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我孫子・手賀沼と愛猫レオンの徒然日記。漢検1級チャレンジャーの方の参考となるブログ。2018年7月から“俳句”も開始。

倭人伝(紹煕本三国志)

2017年07月09日 | 古代史
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魏志倭人伝(ぎしわじんでん):中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑 東夷伝倭人条の略称。

「俾弥呼(ヒミカ)」(古田武彦 著) 巻末資料2 倭人伝(紹煕本三国志)読み下し文  
*ウイキ等に掲載されてるものとはだいぶ異なる
*文中(注)は当方。
*今後、文中の熟語などの(注)を、更に、随時、追加・補筆していく予定・・・。
(2017.7.9 第1回掲載)
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倭人(い(ゑ)じん)は帯方の東南大海の中に在り、山島に依りて国邑を為す。旧(もと)百余国あり、漢の時朝見する者あり。今使譯通ずる所、三十国。

郡より倭に至るには、海岸に循いて水行し、韓国を歴るにて、乍ち南し、乍ち東し、その北岸、狗邪韓国(コヤカンコク)に到る、七千余里。

始めて一海を度る、千余里。対海国(タイカイコク)に至る。その大官は卑狗(ヒコ)と曰い、副は卑奴母離(ヒヌモリ)と曰う。居する所絶島、方四百余里なる可し。土地は山険しく、深林多く、道路は禽鹿の径(ケイ)の如し。千余戸有り。良田無く、海物を食して自活し、船に乗りて、南北に市糴す。

(注)市糴(シテキ):(大字源)穀物を買い上げる (参考)市糶(シチョウ):(大字源)市場に売り出す米

又、南、一海を渡る。千余里、名づけて瀚海と曰う。一大国(イチダイコク)に至る。官を亦卑狗と曰い、副は卑奴母離と曰う。方三百里なる可し。竹木・叢林多く、三千許りの家有り。差(やや)田地有り、田を耕せども、猶食するに足らず。亦、南北に市糴す。

又、一海を渡る、千余里、末盧(マツロ)国に至る。四千余戸有り。山海に浜(そ)うて居る。草木茂盛し、行くに前人を見ず。好んで魚鰒を捕え、水深浅と無く、皆、沈没して之を取る。

東南陸行、五百里、伊都(イト)国に到る。官は爾支(ニシ)といい、副は泄謨觚(セモク)、柄渠觚(ヘコク)という。千余戸有り。世に王有るも、皆、女王国に統属す。郡使の往来、常に駐まる所なり。

東南、奴(ヌ)国に至ること、百里。官は兕馬觚(ジマク)と曰い、副を卑奴母離と曰う。二万余戸有り。東行、不弥(フミ)国に至ること、百里。官は多模(タモ)と曰い、副は卑奴母離と曰う。千余家有り。南、投馬(ツマ)国に至ること、水行二十日。官は弥弥(ミミ)と曰い、副は弥弥那利(ミミナリ)と曰う。五万余戸なる可し。南、邪馬壹国(ヤマイチコク)に至る、女王の都とする所、水行十日・陸行一月。官は伊支馬(イキマ)有り。次を弥馬升(ミマシ)と曰い、次を弥馬獲支(ミマカキ)と曰い。次を奴佳鞮(ヌカテ)と曰う。七万余戸なる可し。女王国自(よ)り以北、その戸数・道里、得て略載す可し。その余の旁国は遠絶にして、得て詳(つまびら)かにす可からず。

次に斯馬(シマ)国有り、次に巳百支(イハキ)国有り、次に伊邪(イヤ)国有り、次に郡支(グキ・クキ)国有り、次に弥奴(ミヌ)国有り、次に好古都(コウコト)国有り、次に不呼(フカ)国有り、次に姐奴(セヌ・ソヌ)国有り、次に対蘇(タイソ)国有り、次に蘇奴(ソヌ)国有り、次に呼邑(カイフ)国有り、次に華奴蘇奴(カヌソヌ)国有り、次に鬼(キ)国有り、次に為吾(イゴ)国有り、次に鬼奴(キヌ)国有り、次に邪馬(ヤマ)国有り、次に躬臣(クシ)国有り、次に巴利(ハリ)国有り、次に支惟(きゐ)国有り、次に烏奴(ウヌ)国有り、次に奴(ヌ)国有り、此れ、女王の境界の尽きる所なり。

その南、狗奴(コヌ)国有り、男子王為(た)り。その官に狗古智卑狗(ココチヒコ)有り。女王に属さず。郡より女王国に至る。万二千余里。

男子は大小と無く、皆、黥面文身す。古(いにしえ)自(よ)り以来、その使中国に詣(いた)るや、皆、自ら大夫と称す。夏后少康の子、会稽に封ぜられ、断髪文身して、以って蛟龍の害を避けしむ。今、倭の水人、好んで沈没して魚蛤(ギョコウ)を捕え、文身し亦以って大魚・水禽を厭(はら)う。後、稍(やや)以って飾りと為す。諸国の文身は各(おのおの)異なり、或いは左にし、或いは右にし、或いは大に、或いは小に、尊卑差有り。その道里を計るに、まさに会稽、東冶(トウチ)の東に在るべし。

その風俗淫ならず。男子は、皆、露紒(ロカイ)し、木緜(綿)を以って頭に招(か)け、その衣は横幅、但結束して相連ね、略(ほぼ)縫うこと無し。婦人は被髪屈紒(クッカイ)し、衣を作ること単被の如く、その中央を穿ち、頭を貫きて之を衣る。
(注)紒:(大字源 🈩ケイ(漢・呉音)①ゆう。髪を結う。②さとくない 🈔ケツ(漢音)🈩①に同じ。 🈪カイ(漢・呉音)印のひも。)

禾稲(カトウ)、紵麻(チョマ)を種(う)え、蚕桑・緝績(シュウセキ)して細紵(サイチョ)、縑緜(ケンメン)を出だす。その地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲(ジャク)無し。兵に矛・楯・木弓を用いる。木弓は下を短く上を長くし、竹箭は或いは鉄鏃、或いは骨鏃なり。有無する所は儋耳(タンジ)・朱崖(シュガイ)と同じ。

(注)縑(ケン):①かとり。かとりぎぬ。・・・ ②きぎぬ。 ③きぬ。

倭地は温暖、冬夏生菜を食す。皆、徒跣(トセン)。屋室有り、父母兄弟、臥息(ガソク)処を異にす。朱丹を以てその身体に塗る、中国の紛を用うるが如きなり。食飲には籩豆を用い手食す。

(注)籩 (ヘン:竹を編んだ高坏) 豆(トウ:木をくり抜いた高坏)

その死には、棺有るも槨無く、土を封じて冢(チョウ)を作る。始め死するや停喪(テイソウ)十余日、時に当りて肉を食らわず、喪主哭泣し、他人就いて歌舞飲酒す。已に葬れば、挙家水中に詣(いた)りて澡浴し、以て練沐の如くす。

(注)練沐:白い絹の喪服を着て沐浴する(中国の練沐)

其の行来・渡海、中国に詣るには、恒に一人をして、頭を梳らず、蟣蝨(キシツ)を去らず、衣服垢汚、肉を食らわず、婦人を近づけず、喪人の如くせしむ。これを名づけて持衰(ジサイ)と為す。若し、行く者吉善ならば、共にその生口・財物を顧し、若し疾病有り、暴害に遭えば、便ち、これを殺さんと欲す。その持衰謹まず、と謂えばなり

真珠・青玉を出す。その山に丹有り。その木には枏(ダン)・杼(チョ)・予樟・楺(ボウ)・櫪・投・橿・烏号・楓香有り。その竹は篠・簳・桃支。薑・橘・椒・蘘荷(ジョウカ)有るも、以て滋味となすを知らず。獮猴(ビコウ)・黒雉(コクチ)有り。

(注:ウイキの解釈文から)タブノキ(枏=楠)、コナラ(杼)・・・(ウイキでも?となっている語あり)・・・、ヤマグワ(烏号)、ヤダケ(簳)、真竹?(桃支)、蘘荷(=茗荷?)、獮猴(アカゲ猿)   ・・・要・継続調査・・・
 *ウイキも原典(紹煕本)も「“獮”猴」となっている・・・が、「“獼”猴(ビコウ):(大字源)さるの一種。おおざる。」の事と解しているものと思われる。
 *「蘘荷(ジョウカ)」:(大字源)草の名。みょうが。

その俗挙事行来、云為する所有れば、輒(すなわ)ち骨を灼きて卜し、以て吉凶を占い、先ず卜する所を告ぐ。その辞は令亀(レイキ)の法の如く、火坼(カタク)を視て兆を占う。

(注)令亀法:中国の占い。 火坼:火によって出来た裂け目

その会同・坐起には、父子・男女別無し。人性酒を嗜む。(魏略に曰う。「其の俗、正歳、四節を知らず。 但 春耕・秋収を計りて年紀と為す)
大人の敬する所を見れば、但 手を搏ちて以て跪拝に当つ。その人の寿考、或いは百年、或いは八、九十年。その俗、国の大人(タイジン)は皆四、五婦、下戸(ゲコ)も或いは二、三婦。婦人は淫せず、妬忌せず。盗窃せず、諍訟少なし。其の法を犯すに、軽き者はその妻子を没し、重き者はその門戸及び宗族を没す。尊卑各(おのおの)差序有り、相臣服するに足る。租賦を収む。邸閣有り。国国は市有り。有無を交易す。使大倭(シタイイ(ゐ))之を監す。

女王国自り以北には、特に一大率を置き、検察せしむ。諸国之を畏憚す。常に伊都国に治す。国中に於いて刺史の如き有り。王の使を遣わして、京都・帯方郡・諸韓国に詣らしめ、郡の倭国に使するに及ぶや、皆、津に臨みて捜露す。伝送の文書・賜遺の物、女王に詣るに、差錯(ササク)するを得ざらしむ。

下戸、大人と道路に相逢えば、逡巡して草に入り、辞を伝え事を説くには、或いは蹲り、或いは跪き、両手は地に拠り、之が恭敬を為す。対応の声を噫(アイ)と曰う。比するに然諾(ゼンダク)の如し。

其の国、本亦男子を以て王と為し、住(とど)まる七・八十年。倭国乱れ、相攻伐すること歴年、乃ち一女子を共立して王と為す。名づけて卑弥呼(ヒミカ)と曰う。鬼道に事え、能く衆を惑わす。年已に長大なるも夫婿(フセイ)無く、男弟有り、佐(たす)けて国を治む。王と為りしより以来、見る有る者少なく、婢千人を以て自ら侍せしむ。唯(ただ)男子一人有り、飲食を給し、辞を伝え、居所に出入りす。宮室・楼観・城柵、厳(おごそ)かに設け、常に人有り、兵を持して守衛す。

女王国の東、海を渡る、千余里。復(ま)た国有り、皆倭種。又侏儒(シュジュ)国有り。その南に在り。人長は三・四尺。女王を去る、四千余里。又、裸(ラ)国・黒歯(コクシ)国有り。復(ま)た、その東南に在り。船行一年にして至る可し。

