漢検1級198点!! 満点取るまで生涯学習!!

我孫子・手賀沼と愛猫レオンの徒然日記、漢検1級チャレンジャーの方々の参考となるブログにしていきたいと思います。

漢検1級 27-③に向けて その121  文章題訓練㊿

2016年01月24日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その121>
●「文章題訓練」その㊿です。復習・おさらい用にどうぞ👍 「文章題訓練」も今回で最終です。なんとか50作まで完成した。お付き合いいただいた方々、お疲れさまでした。本番でのご健闘をお祈りします👍少しでも役に立ってると嬉しいのですが(^^;)
●難度は・・・チャレンジャーは80%(24点)以上・・・。リピーターは90%以上はとりたいところ(^^)

●文章題㊿:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10

「・・・雲海蒼茫 佐渡ノ洲  郎ヲ思ウテ 一日三秋ノ愁  四十九里 風波悪シ 渡ラント欲スレド 妾ガ身自由ナラズ・・・
ははあ、来いとゆたとて行かりょか佐渡へだな、と思った。題を見ると、戯翻竹枝とある。
それは彼の伯父の詩文集であった。伯父は一昨年(昭和五年)の夏死んだ。その(1)イコウ(2)マトめられて、この春、文求堂から上梓されたのである。清末の(3)セキジュで、今は満洲国にいる羅振玉氏がその序文を書いている。その序にいう。
「予往歳(ア)滬江(上海のこと)ニ(4)グウキョス。先後十年間、東邦ノ賢豪長者、道ニ滬上ニ出ヅルモノ、(イ)縞紵ノ歓ヲ聯ネザルハナシ。一日昧爽、櫛沐ニ方リ、打門ノ声甚ダ急ナルヲ聞キ、楼欄ニ憑ツテ之ヲ観ルニ、客アリ。・・・日本男子中島端ト書ス。懐中ノ(5)チョボクヲ探リテ予ト筆談ス。東亜ノ情勢ヲ指陳シテ、傾刻十余紙ヲ尽ス。予(ウ)洒然トシテ之ヲ敬ス。行クニノゾンデ、継イデ見ンコトヲ約シ、ソノ館舎ヲ(エ)詢ヘバ、豊陽館ナリトイフ。翌日往イテ之ヲ訪ヘバ、則チ已ニ行ケリ矣。…………」
・・・ 伯父の遺稿集の巻末につけた、お髯の伯父の跋によれば、死んだ伯父は「狷介ニシテ善ク罵リ、人ヲ仮ス能ハズ。人マタ因ツテ之ヲ仮スコトナシ。大抵視テ以テ狂トナス。遂ニ自ラ号シテ斗南狂夫トイフ。」とある。従って、その遺稿集は、『斗南(オ)存藁』と題されている。この『斗南存藁』を前にしながら、三造は、これを図書館へ持って行ったものか、どうかと頻りに躊躇している。(お髯の伯父から、これを帝大と一高の図書館へ納めるように、いいつけられているのである。)図書館へ持って行って寄贈を申し出る時、著者と自分との関係を聞かれることはないだろうか? その時「私の伯父の書いたものです」と、昂然と答えられるだろうか? 書物の内容の価値とか、著者の有名無名とかいうことでなしに、ただ、「自分の伯父の書いたものを、得々として自分が持って行く」という事の中に、何か、おしつけがましい、図々しさがあるような気がして、神経質の三造には、堪えられないのである。が、また、一方、伯父が文名(6)サクサクたる大家ででもあったなら、案外、自分は得意になって持って行くような軽薄児ではないか、とも考えられる。三造は色々に迷った。とにかく、こんな心遣いが多少病的なものであることは、彼も自分で気がついている。しかし、自己的な虚栄的なこういう気持を、別に、死んだ伯父に対して済まないとは考えない。ただ、この書の寄贈を彼に託した親戚や家人たちが、この気持を知ったら烈しく責めるだろうと思うのである。
 だが、結局彼は、それを図書館に納めることにした。生前、伯父に対してほとんど愛情を抱かなかった罪ほろぼしという気持も、少しは手伝ったのである。実際、近頃になっても伯父について思出すことといえば、大抵、伯父にとって意地の悪い事柄ばかりであった。死ぬ一月ばかり前に、伯父が遺言のようなものを予め書いた。「勿葬、(7)ブップン、勿碑。」(・・・葬式を出すな。墓に埋めるな。碑を立てるな。)これを死後、新聞の死亡通知に出した時、「ブップン」が誤植で、「勿憤」になっていた。一生を焦躁と憤懣との中に送った伯父の遺言が、皮肉にも、憤る(カ)勿れ、となっていたのである。三造の思出すのは大抵このような意地の悪いことばかりだった。ただ、一、二年前と少し違って来たのは、ようやく近頃になって彼は、当時の伯父に対する自分のひねくれた気持の中に「余りに子供っぽい性急な自己反省」と、「自分が最も嫌っていたはずの乏しさ」とを見るようになったことである。
 彼は、軽い罪ほろぼしの気持で『斗南存稾』を大学と高等学校の図書館に納めることにした。但し、神経の浪費を防ぐために、郵便小包で送ろうと考えたのである。図書館に納めることが功徳になるかどうか、すこぶる疑問だな、などと思いながら、彼は、渋紙を探して小包を作りにかかった。
・・・
右の一文は、昭和七年の頃、別に創作のつもりではなく、一つの私記として書かれたものである。十年経たつと、しかし、時勢も変り、個人も成長する。現在の三造には、伯父の遺作を図書館に寄贈するのを躊躇する心理的理由が、もはや余りにも滑稽な羞恥としか映らない。十年前の彼は、自分が伯父を少しも愛していないと、本気で、そう考えていた。人間は何と己れの心の在り処を自ら知らぬものかと、今にして驚くの外はない。
 伯父の死後七年にして、支那シナ事変が起った時、三造は始めて伯父の著書『支那分割の運命』を(8)ヒモトいて見た。この書はまず袁世凱・孫逸仙の人物(9)ゲッタンに始まり、支那民族性への洞察から、我が国民の彼に対する買い被り的同情(この書は大正元年十月刊行。従ってその執筆は民国革命進行中だったことを想起せねばならぬ)を(キ)嗤い、一転して、当時の世界情勢、就中、欧米列強の東亜侵略の勢を指陳して、「今や支那分割の勢既に成りて復、動かすべからず。我が日本の之に対する、如何にせば可ならん。全く分割に(ク)与らざらんか。進みて分割に与らんか」と自ら設問し、さて前説が我が民族発展の閉塞を意味するとせば、勢い、欧米諸国に伍して進んで衡を中原に争わねばならぬものの如く見える。しかしながら、この事たる、究極よりこれを見るに「黄人の相(ケ)食み相闘ふもの」に他ならず、「たとひ我が日本甘んじて白人の牛後となり、二三省の地を割き二三万方里の土地四五千万の人民を得るも、何ぞ黄人の衰滅に補あらん。又何ぞ白人の横行を妨げん。他年(コ)煢々孤立、五洲の内を環顧するに一の同種の国なく一の(10)シンシ輔車相倚り相扶くる者なく、徒らに目前区々の小利を貪りて千年不滅の醜名を流さば、豈大東男児無前の羞に非ずや。」という。則ち分割のこと、これに与るも不利、与らざるも不利、然らばこれに対処するの策なきか。曰く、あり。しかも、ただ一つ。即ち日本国力の充実これのみ。「もし我をして絶大の果断、絶大の力量、絶大の抱負あらしめば、我は進んで支那民族分割の運命を挽回せんのみ。四万々生霊を水火塗炭の中に救はんのみ。蓋し大和民族の天職は殆ど之より始まらんか。」思うに「二十世紀の最大問題はそれ殆ど黄白人種の衝突か。」而しこうして、「我に後来白人を東亜より駆逐せんの絶大理想あり。而して、我が徳我が力能く之を実行するに足らば」則ち始めて日本も救われ、黄人も救われるであろうと。そうして伯父は当時の我が国内各方面について、他日この絶大実力を貯うべき備えありやを顧み、上に聖天子おわしましながら有君而無臣を慨き、政治に外交に教育に、それぞれ得意の辛辣な皮肉を飛ばして、東亜百年のために国民全般の奮起を促しているのである。・・・」「斗南先生」(中島敦)
👍👍👍 🙊 👍👍👍

(1)遺稿 (2)纏 (3)碩儒 (4)寓居 (5)楮墨 (6)嘖々 (7)勿墳 (8)繙(紐解) (9)月旦 (10)唇歯(脣歯)
(ア)ここう (イ)こうちょ (ウ)せんぜん (エ)と (オ)そんこう (カ)なか (キ)わら (ク)あずか (ケ)は (コ)けいけい
👍👍👍 🙊 👍👍👍
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漢検1級 27-③に向けて その120  文章題訓練㊾

2016年01月24日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その120>
●「文章題訓練」その㊾です。復習・おさらい用にどうぞ👍 「文章題訓練」・・・ここまできたら限の良い次回50回目でめでたく訓練終了~!!
●難度はやや難・・・チャレンジャーは、なんとか80%(24点)以上・・・。リピーターはなんとか90%以上(^^)

