むる陰を離れて中流に漕ぎ出づる。櫂操るはただ一人、白き髪の白き髯の翁と見ゆ。ゆるく掻く水は、物憂げに動いて、一櫂ごとに鉛の如き光りを放つ。舟は波に浮ぶ睡蓮の睡れる中に、音もせず乗り入りては乗り越して行く。(ケ)萼傾けて舟を通したるあとには、軽く曳く波足と共にしばらく揺れて花の姿は常の静けさに帰る。押し分けられた葉の再び浮き上る表には、時ならぬ露が珠を走らす。
 舟は(7)ヨウゼンとして何処ともなく去る。美しき亡骸と、美しき衣と、美しき花と、人とも見えぬ一個の翁とを載せて去る。翁は物をもいわぬ。ただ静かなる波の中に長き櫂をくぐらせては、くぐらす。木に彫る人を鞭って起たしめたるか、櫂を動かす腕の外には活きたる所なきが如くに見ゆる。
 と見れば雪よりも白き白鳥が、収めたる翼に、波を裂いて王者の如く(8)ユウゼンと水を練り行く。長き頸の高く(コ)伸したるに、気高き姿はあたりを払って、恐るるもののありとしも見えず。うねる流を傍目もふらず、舳に立って舟を導く。舟はいずくまでもと、鳥の羽に裂けたる波の合わぬ間を随う。両岸の柳は青い。
 シャロットを過ぐる時、いずくともなく悲しき声が、左の岸より古き水の(9)ジャクマクを破って、動かぬ波の上に響く。「うつせみの世を、……うつつ……に住めば……」絶えたる音はあとを引いて、引きたるはまたしばらくに絶えんとす。聞くものは死せるエレーンと、(10)トモに坐る翁のみ。翁は耳さえ借さぬ。ただ長き櫂をくぐらせてはくぐらする。思うに聾なるべし。・・・」「薤露行」(夏目漱石)
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(1)堙滅(湮滅) (2)漫歩 (3)斗拱(または「斗栱」。ただし、「栱」は対象外だが・・・) (4)権衡 (5)諧調 (6)瞑想 (7)杳然 (8)悠然(優然) (9)寂寞 (10)艫
(ア)こうらん (イ)もこし (ウ)れんじ (エ)りょうかく (オ)はしため (カ)なきがら (キ)さざなみ (ク)こ (ケ)うてな (コ)の
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