倭地を参問するに、海中洲島の上に絶在し、或いは絶え或いは連なること、周旋五千余里なる可し。

景初二年六月、倭の女王、大夫難升米(ナンシメ)等を遣わし郡に詣り、天子に詣りて朝献せんことを求む。太守・劉夏、吏を遣わし、将(ひき)いて送りて京都に詣らしむ。

其の年十二月、詔書して倭の女王に報じて曰く、「親魏倭王卑弥呼に制詔す。帯方の太守劉夏、使を遣わし、汝の大夫難升米、次使・都市牛利(トイチギュウリ)を送り、汝献ずる所の男生口四人、女生口六人、班布二匹二丈を奉じ、以て到る。汝の在る所遠きを踰(こ)え、乃ち、使を遣わして貢献せしむ。是れ汝の忠孝、我甚だ汝を哀れむ。今、汝を以て親魏倭王と為す。金印紫綬を仮し、装封して帯方太守に付して仮授す。汝、其れ種人を綏撫し、勉めて孝順を為せ。汝が来使難升米・牛利は遠きを渉り、道路勤労す。今、難升米を以て率善中郎将と為し、牛利を率善校尉と為し、銀印青綬を仮し、引見労賜して、遣わし還す。今、絳地(コウチ)交龍錦五匹・絳地縐粟罽(シュウゾクケイ)十張、蒨絳(センコウ)五十匹、紺青(コンジョウ)五十匹を以て、汝が献ずる所の貢直に答う。又、特に汝に紺地句文錦(コンジコウモンキン)三匹・細班華罽(カケイ)五張・白絹五十匹・金八両・五尺刀二口・銅鏡百枚・真珠・鉛丹各(おのおの)五十斤を賜い、皆装封して難升米・牛利に付す。還り到らば、録受し、悉く以て汝が国中の人に示し、国家汝を哀れむを知らしむ可し。故に、鄭重に汝に好物を賜うなり」と。

 (注)「絳地(コウチ)交龍錦五匹」 (臣松之、以為(おもえ)らく、地は応(まさ)に綈(テイ)と為すべし。漢の文帝、皁衣を著す。之を弋綈(ヨクテイ)と謂うは是なり。此の字、体ならず。魏朝の失に非んば、即ち伝写者の誤なり。)

正始元年、太守・弓遵、建中校尉・梯儁等を遣わし、詔書・印綬を奉じて倭国に詣り、倭王に拝仮し、并(なら)びに詔を齎(もたら)し、金帛・錦罽(ギンケイ)・刀・鏡・采物を賜う。倭王、使に因って上表し、詔恩を答謝す。
 
 (注)正始元年(240)

其の四年、倭王、復(ま)た使大夫伊声耆(イセイキ)・掖邪拘(エキヤコ)等八人を遣わし、生口・倭錦(イ(ゐ)キン)・絳青縑(コウセイケン)・緜衣(メンイ)・帛布・丹・木拊(モクフ)・短弓矢(タンキュウシ)を上献せしむ。掖邪狗等、率善中郎将の印綬を壹拝(イチハイ)す。」

(注)絳青縑:赤、青の目の細かい絹。

其の八年、太守王頎(オウキ)官に到る。倭の女王卑弥呼、狗奴国の男王卑弥弓呼と素より和せず。倭載(イ(ゐ)サイ)斯烏越(シオエツ)等を遣わして、郡に詣り、相攻撃することを説かしむ。塞曹掾史(サイソウエンシ)張政等を遣わし、因りて詔書、黄幢を齎し、難升米に拝仮し、檄を為して之を告諭せしむ。

卑弥呼、死するを以て、大いに冢を作る。径百余歩。徇葬する者、奴婢百余人。更に男王を立てしも、国中服せず。更に相誅殺し、当時、千余人を殺す。復(ま)た、卑弥呼の宗女、壹与(イチヨ)年十三なるを立てて王と為し、国中遂に定まる。政等は檄を以て壱与に告諭す。

壹与、倭の大夫、率善中郎将掖邪拘等二十人を遣わし、政等の送りて還らしむ。因りて、臺に詣り、男女生口三十人を献上し、白珠五千孔、青大句珠(コウシュ)二枚、異文雜錦二十匹を貢す。

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古田武彦「まぼろしの祝詞誕生~古代史の実像を追う~」 ②「天つ罪・国つ罪」の解釈

2017年06月29日 | 古代史
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●「まぼろしの祝詞誕生~古代史の実像を追う~」から、“天つ罪”“国つ罪”の要旨のみ抜萃(要約・文責は当方)

●天つ罪
<畔放(あはなち) 溝埋(みぞうめ) 樋放(ひはなち)  頻播(しきまき) 串刺(くしさし)>
・8つのうち、5つが“農業破壊”の仕業。いづれも水田の管理・秩序破壊の行為。
・なぜ、“天つ罪”なのか・・・(一般的な“タブー”に加えて、ここでは・・・)
 天孫降臨に伴う、天国の人々(侵略者)による破壊行為・・・豊かな縄文水田(板付遺跡・菜畑遺跡など)・水田耕作の民たちへの侵略行為
<生剥(いきはぎ) 逆剥(さかはぎ)>
・(従来説では“馬の皮を剥ぐ”云々となっているが、必ずしも馬とはかぎらず)従来の、動物や魚の皮を剥ぐには一定の神聖なルールがあった。それを天国かた来た者はそのルールを無視して行った・・・従来、石や貝の刃で剥いでいたものを金属器(銅や鉄)の刃で行った。その罪。あくまで推量で一つの仮説だが検証に値する一仮説と思う。
<糞戸(くそへ)>
一個の、あるいは多数の人間(男たち)の、威圧による暴力行為と解すべき。 
●国つ罪
(「天つ罪」が天つ国側からの「加害」ともいうべき罪を述べているに対し、“社会的”な罪のくさぐさが述べられているよう・・・)
<生膚断(いきはだたち) 死膚断(しにはだたち)>
(倭人伝には、“黥面文身”“尊卑差あり”など、倭国の男子は顔面・身体などに入れ墨をしていたことが述べられている)
 敗れた男たち当人の“かくかくの身分”という証拠物を消し去る行為。奪、身分の行為。
<白人、こくみ>
(これらは自然の病気か・・・はだの白くなった人、白はたけ。こくみ:こぶのできること。これらは外見上異様に見えるため、これを当人(もしくは祖先)の犯した罪によるものとみなしたのではないか・・・)
<己(おの)が母犯せる罪 己が子犯せる罪 母と子と犯せる罪 子と母と犯せる罪 畜犯せる罪 >
(一般的な罪とは別に・・・)
 このような異常行為が発生すべき時はいつか・・・戦争や征服戦争という異常な時期こそ生じうる、自明のことではないか。特に、“征服した側”より“征服された側”に生じやすい現象ではないか・・・。
<昆虫(はうむし)の災 高つ神の災 高つ鳥の災 >
 ・ヘビやムカデの類は、すなわち「神」だった・・・縄文期の「蛇神信仰」など
 ・高つ神・・・縄文期の高地性集落の人(=神)たち
 ・高つ鳥・・・高地性集落の人たちがシンボル化していた神鳥
これらの反乱・敵対を“災い”として否定するもの
<畜仆し(けものたおし)、蠱物(まじもの)する罪>
このような“のろい”、縄文期以来の旧信仰を否定。かつ、今後は天国側の者たちが行っても、これらの罪はこの“大祓”によって無罪放免するという立場。

・以上、これらには、一般的な「罪」と天孫降臨に伴う特殊・歴史的な「罪」の二面性があるが、この祝詞が直接問題にしているのは、前者の上に立った後者。
・この祝詞の基本の思想性・・・これらのえすべての「罪」の“免除”を宣言すること、その国家的儀式にあった。

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●<参考>ウィキペデイアの「天つ罪・国つ罪」から・・・
・天つ罪・国つ罪(あまつつみ・くにつつみ)とは、神道における罪の観念で、『延喜式』巻八「祝詞」に収録される大祓詞に対句として登場する。古きに倣い天津罪・国津罪とも表記される。
<概要[編集]>
・天つ罪・国つ罪は、宗教と政治と法制が密接であった古代日本における「罪」に対する考え方を窺い知るのに重要であるが、本居宣長以来指摘されているように天つ罪・国つ罪は宗教的に関わりの深い「罪」を挙げたものであり、これらに属しない世俗的な「罪」が存在していた事は『古事記』・『日本書紀』の中にも記されている。
・折口信夫は、天つ罪は元は「雨障(あまつつみ)」で、梅雨の時期に農民が忌み蘢ることを指していたが、それが「天つ罪」とされ、日本神話におけるスサノオ命が高天原で犯した行為(岩戸隠れを参照)と解釈されるに至り、それに対応するものとして「国つ罪」が作られたという説を唱えている。
<神社等[編集]>
・神社本庁およびその配下の神社で用いられる大祓詞では、天津罪・国津罪の罪名が省略され「天つ罪 国つ罪 許許太久(ここだく)の罪出でむ」と表現される。
<詳細[編集]>
・「六月晦大祓(みなづきごもりのおおはらひ)」、別称「中臣の大祓」では、「天の益人(ますひと)らが過ちおかしけむ雑雑(くさぐさ)の罪事(つみごと)は」に続いて、天津罪と国津罪の詳細が述べられる。
・大祓詞による天つ罪・国つ罪は以下のものである。なお、大祓詞には罪の名前が書かれているだけで、特に国つ罪についてそれが何を意味するかについては諸説がある。
<天津罪[編集]>
・大祓では、『古事記』や『日本書紀』に記す素戔嗚尊(スサノオノミコト)が高天原で犯した行為であるゆえに、天津罪をわけるとされている。しかし、全て農耕を妨害する人為的な行為であることから、クニ成立以前の共同体社会以来の犯罪との説もある。

畔放(あはなち) - 田に張っている水を、畔を壊すことで流出させ、水田灌漑を妨害することとされ、『古事記』・『日本書紀』にスサノオ命が高天原において天照大神の田に対してこれを行ったと記している
溝埋(みぞうめ) - 田に水を引くために設けた溝を埋めることで水を引けないようにする灌漑妨害で、これも『古事記』・『日本書紀』に記述がある
樋放(ひはなち) - 田に水を引くために設けた管を壊すことで水を引けないようにする灌漑妨害で、『日本書紀』に記述がある
頻播(しきまき) - 他の人が種を蒔いた所に重ねて種を蒔いて作物の生長を妨げること(種を蒔く事で耕作権を奪うこととする説もある)で、『日本書紀』に記される
串刺(くしさし) - 『日本書紀』には、その起源をスサノオ命が高天原において天照大神の田を妬んでこれを行ったと記しているが、その目的は収穫時に他人の田畑に自分の土地であることを示す杭を立てて横領すること、とする他に、他人の田畑に呪いを込めた串を刺すことでその所有者に害を及ぼす(または近寄れないようにした上で横領する)という呪詛説、田の中に多くの串を隠し立てて所有者の足を傷つける傷害説、家畜に串を刺して殺す家畜殺傷説の3説がある