●文章題㊾:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10
(A)
「・・・もう一つこの日の新発見は、五重塔の動的な美しさであった。天平大塔がことごとく(1)インメツし去った今日、高塔の美しいものを求めればこの塔の右にいづるものはない。塔の好きなわたくしはこの五重塔の美しさをあらゆる方角から味わおうと試みた。中門の壇上、金堂の壇上、講堂前の石燈籠の傍、講堂の壇上、それからまた石燈籠の傍へ帰り、右へ回って、回廊との間を中門の方へ出る。さらにまた塔の軒下を、頸が痛くなるほど仰向いたまま、ぐるぐる回って歩く。この(2)マンポの間にこの塔がいかに美しく動くかを知ったのである。
 塔は高い。従ってわたくしの目と五層の軒との距離は、五通りに違っている。各層の(ア)勾欄(3)トキョウ(注)もおのおの五通りに違う。その軒や勾欄やトキョウがまた相互間に距離を異にしている。その他塔の形をつくりあげている無数の細かい形象は、ことごとく同じようにわたくしの眼からの距離を異にしているのである。しかしわたくしが静止している時には、これは必ずしも重大なことではない。静止の姿においてはむしろ塔の各層の釣り合いが――たとえば軒の出の多い割合に軸部が低く屋根の勾配が緩慢で、塔身の高さがその広さに対し最低限の(4)ケンコウを示していること、あるいは上に行くほど縮まって行く軒のうちで第二と第四がこころもち多く引っ込み、従って上部にとがって行く塔勢が、かすかな変化のために一層美しく見えることなどが、重大な問題である。しかるにわたくしが一歩動きはじめると、このケンコウや塔勢を形づくっている無数の形象が一斉に位置を換え、わたくしの眼との距離を更新しはじめるのである。しかもその更新の度が一つとして同一でない。眼との距離の近いものは動きが多く、距離の遠い上層のものはきわめてかすかにしか動かない。だからわたくしが連続して歩くときには、非常に早く動く軒と緩慢に動く軒とがある。軒ばかりでなく勾欄もトキョウもことごとく速度が違う。塔全体としては非常に複雑な動き方で、しかもその複雑さが不動のケンコウと塔勢とに統一せられている。またこの複雑な塔の運動も、わたくしが塔身と同じき距離を保って塔の周囲を歩く場合と、塔に近づいてゆく場合と、また斜めに少しずつ遠ざかりあるいは近づく場合とで、ことごとく趣を異にする。斜めに歩く角度は伸縮自在であるから、塔の運動の趣も変幻自在である。わたくしの歩き方はもちろん不規則であった。塔の運動も従って変幻きわまりなかった。しかもその変幻を貫いている(5)カイチョウは、――というよりも絶えず変転し流動するカイチョウは、崩れて行く危険の微塵もないものであった。
 この運動にはもとより色彩がからみついている。五層の屋根の瓦は蒼然として緑青に近く、その屋根の上下両端には点々として濃い緑青がある、――そうしてこれらの色彩の最下層には、(イ)裳階の板屋根の灰色と、その下に微妙な濃淡を示す(ウ)櫺子の薄褐灰色と、それを極度に明快に仕切っている白壁の色とがある。――これらすべての色彩が、おのおの速度を異にして、入り乱れ、走(は)せちがい、流動するがごとくに動くのである。
法隆寺の印象についてはかつて木下杢太郎へあててこう書いたことがある。
 わたくし一己の経験としては、あの中門の内側へ歩み入って、金堂と塔と歩廊とを一目にながめた瞬間に、サアァッというような、非常に透明な一種の音響のようなものを感じます。二度目からは、最初ほど強くは感じませんでしたが、しかしやはり同じ感触があって、同じようなショックが全身を走りました。痺れに似た感じです。次の瞬間にわたくしの心は「魂の森のなかにいる」といったような、妙な静けさを感じます。最初の時にはわたくしは何かの錯覚かと思いました。そうしてあの古い建物の、半ばははげてしまった古い朱の色が、そういう響きのようなものに感じられるのかとも考えてみました。しかしあとで熟考してみると、そのサアァッという透明な響きのようなものの記憶表象には、必ずあの建物の古びた朱の色と無数の櫺子との記憶表象が、非常に鮮明な姿で固く結びついているのです。金堂のまわりにも塔のまわりにもまた歩廊全体にも、古び黒ずんだ(エ)菱角の櫺子は、整然とした平行直線の姿で、無数に並列しています。歩廊の櫺子窓からは、外の光や樹木の緑が、透かして見えています。この櫺子の並列した線と、全体の古びた朱の色とが、特に、そのサアァッという響きのようなものに関係しているのです。二度目に行った時には、この神々しい直線の並列をながめまわして、自分にショックを与えた美の真相を、十分味わおうとすることができました。
・・・
このフェノロサの発見はわれわれ日本人の感謝すべきものである。しかしその見解には必ずしもことごとく同意することができない。たとえばこの微笑をモナリザの微笑に比するのは正当でない。なるほど二者はともに内部から肉の上に造られた美しさである。そうして深い微笑である。しかしモナリザの微笑には、人類のあらゆる光明とともに人類のあらゆる暗黒が宿っている。この観音の微笑は(6)メイソウの奥で得られた自由の境地の純一な表現である。モナリザの内にひそむヴィナスは、聖者の情熱によって修道院に追い込まれ、騎士の情熱によって霊的憧憬の対象となり、奔放な人間性の自覚によって反抗的に罪悪の国の女王となった。この観音の内にひそむヴィナスは、単に従順な慈悲の(オ)婢に過ぎぬ。この観音の像が感覚的な肉の美しさを閑却して、ただ瞑想の美しさにのみ人を引き入れるのはそのためである。・・・」「古寺巡礼」(和辻哲郎)
(注)トキョウ:建築物の柱上にあって軒を支える部分
(B)
「・・・かくしてエレーンは眼を眠る。眠りたる眼は開く期なし。父と兄とは唯々として遺言の如く、憐れなる少女の(カ)亡骸を舟に運ぶ。
 古き江に(キ)漣さえ死して、風吹く事を知らぬ顔に平かである。舟は今 緑(ク)罩むる陰を離れて中流に漕ぎ出づる。櫂操るはただ一人、白き髪の白き髯の翁と見ゆ。ゆるく掻く水は、物憂げに動いて、一櫂ごとに鉛の如き光りを放つ。舟は波に浮ぶ睡蓮の睡れる中に、音もせず乗り入りては乗り越して行く。(ケ)萼傾けて舟を通したるあとには、軽く曳く波足と共にしばらく揺れて花の姿は常の静けさに帰る。押し分けられた葉の再び浮き上る表には、時ならぬ露が珠を走らす。
 舟は(7)ヨウゼンとして何処ともなく去る。美しき亡骸と、美しき衣と、美しき花と、人とも見えぬ一個の翁とを載せて去る。翁は物をもいわぬ。ただ静かなる波の中に長き櫂をくぐらせては、くぐらす。木に彫る人を鞭って起たしめたるか、櫂を動かす腕の外には活きたる所なきが如くに見ゆる。
 と見れば雪よりも白き白鳥が、収めたる翼に、波を裂いて王者の如く(8)ユウゼンと水を練り行く。長き頸の高く(コ)伸したるに、気高き姿はあたりを払って、恐るるもののありとしも見えず。うねる流を傍目もふらず、舳に立って舟を導く。舟はいずくまでもと、鳥の羽に裂けたる波の合わぬ間を随う。両岸の柳は青い。
 シャロットを過ぐる時、いずくともなく悲しき声が、左の岸より古き水の(9)ジャクマクを破って、動かぬ波の上に響く。「うつせみの世を、……うつつ……に住めば……」絶えたる音はあとを引いて、引きたるはまたしばらくに絶えんとす。聞くものは死せるエレーンと、(10)トモに坐る翁のみ。翁は耳さえ借さぬ。ただ長き櫂をくぐらせてはくぐらする。思うに聾なるべし。・・・」「薤露行」(夏目漱石)
👍👍👍 🙊 👍👍👍

(1)堙滅(湮滅) (2)漫歩 (3)斗拱(または「斗栱」。ただし、「栱」は対象外だが・・・) (4)権衡 (5)諧調 (6)瞑想 (7)杳然 (8)悠然(優然) (9)寂寞 (10)艫
(ア)こうらん (イ)もこし (ウ)れんじ (エ)りょうかく (オ)はしため (カ)なきがら (キ)さざなみ (ク)こ (ケ)うてな (コ)の
👍👍👍 🙊 👍👍👍
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漢検1級 27-③に向けて その119  文章題訓練㊽

2016年01月23日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その119>
●「文章題訓練」その㊽です。復習・おさらい用にどうぞ👍
●難度は・・・チャレンジャーは80%(24点)以上が目標・・・。リピーターは限りなく90%以上とりたい(^^)

●文章題㊽:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10
(A)
「・・・薬師寺の裏門から六条村へ出て、それからまっすぐに東へ、佐保川の流域である泥田の原のなかの道を、俥にゆられながら帰る。(ア)暮靄につつまれた大和の山々は、さすがに古京の夕らしい哀愁をそそるが、目を落として一面の泥田をながめやると、これがかつて都のただ中であったのかと驚く。佐保川の河床が高まって、昔の(1)コウソウな地を今の湿地に変えたのかも知れない。しかしまた都のうちに水田もあったらしい奈良京の大半は、当初からこの種の湿地であったとも考えられる。もしこの想像に相当の根拠が与えられるならば、このことは奈良京が短命であった理由として看過し難い。史家は政治上の理由や古来の遷都思想のみからこの点を説こうとしているが、この湿地の不健康性はもっと根本的な理由となり得たはずである。天平の中ごろに(2)ショウケツをきわめた疫瘡の流行は、特に猛烈にこの湿地を襲ったであろう。次いで起こった光明后の大患も、同じくこの湿地の間接の影響に基づいたのでないとはいえまい。この時に恭仁遷都の議が起こったのは、単に藤原氏の勢力を駆逐しようとする一派の貴族の策略とのみは考えられぬ。・・・
・・・この時代にも(3)ケッパツや衣服の唐風化が急速に行われた。それは外形のことに過ぎない。しかし外形の変革はやがて内部の変革を呼び出さずにはいなかったのである。
・・・さらに新人の(4)ユウなるものは、道昭、智通、定慧などの僧侶である。道昭は古い帰化人の(イ)裔であり、定慧は鎌足の子であるが、共に唐に入って(ウ)玄三蔵に学び、当時の世界文化の絶頂をきわめて来た。彼らのもたらしたものが単に法相宗の教義のみでなかったことはいうまでもない。
・・・掛かりの館員は愛想よく迎えて挨拶がすむと、さて何を出しましょう、まず法華寺三尊、さよう、どうしてもあれですな。館丁は命をうけて(5)キッキュウジョとして出て行く。それから何にしましょう、西大寺の十二天、さよう、(6)イップクでいいとなるとまず水天ですかな、まあそうでしょうな、それから、薬師寺の(7)キッショウテン、さよう、あれも代表的のものですからな、それから信貴山縁起、ようがす、それから、それだけですか、なにおよろしければいくらでも出しますよ。
・・・わたくしが初めてこの画を見た時には(8)バンを持った童子の画と共にガラス戸の中に掛けてあった。その朝奈良停車場に着いてすぐに博物館を訪れ、推古から鎌倉までのさまざまな彫刻をながめ暮らしたのであるが、閉館の時刻の迫った時に急いで画の陳列してある方へ行ってこの画にぶつかったのである。そこは窓のない室で幾分薄暗かった。しかしバンを持った童子の美しさはわたくしの目を引かないではいなかった。(エ)胡粉のはげかかった白い顔の愛らしさ、優しい姿をつつむ衣の白緑や緑青の古雅なにおい、暗緑の地に浮き出ている蓮の花びらの大気に漂う静かな心持ち、吹き流されている赤いバンに感ぜられる運動の微妙さ。わたくしはしばらくその前を動かなかった。やがて迫って来る時間に気づいて、中尊の阿弥陀像に(9)イチベツをくれたまま、急いでその室を立ち去った。阿弥陀像の印象として残ったのは体がいやに扁平なことと眼が特に目立っていながら顔がおもしろくないことぐらいなものであった。もちろんこの画が中尊で童子の画がそれに属していることなどはその時は知らなかった。・・・」「古寺巡礼」(和辻哲郎)
(B)
「・・・鏡の中なる遠柳の枝が風に靡いて動く間あいだに、忽ち(オ)銀の光がさして、熱き埃を薄く揚げ出す。銀の光りは南より北に向って真一文字にシャロットに近付いてくる。女は小羊を覘(ねら)う鷲の如くに、影とは知りながら瞬きもせず鏡の裏を見詰むる。十丁にして尽きた柳の木立を風の如くに駈け抜けたものを見ると、鍛え上げた鋼の鎧に満身の日光を浴びて、同じ兜との鉢金よりは尺に余る白き毛を、飛び散れとのみさんさんと靡かしている。栗毛の駒の逞しきを、頭も胸も革に(カ)裹みて飾れる鋲の数は篩い落せし秋の夜の(10)セイシュクを一度に集めたるが如き心地である。女は息を凝らして眼を据える。・・・
 曲がれる堤に沿うて、馬の首を少し左へ向け直すと、今までは横にのみ見えた姿が、真正面に鏡にむかって進んでくる。太き槍をレストに収めて、左の肩に盾を懸けたり。女は領を延ばして盾に描ける模様を(キ)確と見分けようとする体であったが、かの騎士は何の会釈もなくこの鉄鏡を突き破って通り抜ける勢いで、いよいよ目の前に近づいた時、女は思わず(ク)梭(ケ)抛げて、鏡に向って高くランスロットと叫んだ。ランスロットは兜の廂の下より耀く眼を放って、シャロットの高き(コ)台を見上げる。爛々たる騎士の眼と、針を束ねたる如き女の鋭き眼とは鏡の裡にてはたと出合った。この時シャロットの女は再び「サー・ランスロット」と叫んで、忽ち窓の傍に馳け寄って蒼き顔を半ば世の中に突き出だす。人と馬とは、高き台の下を、遠きに去る地震の如くに馳け抜ける。・・・」」「薤露行」(夏目漱石)
👍👍👍 🙊 👍👍👍

(1)高燥 (2)猖獗 (3)結髪 (4)尤 (5)鞠躬如 (6)一幅 (7)吉祥天 (8)幡 (9)一瞥 (10)星宿
(ア)ぼあい (イ)すえ (ウ)げんじょう (エ)ごふん (オ)しろがね (カ)つつ (キ)しか (ク)ひ (ケ)な (コ)うてな
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漢検1級 27-③に向けて その118  文章題訓練㊼

2016年01月23日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その118>
●「文章題訓練」その㊼です。復習・おさらい用にどうぞ👍
●難度は・・・チャレンジャーは80%(24点)以上が目標・・・。リピーターは限りなく90%以上とりたい(^^)

