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<この記事は漢検1級とほとんど関係ありません・・・ちょっとは関連していますが・・・>
●ブログ開設当初から作成しておいたカテゴリー「古代史」に書き込みを開始しています。
●私事の単なるメモ帳のようなものですので、興味のない方はスルーしてください。
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☆☆☆今年のテーマ:①漢検1級199点以上 ②好きな古代史の研究深化(古田説の研究) ③(非公開) ☆☆☆
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●「古代史をひらく 独創の13の扉」から・・・
<第3の扉>・・・倭人にも漢字能力があった・・・
・「一大(イキ)国」「対海国」は倭人による命名・・・現在の「壱岐」「対馬」のこと・・・
*倉田命題「中華思想の古代中国が“一大”などという大それた命名をするわけがない」等。
・だとすると、倭人伝の時代にはすでに倭人に漢字能力があったことになる。
*俾弥呼が後漢の明帝に報恩の上表文を送っていることからも裏付けられる。*上表文の現物や文章は見つかっていないが、俾弥呼が上表文を送ったとの記録は倭人伝にある。・・・この上表文と(当然あるはずの)俾弥呼の自署名が見つかるととても面白いのに・・・。
・一大(イキ)国、一大(イキ)率
*イキ(壱岐)は古名「伊伎島(いきのしま)、天比登都柱(あまのひとつばしら)」(古事記)
*「一(イチ)」はこの古名からきている、「大」は「大国」の意で、壱岐から九州本土に侵略してきた“壱岐軍団”が自らの“母国”を誇らしげに命名した名残り。「一大(イキ)率」・・・九州本土への駐留軍、「諸国、これを畏怖する・・・」
・対海国
*上島・下島の間に浅茅(あそう)湾という瀬戸あり。この浅茅湾をはさんで両島を支配していたことから(倭人によって)命名されたのではないか・・・。
*対馬に「和多都美(わたつみ)神社」(浅茅湾のそば)と「“𣴴”神の宮」という神社あり・・・古い時代の漢字教養が伝えられている。
(注)「𣴴神の宮」というのは現在の「海神神社」のこと。(この神社は、地図をみると、朝鮮半島方面の海のそばにあるが・・・)今、こういう字が現地で使われているかどうか不詳。ネット上では見当たらない。いま、とうなってるんだろ。神社の由来書か何かを入手すればわかるのかな。
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<𣴴>
*海の異体字とも。Unicode U+23D34 。
*ネットで色々探したら、面白い発見・・・あの、弘法大師・空海もこの「𣴴」を使って、自分の名前を「空𣴴(くうかい)」としている文献あり。ネットのその記事では、この「𣴴」の字は、空海が唐から持ち帰った漢字で、それをはじめて使ったとの説明があったが、この神社の創建(不詳だが社伝によれば相当古い・・・神功皇后の3韓征伐に由来する由←この3韓征伐てのも相当怪しいが・・・)からしたら、相当前の時代の字を(倭人)がすでに使っていたことになる。
<対海国>
*上記の(「対海」国の命名の“湾を両岸から支配したので対・海としたのでは”との)説明はちょっと今一つしっくり来ていない、納得感がまだない。もっと詳しい説明がどこかにあるのかな・・・。
*それと本件とは関係ないが、倭人伝にある「対海国 方400里」「一大国 方300里」・・・地図で見る限り、方400里のほうは、対馬の南半分ぐらいの大きさのような気がするが・・・。どうなんだろう。
👍👍👍 🐵 👍👍👍
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●「古代史をひらく 独創の13の扉」から・・・
<第3の扉>・・・倭人にも漢字能力があった・・・
・「一大(イキ)国」「対海国」は倭人による命名・・・現在の「壱岐」「対馬」のこと・・・
*倉田命題「中華思想の古代中国が“一大”などという大それた命名をするわけがない」等。
・だとすると、倭人伝の時代にはすでに倭人に漢字能力があったことになる。
*俾弥呼が後漢の明帝に報恩の上表文を送っていることからも裏付けられる。*上表文の現物や文章は見つかっていないが、俾弥呼が上表文を送ったとの記録は倭人伝にある。・・・この上表文と(当然あるはずの)俾弥呼の自署名が見つかるととても面白いのに・・・。
・一大(イキ)国、一大(イキ)率
*イキ(壱岐)は古名「伊伎島(いきのしま)、天比登都柱(あまのひとつばしら)」(古事記)
*「一(イチ)」はこの古名からきている、「大」は「大国」の意で、壱岐から九州本土に侵略してきた“壱岐軍団”が自らの“母国”を誇らしげに命名した名残り。「一大(イキ)率」・・・九州本土への駐留軍、「諸国、これを畏怖する・・・」
・対海国
*上島・下島の間に浅茅(あそう)湾という瀬戸あり。この浅茅湾をはさんで両島を支配していたことから(倭人によって)命名されたのではないか・・・。
*対馬に「和多都美(わたつみ)神社」(浅茅湾のそば)と「“𣴴”神の宮」という神社あり・・・古い時代の漢字教養が伝えられている。
(注)「𣴴神の宮」というのは現在の「海神神社」のこと。(この神社は、地図をみると、朝鮮半島方面の海のそばにあるが・・・)今、こういう字が現地で使われているかどうか不詳。ネット上では見当たらない。いま、とうなってるんだろ。神社の由来書か何かを入手すればわかるのかな。
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<𣴴>
*海の異体字とも。Unicode U+23D34 。
*ネットで色々探したら、面白い発見・・・あの、弘法大師・空海もこの「𣴴」を使って、自分の名前を「空𣴴(くうかい)」としている文献あり。ネットのその記事では、この「𣴴」の字は、空海が唐から持ち帰った漢字で、それをはじめて使ったとの説明があったが、この神社の創建(不詳だが社伝によれば相当古い・・・神功皇后の3韓征伐に由来する由←この3韓征伐てのも相当怪しいが・・・)からしたら、相当前の時代の字を(倭人)がすでに使っていたことになる。
<対海国>
*上記の(「対海」国の命名の“湾を両岸から支配したので対・海としたのでは”との)説明はちょっと今一つしっくり来ていない、納得感がまだない。もっと詳しい説明がどこかにあるのかな・・・。
*それと本件とは関係ないが、倭人伝にある「対海国 方400里」「一大国 方300里」・・・地図で見る限り、方400里のほうは、対馬の南半分ぐらいの大きさのような気がするが・・・。どうなんだろう。
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