生剥(いきはぎ) - 馬の皮を生きながら剥ぐこととされ、『日本書紀』にスサノオ命が天照大神が神に献上する服を織っている殿内に天斑駒(あまのふちこま)を生剥にして投げ入れたとその起源を記していることから、神事(ないしはその準備)の神聖性を侵犯するものとされるが、本来は単に家畜の皮を剥いで殺傷することとの説もある
逆剥(さかはぎ) - 馬の皮を尻の方から剥ぐこととされ、『古事記』『日本書紀』に生剥と同じ起源を記していることから、これも神事の神聖性を侵犯するものとされるが、本来は単に家畜を殺傷することとの説があるのも同様である

糞戸(くそへ) - 『古事記』『日本書紀』にはスサノオ命が高天原において天照大神が大嘗祭(または新嘗祭)を斎行する神殿に脱糞したのが起源であると記していることから、これも神事に際して祭場を糞などの汚物で汚すこととされるが、また「くそと」と読み、「と」は祝詞(のりと)の「と」と同じく呪的行為を指すとして、本来は肥料としての糞尿に呪いをかけて作物に害を与える行為であるとの説もある

<国津罪[編集]>
・国津罪は病気・災害を含み、現在の観念では「罪」に当たらないものもある点に特徴があるが、一説に天変地異を人が罪を犯したことによって起こる現象と把え、人間が疵を負ったり疾患を被る(またこれによって死に至る)事や不適切な性的関係を結ぶ事によって、その人物の体から穢れが発生し、ひいては天変地異を引き起こす事になるためであると説明する。

生膚断(いきはだたち) - 生きている人の肌に傷をつけることで、所謂傷害罪に相当する
死膚断(しにはだたち) - 直接的解釈では、死んだ人の肌に傷をつけることで、現在の死体損壊罪に相当し、その目的は何らかの呪的行為にあるとされるが、また前項の生膚断が肌を傷つけられた被害者がまだ生存しているのに対し、被害者を傷つけて死に至らしめる、所謂傷害致死罪に相当するとの説もある
白人(しらひと) - 肌の色が白くなる病気で、「白癩(びゃくらい・しらはたけ)」とも呼ばれ、所謂ハンセン病の一種とされる
胡久美(こくみ) - 背中に大きな瘤ができること(所謂せむし)

己(おの)が母犯せる罪 - 実母との相姦(近親相姦)
己が子犯せる罪 - 実子との相姦
母と子と犯せる罪 - ある女と性交し、その後その娘と相姦すること
子と母と犯せる罪 - ある女と性交し、その後その母と相姦すること(以上4罪は『古事記』仲哀天皇段に「上通下通婚(おやこたわけ)」として総括されており、修辞技法として分化されているだけで、意味上の相違はないとの説もある)
畜犯せる罪 - 獣姦のことで、『古事記』仲哀天皇段には「馬婚(うまたわけ)」、「牛婚(うしたわけ)」、「鶏婚(とりたわけ)」、「犬婚(いぬたわけ)」と細分化されている

昆虫(はうむし)の災 - 地面を這う昆虫(毒蛇やムカデ、サソリなど)による災難である
高つ神の災 - 落雷などの天災とされる
高つ鳥の災 - 大殿祭(おおとのほがい)の祝詞には「飛ぶ鳥の災」とあり、猛禽類による家屋損傷などの災難とされる
畜仆し(けものたおし)、蠱物(まじもの)する罪 - 家畜を殺し、その屍体で他人を呪う蠱道(こどう)のことである

なお、『日本書紀』神功皇后摂政元年2月の条にある「阿豆那比(あずない)の罪」(2社の神官を一緒に埋葬すること)もこれに准じる[要出典]ものである。また、『皇太神宮儀式帳』には川入(川に入って溺死すること)[要出典]・火焼(火によって焼死する事)[要出典]を国つ罪に追加している。

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祝詞 六月晦大祓祝詞 (資料編)

2017年06月29日 | 古代史
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●「祝詞」「六月晦大祓祝詞」についてネットなどから引用・・・資料編・・・

<祝詞>
・祝詞(のりと)は、神道において神徳を称え、崇敬の意を表する内容を神に奏上しもって加護や利益を得んとする文章。通常は神職によって独自の節回しによる朗誦が行われ、文体・措辞・書式などに固有の特徴を持つ。

・祝詞(のりと)の語源は「のりとごと」(宣之言・宣処言・宣呪言)であるとする説が従来もっとも一般的であったといえる。

・神職などの奉仕者が祭神に祭祀の意義や目的を奏上する言葉(人間が神に対してみずからの祈願するところや、神を称えるこころを表現するために記した文章)を意味するものであるが(奏上体)、古くは祭祀の場に参集した人々に宣り下される言葉でもあった(宣命体)。「のりと」の「のり」には「宣り聞かせる」という意味が考えられることから、宣命体の祝詞が本義を伝えるものであると考えることもできる。

・折口信夫は古代祝詞の用例から「〜と宣る(宣ふ)」と結ぶノリト型と「〜と申す」と結ぶヨゴト型の別のあることを探り出し、高位にあるものが下位にあるものへ祝福を授けるための言葉がノリトすなわち「宣り言」であり、その礼として下位にあるものが高位にあるものを称え服従を誓う言葉がヨゴト(寿詞)であると解した。

・すなわち現今云うところの祝詞は、折口のいわゆるヨゴト(寿詞)の系譜に属する祈願の言葉がたまたま「祝詞」の名を取ったものであるということもできる。祝詞の語源・本義に関する右の両説は現在でも容易に決着がつけがたい。

・祝詞と名づけられた文章のもっとも古い例は、『延喜式』巻八に収録する27篇と藤原頼長『台記』別記所収「中臣寿詞」の計28篇である。以上はすくなくとも奈良時代以前にまで遡りうる貴重な文献であり、古代の祝詞の姿を現在に伝える重要な資料である。延喜式所収の27篇の祝詞は以下のものである。
1.祈年祭
2.春日祭
3.廣瀬大忌祭
4.龍田風神祭
5.平野祭
6.久度古關(祭)
7.六月月次(祭)
8.大殿祭
9.御門祭
10.六月晦大祓
11.東文忌寸部献横刀時ノ呪
12.鎮火祭
13.道饗祭
14.大嘗祭
15.鎮御魂齋戸祭
16.伊勢大神宮
1.二月祈年(祭)、六月十二月月次祭
2.豊受宮
3.四月ノ神衣祭
4.六月ノ月次祭
5.九月ノ神嘗祭
6.豊受宮同祭
7.神嘗祭
8.斎内親王奉入時
9.遷奉大神宮祝詞

17.遷却祟神祭
18.遣唐使時奉幣
19.出雲国造神賀詞

このうち1 - 7は各神社の祭礼ごとの祝詞、8 - 15は宮中祭祀にかかわる祝詞、16は伊勢神宮にかかわる祝詞、17 - 20は補遺である。以上のうちに特徴的なのは「〜と申す(白す)」と結ぶ奏上体が大半を占めるのに対して祈年祭、六月月次祭(大祓)、大嘗祭・神嘗祭においては「〜と宣る(宣ふ)」とする宣命体がとられていることでこれらの祭儀が発生や形式においてそのほかの祭儀と性格を別にしていたことを思わせるものである。

その目的によって様々な種類があり、現在でも大和言葉が用いられている。基本的に祝詞は祭儀の度に作文するが、決まった祭儀(初宮詣、結婚式など)では同じ祝詞を用いることが多い。また、祭儀の前に行う修祓での「祓詞」(はらえことば)や大祓での「大祓詞」(おおはらえことば)も言葉が決まっている。

近年では祝詞例文集が数多く登場している。それを作文の上で参考にするのは問題ないが、頼りすぎて表現が固定化され本来の祝詞の意義からは外れているという指摘もある。

神職が(神社本庁傘下の神社に於いて)奏上する場合、座に着き二拝し奏上した後に二拝二拍手一拝する。無論作法はこの限りではない

<六月晦大祓祝詞>

「出典:延喜式卷八「祝詞」
原文の万葉仮名は平仮名に改めてある。
関連:大祓詞・祓詞
この著作物は1923年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没年(団体著作物にあっては公表後又は創作後)より100年以上経過しているので、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。」
ということだから、掲載しておいても良いんだろう・・・

ー原文ー

六月晦大祓〔十二月も此に准へ〕

集侍はれる親王 諸王 諸臣 百官人等諸聞食せと宣る

天皇が朝廷に仕奉る 比礼挂くる伴男 手襁挂くる伴男 靫負ふ伴男 剱佩く伴男 伴男の八十伴男を始めて 官官に仕奉る人等の 過犯しけむ雑雑の罪を 今年の六月の晦の大祓に 祓給ひ清給ふ事を 諸聞食せと宣る

高天原に神留り坐す 皇親神漏岐神漏美の命以ちて 八百万の神等を 神集に集賜ひ 神議に議賜て 我が皇孫之尊は 豊葦原の水穂の国を 安国と平けく所知食と事依し奉き

如此依し奉し国中に荒振神達をば 神問しに問し賜ひ 神掃に掃賜ひて 語問し磐根樹の立草の垣葉をも語止て 天磐座放ち 天の八重雲を伊頭の千別に千別て 天降依し奉き

如此依さし奉し四方の国中と 大倭日高見之国を安国と定奉て 下津磐根に宮柱太敷立て 高天原に千木高知て 皇御孫之命の美頭の御舎仕奉て 天之御蔭日之御蔭と隠坐て 安国と平けく所知食む国中に成出む 天の益人等が 過犯けむ雑々の罪事は

天津罪と 畦放 溝埋 樋放 頻蒔 串刺 生剥 逆剥 屎戸 ここだくの罪を 天津罪と法別て

国津罪と 生膚断死膚断 白人胡久美 己が母犯罪己が子犯罪 母と子と犯罪子と母と犯罪 畜犯罪 昆虫の災 高津神の災 高津鳥の災 畜仆し蟲物為罪 ここだくの罪出でむ

如此出ば 天津宮事を以て 大中臣天津金木を本打切末打断て 千座の置座に置足はして 天津菅曾を本苅断末苅切て 八針に取辟て 天津祝詞の太祝詞事を宣れ

如此乃良ば 天津神は天磐門を押披て 天之八重雲を伊頭の千別に千別て所聞食む 国津神は高山乃末短山之末に登坐して 高山の伊穂理短山の伊穂理を撥別て所聞食む

如此所聞食てば 皇御孫之命の朝廷を始て 天下四方国には 罪と云ふ罪は不在と 科戸之風の天之八重雲を吹放事之如く 朝之御霧夕之御霧を朝風夕風の吹掃事之如く 大津辺に居る大船を 舳解放艫解放て大海原に押放事之如く 彼方之繁木が本を焼鎌の敏鎌以て打掃事之如く 遺る罪は不在と 祓賜ひ清賜事を 高山之末短山之末より 佐久那太理に落多支都速川の瀬に坐す瀬織津比咩と云神大海原に持出なむ 如此持出往ば 荒塩之塩の八百道の八塩道之塩の八百会に坐す速開都比咩と云神 持かか呑てむ 如此かか呑ては 気吹戸に坐す気吹主と云神 根国底之国に気吹放てむ