●文章題㊼:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10

(A)
「・・・楓だけでもそれぐらいであるが、東山の落葉樹から見れば楓はほんの一部分である。新緑のころ、東山の常緑樹の間に(ア)点綴されていかにも(1)モウシュンらしい感じを醸し出す落葉樹は、葉の大きいもの、中ぐらいのもの、小さいものといろいろあったが、それらは皆同じように、新芽の色から若葉の色までの変遷と展開を五月の上句までに終えるのである。そうしてそのあとに常緑樹の新芽が目立ち始める。椎とか(イ)樫とかの新芽である。前に言ったように椎の新芽の黄金色が、むくむくと盛り上がったような形で東山の山腹のあちこちに目立ってくるのは、ちょうどこのころである。やがてその新芽がだんだん延びて、常磐樹らしく落ちついた、光沢のある新緑の葉を展開し終えるころには、落葉樹の若葉は深い緑色に落ちついて、もう色の動きを見せなくなる。そうなるともうすぐに五月雨の季節である。栗の花や椎の花が黄金色に輝いて人目をひくのはそのころである。
・・・ 
少しずつ黄色が目立ちはじめるのは、十月になってからであったと思う。新緑の時に樹の種類によって遅速があり、またその新芽の色を著しく異にしていたように、緑があせて黄色が勝ち始める時期も、またその黄色の色調も、樹によってそれぞれ違う。十月の中ごろにはそういう相違がはっきりと感じられるようになる。(ウ)楢であったか、形のいい大きい葉で、実に純粋な美しい黄色を見せるのもあった。それから(2)ハゼのような真紅な色になる葉との間に、実にさまざまな段階、さまざまな種類がある。それが大きい樹にも見られれば、下草の小さい木にも見られる。
・・・
こういう雪景色と交錯して、二月の初め、立春の日の少し前あたりから、池の鯉が動きはじめ、小鳥がしきりに庭先へ来る。そういう季節が、紅葉と新緑とから最も(エ)距たっていて、そうして最も落ちついた、地味な美しさのある時である。昔の人はちょうどそのころに年の始めを祝ったのであった。・・・」「京の四季」(和辻哲郎)

(B)
「 数多き観音像、観音崇拝――写実――百済観音
 推古天平室に佇立したわたくしは、今さら、観音像の多いのに驚いた。
聖林寺観音の左右には大安寺の不空羂索観音や楊柳観音が立っている。それと背中合わせにわが百済観音が、(3)ヒョウビョウたる雰囲気を漂わしてたたずむ。これは虚空蔵と呼ぶのが正しいのかも知れぬが、伝に従ってわれわれは観音として感ずる。その右に立っている法輪寺虚空蔵は、百済観音と同じく左手に(オ)澡瓶を把り、右の肱を曲げ、(カ)掌を上に向けて開いている。これも観音の範疇に入りそうである。さらに百済観音の左には、薬師寺(?)の、破損はひどいが稀有に美しい木彫の観音があって、ヴィナスの(4)エンビにも似た印象をわれわれに与える。その後方には法隆寺の小さい観音が立っている。
 目を転じて室の西南隅に向かうと、そこには大安寺の、(5)シャクジョウを持った女らしい観音や一輪の蓮花を携えた男らしい観音などが、ズラリと並んでいる。さらに目を転じて室の北壁に向かうと、そこにも唐招提寺などの木彫の観音が、あたかも整列せしめられたごとくに、並び立っている。室の中央には法隆寺の小さい金銅観音が、奇妙な微笑を口元に浮かべつつ、台上のところどころにたたずんでいる。岡寺の観音は(6)ハンカの膝に肱をついて、夢みるごとき、和やかな瞑想にふける。それが(7)ミロクであるとしても、われわれの受ける印象は依然として観音である。
・・・
天武帝は壬申の乱を通じて即位せられたために、古来史家の間にさまざまの論議をひき起こしてはいるが、われわれにとっては他の意味で興味の深い代表的人物である。第一に、帝は万葉の歌人として名高い。額田王に送って(8)センザイの後に物議の種を残した有名な恋歌「紫の匂へる妹を憎くあらば人妻ゆゑに吾れ恋めやも、」の一首は、帝の情熱的な性質を語って(9)ヨウンがない。その情熱はまた仏教を信ずる上にも現われた。
・・・
カラ風呂――光明后施浴の伝説――蒸し風呂の伝統
 法華寺の境内に光明皇后施浴の伝説を負うた浴室がある。いわゆるカラ風呂である。・・・これがつまり浴槽であって、そのなかへ、床板の下から湧出する蒸気が、充満する仕掛けになっている。純然たる蒸し風呂である。
 この構造が天平時代のものをそのまま伝えているのかどうかはわからない。東側のたき口は西洋(キ)竈風に煉瓦を積んで造ってあったし、北側の隅には現在の尼僧が常用するコンクリート造りの長州風呂が設けてあった。この種の改良が千年にわたって少しずつ試みられたとすれば、これによって原形を想像するのは危険な話である。しかしこの「蒸し風呂としての構造」だけは昔の面影を伝えていはしまいか。少なくともこれに似寄った蒸し風呂が光明皇后の時代に存在したということは確かではなかろうか。
 この浴室に光明皇后施浴の図が額にして掲げてある。現在の銭湯と同じ構造の浴室に偏体(10)カイライの病人がうずくまり、十二ひとえに身を装うた皇后がその側に佇立している図である。光明皇后の十二ひとえも時代錯誤でおかしいが、この蒸し風呂の設備と相面して銭湯風の浴室が画いてあるのは、愛嬌を通り越してむしろ皮肉に感ぜられた。しかし実のところわれわれは光明皇后施浴の伝説を、漠然とこの図のように想像していたのである。施浴が蒸し風呂であるとすると、われわれも考えなおさなくてはならない。
・・・しかし伝説は単にそういう「施浴」を語るだけにとどまってはいないのである。『元亨釈書』などの伝える所によると、――東大寺が完成してようやく慢心の生じかけていた光明后は、ある夜(ク)閤裏空中に「施浴」をすすむる声を聞いて、恠喜(かいき)して温室を建てられた。しかしそればかりでなく同時に「我親ら千人の垢を去らん」という誓いを立てられた。もちろん周囲からはそれを諫止したが、后の志をはばむことはできなかった。かくて九百九十九人の垢を流して、ついに最後の一人となった。それが体のくずれかかったカイライで、臭気充室というありさまであった。さすがの后も躊躇せられたが、千人目ということにひかされてついに辛抱して玉手をのべて背をこすりにかかられた。すると病人が言うに、わたくしは悪病を患って永い間この(ケ)瘡に苦しんでおります。ある良い医者の話では、誰か人に膿を吸わせさえすればきっと癒るのだそうでございます。が、世間にはそんな慈悲深い人もございませんので、だんだんひどくなってこのようになりました。お后様は慈悲の心で人間を平等にお救いなされます。このわたくしもお救い下されませぬか。――后は天平の美的精神を代表する。その官能は馥郁たる熱国の香料と滑らかな玉の肌ざわりと釣り合いよき物の形とに慣れている。いかに慈悲のためとはいっても癩病人の肌に唇をつけることは堪えられない。しかしそれができなければ、今までの行はごまかしに過ぎなくなる。きたないから救ってやれないというほどなら、最初からこんな企てはしないがいい。信仰を捨てるか、美的趣味をふみにじるか。この二者択一に押しつけられた后は、不レ得レ已、癩病の体の頂の瘡に、天平随一の朱唇を押しつけた。そうして膿を吸って、それを美しい歯の間から吐き出した。かくて瘡のあるところは、肩から胸、胸から腰、ついに(コ)踵にまでも及んだ。偏体の賤人の土足が女のなかの女である人の唇をうけた。さあ、これでみな吸ってあげた。このことは誰にもおいいでないよ。――病人の体は、突然、端厳な形に変わって、明るく輝き出した。・・・」「古寺巡礼」(和辻哲郎)
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(1)孟春 (2)櫨 (3)縹渺 (4)艶美 (5)錫杖 (6)半跏 (7)弥勒 (8)千載 (9)余蘊 (10)疥癩
(ア)てんてい(てんてつ) (イ)かし (ウ)なら (エ)へだ (オ)そうへい(そうびょう) (カ)たなごころ (キ)かまど (ク)こうり (ケ)かさ(くさ) (コ)かかと
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漢検1級 27-③に向けて その117  文章題訓練㊻

2016年01月22日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その117>
●「文章題訓練」その㊻です。復習・おさらい用にどうぞ👍
●難度は・・・チャレンジャーは80%(24点)以上が目標・・・。リピーターは限りなく90%以上とりたい(^^)

●文章題㊻:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10

「・・・ 後五年、昭帝の始元六年の夏、このまま人に知られず北方に(1)キュウシすると思われた蘇武が偶然にも漢に帰れることになった。漢の天子が上林苑中で得た雁の足に蘇武の(2)ハクショがついていた云々というあの有名な話は、もちろん、蘇武の死を主張する単于を説破するためのでたらめである。十九年前蘇武に従って胡地に来た常恵という者が漢使に遭って蘇武の生存を知らせ、この嘘をもって武を救い出すように教えたのであった。さっそく北海の上に使いが飛び、蘇武は単于の庭につれ出された。李陵の心はさすがに動揺した。ふたたび漢に戻れようと戻れまいと蘇武の偉大さに変わりはなく、したがって陵の心の(ア)笞たるに変わりはないに違いないが、しかし、天はやっぱり見ていたのだという考えが李陵をいたく打った。見ていないようでいて、やっぱり天は見ている。彼は粛然として(イ)懼れた。今でも、己れの過去をけっして非なりとは思わないけれども、なおここに蘇武という男があって、無理ではなかったはずの己れの過去をも恥ずかしく思わせることを堂々とやってのけ、しかも、その跡が今や天下に顕彰されることになったという事実は、なんとしても李陵にはこたえた。胸をかきむしられるような女々しい己れの気持が(3)センボウではないかと、李陵は極度に惧れた。
 別れに臨んで李陵は友のために宴を張った。いいたいことは山ほどあった。しかし結局それは、胡こに降ったときの己れの志が(4)ナヘンにあったかということ。その志を行なう前に故国の一族が(5)リクせられて、もはや帰るに由なくなった事情とに尽きる。それを言えば愚痴になってしまう。彼は一言もそれについてはいわなかった。ただ、宴(ウ)酣にして堪えかねて立上がり、舞いかつ歌うた。
歌っているうちに、声が(6)フルえ涙が頬を伝わった。女々しいぞと自ら叱りながら、どうしようもなかった。
 蘇武は十九年ぶりで祖国に帰って行った。
・・・司馬遷はその後も(エ)孜々として書き続けた。
 この世に生きることをやめた彼は書中の人物としてのみ活きていた。現実の生活ではふたたび開かれることのなくなった彼の口が、魯仲連の舌端を借りてはじめて烈々と火を噴くのである。あるいは伍子胥となって己が眼を(オ)抉らしめ、あるいは藺相如となって秦王を叱し、あるいは太子丹となって泣いて荊軻を送った。楚の屈原の憂憤を叙して、そのまさに(カ)汨羅に身を投ぜんとして作るところの懐沙之賦を長々と引用したとき、司馬遷にはその賦がどうしても己れ自身の作品のごとき気がしてしかたがなかった。
 稿を起こしてから十四年、(7)フケイ(キ)禍いに遭ってから八年。都では(ク)巫蠱の獄が起こり戻太子の悲劇が行なわれていたころ、父子相伝のこの著述がだいたい最初の構想どおりの通史がひととおりでき上がった。これに増補(8)カイサン推敲を加えているうちにまた数年がたった。史記百三十巻、五十二万六千五百字が完成したのは、すでに武帝の崩御に近いころであった。
 列伝第七十太史公自序の最後の筆を擱いたとき、司馬遷は几に凭ったまま(ケ)惘然とした。深い溜息が腹の底から出た。目は庭前の(コ)槐の茂みに向かってしばらくはいたが、実は何ものをも見ていなかった。うつろな耳で、それでも彼は庭のどこからか聞こえてくる一匹の蝉の声に耳をすましているようにみえた。歓びがあるはずなのに気の抜けた漠然とした寂しさ、不安のほうが先に来た。
 完成した著作を官に納め、父の墓前にその報告をするまではそれでもまだ気が張っていたが、それらが終わると急に酷い虚脱の状態が来た。(9)ヒョウイの去った(10)フシャのように、身も心もぐったりとくずおれ、まだ六十を出たばかりの彼が急に十年も年をとったように耄(ふ)けた。武帝の崩御も昭帝の即位もかつてのさきの太史令司馬遷の脱殻にとってはもはやなんの意味ももたないように見えた。前に述べた任立政らが胡地に李陵を訪ねて、ふたたび都に戻って来たころは、司馬遷はすでにこの世に亡なかった。」「李陵」(中島敦)
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(1)窮死 (2)帛書 (3)羨望 (4)那辺(奈辺) (5)戮 (6)顫(震) (7)腐刑 (8)改刪 (9)憑依 (10)巫者
(ア)しもと (イ)おそ (ウ)たけなわ (エ)しし (オ)えぐ (カ)べきら (キ)わざわ (ク)ふこ (ケ)ぼうぜん (コ)えんじゅ
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漢検1級 27-③に向けて その116  文章題訓練㊺