如此気吹放ては 根国底之国に坐す速佐須良比咩と云神 持さすらひ失てむ

如此失てば 今日より始て罪と云ふ罪は不在と 高天原に耳振立聞物と馬牽立て 今年の六月の晦日の 夕日之降の大祓に 祓給ひ清給ふ事を 諸聞食せと宣る

四国の卜部等 大川道に持退出て祓却と宣る


ー平仮名文[編集]ー

みなづきのつごもりのおほはらひ

うごなはれるみこたち おほきみたち まえつきみたち もものつかさのひとたちもろもろきこしめせとのる

すめらがみかどにつかへまつる ひれかくるとものを たすきかくるとものを ゆぎおふとものを たちはくとものを とものをのやそとものををはじめて つかさづかさにつかえまつるひとどもの あやまちおかしけむくさぐさのつみを ことしのみなづきのつごもりのおおはらへに はらひたまひきよめたまふことを もろもろきこしめせとのる

たかまのはらにかむづまります すめむつかむろぎかむろみのみこともちて やほよろづのかみたちを かむつどへにつどへたまひ かむはかりにはかりたまひて あがすめみまのみことは とよあしはらのみづほのくにを やすくにとたひらけくしろしめせとことよさしまつりき

かくよさしまつりしくぬちに あらぶるかみどもをば かむとはしに とはしたまひ かむはらひにはらひたまひて ことどいしいわねこのたち くさのかきはをもことやめて あめのいわくらはなれ あめのやへぐもをいづのちわきにちわきて あまくだしよさしまつりき

かくよさしまつりしよものくになかと おほやまとひたかみのくにをやすくにとさだめまつりて したついはねにみやばしらふとしきたて たかまのはらにちぎたかしりて すめみまのみことみづのみあらかつかえまつりて あめのみかげひのみかげとかくりまして やすくにとたひらけくしろしめさむ くにちになりいでむあめのますひとらが あやまちおかしけむくさぐさのつみごとは

あまつつみと あはなち みぞうめ ひはなち しきまき くしさし いけはぎ さかはぎ くそへ ここだくのつみを あまつつみとのりわけて

くにつつみと いきはだたち しにはだたち しろひと こくみ おのがははおかせるつみ おのがこおかせるつみ ははとことおかせるつみ ことははとおかせるつみ けものおかせるつみ はふむしのわざはひ たかつかみのわざはひ たかつとりのわざはひ けものたふし まじものせるつみ ここだくのつみいでむ

かくいでば あまつみやごともちて おおなかとみあめつかなぎをもとうちきりすえうちたちて ちくらのおきくらにおきたらはして あまつすがそをもとかりたちすえかりきりて やはりにとりさきて あまつのりとのふとのりとごとをのれ

かくのらば あまつかみはあめのいはとをおしひらきて あめのやへぐもをいづのちわきにちわきてきこしめさむ くにつかみはたかやまのすえひきやまのすえにのぼりまして たかやまのいほりひきやまのいほりをかきわけてきこしめさむ

かくきこしめしてば すめみまのみことのみかどをはじめて あめのしたよものくにぐにには つみといふつみはあらじと しなとのかぜのあめのやへぐもをふきはなつことのごとく あしたのみぎりゆうべのみぎりを あさかざゆうかぜのふきはらふことのごとく おほつべにをるおほぶねを へときはなちともときはなちておほうなばらにおしはなつことのごとく をちかたのしげきがもとをやきがまのとがまもちてうちはらうことのごとく のこるつみはあらじとはらひたまひきよめたまふことを たかやまのすゑひきやまのすゑより さくなだりにおちたきつはやかはのせにますせおりつひめといふかみ おほうなばらにもちいでなむ かくもちいでいなば あらしほのしほのやほぢのやしほぢのしほのやほあひにますはやあきつひめといふかみ もちかかのみへむ かくかかのみてば いぶきどにますいぶきどぬしといふかみ ねのくにそこのくににいぶきはなちてむ

かくいぶきはなちては ねくにそこのくににますはやさすらひめといふかみ もちさすらひうしなひてむ

かくうしなひてば すめらがみかどにつかへまつるつかさづかさのひとどもをはじめて あめのしたよもには けふよりはじめてつみといふつみはあらじと たかあまはらにみみふりたててきくものとうまひきたてて ことしのみなづきのつごもりのひのゆふひのくだちのおほはらひに はらひたまひきよめたまふことを もろもろきこしめせとのる

よくにのうらべども おほかわぢにもちまかりいでてはらひやれとのる

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古田武彦「まぼろしの祝詞誕生~古代史の実像を追う~」 ①「六月晦大祓」の解釈

2017年06月29日 | 古代史
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●古田武彦著・古田武彦氏と古代史を研究する会 編集 新泉社 発行 2003年新版 ・・・1998年第1版第1刷・・・
(県立図書館から“相互貸借”により借り出し)
●内容
目次
Ⅰ 祝詞誕生 ─ 「大祓」の史料批判 
Ⅱ 中国文献の示す古代史の実像 
Ⅲ 遺物の語る古代史の実像 
Ⅳ 神話の秘める古代史の実像 

●以下は、同書を、当方にて抜萃・解釈したものであり、文責はすべて当方にある●

<六月晦大祓祝詞>

●六月晦大祓〔十二月も此に准へ〕  *送り仮名は当方 *各文の途中にある( )内解釈は、同書から引用。

集侍(うごな)はれる親王(みこたち) 諸王(おおきみたち) 諸臣(まへつきみたち) 百官人等(もものつかさびとたち)諸(もろもろ)聞(きこし)食(め)せと宣(の)る

天皇(すめら)が朝廷(みかど)に仕奉(つかえまつ)る 比礼(ひれ=肩巾)挂くる伴男(とものを) 手襁(たすき)挂くる伴男 靫(ゆき)負ふ伴男 剱(たち)佩く伴男 伴男の八十伴男を始めて 官官(つかさつかさ)に仕奉る人等(ひとども)の 過(あやまち)犯しけむ雑雑(くさぐさ)の罪を 今年の六月(みなづき)の晦(つごもり)の大祓(おおはらへ)に 祓へ給ひ清め給ふ事を 諸聞食せと宣る

各位の官人たちに宣告する。「天皇の朝廷」に仕えている人々の罪を、今年の六月の大祓ではらい清めたまう言葉を聞くように、と宣告する。)

高天原に神留(かみづま)り坐す 皇親神漏岐(すめむつかみろき)神漏美(かみろみ)の命以ちて 八百万の神等を 神集(かむつどえ)に集賜ひ 神議(かむはかり)に議賜て 我が皇孫之尊は 豊葦原の水穂の国を 安国と平けく所知食と事依し奉き

如此依し奉し国中に荒振神達をば 神問しに問し賜ひ 神掃に掃賜ひて 語問(こととい)し磐根樹立(いはねこだち)、草の垣葉(かきは=片葉)をも語止て 天磐座放ち 天の八重雲を伊頭(いつ)の千別に千別て 天降依さし奉(まつり)き

高天原の神々がご相談になって、わが皇御孫(すめみま)の命(=ニニギノミコト。天照大神の孫)を豊葦原の水穂の国に派遣することをお決めになった。
 その国の中の“荒ぶる神”たちを追い払い、不平を言う者どももなくなったので、いよいよニニギノミコトを当地に派遣されたのである。)

如此依さし奉し四方の国中と 大倭日高見之国(おおやまとひたかみのくに)を安国と定奉て 下津磐根に宮柱太敷立て 高天原に千木高知て 皇御孫之命の美頭(みづ=瑞)の御舎(みあらか)仕奉て 天之御蔭日之御蔭と隠坐(かくりまし)て 安国と平けく所知食む国中に成出む 天の益人等が 過犯けむ雑々の罪事は

天津罪と 畦放(あなはち) 溝埋(みぞうめ) 樋放(ひはなち) 頻蒔(しきまき) 串刺 生剥 逆剥 屎戸(くそへ) ここだく(許多)の罪を 天津罪と法別て

国津罪と 生膚断(いきはだたち)死膚断(しにはだたち) 白人(しらひと) 胡久美(こくみ) 己が母犯罪 己が子犯罪 母と子と犯罪 子と母と犯罪 畜犯罪(けものおかせる罪) 昆虫(はふ虫)の災(わざわい) 高津神の災 高津鳥の災 畜仆(けものたお)し 蟲物為(まじものする)罪 ここだく(許多)の罪出でむ

如此(かく)出でば 天津宮事を以て 大中臣 天津金木を本打切り末打断ちて 千座の置座(おきくら)に置足(たら)はして 天津菅曾(すがそ=菅麻)を本苅り断ち末苅り切りて 八針に取り辟(さ)きて 天津祝詞の太祝詞事(ふとのりとごと)を宣れ

如此乃良(かくのら)ば 天津神は天磐門を押披て 天之八重雲を伊頭の千別に千別て所聞食む 国津神は高山乃末短山(ひきやま)之末に登り坐して 高山の伊穂理(いゑり)短山の伊穂理を撥別て所聞食む

ミコトは、その国の中の「大倭日高見之国」を安らかな国として、その中心とし、その地に宮殿を建設なさった。
この地に移住してきて多く住むようになった天国の人々は、多くの罪(天つ罪と国つ罪)を犯した。
これらの罪をはらい清めるため、大中臣(天児屋命の系統の祭祀者)は、天国の宮殿で行う、「罪祓い」の祭式にしたがって、天国のすぐれた祝詞(「大祝詞」)を宣告せよ
。)   
(注)「天つ罪と国つ罪」に対する解釈は別記事にてまとめている。

如此所聞食(かくきこしめし)てば 皇御孫之命の朝廷を始て 天下四方国には 罪と云ふ罪は不在と 科戸(しなど)之風の天之八重雲を吹き放つ事之如く 朝之御霧夕之御霧を朝風夕風の吹き掃ふ事之如く 大津辺に居る大船を 舳解き放ち艫解き放ちて大海原に押し放つ事之如く 彼方之繁木が本を焼鎌の敏鎌以て打ち掃ふ事之如く 遺る罪は不在(あらじ)と 祓へ賜ひ清め賜ふ事を 高山之末短山之末より 佐久那太理(さくなだり)に落ち多支都(たぎつ)速川の瀬に坐す瀬織津比咩(せおりつひめ)と云う神 大海原に持ち出なむ 如此持出往ば 荒塩之塩の八百道の八塩道之塩の八百会に坐す速開都比咩(はやあきつひめ)と云う神 持ちかか呑みてむ 如此(かく)かか呑みては 気吹戸(いぶきど)に坐す気吹主と云う神 根国底之国に気吹放てむ 如此気吹放ては 根国底之国に坐す速佐須良比咩(はやさすらひめ)と云う神 持ちさすらひ失ひてむ