2016年01月22日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その116>
●「文章題訓練」その㊺です。復習・おさらい用にどうぞ👍
●難度はかなり易・・・チャレンジャーは80%(24点)以上はとりたい・・・。リピーターは限りなく100%とりたい(^^)

●文章題㊺:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10

「・・・街へ下りてニュウスを聞く。流説(1)フンプン。昨夜遅く太鼓が響き、人々は武器を取ってムリヌウに  (ア)馳せつけたが、何事もなかったと。今の所、アピア市には、事なし。市参事官に尋ねたが、情報なしという。
 街から西の渡し場迄行って、マターファ側の村々の様子を見ようと、馬に(イ)騎る。ヴァイムスまで行くと、路傍の家々に人々がごたごた立騒いでいたが、武装はしていない。川を渡る。三百(ウ)碼で又、川。対岸の木蔭にウィンチェスターを担った七人の(2)ホショウがいる。近づいても、動きもしなければ声を掛けもしない。目で追うたのみ。私は馬に水を飲ませ、「タロファ!」と挨拶して其処を過ぎた。ホショウ隊長も「タロファ!」と応えた。之から先の村には武装兵が一杯に詰めかけている。支那人商人の住む洋館一棟あり。中立旗が門の所に(エ)翻る。ヴェランダには人々、女達が多勢立って外を眺めている。中には銃を持った者もいた。此の支那人ばかりではなく、島に住む外国人は皆自己の資財を守るに(3)キュウキュウとしている。(チーフ・ジャスティスと政務長官とがムリヌウからティヴォリ・ホテルに避難したそうだ。)途で土民兵の一隊が銃を担い弾薬筒を帯び、生々した様子で行進して来るのに遇う。ヴァイムスに着く。村の広場マラエには武装した男達が充満。会議室の中にも人々が満ち、その出口の所から外を向いて、一人の演説者が大声でしゃべっている。誰の顔にも歓ばしげな昂奮がある。見知り越しの老酋長の所へ寄ったが、此の前会った時とは打って変って、若々しく活気づいて見えた。少し休んで一緒にスルイを吸う。帰ろうとして外へ出た時、顔を黒く(オ)隈どり、腰布のうしろを捲き上げて(カ)臀部の入墨をあらわした一人の男が進み出て、妙な踊りをして見せ、小刀を空高く投げ上げて、それを見事に受けとめて見せた。野蛮で幻想的で、生気に溢れた観ものである。以前にも少年がこんな事をするのを見たことがあるから、之は(4)キット戦争時の儀礼みたいなものであろう。

八月×日
 医者に執筆を禁じられた。全然よす訳には行かないが、近頃は毎朝二三時間畑で過すことにしている。之は大変工合が良いようだ。ココア栽培で一日十磅も稼げれば、文学なんか他人に呉れてやってもいいんだが。
 うちの畑でとれるもの――キャベツ、トマト、アスパラガス、(5)エンドウ、オレンジ、パイナップル、グースベリィ、コール・ラビ、バーバディン、等。
「セント・アイヴス」も、そう悪い出来とは思わないが、(キ)兎角、難航だ。目下、オルムのヒンドスタン史を読んでいるが、大変面白い。十八世紀風の忠実な非(6)ジョジョウ的記述。
 二三日前突然、碇泊中の軍艦に出動命令が下り、沿岸を廻航してアトゥア叛民を砲撃することになった由。一昨日の午前中、ロトゥアヌウからの砲声が我々を脅した。今日も遠く(7)インインたる砲声が聞える。
一八九四年十月×日
 私がまだマターファの名を挙げるのを聞くと、人々(白人)は妙な顔をする。丁度、去年の芝居の噂でも聞いた時のように。或る者は又、にやにや笑い出す。下劣な笑だ。何は措いてもマターファの事件を可嗤的なものとしてはならぬと思う。一作家の奔走だけでは、どうにもならぬ。(小説家は、事実を述べている時でも、物語を語っているのではないかと思われるらしい。)誰か実際的な地位を有つ人物が援けて呉れなければ駄目だ。
 全然面識の無い人物だが、英国下院でサモア問題に就いて質問したJ・F・ホーガン氏に宛て、手紙を書いた。新聞によれば、彼は再三に亘ってサモアの内紛についての質問をしているから、相当この問題に関心を抱いているものと見られるし、質問の内容を見ても、かなり事情にも通じているらしい。此の議員宛の書面の中で、私は繰り返し、マターファの処刑の厳に失する所以を説明した。殊に、最近叛乱を起した小タマセセの場合と比較して、その余りに(8)ヘンパなことを。何等罪状の指摘できないマターファ(彼は、いわば喧嘩を売られたに過ぎぬのだから)が千(ク)浬離れた孤島に(ケ)流謫され、一方、島内白人の(9)センメツを標榜して立った小タマセセは小銃五十梃の没収で済んだ。こんな莫迦な話があるか。今ヤルートにいるマターファの所へはカトリックの牧師以外に誰も行くことが許されない。手紙をやることも出来ぬ。最近、彼の一人娘が(10)カンゼン禁を犯してヤルートへ渡ったが、発見されれば、又連れ戻されるのだろう。
 千浬以内にいる彼を救う為に、数万浬彼方の国の(コ)輿論を動かさねばならぬなんて、妙な話だ。
 もしマターファがサモアへ帰れるようだったら、彼はきっと僧職に入るだろう。彼は其の方面の教育を受けてもいるし、又、そうした人柄でもあるのだから。サモア迄は望めずとも、せめてフィジイ島位まで来られたら、そうして、故郷のそれと違わぬ食事、飲料を与えられ、慾には時々我々と会うことが出来たら、どんなにか有難いのだが。・・・」「光と風と夢」(中島敦)
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(1)紛々 (2)歩哨 (3)汲々 (4)屹度(急度) (5)豌豆 (6)抒情(叙情) (7)殷々 (8)偏頗 (9)殲滅 (10)敢然
(ア)は (イ)の (ウ)やーど (エ)ひるがえ (オ)くま (カ)でんぶ (キ)とかく (ク)かいり (ケ)るたく (コ)よろん
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漢検1級 27-③に向けて その115  文章題訓練㊹

2016年01月22日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その115>
●「文章題訓練」その㊹です。復習・おさらい用にどうぞ👍
●難度はかなり易・・・チャレンジャーは80%(24点)以上はとりたい・・・。リピーターは限りなく100%とりたい(^^)

●文章題㊹:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10

「・・・午前中、稜鏡(プリズム)羅針儀を借りて来て仕事にかかる。この器械に私は一八七一年以来触れたことがなく、又、それに就いて考えたこともなかったのだが、兎に角、三角形を五つ引いた。エディンバラ大学工科卒業生たるの誇を新たにする。だが、何という怠惰な学生で私はあったか! ブラッキイ教授やテイト教授のことを、ひょいと思出した。
 午後は又、植物共のあらわな生命力との無言の闘争。こうして斧や鎌を揮って六(ア)片分も働くと、私の心は自己満足でふくれ返るのに、家の中で机に向って二十(イ)磅稼いでも、愚かな良心は、己の怠惰と時間の空費とを悼むのだ。之は一体どうした訳か。
 働きながら、ふと考えた。俺は幸福か? と。しかし、幸福というやつは解らぬ。それは自意識以前のものだ。が、快楽なら今でも知っている。色々な形の・多くの快楽を。(どれも之も完全なものとてないが。)其れ等の快楽の中で、私は、「熱帯林の静寂の中で唯一人斧を揮う」この伐木作業を、高い位置に置くものだ。誠に、「歌の如く、情熱の如く」此の仕事は私を魅する。現在の生活を、私は、他の如何なる環境とも取り換えたく思わない。しかも一方、正直な所を云えば、私は今、或る強い嫌悪の情で、絶えずゾッとしているのだ。本質的にそぐわない環境の中へ強いて身を投じた者の感じねばならない肉体的な嫌悪というやつだろうか。神経を逆撫でする荒っぽい残酷さが、何時も私の心を押しつける。(1)ウゴメき、まつわるものの、いやらしさ。周囲の(2)クウジャクと神秘との迷信的な不気味さ。私自身の荒廃の感じ。絶えざる(3)サツリクの残酷さ。植物共の生命が私の指先を通して感じられ、彼等のあがきが、私には歎願のように応える。血に塗れているような自分を感じる。
・・・
 やがて又も河床は乾き、いよいよヴァエア山の(ウ)嶮しい面を上って行く。河床らしいものもなくなり、山頂に近い台地に出る。彷徨すること暫し、台地が東側の大峡谷に落ちこむ縁の所に、一本の素晴らしい巨樹を見付けた。(エ)榕樹だ。高さは二百(オ)呎もあろう。巨幹と数知れぬ其の従者共(気根)とは、地球を担うアトラスの様に、怪鳥の翼を拡げたるが如き大枝の群を支え、一方、枝々の嶺の中には、羊歯・蘭類がそれぞれ又一つの森のように(カ)叢がり茂っている。枝々の群は、一つの途方もなく大きな円蓋(ドーム)だ。それは層々累々と盛上って、明るい西空(既に大分夕方に近くなっていた)に高く向い合い、東の方数(4)マイル(キ)谿から野にかけて(5)エンエンと拡がる其の影の巨きさ! 誠に、何とも(6)ゴウトウな観ものであった。
・・・
マターファの大(7)キョウエンに招かれているので、朝早く出発。同行者――母、ベル、タウイロ(うちの料理番の母で、近在の部落の(8)シュウチョウ夫人。母と私とベルと、三人を合せたより、もう一周り大きい・物凄い体躯をもっている。)通訳の混血児サレ・テーラー、外、少年二人。
 カヌーとボートとに分乗。途中でボートの方が、遠浅の礁湖の中で動かなくなって了う。仕方がない。跣足になって岸まで歩く。約一マイル、干潟の徒渉。上からはかんかん照り付けるし、下は泥でぬるぬる滑る。シドニイから届いたばかりの私の服も、イソベルの・白い・縁とりのドレスも、さんざんの目に逢う。午過ぎ、泥だらけになって、やっとマリエに着く。母達のカヌー組は既に着いていた。最早、戦闘舞踊は終り、我々は、食物献納式の途中から(といっても、たっぷり二時間はかかったが)見ることが出来ただけだった。
 家の前面の緑地の周囲に、(9)ヤシの葉や、荒布で囲われた仮小舎が並び、大きな(10)クケイの三方に土人達が部落別に集まっている。実にとりどりな色彩の服装だ。タパを纏った者、パッチ・ワークを纏った者、粉をふった(ク)白檀を頭につけた者、紫の花弁を頭一杯に飾った者…………
・・・それから、未だ見たこともない不思議な情景が現れた。突然、ポポ父子が立上り、長い棒を手に、食物の(ケ)堆く積まれた庭に飛出して、奇妙な踊りを始めた。父親は腕を伸ばし棒を廻しながら舞い、息子は地に蹲り、其の儘何ともいえない恰好で飛び跳ね、此の踊りの画く円は次第に大きくなって行った。彼等のとび越えただけのものは、彼等の所有になるのだ。中世のダンテが忽然として怪しげな情ないものに変った。此の古式の(又、地方的な)儀礼は、流石にサモア人の間にさえ笑声を呼起した。私の贈ったビスケットも、生きた一頭の(コ)犢も、ポポにとび越えられて了った。が、大部分の食物は、一度己のものなることを宣した上で、再びマターファに献上された。・・・」「光と風と夢」(中島敦)
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(1)蠢 (2)空寂 (3)殺戮 (4)哩 (5)蜿蜒 (6)豪宕 (7)饗宴 (8)酋長 (9)椰子 (10)矩形
(ア)ぺんす (イ)ぽんど (ウ)けわ (エ)がじゅまる (オ)ふぃーと (カ)むら (キ)たに (ク)びゃくだん (ケ)うずたか (コ)こうし

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漢検1級 27-③に向けて その114  文章題訓練㊸

2016年01月21日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その114>
●「文章題訓練」その㊸です。㊴~㊸まで連続して「俳人蕪村」(正岡子規)からの出題です。
●難度は並み・・・チャレンジャーは80%(24点)以上が目標・・・。リピーターは限りなく100%とりたいところ(^^)