この宣告を、天国やこの国の神々は、それぞれお聞きになっておられよう。
天国やこの国の神々がこの祝詞をお聞きになれば、「皇御孫の命(ニニギノミコト)の朝廷」をはじめ、天国統治下の四方の国々に、ありとあらゆる罪が消え失せるように、と、風が多くの雲を吹きはらうときのように、朝夕の霧を風が吹きはらうときのように、大船を大海原に解きはなつときのように、木のしげみを鎌でうちはらうときのように、すべての罪をはらい清めたまうとき、次のようにそれらの罪は流されてゆく。 
 第一に、高山・低山の麓の“速川の瀬”の「瀬織つひめ」がその罪のすべてを大海原に持ち出してしまう。
 第二に、その海に流れ出した罪を、海の潮流の“八百会(やほあい)”の「速開つひめ」が呑み込んでしまう。
 第三に、その呑みこまれた罪を、“気吹戸”この「気吹戸主」が<根の国・底の国>へ息で吹き飛ばしてしまう。
 第四に、その吹き飛ばされた罪を、<根の国・底の国>の「速さすらひめ」が持ちさすらって、これらの罪をことごとく消し去ってしまう
。)

如此失ひてば 今日より始て罪と云ふ罪は不在と 高天原に耳振立聞物(耳振り立てて聞く物)と馬牽き立てて 今年の六月の晦日の 夕日之降(くだち)の大祓に 祓ひ給ひ清め給ふ事を 諸聞食せと宣る

以上のようにして、すべての罪が消滅したので、この「天皇が朝廷(スメラガミカド)」の各官司の人々、また天国の統治下の四方の国々には、今日より後、罪というものはなくなってしまった。このいきさつを(天国の神々の声を聞きとどける、鋭い耳をもつ)この馬の耳に聞きとらせつつ(それを“証人”として)、今年の六月の晦の日の、夕方の大祓に、はらい清めたまう言葉を申します。皆、お聞き下さい、と宣告する。)

四国(よくに)の卜部等 大川道に持ち退(まか)り出でて祓へ却(や)れと宣る

四国の卜部たち、この祭祀の「罪」をはらうための品々を、はらい流し去れ、と宣告する。)

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<同書より抜粋(文責:当方)> *もっと詳細記述あり。

●天の所在地  : 天国=「海(あま)国」「海人(あま)国」=壱岐・対馬を中心とする、対馬海流の海上領域の島々。
●「天孫降臨」の到着地 :(この祝詞のメインテーマが“天孫降臨”にあることは明らか) 筑紫(筑前)のさ中・糸島郡と福岡市のさ中。博多湾岸。
●「根の国・底の国」の所在地 :(記紀にもこの二国名あり) 出雲そのもの、あるいは出雲の方。
●「倭」:ここの「倭」は“チクシ”。“ヤマト”と読む用法は比較的新しい・・・この表記法は「天智末年以降」。万葉集にある表記は“山跡”“山常”“八間跡”など(天智以降は「倭(やまと」)。本件に限らず、史料中に「倭」とあったとき、それが“チクシ”か“ヤマト”か、文脈から判定しなければならな。
●「日の御陰」の「日」:「日神」の意。「日神」が「天照大神」を指す事、日本書紀の神代紀のとおり。本来の居場所は「天・・・」の名称からしても「天国」の中、つまり、壱岐・対馬を中心とする対馬海流圏の中。(対馬の上県郡と下県郡の小船越に「阿麻氐留(アマテル)神社」もある・・・この「阿麻氐留」の漢字表記が“天照”・・・“あまてらす”と読んでいるのは、本居宣長以来の国学の悪弊(当方意見)・・・
●「日高見之国」:古事記でニニギノミコトのことを“天津日高日子番能邇邇芸能命(あまつひたかひこににぎのみこと)”と呼んでいる。対馬北端部に「比田勝」の地あり、漢字面にとらわれずに考えれば、これこそ「日高津」・・・弥生時代の大陸交通の最先端として繁栄した港津であったと思われる。ニニギノミコトは、この比高津の地の「日子(=彦)」すなわち「長官」を意味する称号を名乗っていた、支配していた長官だったのではないか・・・。この本来の名が、“天孫降臨”も筑紫の王者その人の尊称とされた・・・。
●「大中臣」:大和の中臣(藤原氏)を意味するとは限らない。保留すべきこと。
 ・表音は“ナカトミ”・・・“ナカ”(地名) ト(戸、門)、ミ(神もしくは海)の形の神名も考えられる。
 ・福岡市周辺には現在でも「中富」姓多く、田島八幡社の祭祀(筑紫舞)の“天孫降臨”の舞では「中富親王」が主要人物として活躍する。 ・ニニギノミコトにつきそってきた5柱の神の筆頭が「天児屋命(アメノコヤネノミコト」・・・古事記では「其の天児屋命は、中臣連等の祖」とされていて、この“アメノコヤネノミコト”を美称で「大中臣」と呼んでいる可能性もある・・・。

●四国の卜部:(従来説とまったく異なる解釈であるが)
 祝詞の中にハッキリと述べられているとおり、
 1.速川の瀬ー 瀬織つひめ
 2.八百会(やほあい) - 速開つひめ
 3.気吹戸 - 気吹戸主
 4.根の国・底の国 ー速さすらひめ
 の4つの領域(それぞれの領域の主宰神も語られている)。この4つの領域が四国、その国々の主宰神を祭る“卜占者”が「四国の卜部」。

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古田武彦ほか 「君が代、うずまく源流」 (市民の古代 別巻3)

2017年06月28日 | 古代史
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●手持ちの「市民の古代 君が代は九州王朝の讃歌」(別巻2)(古田武彦 著)と合わせて読んだ・・・
●我孫子図書館には古田武彦さんの著作物は豊富にあるが、この“市民の古代”シリーズはない・・・調べてもらったら、県立図書館に在庫あるということだったので、“相互貸借”ということで借り出した・・・
●「君が代は九州王朝の讃歌」は古田武彦さんの著作だったが、本著は、以下4氏の論稿。
 「君が代は九州王朝の讃歌」説の誕生と補遺 -灰塚照明ー
 「君が代」「海行かば」、そして九州王朝  -古賀達也ー
 「君が代」の源流             -藤田友治-
 「君が代」の論理と展開          -古田武彦-
  
●「古代史」カテゴリーに1年前に「市民の古代 君が代は九州王朝の讃歌」記事を載せていた・・・そのときの記事を読みかえしたら、そのときも県立図書館から借りたらしい・・・その本がこれだったんだな・・・そのときは題名を忘れていたらしい・・・

●改めて、上記2冊・・・本といっても読みやすい冊子のようなものだが・・・を読んだが、相変わらず実証的でわかりやすく説得力もある内容なんだけど、世間にはまだまだ受け入れられていないようですねえ・・・

(●ついでに県立図書館にあった「まぼろしの祝詞誕生(新版) 古代史の実像を追う」(古田武彦著 古田武彦と古代史を研究する会(編))も借りた・・・こちらは2回目を熟読中・・・すでに30年前の著作なのに、祝詞なんて詠んだことないのに、これもとても刺激的で面白く、また実証的で・・・これは別記事でまとめよう)

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隋書“俀”国伝の謎 その②  タリシ“ホ”コかタラシ“ヒ”コか

2016年03月13日 | 古代史
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<この記事は漢検1級とほとんど関係ありません・・・ちょっとは関連していますが・・・>

●ブログ開設当初から作成しておいたカテゴリー「古代史」に書き込みを開始しています。
●私事の単なるメモ帳のようなものですので、興味のない方はスルーしてください。
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☆☆☆今年のテーマ:①漢検1級199点以上 ②好きな古代史の研究深化(古田説の研究) ③(非公開) ☆☆☆  
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●“九州王朝”実在証明の白眉をなす古田さんの論点
<開皇20年(600年)の第一回遣使の際の「隋書・俀国伝」の記載内容>(この第一回は「日本書紀」には記載なし。「隋書・俀国伝」」に載っている。)

「開皇二十年 俀王姓阿毎 字多利思北孤 號阿輩雞彌 ・・・(遣使詣闕 上令所司訪其風俗 使者言俀王以天爲兄 以日爲弟 天未明時出聽政 跏趺坐 日出便停理務 云委我弟 高祖曰 此太無義理 於是訓令改之)・・・王妻號雞彌 後宮有女六七百人 名太子為利歌彌多弗利 無城郭 内官有十二等 一曰大 次小 次大仁 次小仁 次大義 次小義 次大禮 次小禮 次大智 次小智 次大信 次小信 員無定數 有軍尼一百二十人猶中国牧宰 八十戸置一伊尼翼如今里長也 十伊尼翼屬一軍尼・・・」
→「開皇二十年、俀王、姓は阿毎、字は多利思北孤、阿輩雞弥と号す。・・・王の妻は雞弥(キミ)と称す。・・・」

 (注1)俀王、姓の阿毎はアメ、多利思北孤は「タリシホコ」。阿輩雞弥はオホキミ。(古田さんの最近の説では「あが(吾が)君」と読めるとの事。通説では、「俀」は「倭」の誤りとする。多利思北孤も「北」は「比」の誤りとする。
 (注2)開皇20年は、推古天皇8年にあたる。通説・教科書なども、この「多利思北孤」は推古天皇あるいは摂政の聖徳太子とする。また、「新唐書」では、用明天皇が多利思比孤であるとしている。ただし、「新唐書」は歴代(近畿)天皇家の名前に誤りが多く信頼性に欠けるところ大。

論点1:「王に妻あり」・・・多利思北孤(タリシヒコ)は男性であることは明らか。女性の推古天皇ではありえない。
論点2:(第2回遣使での有名な文言・・・「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々)」から)聖徳太子は生涯、第2権力者。王者でも天子でもありえない。従って同一人ではありえない。
論点3:(記述は省略するが、俀国伝の中に俀国の風土として)「阿蘇山あり、故なくして火をふき・・・」とある。(なお、大和三山や瀬戸内の風景描写などは一切ない・・・隋の使者が近畿まで来たのなら当然これらの描写があってしかるべき・・・)。したがって、多利思北孤の本土は九州であって、近畿ではありえない。

●以上の論点①~③について、歴史学者や古代史学会などは、沈黙という名の“無視”を貫いてきているように見える。この論点発表もだいぶ前のものだが、寡聞か何も進展ないのか、これらの論点への反論なり誤謬指摘を見たり聞いたり読んだりしたことがない。
●一体、どうなっているんだろう・・・と、一人の国民・市民として、この国の真の歴史事実に(学校などで習ってきた・・・というか覚えさせられてきた内容)に深い疑問を持たざるを得ない・・・。

●本論点に基づく指摘や古田説は重大で、日本の歴史を根底からひっくり返す内容ではないか・・・真摯な論争や論議を望みたい。しかし、本当にこういう事実だとしたら、・・・特に明治以降の、万世一系のイデオロギーにもとづく天皇家一元史観やそれを支えてきた歴史学界や教育界などは驚天動地の出来事だろうな・・・沈黙もしくは無視ってのも気持ちはわからなくもないが(^^)しかし、学問ってのは真実を追求するものなんじゃないのう?

👍👍👍 🐒 👍👍👍 他にも、九州王朝実在を証明する“九州年号”の問題、俾弥呼(ひみか)・壹与(いちよ)が中国史書には出てきて日本の記紀には一切出てこないこと(「神功皇后」のところに一切記載されていて神功皇后のことと思わせる記述内容になっている)、「いわゆる“倭の五王”」問題・・・九州王朝(倭国)の中国南朝への貢献の事実・「倭王・武の上表分」の内容などなど・・・実在証明の根拠・論点はかなり多いが、それらに対しても否定されたということを聞いたことも読んだこともない👍👍👍


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君が代は九州王朝の讃歌

2016年03月13日 | 古代史
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<この記事は漢検1級とほとんど関係ありません・・・ちょっとは関連していますが・・・>
噴雪花・珍珠花(ゆきやなぎ)
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●私事の単なるメモ帳のようなものですので、興味のない方はスルーしてください。
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☆☆☆今年のテーマ:①漢検1級199点以上 ②好きな古代史の研究深化(古田説の研究) ③(非公開) ☆☆☆  
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●「市民の古代 別巻2」(古田武彦 著)・・・続編が出ている。その後の研究成果などを踏まえて、他の方たちとの研究結果などを纏めていた・・・この間、図書館から“又”借りして返却してしまったので、題名など忘れた・・・確か、県立図書館に蔵書があったと思う。
●勿論、人口膾炙の「君が代」・・・我が国の国歌だから当たり前か・・・しかし、その由来やその歌の意味は???
<由来>
・明治国家が英国から「国歌は無いのか」と問われ、急遽、時の薩長政権が、ふさわしそうな歌を和歌の中から探し出したもの。曲は英国の軍楽隊の人が作った・・・
・その和歌にも似たような歌が、歴史的には7つぐらいあるらしい・・・それを研究した学者もいる・・・それはともかく、
<山ほめ祭>
・いまでも、志賀島の志賀海神社&今宮社で、7日7夜続く“山ほめ祭”の中で、海を渡ってくる“君”を迎える歌として、この祭りの中で歌われている。
<君が代は 千代に八千代に さざれいしの いわおとなりて 苔のむすまで>
・君が代・・・九州王朝の天子を指す・・・具体的には、この歌にある「いわお」・・・岩お・・・“巨石信仰”“岩石崇拝”の時代にまでさかのぼる歌が背景にあり・・・この「君」は「イワナガ(磐長)姫」を指す(木花咲耶姫の姉)・・・磐長姫は記紀で「容貌醜く、・・・」で天孫ニニギノミコトにも嫌われたように書かれている・・・神話の改竄。
・千代・・・福岡に地名「千代」あり・・・「八千代」は強調、重層表現。
・さざれ石:福岡に細石神社あり。
・苔むす・・・苔牟須売(こけむすひめ)が糸島郡の神社など2カ所に祭神として祭られている

<九州王朝実在の一証明>
・これだけ歌の中に複数の一致点を見いだせることからも、この歌が福岡・糸島郡周辺を中心に歌われていたことは確実。
<結論>
①この歌は近畿天皇家(大和朝廷)の中で、「その君」のために創られたものではないこと
②天皇家以前に、すでに筑紫(福岡県)に実在した王朝の中で用いられてきたこと
これが紛れもない事実。

👍👍👍 🐒 👍👍👍 第1刷が発刊されてから、もう26年も経っているが、ほとんど沈黙というか無視されている冊子ではないか・・・この種論説への反論なり誤謬指摘を見たり聞いたりしたことがない・・・👍👍👍
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神武歌謡 「宇陀の高城・・・」 本当に奈良県の宇陀でクジラが獲れるのか & (立柧棱、柃)

2016年02月16日 | 古代史
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紅梅
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●神武東侵の際の久米歌とされているもの・・・“東侵”か“東征”か“東遷”か、は史実のとらえ方による・・・
<古事記>(岩波文庫)
・・・此の時に歌曰ひけらく、
 宇陀の 高城に 鴫罠張る 我が待つや 鴫は障らず いすくはし くぢら障る 前妻が肴乞はさば 立柧棱の 身の無けくを こきしひゑね
 後妻が 肴乞はさば柃 身の多けくを こきだひゑね ええ しやごしや 此はいのごふぞ 。ああ しやごしや 此は嘲咲ふぞ。
とうたひき。・・・
<日本書記>(岩波文庫)
・・・乃ち御謡して曰はく、
菟田の 高城に 鴫羂張る 我が待つや 鴫は障らず いすくはし 鷹等障り 前妻が 肴乞はさば 立稜麦の 実の無けくを 幾多聶ゑね 後妻が 肴乞はさば 斎賢木  実の多けくを 幾多聶ゑね・・・

 【通釈①】宇陀の高台に、鴫を獲ろうと罠を張る。俺が待ってると、鴫は掛からず、りっぱな鯨が掛かった。さあ、皆に御馳走だ。古女房がおかずに欲しがったら、ソバの木の実のように中身の無いのを、たっぷり切ってやれ。新しい女房がおかずに欲しがったら、ヒサカキの実のように大きいのを、たっぷり切ってやれ。ええい、ばかものめざまあみろ、これはののしっているのだぞ。あっはっは、ばかものめざまあみろ、これは嘲笑っているのだぞ。(ネット上から借用)
 【通釈②】宇陀の高く構えた砦に鴫を捕る罠をしかける私が待っている鴫はかからず、なんと鯨がかかる。前妻がおかずを欲しがったら、ソバの実の少ないところをたくさんそぎ取ってやれ。後妻がおかずを欲しがったら、厳榊の実の多いところをたくさんそぎ取ってやれ。エー、この野郎め(これは敵意を浴びせかけ)、アーこの野郎め(これは笑いたおして)・・・。(ネット上から借用)

 *神武歌謡:古事記によれば、神武天皇が道臣命と大久米命を用いて兄宇迦斯(えうかし)を倒したあと、弟宇迦斯(おとうかし)によって献上された御馳走を兵士らに賜わった時に詠んだ歌。
 *久米歌:日本の古代歌謡の一つ。久米舞にうたう歌。記紀には神武天皇が久米部(大伴氏の祖)を率いて諸族を討った時、軍士を鼓舞した歌とある。今は宮内庁楽師が雅楽歌曲として演奏。久米舞は久米部がまった舞で、舞人四人・歌人四人、笏拍子・和琴・竜笛・篳篥などを使う。平安以後、大嘗会・豊明節会にだけ行い、室町期に中絶したが、明治以後は大嘗会と紀元節に用いられてきた。(世界宗教用語大辞典)

●宇陀の高城・・・通説では奈良県の宇陀・・・
 ・なぜ奈良の宇陀でクジラがかかるのか・・・通説では説明不可・・・
 ・九州・福岡の志摩郡にウダあり。弥生期、海岸線はウダまで来ていた・・・クジラは今でも迷い込んでくる 
 ・神武東侵の出発地・・・従来説は、記紀から「宮崎県の日向(ひゅうが)」が東侵の出発地・・・古田氏も当初は宮崎・日向としていたが、本神武歌謡や他の傍証から、糸島郡のこのウダあたりと説を変更している。

<参考・覚書>
●立柧棱&柃
 ①立柧棱(たちそば)
  ・柧棱木:読み方:ソバノキ 橅の古名、金釘木・捩木の別称。ブナ(山毛欅、橅、椈、桕)
  ・たちそば‐の【立ち柧=棱の】・・・[枕]ソバノキの実が小さく少ないところから、「実のなけく」にかかる。
  ・柧:音読み:コ、 カ、 ク  訓読み:かど、 さかずき
  ・棱:音読み:ロウ、 リョウ 物のかど (幾すじも並んだ)線状の突起・・・「棱」釋義:木材的四角交接處稱為「棱」 。說文解字:「棱、柧也。 」「楞,四方木也。棱:上同。」
  ・柧棱(そばのき):四角の木材。角材。(広辞苑)
 ②柃(ひさかき、いちさかき): 音読み  呉音 : リョウ  漢音 : レイ  訓読み. ひさかきツバキ科の常緑低木。山地の乾いた所に自生。葉は密につき、長楕円形で先が鈍くとがる。雌雄異株。春に白い小花が束になって咲き、黒紫色の実を結ぶ。サカキの代わりに神事に使う地方もある。 ひさかき。「柃(いちさかき)」:ヒサカキの異称。「多い」の序詞に用いる。神武紀「斎賢木(いちさかき)実の多けくを・・・」(広辞苑)

 <跡見群芳譜(文藝譜 「古事記」神武天皇 来目の歌) - 跡見学園>から
 ・詠われている植物は、「たちそば」と「いちさかき」、ともに実のなる植物である。
「たちそば」は、『倭名類聚抄』に柧棱(ころう)を曽波之木(そばのき)と訓んでいることから、「立ち柧棱」の意で、植物としての名は「そばのき」であろうとする。和語のそばは、尖った角を言う。漢語の柧と棱も 共に尖った角を言う言葉で、柧棱(コロウ)は觚稜(コロウ)とも書き、宮闕の屋根の尖りを言う。しかし漢語には、柧棱と呼ばれる植物は見当たらない。そこで、そばのきとはどんな木であったのかが問題となっており、旧来、1.ブナ、2.カナメモチ、3.ニシキギなどの説がある。ニシキギは、枝に翼を持つので、「そばのき」の呼称にふさわしい。カナメモチは、新緑の頃に紅葉を出すという『枕草子』の記述にふさわしい。
(別ブログ)
 ・ニシキギは、カエデ類以外の樹木で紅葉が美しいものの筆頭で、枕草子にも『花の木ならぬはそばの木、はしたなき心地すれども花の木ども散りはてて押しのべたる緑になりたる中に時も分かず濃き紅葉の艶めきて思ひかけぬ青葉の中よりさし出でたる愛づらし』とあるそうです(「そばのき」はニシキギの古名)。

 🚬🚬🚬派生知識🚬🚬🚬
 棱角 ①多面体などの稜と角、物のかど。 ②人柄や言葉のかど、鋭さ、辛辣さ
 露棱角:かどを立てる 有棱角:ひねくれている 棱镜:【理】プリズム 【同】三棱镜・三角镜 棱柱体=角柱 棱锥=角錐