●文章題㊸:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10
「・・・(履歴性行等)
 蕪村は摂津浪花に近き毛馬塘の片(ほと)りに幼時を送りしことその春風馬堤曲に見ゆ。彼は某に与うる書中にこの曲のことを記して
馬堤は毛馬塘なり、すなわち余が故園なり
といえり。やや長じて東都に遊び、巴人の門に入りて俳諧を学ぶ。夜半亭は師の名を継げるなり。宝暦のころなりけん、京に帰りて俳諧ようやく(1)シンに入る。蕪村もと名利を厭い聞達を求めず、しかれども俳人として彼が名誉は次第に四方雅客の間に伝称せらるるに至りたり。天明三年十二月二十四日夜歿し、亡骸は洛東金福寺に葬る。享年六十八。
 蕪村は総常両毛奥羽など遊歴せしかども紀行なるものを作らず。またその地に関する俳句も多からず。西帰の後丹後におること三年、因って谷口氏を改めて与謝とす。彼は讃州に遊びしこともありけん、句集に見えたり。また厳島の句あるを見るにこの地の風情写し得て最も妙なり、空想の及ぶべきにあらず。蕪村あるいはここにも遊べるか。蕪村は読書を好み和漢の書何くれとなくあさりしも字句の間には眼もとめず、ただ大体の趣味を(2)ガンミして満足したりしがごとし。俳句に古語古事を用いること、蕪村集のごとく多きは他にその例を見ず。
 彼が字句にかかわらざりしは古文法を守らず、仮名遣いに注意せざりしことにもしるけれど、なおその他にしか思わるるところ多し。・・・
彼は俳人が家集を出版することをさえ厭えり。彼の心性高潔にして(ア)些の俗気なきこともって見るべし。しかれども余は磊落高潔なる蕪村を尊敬すると同時に、小心ならざりし、あまり名誉心を抑え過ぎたる蕪村を惜しまずんばあらず。蕪村をして名を文学に揚げ誉を百代に残さんとの些の野心あらしめば、彼の事業はここに止まらざりしや必せり。彼は恐らくは一俳人に満足せざりしならん。春風馬堤曲に溢れたる詩思の(3)フセンにして情緒の纏綿せるを見るに、十七字中に屈すべき文学者にはあらざりしなり。彼はその余勢をもって絵事を試みしかども大成するに至らざりき。もし彼をして力を俳画に伸ばさしめば日本画の上に(4)イッセイメンを開き得たるべく、応挙(5)ハイをして名をほしいままにせしめざりしものを、彼はそれをも得なさざりき。余は日本の美術文学のために惜しむ。
 春風馬堤曲とは俳句やら漢詩やら何やら(イ)交ぜこぜにものしたる蕪村の長篇にして、蕪村を見るにはこよなく便となるものなり。俳句以外に蕪村の文学として見るべきものもこれのみ。蕪村の熱情を現わしたるものもこれのみ。春風馬堤曲とは支那の曲名を真似たるものにて、そのかく名づけしゆえんは蕪村の書簡に詳らかなり。書簡に曰く
・・・
一軒の茶店の柳老いにけり
茶店の老婆子(ウ)儂を見て慇懃に(エ)無恙を賀し且つ儂(わが)春衣を(オ)美
・・・
 なおこのほかに澱河歌のうた三首あり。これらは紀行的韻文とも見るべく、諸体(6)コンコウせる叙情詩とも見るべし。惜しいかな、蕪村はこれを一篇の長歌となして新体詩の源を開く能わざりき。俳人として第一流に位する蕪村の事業も、これを広く文学界の産物として見れば誠に規模の小なるに驚かずんばあらず。
 蕪村は鬼貫句選の(7)バツにて其角、嵐雪、素堂、去来、鬼貫を五子と称し、春泥集の序にて其角、嵐雪、素堂、鬼貫を四老と称す。中にも蕪村は其角を推したらんと覚ゆ、「其角は俳中の李青蓮と呼ばれたるものなり」といい「読むたびにあかず覚ゆ、これ角がまされるところなり」ともいえり。しかもその欠点を挙げて「その集を閲するに大かた解しがたき句のみにてよきと思う句はまれまれなり」といい「百千の句のうちにてめでたしと聞ゆるは二十句にたらず覚ゆ」と評せり。自己が唯一の俳人と崇めたる其角の句を評して佳什二十首に上らずという、見るべし蕪村の眼中に古人なきを。その五子と称し四老と称す、もとより比較的の讃辞にして、芭蕉の俳句といえどもその一笑を博するに過ぎざりしならん。蕪村の眼高きことかくのごとく、手腕またこれに副う。而して後に俳壇の革命は成れり。
 ある人咸陽宮の釘かくしなりとて持てるを蕪村は誹りて「なかなかに咸陽宮の釘隠しと云わずばめでたきものなるを無念のことにおぼゆ」といえり。蕪村の俗人ならぬこと知るべし。蕪村かつて大高源吾より伝わる高麗の茶碗というをもらいたるを、それも咸陽宮の釘隠しの類なりとて人にやりしことあり。またある時松島にて重さ十斤ばかりの埋木の板をもらいて、辛うじて白石の駅に持ち出でしが、長途の(カ)労れ堪うべくもあらずと、旅舎に置きて帰りたりとぞ。これらの話を取りあつめて考うれば、蕪村の人物はおのずから描き出されて目の前に見る心地す。
 蕪村とは天王寺(キ)蕪の村ということならん、和臭を帯びたる号なれども、字面はさすがに雅致ありて漢語として見られぬにはあらず。俳諧には蕪村または夜半亭の雅名を用うれど、画には寅、春星、長庚、三菓、宰鳥、碧雲洞、紫狐庵等種々の異名ありきとぞ。かの謝蕪村、謝寅、謝長庚、謝春星など言える、門弟にも高几董、阮道立などある、この一事にても彼らが徂徠派の影響を受けしこと明らかなり。二字の苗字を一字に縮めたるは言うまでもなく、その字面より見るも修辞派の臭味を帯びたり。
 蕪村の絵画は余かつて見ず、ゆえにこれを品評すること(ク)難しといえども、その意匠につきては多少これを聞くを得たり。(筆力等の技術はその書及び俳画を見て想像するに足る)蕪村は南宗より入りて南宗を脱せんと工夫せしがごとし。南宗を学びしはその雅致多きを愛せしならん。南宗を脱せんとせしは南宗の(ケ)粗鬆なる筆法、狭隘なる規模がよく自己の美想を現わすを得ざりしがためならん。彼は俳句に得たると同じ趣味を絵画に現わしたり、もとより古人の(8)フンポンを摸し意匠を(9)ヒョウセツすることをなさざりき。あるいは田舎の風光、山村の景色等自己の実見せしもの(かつ古人の画題に入らざりしもの)を捉え来たりて、支那的空想に  (コ)耽りたる絵画界にイッセイメンを開かんと企てたり。あるいは時間を写さんとし、あるいは一種の色彩を施さんとして苦心したり。(色彩に関する例を挙ぐれば春の木の芽の色を樹によって染め分けたるがごとき、夜間燈火の映じたる樹を写したるがごとき)絵画における彼の眼光はきわめて高く、到底応挙、呉春らの及ぶところにあらず。しかれども蕪村は成功する能わずして歿し、かえって(10)ジュシをして名を成さしめたり。 ・・・」「俳人蕪村」(正岡子規)
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(1)神 (2)翫味(玩味) (3)富(豊)贍 (4)一生面 (5)輩 (6)混淆 (7)跋 (8)粉本 (9)剽窃 (10)豎子
(ア)さ (イ)ま (ウ)われ(わし) (エ)むよう (オ)ほ (カ)つか (キ)かぶら (ク)かた (ケ)そしょう (コ)ふけ
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漢検1級 27-③に向けて その113  文章題訓練㊷

2016年01月20日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その113>
●「文章題訓練」その㊷です。㊴~㊸まで連続5題、「俳人蕪村」(正岡子規)からの出題です。ちょっとおもしろい趣向の出題になったと思いますが如何でしょうか(^^)
●難度は並み・・・チャレンジャーは80%(24点)以上が目標・・・。リピーターは限りなく100%とりたいところ(^^)

●文章題㊷:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10
「・・・(材料)
 蕪村は(1)コリ怪をなすことを信じたるか、たとい信ぜざるもこの種の談を聞くことを好みしか、彼の自筆の草稿新花摘は怪談を(2)サイすること多く、かつ彼の句にもコリを詠じたるもの少からず。
 コリにはあらで(ア)幾何か怪異の聯想を起すべき動物を詠みたるもの、
(イ)獺の住む水も田に引く早苗かな
・・・
 蕪村はこれら糞尿のごとき材料を取ると同時にまた上流社会のやさしく美しき様をも巧みに詠み出でたり。
・・・
名月や秋月どのの(3)フナヨソオ
・・・
 蕪村の句新奇ならざるものなければ新奇をもって論ずれば蕪村句集全部を見るの完全なるにしかず。かつ初めより諸種の例に引きたる句多く新奇なるをもって特にここに拳ぐるの要なしといえども、前に挙げざりし句の中に新奇なる材料を用いし句を少し記しおくべし。
・・・
(4)ノバカマの法師が旅や春の風
陽炎や(ウ)簣に土をめつる人
・・・
 これらの材料は蕪村以前の句に少きのみならず、蕪村以後もまた用いる能わざりき。
(縁語及び譬喩)
 蕪村が縁語その他文字上の遊戯を主としたる俳句をつくりしは怪しむべきようなれど、その句の巧妙にして(5)フサク(エ)痕を留めず、かつ和歌もしくは檀林、支麦のごとき没趣味の作をなさざるところ、またもってその技倆を窺うに足る。縁語を用いたる句、
・・・ 
愚痴無智のあま酒つくる松が岡
(オ)蝸牛や其の角文字のにじり書
・・・
 俳句に譬喩を用いるもの、俗人の好むところにしてその句多く理窟に堕ち趣味を没す。蕪村の句時に譬喩を用いるものありといえども、譬喩奇抜にして多少の(6)ガチ(カ)具う。また支麦輩の夢寐にも知らざるところなり。
・・・
夕顔のそれは(キ)髑髏か鉢叩(はちたたき)
蝸牛の住はてし宿やうつせ貝
・・・
水仙や(ク)鵙の草茎花咲きぬ
  ある隠士のもとにて
古庭に(7)チャセン花咲く椿かな

浪花の旧国主して諸国の俳士を集めて円山に会筵しける時
(ケ)萍を吹き集めてや花筵
・・・
(時代)
 蕪村は享保元年に生まれて天明三年に歿す。六十八の長寿を保ちしかばその間種々の経歴もありしなるべけれど、大体の上より観れば文学美術の衰えんとする時代に生まれてその盛んならんとする時代に歿せしなり。俳句は享保に至りて芭蕉門の英俊多くは死し、支考、乙由らが(8)ザンゼンを保ちてますます俗に堕つるあるのみ。明和以後枯楊孽(こようげつ)を生じてようやく春風に吹かれたる俳句は天明に至りてその盛を極む。俳句界二百年間元禄と天明とを最盛の時期とす。元禄の盛運は芭蕉を中心として成りしもの、蕪村の天明におけるは芭蕉の元禄におけるがごとくならざりしといえども、天明の隆盛を来たせしものその力最も多きにおる。天明の余勢は寛政、文化に及んで漸次に衰え、文政以後また(9)コンセキを留めず。
 和歌は万葉以来、新古今以来、一時代を経るごとに一段の堕落をなしたるもの、真淵出でわずかにこれを挽回したり。真淵歿せしは蕪村五十四歳の時、ほぼその時を同じゅうしたれば、和歌にして取るべくは蕪村はこれを取るに躊躇せざりしならん。されど蕪村の句その影響を受けしとも見えざるは、音調に(コ)泥みて清新なる趣味を欠ける和歌の到底俳句を利するに足らざりしや必せり。
 当時の和文なるものは多く(10)ギコブンの類にして見るべきなかりしも、ギコということはあるいは蕪村をして古語を用い古代の有様を詠ぜしめたる原因となりしかも知らず。しかして蕪村はこの材料を古物語等より取りしと覚ゆ。・・・」「俳人蕪村」(正岡子規)
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(1)狐狸 (2)載 (3)艤(*原文は「ふなよそ(ひ)」) (4)野袴 (5)斧鑿 (6)雅致 (7)茶筌 (8)残喘 (9)痕跡 (10)擬古文
(ア)いくばく (イ)おそ (ウ)あじか(「もっこ」でも漢検的にはOKかも。) (エ)あと (オ)ででむし (カ)そな (キ)どくろ (ク)もず (ケ)うきくさ (コ)なず
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漢検1級 27-③に向けて その112  文章題訓練㊶