👍👍👍 🐒 👍👍👍
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隋書“俀”国伝の謎 その①

2016年02月11日 | 古代史
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●いきなりだが、「俀」の字について・・・
<俀> 大漢和:タイ、ツイ よわい 「俀、弱也」、漢字源:タイ(漢)、テ(呉音) 弱弱しい *大字源・字通にはこの字の掲載なし。
●「隋書」:「636年(貞観10年)、魏徴によって本紀5巻、列伝50巻完成。第3代の高宗の656年(顕慶元年)に、志30巻が完成後、編入が行われた。」と言われている。「隋書 列伝第46 東夷」で、「高麗、百済、新羅、靺鞨、琉求国、俀国(倭国)」について記されている。
●なぜ、「“俀”国伝」なのか・・・
 ・日本では通常、「俀國」は「倭國」の誤りとされる。
  *容易な原文改訂。日本の古代史文献学者・歴史学者の宿痾。源は、内藤湖南博士(京大)と白鳥庫吉博士(東大)の邪馬台国論争・・・いずれも自分の都合の良いように原文に誤りありとして自説の場所へ邪馬台国を導いている・・・この、容易な原文改訂を戒め、あくまで「倭人伝」記載のとおりに読んで邪馬“壹”国の場所を突き止めたのが古田武彦さん・・・。
 ・(その古田さんの説によれば)「隋書“俀”国伝」の「俀」は、倭国側の国書にあった“大倭(タイヰ)”を、中国側が貶めて、同じ音の“俀(タイ)”・・・意味は冒頭のとおり・・・の字を使用したのではないかとの事。原文改訂よりも極めて説得力あり・・・と思う。
 ・その根拠(弊見)
  ①「隋書」は次代の唐の時代に完成するも、ほぼ同時代資料。その記載の中で、この“俀”国は、古より朝貢をしてきている、「阿蘇山のある、あの倭国のことだ」との説明あり・・・したがって、「倭国」のこと・「倭」の字を知らない筈はなく、あえて“俀”の字を使っていると見た方が理性的かつ常識的な見方と云えないか。かつ、中華思想の中国らしい“卑字”使用という観点も見逃せない。
  ②時代背景として、 
   ア.「タリシヒコ(タリシホコ)」と隋・煬帝との有名なやりとり・・・「日いづる処の天子、書を日没する所の天子に・・・恙なきや」「無礼なり、また以て聞するなかれ」・・・により険悪化。その後(交流を)「遂に絶つ」となった。
   イ.北朝の隋が中国を統一したことで、倭国にはこれまでの宗主国の南朝((魏→西晋→東晋)宋、斉、梁、陳)が消滅。自ら、北朝と対峙することとなったと思われる(南朝の後継者を自負したのではないか)。
   ウ.隋から唐へ移るも依然として中国は北朝系の国。朝鮮半島情勢も「新羅ー唐」VS「百済ー倭国」となり、ついに、663年“白村江”で激突、倭国は唐・新羅連合軍に大敗を喫して敗れ、その後、倭国自体も滅亡の道をたどることになった。
  ③“俀”国 
   この世に2人の天子の存在を絶対に認めない中国の中華思想と(漢民族ではないがそれを濃厚に受け継いでいる)中国・北朝の隋・唐からみて、険悪の一途をたどる「倭国」のことは、敵国として認識されていたはず・・・その「倭国」を得意の漢字(卑字)で貶めて“弱い、弱弱しい”「“俀”国だ」とするのは十分理解できるところ。
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 *「倭国」の“天子”多利思北孤(タリヒホコ・タリシヒコ)のこと
 *いわゆる推古朝に派遣されたとされている「遣隋使」のこと
 *それらとかかわりがあるように伝えられている、もしくは学説とされている聖徳太子のこと
など、本件にかかわる謎は多い。

 次回以降、また、まとめていきたい。

👍👍👍 🐒 👍👍👍
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神社に秘められた謎から・・・

2016年01月28日 | 古代史
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●「神社に秘められた日本史の謎(洋泉社)」(監修:新谷尚紀)から・・・
・Q11「天皇家は天照大神をいつから祀っていたのか?」
 →「伝説と史実を切り離してよく調べてみると、確実な記録のうえでは、実際にアマテラスを天皇家で祀ったことは、奈良時代になるまではなかったと考えられるという」
 →「宮廷内に関係の深い神々の祭りを扱った『延喜式』の祝詞にも、この神はほとんど出てこない。わずかに祈年祭と月次祭の祝詞に、他の大勢の神々の名のあとで、付加的なかたちでこの神の名があげられているにすぎない」(「日本神話の謎」(松前 健))
 →「延喜式」・神名帳(じんみょうちょう)には、山城・大和・丹波・摂津・播磨・対馬などの各地にアマテラスに似た名前の神を祀る神社があったことがわかる。(例:対馬の「阿麻氐留(あまてる)神社」・・・)
 *延喜式(967施行)・・・律令の施行規則 弘仁式・貞観式をまとめたもの。大宝律令後。
 *式内社・・・神名帳に記載された神社のこと。記載されていないのは“式外社”という。 *九州内は式内社が少ない(例えば筑後4座・・・筑前は載っていない!?)!近畿に集中しているが、尾張・出雲・伊勢も多く、陸奥国も100座あるのが意外!!なんかおかしいというか怪しい・・・。
 →松前は、神話学の立場から「天皇家の本来の祖抻は農耕・生産の神である「タカミムスヒ」だったろう」と論じている。

●「古代は輝いていた Ⅰ 」(古田武彦)
・対馬「阿麻氐留」神社の伝承・・・阿麻氐留(あまてる)・・・「天照」の字面にピッタリ・・・「あまてる」こちらが古訓ではないか。
 「わたしの方の神様は1年に1回、出雲へ参られます。神無月です。その時出雲へ行かれます神々の中で1番最後に参られて、1番最初に帰ってくる、といわれております。」
 *出雲の“国ゆずり”前の姿・・・出雲の大神が主人、アマテルは家来の神々の中でのナンバー1・・・
 *アマテルの本源の姿・・・“テルテル”坊主のテルテル・・・海上の天候や安全を祈る神・・・“海(あま)照る”ではないか。「天」や「てらす」や「おおみかみ」という呼び方は後代の美称。

●冒頭の本からも、九州王朝の片鱗(“近畿”側が隠したり、筑紫を軽んじたりする姿が、却って、前王朝の存在を浮かび上がらせるという皮肉な現象)が見られるように思われるがどうか・・・。

👍👍👍 🙊 👍👍👍




   
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対海国、𣴴神(かいしん)の宮

2016年01月17日 | 古代史
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●「古代史をひらく 独創の13の扉」から・・・
<第3の扉>・・・倭人にも漢字能力があった・・・
・「一大(イキ)国」「対海国」は倭人による命名・・・現在の「壱岐」「対馬」のこと・・・
 *倉田命題「中華思想の古代中国が“一大”などという大それた命名をするわけがない」等。
・だとすると、倭人伝の時代にはすでに倭人に漢字能力があったことになる。
 *俾弥呼が後漢の明帝に報恩の上表文を送っていることからも裏付けられる。*上表文の現物や文章は見つかっていないが、俾弥呼が上表文を送ったとの記録は倭人伝にある。・・・この上表文と(当然あるはずの)俾弥呼の自署名が見つかるととても面白いのに・・・。
・一大(イキ)国、一大(イキ)率
 *イキ(壱岐)は古名「伊伎島(いきのしま)、天比登都柱(あまのひとつばしら)」(古事記)
 *「一(イチ)」はこの古名からきている、「大」は「大国」の意で、壱岐から九州本土に侵略してきた“壱岐軍団”が自らの“母国”を誇らしげに命名した名残り。「一大(イキ)率」・・・九州本土への駐留軍、「諸国、これを畏怖する・・・」
・対海国
 *上島・下島の間に浅茅(あそう)湾という瀬戸あり。この浅茅湾をはさんで両島を支配していたことから(倭人によって)命名されたのではないか・・・。
 *対馬に「和多都美(わたつみ)神社」(浅茅湾のそば)と「“𣴴”神の宮」という神社あり・・・古い時代の漢字教養が伝えられている。
  (注)「𣴴神の宮」というのは現在の「海神神社」のこと。(この神社は、地図をみると、朝鮮半島方面の海のそばにあるが・・・)今、こういう字が現地で使われているかどうか不詳。ネット上では見当たらない。いま、とうなってるんだろ。神社の由来書か何かを入手すればわかるのかな。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 <𣴴>
 *海の異体字とも。Unicode U+23D34 。
 *ネットで色々探したら、面白い発見・・・あの、弘法大師・空海もこの「𣴴」を使って、自分の名前を「空𣴴(くうかい)」としている文献あり。ネットのその記事では、この「𣴴」の字は、空海が唐から持ち帰った漢字で、それをはじめて使ったとの説明があったが、この神社の創建(不詳だが社伝によれば相当古い・・・神功皇后の3韓征伐に由来する由←この3韓征伐てのも相当怪しいが・・・)からしたら、相当前の時代の字を(倭人)がすでに使っていたことになる。
<対海国>
 *上記の(「対海」国の命名の“湾を両岸から支配したので対・海としたのでは”との)説明はちょっと今一つしっくり来ていない、納得感がまだない。もっと詳しい説明がどこかにあるのかな・・・。
 *それと本件とは関係ないが、倭人伝にある「対海国 方400里」「一大国 方300里」・・・地図で見る限り、方400里のほうは、対馬の南半分ぐらいの大きさのような気がするが・・・。どうなんだろう。

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夔鳳鏡(きほうきょう)

2016年01月15日 | 古代史
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<夔(虁)鳳鏡(きほうきょう)> (以下、大漢和より)
・「夔(キ、ギ)」=①一足の物の怪 ②一足のけものの名 ③舜の臣の名 ④おそれつつしむさま「夔夔(キキ)」 ⑤周代の国の名 ⑥姓
・「夔鳳(キホウ)」=一足の鳳(おおとり)。古、酒樽や豆(トウ)などの飾りに用いた。「夔鳳豆(キホウトウ)」
・「夔鳳紋(キホウモン)」「夔紋(キモン)」=鐘鼎等に彫った夔鳳の紋・・・(挿絵あり。出土した鏡の写真を見るよりもわかりやすい・・・たしかに一足の鳥みたいのが、向かい合ってる図になっている。)

・夔鳳鏡の出土、年代・・・要・継続調査。

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・その他
 *「夔一足」=「夔は一足」=①夔獣は一足である 「夔は一にして足る」=②(夔は舜の典楽の臣の名。)ただ音楽の一事に達しているのみで十分値打ちのあることをいう(出典:韓非子)
 *「夔は蚿(ゲン)をうらやみ、蚿は蛇をうらやむ」=一足の夔が多足の蚿をうらやみ、やすでが蛇をうらやむ →自分の足らないことをなげき人をうらやむ人情に譬える。(荘子・秋水)
 「蚿(ゲン)」=やすで、おさむし、たいこむし(*やごのこと)
 *「夔立(キリツ)」=恭敬の様子。夔が一足で立つように謹んで直立すること。

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俾弥呼の墓  ・・・「俾弥呼(ヒミカ)」(古田武彦) 

2016年01月15日 | 古代史
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・女王国は筑前中域=糸島・博多湾岸と周辺山地が倭国の中枢部
・俾弥呼の墓はどこか・・・
 2つの“物”に注目すると、
 (1)三種の神器の出土・・・以下の6つが「弥生の6王墓」
    ①吉武高木(福岡市西区吉武)
    ②宇木汲田(佐賀県唐津市宇木)
    ③三雲南小路(福岡県糸島市三雲)
    ④井原鑓溝(福岡県糸島市井原)
    ⑤須玖岡本(福岡県春日市岡本)
    ⑥平原(福岡県糸島市有田)
 (2)絹と錦の出土 
    ①博多湾岸と周辺
    ②吉野ヶ里
 (1)と(2)を満たすのは、「須玖岡本」のみ。本の口絵に出土した絹房のカラー写真あり・・・青みがかった紫にも見えるが何とも言えない。「金印紫綬」のくみひもの可能性はある。
 →「須玖岡本遺跡は、俾弥呼の墓である可能性が最も高い弥生王墓である」
 *「夔(虁)鳳鏡ーきほうきょうー」問題
  ・須玖岡本遺跡出土の「夔鳳鏡」・・・D号遺跡からの出土・・・梅原末治氏「筑前須玖遺跡出土の夔鳳鏡について」・・・
    「年代的には後漢代後半。如何に古くても2世紀の後半を遡りえない。寧ろ、3世紀の前半に上限を置くべきことにもなろう」
   →(1)&(2)に加えて、夔鳳鏡の年代からの俾弥呼の年代と合致してくる!
    (*従来、「須玖岡本遺跡」は弥生中期・前2世紀初めごろ~1世紀初めごろに当たるとされてきた)
・金印(紫綬)、銀印(青綬)はどこにあるか
 印鑰神社・・・近畿にも若干あるが、筑紫(福岡県)とその周辺に集中的に存在。「印鑰」・・・印をしずめ守るという意味がある?