2016年01月19日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その112>
●「文章題訓練」その㊶です。㊴~㊸まで連続5題、「俳人蕪村」(正岡子規)からの出題です。ちょっとおもしろい趣向の出題になったと思いますが如何でしょうか(^^)
●難度は並み・・・チャレンジャーは80%(24点)以上が目標・・・。リピーターは限りなく100%とりたいところ(^^)

●文章題㊶:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10
「・・・芭蕉も初めは
菖蒲(ア)生り軒の鰯の(イ)髑髏 
のごとき理想的の句なきにあらざりしも、一たび古池の句に自家の立脚地を定めし後は、徹頭徹尾(1)キジツの一法に依りて俳句を作れり。しかもそのキジツたる自己が見聞せるすべての事物より句を探り出だすにあらず、キジツの中にてもただ自己を離れたる純客観の事物は全くこれを(2)ホウテキし、ただ自己を本としてこれに関連する事物の実際を詠ずるに止まれり。今日より見ればその見識の(ウ)卑きこと実に笑うに堪えたり。
・・・
蕪村はいかにして理想美を探り出だすべきかを召波に示したるなり。筆にも口にも説き尽すべからざる理想の妙趣は、輪扁の木を断(き)るがごとくついに他に教うべからずといえども、一棒の下に(3)トンゴせしむるの工夫なきにしもあらず。蕪村はこの理想的のことをなお理想的に説明せり。かつその説明的なると文学的なるとを問わず、かくのごとき理想を述べたる文字に至りては上下二千載我に見ざるところなり。奇文なるかな。
・・・
 芭蕉は一定の真理を言わずして時に随い人により思い思いの教訓をなすを常とす。その洒堂を(エ)誨えたるもこれらの佳作を斥けたるにはあらで、むしろその濫用を(オ)誡めたるにやあらん。・・・芭蕉これに対して今少し和歌の臭味を加えよという、けだし芭蕉は俳句は簡単ならざるべからずと断定してみずから美の区域を狭く(カ)劃りたる者なり。芭蕉すでにかくのごとし。芭蕉以後言うに足らざるなり。
 蕪村は立てり。和歌のやさしみ言い古し聞き古して紛々たる臭気はその腐敗の極に達せり。和歌に代りて起りたる俳句幾分の和歌臭味を加えて元禄時代に勃興したるも、支麦以後ようやく腐敗してまた(キ)拯うに道なからんとす。ここにおいて蕪村は複雑的美を捉え来たりて俳句に新生命を与えたり。彼は和歌の簡単を斥けて唐詩の複雑を借り来たれり。国語の柔軟なる、冗長なるに飽きはてて(4)カンケイなる、豪壮なる漢語もてわが不足を補いたり。先に其角一派が苦辛して失敗に終りし事業は蕪村によって容易に成就せられたり。衆人の攻撃も(ク)慮るところにあらず、美は簡単なりという古来の標準も棄てて顧みず、卓然として複雑的美を成したる蕪村の功は没すべからず。
 ・・・
 一句五字または七字のうちなお「草霞み」「雨後の月」「夜蛇を打つ」「水に銭蹈む」と曲折せしめたる妙は到底「頭よりすらすらと言い下し来たる」者の解し得ざるところ、しかも洒堂、凡兆らもまた(5)ムビにだも見ざりしところなり。客観的の句は複雑なりやすし。
・・・
蚊帳釣りて(6)スイビつくらん家の内
 特にスイビというはスイの字を蚊帳の色にかけたるしゃれなり。
(7)クンプウやともしたてかねつ厳島
・・・ただ夏の風というくらいの意に用いるものなれば「クンプウ」とつづけて一種の風の名となすにしかず。けだし蕪村の(8)ケイガンは早くこれに注意したるものなるべし。
・・・
(ケ)茯苓(コ)伏れ松露はあらはれぬ
・・・
をさな子の寺なつかしむ銀杏かな
「なつかしむ」という動詞を用いたる例ありや否や知らず。あるいは思う、「なつかし」という形容詞を転じて蕪村の創造したる動詞にはあらざるか。はたしてしかりとすれば蕪村は傍若無人の振舞いをなしたる者と謂うべし。しかれども百年後の今日に至りこの語を(9)シュウヨウするもの続々として出でんか、蕪村の造語はついに(10)ジイ中の一隅を占むるの時あらんも測りがたし。英雄の事業時にかくのごときものあり。・・・」「俳人蕪村」(正岡子規)
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(1)記実 (2)抛擲(放擲) (3)頓悟 (4)簡勁 (5)夢寐 (6)翠微 (7)薫風 (8)炯眼(慧眼) (9)襲用 (10)字彙
(ア)な (イ)されかうべ (ウ)ひく (エ)おし (オ)いまし (カ)かぎ(原文ルビ「かぎ」。現行読みなら「くぎ」) (キ)すく (ク)おもんぱか (ケ)ぶくりょう (コ)かく
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漢検1級 27-③に向けて その111  文章題訓練㊵

2016年01月18日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その111>
●「文章題訓練」その㊵です。㊴~㊸まで連続5題、「俳人蕪村」(正岡子規)からの出題です。ちょっとおもしろい趣向の出題になったと思いますが如何でしょうか(^^)
●難度は並み・・・チャレンジャーは80%(24点)以上が目標・・・。リピーターは限りなく100%とりたいところ(^^)

●文章題㊵:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10
「・・・(客観的美)
 積極的美と消極的美と相対するがごとく、客観的美と主観的美ともまた相対して美の要素をなす。これを文学史の上に照すに、上世には主観的美を発揮したる文学多く、後世に下るに従い一時代は一時代より客観的美に入ること深きを見る。古人が客観に動かされたる自己の感情を(1)チョクジョするは、自己を慰むるために、はた当時の文学に幼稚なる世人をして知らしむるために必要なりしならん。これ主観的美の行われたるゆえんなり。かつその客観を写すところきわめて(ア)麁鹵にして精細ならず。例えば絵画の輪郭ばかりを描きて全部は観る者の想像に任すがごとし。全体を現わさんとして一部を描くは作者の主観に出づ。一部を描いて全体を想像せしむるは観る者の主観に訴うるなり。後世の文学も客観に動かされたる自己の感情を写すところにおいて毫も上世に異ならずといえども、結果たる感情をチョクジョせずして原因たる客観の事物をのみ描写し、観る者をしてこれによりて感情を動かさしむること、あたかも実際の客観が人を動かすがごとくならしむ。これ後世の文学が面目を新たにしたるゆえんなり。要するに主観的美は客観を描き尽さずして観る者の想像に任すにあり。
・・・
 蕪村の句の絵画的なるものは枚挙すべきにあらねど、十余句を挙ぐれば
木瓜の陰に顔たくひすむ(イ)雉かな
釣鐘にとまりて眠る胡蝶かな
やぶ入りや(ウ)鉄漿もらひ来る傘の下
小原女の五人揃ふて袷かな
照射(ともし)してささやく近江八幡かな
葉うらうら(エ)火串に白き花見ゆる
卓上の(オ)鮓に眼寒し観魚亭
・・・
のごとし。一事一物を画き添えざるも絵となるべき点において、蕪村の句は蕪村以前の句よりもさらに客観的なり。
(人事的美)
 天然は簡単なり。人事は複雑なり。天然は沈黙し人事は活動す。簡単なるものにつきて美を求むるは易く、複雑なるものは難し。沈黙せるものを写すは易く、活動せるものは難し。人間の思想、感情の単一なる古代にありて比較的によく天然を写し得たるは易きより入りたる者なるべし。俳句の初めより天然美を発揮したるも偶然にあらず。しかれども複雑なるものも活動せるものも少しくこれを研究せんか、これを描くことあながち難きにあらず。ただ俳句十七字の小天地に今までは辛うじて一山一水一草一木を写し出だししものを、同じ(カ)区劃のうちに変化極まりなく活動止まざる人世の一部分なりとも縮写せんとするは難中の難に属す。俳句に人事的美を詠じたるもの少きゆえんなり。芭蕉、去来はむしろ天然に重きを置き、其角、嵐雪は人事を写さんとして端なく佶屈聱牙に陥り、あるいは人をしてこれを解するに苦しましむるに至る。かくのごとく人は皆これを難しとするところに向って、ひとり蕪村は何の苦もなく進み思うままに(2)カッポ横行せり。今人はこれを見てかえってその容易なるを認めしならん。しかも蕪村以後においてすらこれを学びし者を見ず。
・・・
 蕪村の句は
行く春や選者を恨む歌の主
(キ)命婦より牡丹餅たばす彼岸かな
短夜や同心衆の川手水
少年の矢数問ひよる念者ぶり
水の粉やあるじかしこき後家の君
・・・・・
のごとき数え尽さず、これらの(3)ジュウ必ずしも力を用いしものにあらずといえども、皆よく蕪村の特色を現わして一句だに他人の作とまごうべくもあらず。(4)テンピンとは言いながら老熟の致すところならん。
 天然美に空間的のもの多きはことに俳句においてしかり。けだし俳句は短くして時間を容るる能わざるなり。ゆえに人事を詠ぜんとする場合にも、なお人事の特色とすべき時間を写さずして空間を写すは俳句の性質のしからしむるに因る。たまたま時間を写すものありとも、そは現在と一様なる事情の過去または未来に継続するに過ぎず。ここに例外とすべき蕪村の句二首あり。
御手討の夫婦なりしを更衣
打ちはたす(ク)梵論つれだちて夏野かな
 前者は過去のある人事を叙し、後者は未来のある人事を叙す。一句の主眼が一は過去の人事にあり、一は未来の人事にあるは二句同一なり、その主眼なる人事が人事中の複雑なるものなることも二句同一なり。かくのごときものは(5)コオウ今来他にその例を見ず。
(理想的美)
 俳句の美あるいは分って実験的、理想的の二種となすべし。実験的と理想的との区別は俳句の性質においてすでにしかるものあり。この種の理想は人間の到底経験すべからざること、あるいは実際あり得べからざることを詠みたるものこれなり。また実験的と理想的との区別俳句の性質にあらずして作者の境遇にあるものあり。この種の理想は今人にして古代の事物を詠み、いまだ行かざる地の景色風俗を写し、かつて見ざるある社会の情状を描き出すものこれなり。ここに理想的というは実験的に対していうものにして両者を包含す。
 文学の実験に依らざるべからざるはなお絵画の写生に依らざるべからざるがごとし。しかれども絵画の写生にのみ依るべからざるがごとく、文学もまた実験にのみ依るべからず。写生にのみ依らんか、絵画はついに微妙の趣味を現わす能わざらん、実験にのみ依らんか、尋常一様の経歴ある作者の文学は到底(6)チントウを脱する能わざるべし。文学は伝記にあらず、記実にあらず、文学者の頭脳は四畳半の古机にもたれながらその理想は天地(7)ハッコウのうちに(8)ショウヨウして無碍自在に美趣を求む。羽なくして空に(ケ)翔るべし、  (9)ヒレなくして海に潜むべし。音なくして音を聴くべく、色なくして色を観るべし。かくのごとくして得来たるもの、必ず斬新奇警人を驚かすに足るものあり。俳句界においてこの人を求むるに蕪村一人あり。   (コ)翻って芭蕉はいかんと見ればその俳句平易高雅、奇を(10)ゲンせず、新を求めず、ことごとく自己が境涯の実歴ならざるはなし。二人は実に両極端を行きて毫も相似たるものあらず、これまた蕪村の特色として見ざるべけんや。・・・」「俳人蕪村」(正岡子規)
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(1)直叙 (2)濶歩(闊歩) (3)什 (4)天稟 (5)古往 (6)陳套 (7)八荒 (8)逍遥 (9)鰭 (10)衒
(ア)そろ (イ)きぎす (ウ)かね (エ)ほぐし (オ)すし (カ)くかく (キ)みょうぶ (ク)ぼろ (ケ)かけ (コ)ひるがえ
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漢検1級 27-③に向けて その110  文章題訓練㊴

2016年01月17日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その110>
●「文章題訓練」その㊴です。㊴~㊸まで連続5題、「俳人蕪村」(正岡子規)からの出題です。ちょっとおもしろい趣向の出題になったと思いますが如何でしょうか(^^)
●難度は並み・・・チャレンジャーは80%(24点)以上が目標・・・。リピーターは限りなく100%とりたいところ(^^)

●文章題㊴:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10
「(緒言)
 芭蕉新たに俳句界を開きしよりここに二百年、その間出づるところの俳人少からず。あるいは芭蕉を(1)ソジュツし、あるいは檀林を主張し、あるいは別に門戸を開く。しかれどもその芭蕉を尊崇するに至りては衆口一斉に出づるがごとく、檀林等流派を異にする者もなお芭蕉を排斥せず、かえって芭蕉の句を取りて自家俳句集中に加うるを見る。ここにおいてか芭蕉は無比無類の俳人として認められ、また一人のこれに匹敵する者あるを見ざるの有様なりき。芭蕉は実に敵手なきか。曰く、否。
 芭蕉が創造の功は俳諧史上特筆すべきものたること論を竢たず。この点において何人かよくこれに凌駕せん。芭蕉の俳句は変化多きところにおいて、雄渾なるところにおいて、高雅なるところにおいて、俳句界中第一流の人たるを得。この俳句はその創業の功より得たる名誉を加えて無上の賞讃を博したれども、余より見ればその賞讃は俳句の価値に対して過分の賞讃たるを認めざるを得ず。誦するにも堪えぬ芭蕉の俳句を註釈して(2)モッタイつける俳人あれば、縁もゆかりもなき句を刻して芭蕉塚と称えこれを尊ぶ俗人もありて、芭蕉という名は徹頭徹尾尊敬の意味を表したる中に、(3)ガイダ珠を成し句々吟誦するに堪えながら、世人はこれを知らず、宗匠はこれを尊ばず、百年間空しく(4)ガレキとともに埋められて光彩を放つを得ざりし者を蕪村とす。蕪村の俳句は芭蕉に匹敵すべく、あるいはこれに凌駕するところありて、かえって名誉を得ざりしものは主としてその句の平民的ならざりしと、蕪村以後の俳人のことごとく無学無識なるとに因れり。著作の価値に対する相当の報酬なきは蕪村のために悲しむべきに似たりといえども、無学無識の徒に知られざりしはむしろ蕪村の喜びしところなるべきか。その(5)ホウショウ不羈世俗の外に卓立せしところを見るに、蕪村また性行において尊尚すべきものあり。しかして世はこれを容れざるなり。
・・・・
(積極的美)
 美に積極的と消極的とあり。積極的美とはその意匠の壮大、雄渾、(6)ケイケン、艶麗、活溌、(7)キケイなるものをいい、消極的美とはその意匠の古雅、幽玄、悲惨、沈静、平易なるものをいう。概して言えば東洋の美術文学は消極的美に傾き、西洋の美術文学は積極的美に傾く。もし時代をもって言えば国の東西を問わず、上世には消極的美多く後世には積極的美多し。(ただし壮大雄渾なるものに至りてはかえって上世に多きを見る)されば唐時代の文学より悟入したる芭蕉は俳句の上に消極の意匠を用うること多く、従って後世芭蕉派と称する者また多くこれに(ア)倣う。その寂といい、雅といい、幽玄といい、細みといい、もって美の極となすもの、ことごとく消極的ならざるはなし。(ただし壮大雄渾の句は芭蕉これあれども後世に至りては絶えてなし)ゆえに俳句を学ぶ者消極的美を唯一の美としてこれを尚び、艶麗なるもの、活溌なるもの、キケイなるものを見ればすなわちもって邪道となし卑俗となす。あたかも東洋の美術に心酔する者が西洋の美術をもってことごとく野卑なりとして貶するがごとし。艶麗、活溌、キケイなるものの野卑に陥りやすきはもとよりしかり。しかれども野卑に陥りやすきをもって野卑ならざるものをも棄つるはその弁別の明なきがゆえなり。しかして古雅幽玄なる消極的美の弊害は一種の厭味を生じ、今日の俗宗匠の俳句の俗にして嘔吐を催さしむるに至るを見るに、かの艶麗ならんとして卑俗に陥りたるものに比して(イ)毫も優るところあらざるなり。
 積極的美と消極的美とを比較して優劣を判せんことは到底出来得べきにあらず。されども両者ともに美の要素なることは論を竢たず。その分量よりして言わば消極的美は美の半面にして積極的美は美の他の半面なるべし。消極的美をもって美の全体と思惟せるはむしろ見聞の狭きより生ずる誤謬ならんのみ。日本の文学は源平以後地に墜ちてまた振わず、ほとんど消滅し尽せる際に当って芭蕉が俳句において美を発揮し、消極的の半面を開きたるは彼が非凡の才識あるを証するに足る。しかもその非凡の才識も積極的美の半面はこれを開くに及ばずして逝きぬ。けだし天は俳諧の名誉を芭蕉の専有に帰せしめずしてさらに他の偉人を待ちしにやあらん。去来、丈草もその人にあらざりき。其角、嵐雪もその人にあらざりき。五色墨の徒もとよりこれを知らず。新虚栗(しんみなしぐり)の時何者をか(8)ツカまんとして得るところあらず。芭蕉死後百年に(ウ)垂としてはじめて蕪村は現われたり。彼は天命を負うて俳諧壇上に立てり。されども世は彼が第二の芭蕉たることを知らず。彼また名利に走らず、(9)ブンタツを求めず、積極的美において自得したりといえども、ただその徒とこれを楽しむに止まれり。
 一年四季のうち春夏は積極にして秋冬は消極なり。蕪村最も夏を好み、夏の句最も多し。その佳句もまた春夏の二季に多し。これすでに人に異なるを見る。今試みに蕪村の句をもって芭蕉の句と対照してもって蕪村がいかに積極的なるかを見ん。
 四季のうち夏季は最も積極なり。ゆえに夏季の題目には積極的なるもの多し。牡丹は花の最も艶麗なるものなり。芭蕉集中牡丹を詠ずるもの一、二句に過ぎず。その句また
 尾張より東武に下る時
牡丹(エ)蘂深くわけ出づる蜂の名残かな  芭蕉
 ・・・
等のごとき、前者はただ季の景物として牡丹を用い、後者は牡丹を詠じてきわめて(オ)拙きものなり。蕪村の牡丹を詠ずるはあながち力を用いるにあらず、しかも手に随って佳句を成す。句数も二十首の多きに及ぶ。
・・・
蕪村には直ちに若葉を詠じたるもの十余句あり。皆若葉の趣味を発揮せり。例、

山にそふて小舟漕ぎ行く若葉かな
(カ)蚊帳を出て奈良を立ち行く若葉かな
不尽一つ埋み残して若葉かな
窓の灯の梢に上る若葉かな
・・・
そのほか春月、春水、暮春などいえる春の題を艶なる方に詠み出でたるは蕪村なり。例えば
(キ)伽羅くさき人の仮寝や朧月
・・・
河内路や(ク)東風吹き送る巫が袖
・・・
梅散るや(ケ)螺鈿こぼるる卓の上
・・・
 いずれの題目といえども芭蕉または芭蕉派の俳句に比して蕪村の積極的なることは蕪村集を (コ)繙く者誰かこれを知らざらん。一々ここに(10)ゼイせず。」「俳人蕪村」(正岡子規)
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(1)祖述(漢検辞典にもあり) (2)勿体 (3)咳唾 (4)瓦礫 (5)放縦(*「ほうじゅう」の方が一般的か・・・) (6)勁健 (7)奇警 (8)攫 (9)聞達 (10)贅(*「贅言」「贅語」のような熟語が頭に浮ばないと苦しいかも)
(ア)なら (イ)ごう (ウ)なんなん (エ)しべ (オ)つたな (カ)かや (キ)きゃら (ク)こち (ケ)らでん (コ)ひもと
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漢検1級 27-③に向けて その109 文章題訓練㊳

2016年01月17日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その109>
●「文章題訓練」その㊳です。・・・ご健闘を祈ります👍
●難度は並み・・・チャレンジャーは80%(24点)以上が目標・・・。リピーターは限りなく100%とりたいところ(^^)

●文章題㊳:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10

「・・・定基は(ア)勿論悪人というのではないが、つまりは馬で言えば(1)カン強(づよ)な馬で、人としては(2)キ一本の人であったろう。で、女房を逐い出し得てからは、それこそせいせいした心持になって、渾身の情を傾けて力寿を愛していたことであろう。任地の三河にあっては第一の地位の三河守であり、自分のほかは属官僕隷であり、行動は自由であり、飲食は最高級であり、太平の世の公務は清閑であり、何一ツ心に任せぬことも無く、好きな狩猟でもして、山野を(3)チクして快い汗をかくか、天潤いて雨静かな日は明窓浄几香炉詩巻、吟詠翰墨の遊びをして性情を(イ)頤養するとかいう風に、心ゆくばかり自由安適な生活を楽んでいたことだったろう。ところが、それで何時迄も済めば其様(そんな)好いことは無いが、花に百日の紅無し、玉樹亦凋傷するは、人生のきまり相場で、造物豈独り此人を憐まんやであった。イヤ去られた妻の呪詛が利いたのかも知らぬ。いつからという事も無く力寿はわずらい出した。当時は医術が猶幼かったとは云え、それでも相応に手の尽しかたは有った。又十一面の、薬師の、何の(ウ)修法、彼の修法と、祈祷の術も数々有った。病は苦悩の多く強いものでは無かったが、美しい花の日に(4)ヘイチュウに萎れゆくが如く、清らな瓜の(エ)筺裏に護られながら漸く玉の艶を失って行くように、次第次第衰え弱った。定基は(5)ショウソウしだした。怒りを人に遷すことが多くなった。(6)シュウを独りで味わっていることが多くなった。療治の法を求めるのに、やや狂的になった。・・・・

 定基は東山如意輪寺に走った。そこには大内記慶滋保胤のなれの果の寂心上人が居たのである。定基は寂心の前に端座して吾が淵底を尽して寂心の明鑑を仰いだのである。寂心は(7)シュツジンしてから僅に二三年だが、今は既に泥水全く分れて、湛然 清照、もとより浮世の膠も無ければ、仏の(8)キンパク臭い飾り気も無くなっていて、ただ平等慈悲の三昧に住していたのである。二人の談話は何様どんなものだったか、有ったか無かったか、それも分らぬ。ただ然し機縁契合して、師と仰がれ弟子と容れられ、定基は遂に剃髪して得度を受け、寂照という青道心になったのである。時に永延二年、齢はと云えば、まだ三十か三十一だったのである。よくも思いきったものであった。

本来を云えば弥陀なり弥勒なり釈迦なりを頼んで、何かムニャムニャを唱えて、そして自分一人極楽世界へ転居して涼しい顔をしようと云うのは、随分虫のいいことで、世の諺に謂う「(オ)雪隠(9)マンジュウを食う」料簡、汚い、けちなことである。証得妙果の境界に入り得たら、今度は自分が其の善いものを有縁無縁の他人にも施し与えようとすべきが自然の事である。そこで菩薩となり仏となったものは化他の業にいそしむことになるのが自然の法で、それが即ち菩薩なり仏なりなのである。弥陀の四十八願、観音の三十三身、何様な苦労をしても、何様なものに身を為しても、一切世間を善くしたい、救いたい、化度したいというのが、即ち仏菩薩なので、何も蓮花の上にゆったり坐って百味の(カ)飲食(キ)啖い飽こうとしているのが仏菩薩でも何でも無い。寂心は若い時から慈悲心牛馬にまで及んだ人である。それが出家入道して、所証日に深く、浄土は隣家を看るよりも近々と合点せられるに至ったのである。終には此世彼世をひと(10)マタぎの境界に至ったのである。そこで昔はあれほど想い焦れた浄土も吾が手のものとなったにつけて、浄土へ行きっ切りとなろう気はなく、自然と娑婆へ往来しても化他の業を執ろうという心が湧き上ったに疑い無く、言語の端にもおのずから其の意が漏れて、それから或人の夢や世間の噂も出たのであろう。その保胤の時から慈悲牛馬に及んだ寂心が、自己の証得愈々(いよいよ)深きに至って、何で世人の衆苦充満せる(ク)此界に喘ぎ悩んでいるのを傍眼にのみ見過し得ようや。まして保胤であった頃にも、其の明眼からは既に認め得て其の文章に漏らしている如く、世間は漸く苦しい世間になって、一面には文化の華の咲き乱れ、(ケ)奢侈の風の蒸し暑くなってくる、他の一面には人民の生活は行き詰まり、永祚の暴風、正暦の疫病、諸国の盗賊の起る如き、優しい寂心の心からは如何に哀しむべき世間に見えたことであろう。寂心は世を哀れみ、世は寂心の如き人を懐かしんでいた。寂心娑婆帰来の談の伝わった所以でもあろう。勿論寂心は(コ)辟支仏では無かったのである。・・・」「連環記」(幸田露伴) 
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<解答>
(1)癇 (2)生 (3)馳駆 (4)瓶中 (5)焦躁 (6)愁 (7)出塵 (8)金箔 (9)饅頭 (10)跨
(ア)もちろん (イ)いよう (ウ)ずほう(すほう・しゅほう) (エ)きょうり (オ)せっちん(「せついん」でも間違いではないだろうが・・・) (カ)おんじき (キ)くら(「く」でも可か) (ク)しかい (ケ)しゃし (コ)びゃくしぶつ
*(注)辟支仏:原文ルビは「ヘキシブツ」だが、「ビャクシブツ」(広辞苑)と読む。
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漢検1級 27-③に向けて その108 文章題訓練㊲

2016年01月16日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その108>
●「文章題訓練」その㊲です。これだけやれば、もう万全か(^^)明朝配信予定だったけど、もう前倒しで配信します。
●難度は並み・・・チャレンジャーは80%(24点)以上が目標・・・。リピーターは限りなく100%とりたいところ(^^)

●文章題㊲:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10

「・・・叔母がその時どんな服装をしていたか、全く覚えていないが、ともかく彼女は私のうちを出て、土手を越し、竹藪の中の雑草の生い茂った細道を通り抜け、川原畑の畦道を歩いて、一面の石ころに覆われた川原に出で、そこから舟に乗ったものに相違ない。それは(ア)俥などの通り得る道ではなかった。祖母、父、母、私、弟、これがその一行であったであろう。末の弟は前年に生れてまだ誕生日を過ぎぬ頃のことであったから、多分誰かに預けられて留守居したであろう。
 赤い(1)モウセンを敷いた(2)イッソウの屋形舟は、一行を載せ、夏の川風に吹かれながら、鮎や(イ)鮠などの泳いでいる清い流れの錦川を(ウ)棹して下った。
その後私たちは、毎月一回、青楓氏の仮寓に集って(3)カンボクの遊びをするようになった。・・・
・・・私はこのカンボク会で初めて(4)ガセンシに日本画を描くことを学んだ。(5)ハンセツを赤モウセンの上に(エ)展げて、青楓氏が梅の老木か何かを描き、そこへ私に竹を添えろと云われた時、私はひどく躊躇したものだが、幼稚園の子供のような気持になって、恐る恐る筆を執ったのが皮切りで、その後次第に大胆になり、青楓氏と河田博士と私とで山水の合作を描き、狩野博士がそれへ賛を入れたりなどされたこともある。河田博士は絵専門、狩野博士は書専門、私は絵と書の双方をやった。集っていた人の組合せが好かったせいか、手持無沙汰で退屈するような人は一人もなく、誰かが大字でも書くと硯の墨はすぐ無くなるので、あかまんやの女将までが、墨磨りだけにでも一人前の役割を有っていた。当時私は経済学の研究に夢中になっていた時代なので、月に一回のこうした(6)セイユウは、実に沙漠の中のオアシスであり、忙中の(7)カンジツゲツであって、この上もなく楽しいものに思えた。それは私が一生のうちに見た美しい夢の一つである。
 私は先に、人間は人情を食べる動物であると云った。こうした雰囲気の(オ)裡に在っては、どんな結構な御馳走でも、おいしく頂かれるものではない。しかし私はともかく箸を取って、供された七種粥を食べた。浅ましい話をするが、しゃれた香の物以外に、おかずとしては何も食べるものがなかったので、食いしんぼうの私は(8)サクゼンとして箸をおいた
人は落ち目になると僻み根性を起し易い。ところで私自身は、他人から見たら(9)ショウジョウたる(カ)落魄の一老爺、気の毒にも憐むべき失意不遇の逆境人と映じているだろうが、自分では必ずしもそう観念しては居ない。どんな金持でも、どんな権力者でも、恐らく私のように、目分のしたいと思うこと、せねばならぬと思うことを、与えられている自分の力一杯に振舞い得たものは、そう多くはあるまいと思うほど、私は今日まで社会人としての自分の意志を貫き通して来た。首を回らして過去を顧みるとき、私は俯仰天地に愧ずる所なく、今ではいつ死んでも悔いないだけの、心の満足を得ている積りだ。破れたる(キ)縕袍を衣、(10)コカクを衣る者と、与に立って恥じざる」位の自負心は、(ク)窃かに(ケ)肚の底に蓄えている。しかし何と云っても、社会的には一日毎に世人からその姓名を忘られてゆく身の上であり、物質的には辛うじて米塩に事欠かぬ程度の貧乏人であるから、他人から、粗末に取扱われた場合、今までは気にも留めなかった(コ)些事が、一々意識に上ぼるであろう。そうなれば、いやでもそこに一個の模型的な失意の老人が出来上る。私は注意してそれを避けねばならない。――私はこんな風に自分を警戒して居ながらも、簡素な七種粥の饗応を、何だか自分が軽く扱われた表現であるかの如く感ぜざるを得なかった。・・・」「御萩と七種粥」(河上肇)
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<解答>
(1)毛氈 (2)一艘 (3)翰墨 (4)画箋紙 (5)半截(半切) (6)清遊 (7)閑日月 (8)索然 (9)蕭条 (10)狐貉 
(ア)くるま (イ)はえ(はや) (ウ)さおさ (エ)ひろ (オ)うち (カ)らくはく (キ)おんぽう (ク)ひそ (ケ)はら (コ)さじ

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漢検1級 27-③に向けて その106 文章題訓練㊱

2016年01月16日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その106>
●「文章題訓練」その㊱です。・・・これだけやれば大丈夫でしょう(^^)
●難度は並み・・・チャレンジャーは80%(24点)以上が目標・・・。リピーターは限りなく100%とりたいところ(^^)

●文章題㊱:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10
「・・・即ち北斎が(1)フガク三十六景においてなせしが如く北寿もまた全画面の彩色中その(2)コンチョウとなるべき一色を選びて常にこれによつて諧音的の効果を奏せんとする苦心を示したり。(道灌山の図を見るものは直ちに黄色を帯びたる淡く軟らかき緑色とこれに対する濃き緑と藍との調和に感じまた他の一作洲崎弁天海上眺望の図においては黄色と橙色との調和を見るべし。)なほ道灌山の図についていふべきは、左方に立つ崖の側面を画くに北寿は三角形の連続を以てし、またその麓に横たわる広き畠をば黄と緑と褐色の三色を以て染分けたる格子となし、これを遠近法によりて配列せしめたる事なり。もし北寿をして今一歩を進ましめんか日本における最初の立方体画家となりしや知るべからず
・・・国芳は決して武者奮戦の図をのみよくせしにはあらず、その描ける範囲は美人花鳥山水諷刺滑稽画に及べり。西洋画写生の法を浮世絵の人物に施してよく成功せる点はむしろ北斎の上に出づといふも(3)カショウにあらず(浅草観音堂内奉納の絵額に一ツ家の  (ア)姥の図あり)。一度その秘戯画に現はれたる裸体画を検するものはその骨格の形状正確にして繊巧を極めし線の感情の能く(4)ハイタイ的気風に富める(イ)漫ろに歌麿を思はしむる所あるを知るべし。仏人 Tei-san が美術史に曰く、「国芳の作画は常に活動の気に満ちその描線の甚だ鮮明正確なるしばしば称賛に価すべきものあり。しかしてその色彩には好んで赤と藍とを混和せしめたる極めて明快なる(5)リンゴ色の緑を用ひ文化以前の木板絵に見るが如き色調の美妙を示す所あり。されど或時は全くその反対に、人物奮闘の状を描ける図に至つては色彩をしてこれと一致せしめんがため殊更多数の色を設けて衝突混乱せしむ。」
・・・国芳の山水画には東海道及東都名所の二種あれどもいづれもその数多からず。東海道の作は重に(6)チョウカンズ的なる山水村落の眺望を主とし、東都名所は人物を配置して風景中に自ずから江戸生粋の感情を(7)ハツラツたらしめたり。東都名所新吉原と題したる日本堤夜景の図を見よ。中空には大なる(ウ)暈戴きし黄いろき月を仰ぎ、低く地平線に接しては煙の如き横雲を漂はしたる田圃を越え、彼方遥かに(エ)廓の屋根を望む処。(オ)一梃の夜駕籠頻りと道をいそぎ行く傍に二匹の犬その足音にも驚かず疲れて眠れる姿は、土手下の閉ざせる人家の様子と共に夜もいたく深け渡りしのみか、雨持つ空に月の光もまた(カ)朧なる風情を想像せしめて余りあり。羽織に着流しの裾をかかげ、ぱつちに(8)セッタをはきし町人の二人連れあり。その一人は頬冠りの結び目を締め直しつつ他の一人は懐中に(9)ヤゾウをきめつつ廓をさしておのづと歩みも急し気なる、その向うより駒下駄に(キ)褞袍の裾も長々と地に曳くばかり着流して、三尺を腰低く前にて結びたる遊び人らしき男一人、両手は打ち斬られし如く両袖を落して、少し仰向き加減に大きく口を明きたるは、春の朧夜を我物顔に咽喉一杯の声張上げて(ク)投節歌ひ行くなるべし
・・・折々恐しい音して鼠の走る天井からホヤの曇った六分心のランプがところどころ宝丹の広告や『都新聞』の新年附録の美人画なぞで破れ目をかくした襖を始め、飴色に古びた箪笥、雨漏りのあとのある古びた壁なぞ、八畳の座敷一体をいかにも薄暗く照てらしている。古ぼけた葭戸を立てた縁側の外には小庭があるのやらないのやら分らぬほどな闇の中に軒の風鈴が淋しく鳴り虫が静かに鳴いている。師匠のお豊は縁日ものの植木鉢を並べ、不動尊の掛物をかけた床とこの間を後ろにしてべったり坐った膝の上に三味線をかかえ、樫の(ケ)撥で時々前髪のあたりをかきながら、掛声をかけては弾くと、稽古本を広げた桐の小机を中にして此方には三十前後の商人らしい男が中音で、「そりや何をいはしやんす、今さら兄よ妹といふにいはれぬ恋中は……。」と「小稲半兵衛」の道行を語る。・・・
・・・蘿月は稽古のすむまで縁近くに坐って、扇子をぱちくりさせながら、まだ冷酒のすっかり醒めきらぬ処から、時々は我知らず口の中で稽古の男と一しょに唄ったが、時々は目をつぶって遠慮なく(コ)噯をした後、身体を軽く左右にゆすりながらお豊の顔をば何の気もなく眺めた。お豊はもう四十以上であろう。薄暗い釣るしランプの光が痩せこけた小作りの身体をばなお更に老けて見せるので、ふいとこれが昔は立派な質屋の可愛らしい箱入娘だったのかと思うと、蘿月は悲しいとか淋しいとかそういう現実の感慨を通り過して、唯だ唯だ不思議な気がしてならない。その頃は自分もやはり若くて美しくて、女にすかれて、道楽して、とうとう実家を(10)シチショウまで勘当されてしまったが、今になってはその頃の事はどうしても事実ではなくて夢としか思われない。算盤で乃公(おれ)の頭をなぐった親爺にしろ、泣いて意見をした白鼠の番頭にしろ、暖簾を分けてもらったお豊の亭主にしろ、そういう人たちは怒ったり笑ったり泣いたり喜んだりして、汗をたらして飽きずによく働いていたものだが、一人々々皆死んでしまった今日となって見れば、あの人たちはこの世の中に生れて来ても来なくてもつまる処は同じようなものだった。まだしも自分とお豊の生きている間は、あの人たちは両人の記憶の中に残されているものの、やがて自分たちも死んでしまえばいよいよ何も彼も煙になって跡方もなく消え失うせてしまうのだ……。」「江戸芸術論 ―浮世絵の山水画と江戸名所―」(永井荷風)
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<解答>
(1)富嶽 (2)根調 (3)過賞 (4)敗頽 (5)林檎 (6)鳥瞰図 (7)溌剌(溌溂) (8)雪駄(雪踏) (9)弥蔵 (10)七生
(ア)うば(ばば) (イ)そぞ (ウ)かさ (エ)くるわ (オ)いっちょう (カ)おぼろ (キ)どてら (ク)なげぶし (ケ)ばち (コ)おくび
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