・俾弥呼の廟・・・香椎宮か。
 *この神宮は仲哀天皇が祭られている(熊襲と戦って戦死した伝承もあり、一応、もっとも。)。しかし、「神功皇后の廟」が併置されている不審あり。
 *神功皇后はこの地で没したわけではない、墓は滋賀県の米原近く・出生地とされている所にある=美しい一大円墳。また、大和には壮大な神功皇后陵あり。なぜ、「香椎宮」にも「廟」があるのか・・・。
 *同神社の由来によると「皇后の薨去後、養老7年(723年)神託により、特に九州に詔して・・・ 」←日本書記成立の3年後
 *(それまでは、この「神功皇后の廟」は存在しなかったのか・・・)「俾弥呼、壱与の遺跡は、今後、「神功皇后の遺跡」として扱う」という基本方針の表れ・実現ではないかと疑われる *日本書記が俾弥呼・壱与の業績を人名を出さずに神功皇后の業績としてまとめていることは周知の事実。

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女王国の官職 ・・・「俾弥呼(ヒミカ)」(古田武彦)  

2016年01月14日 | 古代史
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・「対海国」 大官「卑狗(ヒコ)」 副官「卑奴母離(ヒヌモリ)」  
・「一大国」  官「卑狗(ヒコ)」 副官「卑奴母離(ヒヌモリ)」  
  *「卑狗」は太陽の男の意。「卑奴母離」は太陽の原野を守る官職。
  *ヒコは山彦、男性の称号、現代でも「・・・彦」あり。縄文から現代まで継続している言語。 
  *「奴」は「ナ」が定説。しかし、「匈奴(きょうど、フンヌ)」に対する「委奴(ヰヌ)」。片や、“たけだけしい部族”、委奴は従順な部族の意。
・「伊都国」  官「爾支(ニシ)」 副官「泄謨觚(セモコ)」「柄渠觚(ヘココ)」←巻末資料には「セモク」「ヘコク」と振ってある。
  *「爾支」・・・例の「令支(レイキ)」読みからは「ニキ」となるが、これは「ニシ」の可能性が高い。理由:副官名が異例。文字の質が他と異なる・・・他の文字群とは違う時期(より早い時期)の流入時の漢字ではないか・・・だとすると、後からの「支(キ)」読みよりも、以前からの「支(シ)」読みのほうが妥当と思われる。 *博多近辺では「ヌシ(主)」のことを「ニシ」と発音する由・・・。
・「奴(ヌ)国」 大官「兕馬觚(ジマク)」 副官「卑奴母離」
  *「兕馬觚」は“千字文”以前の文字使用と思われる。  *觚(ク):大漢和・漢字源に「ク(呉音)」あり。なぜこれが「ク」読みか、不詳。
・「不弥国」 大官「多模(タモ)」 副官「卑奴母離」
  *タモは通常の文字使用。太郎のタ・・・第一の意。海の藻・出雲のモ・・・集落の意。
・「投馬(ツマ)国」 大官「弥弥(ミミ)」 副官「弥弥那利(ミミナリ)」  (*投馬国は「サツマ(薩摩)」、接頭語サ。)
  *「那」が「ナ」と読まれている。やはり、「奴」は「ナ」と読むのはルール違反。
  *「ミミ」は「ミ」(女神)の二重反復語、南方に多い言語。日本語の言語伝統を正しく伝えた官名表示。弥生時代あたりに造られた「新規の官名」ではない。鹿児島県の縄文期における「神々への祭祀」期に淵源する名称ではないか・・・。
・「邪馬壹(ヤマイチ)国」(女王国)・・・新規の“弥生命名”とおぼしき官職名多し・・・
 「伊支馬(イキマ)」・・・「マ」は接尾辞。イキは当然「壱岐」。壱岐からの侵略軍・・・。
 「弥馬昇(ミマシ)」・・・「ミ」は「御(み)」で美称。「馬(マ)」は「真(マ)」でこれも美称。・・・「ミマ」は女王国の中心的官職名を示す美称ではないか・・・。語幹は「シ」・・・チクシ、ツクシのシ。シナノ、コシのシ。「人の生き死にするところ」を意味する基本の倭人語・・・の由。
 「弥馬獲支(ミマカキ)」・・・「カ」は神聖な水。河のカ。俾弥呼の「カ」。「キ」は柵、要害の意。“獲得せられた、神聖な水の要害”の意。三笠川の上流、天満宮の地(のちの水城の地)を指している。  *「獲(カ)」:大漢和だけ「④クワ(カ)」音(漢音)記載あり。「争って手に入れる」意。
 「奴佳鞮(ヌカテ)」・・・「鞮」はテ、「手」。“広がった場所のあたり”を指す。人間の手になぞらえている。「縄手」などの手と同じ。・・・*福岡市西区に「野方(ノカタ)」がある、壱岐団地の南、最古の三種の神器の出土遺跡「吉武高木」の北に当たる。「額田」とも書かれていた・・・。北方からの侵略を防ぐための軍事基地。天満宮や後世の水城に対する「弥馬獲支」と同類の重要地点。 (「鞮」:大漢和・字通・漢字源・大字源ともに、「手」という意味や広がった場所というような意味は書かれていないけど、どこからこういう説明になるのか不詳・・・鞮=①革靴、平らな皮ぐつ、平らな皮でつくったもの ②「狄鞮」で中国の西北方の異民族の言葉を通訳する人  というような意味しかないが・・・。)

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二十一国の訓み方とその場所・・・「俾弥呼」(古田武彦)・・・

2016年01月07日 | 古代史
日本漢字能力検定(漢検) ブログランキングへペット(猫) ブログランキングへ気まぐれ日記 ブログランキングへ
<この記事は漢検1級とほとんど関係ありません・・・ちょっとは関連していますが・・・>

●ブログ開設当初から作成しておいたカテゴリー「古代史」に書き込みを開始しています。
●私事の単なるメモ帳のようなものですので、興味のない方はスルーしてください。
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☆☆☆今年のテーマ:①漢検1級199点以上 ②好きな古代史の研究深化(古田説の研究) ③(非公開) ☆☆☆  
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●倭人伝中の「三十国」中の「二十一国」の読み方と場所・・・主線行程・傍線行程にある9か国を除く21国・・・
・「邪馬(ヤマ)国」・・・奈良の大和(飛鳥、桜井市周辺)   *「邪馬壹国」(博多湾岸地域)からの伝播(派生) *天皇家は九州からの伝播
・「為吾(イゴ)国」・・・奈良の北部分、奈良市から生駒にかけての地帯。 *奈良の「生駒(イコマ)」 「マ」は接尾語。語幹は「イコ」。「ゴ」は濁音化。・・・・「吾がため」「吾と為す」といった親愛の表現?
・「伊邪(イヤ)国」・・・四国・徳島県の「祖谷(イヤ)」 *剣山のそばの地名。吉野川の上流。 *3世紀、時代は“平野”よりも山岳・山こそ、人間の拠点。
・「対蘇(タイソ)国」「蘇奴(ソヌ)国」「華奴蘇奴(カヌソヌ)国」・・・阿蘇山を取り巻く3国・・・
・「好古都(コウコト・ココト)国」・・・出雲・・・表意:(天孫降臨で国を譲った)「好ましい国」 表音:楽器(小銅鐸)の音・・・。
・「躬臣(クシ)国」・・・筑紫。「自ら臣下となった国」。女王国の始源。対馬・壱岐の海士(あま)国の首長・天照大神(アマテルオオカミ)が占拠した国。  *筑紫:今でも、福岡と島根では「ちくし」と発音。*「ち」は「太陽の神」の古称。出雲と筑紫の「言語の継続性」の不思議。
・「鬼(キ)国」「鬼奴(キノ)国」・・・「鬼ノ城(キノジョウ」で知られた岡山の中心地域とその周辺の原野
・「烏奴(ウノ)国」・・・岡山から香川へ渡る地点の、宇野港のある「宇野」の地域。
・「斯馬(シマ)国」・・・福岡県の志摩群の「志摩」が最も可能性大。*伊都国の隣。北部。北部以外は行程中の国として「末盧(マツロ)国」(西南)「奴(ヌ)国」(東南)「不弥(フミ)国」(東)がある。北だけ欠如しているとしたら、かえって不自然・・・。
・「已百支(イハキ)国」・・・「百」は「八」、「支」は例の「キ」(「令支」問題。漢字の世界では、通常は「シ」・例外的に「キ」。ただし、古田説では「支(キ)」と読ませている例が古代の燕地であること、「山海経」に「倭は燕に属す」とあることから、「キ」音が日本へ遺存しているのではと考えている?)・・・糸島市(旧・前原市)の井原遺跡のある辺り・・・いはら←いわら→「岩羅」→「ラ」は「ウラ」「ムラ」などの接尾辞。語幹は「イワ(岩)」。「キ」は「柵、要害」の意。だから、井原(いわら)の地と想定。これ、ちょっとわかりづらい・・・。
・「弥奴(ミヌ)国」・・・美濃(岐阜県)
・「不呼(フカ)国」・・・福岡(筑前)に「深江」あり。唐津湾の近く。しかし、他にも「深」地名少なくなく、不定のケースの一つ。
・「姐奴(ソヌ)国」・・・福岡・筑後山門の女山(ぞやま)かも。*「姐」=女子の通称、女の姿、色白くみめよい(大漢和) *筑前に「女原(ミョウバル)」(福岡市)あるも、発音が全く異系。
・「呼邑(カイウ)国」・・・「甲斐(カヒ)国」(山梨)かも。もし、そうであれば、富士山の下の山嶽地名となるかもしれない重要な地。
・「巴利(ハリ)国」・・・播磨(ハリマ)国(兵庫)か「尾張(オハリ)国」・・・「マ」「オ」は接尾語・接頭語。 不定のケース。
・「支惟(キイ)国」・・・紀伊国(和歌山)  *「支」を「キ」と読むことによって解決。「令支(レイキ)問題」vs「尾崎命題」
・「奴(ヌ)国」・・・(上記の、行程中にある「奴国」とは別国)・・・(この国をもって、そのあと、「これ、女王の境界の尽くる所なり」とある)・・・能登(ノト)ではないか。「ト」は神殿の戸口の「ト」、接尾辞。「大和」や「山門」の「ト」とも共通の用語。*古事記でも高志(コシ=越)は出雲の勢力圏に入っていない・・・出雲の勢力圏は能登半島以西・・・国譲り神話や天孫降臨神話などの内実とも合っている?
・「郡支(クキ、グキ)国」・・・肥前(佐賀)の三根郡に「千栗(知利久)=チリク」あり。「チクリ」でなく、「チリク」。「チ」は接頭辞。「リ」は吉野ヶ里などの「リ」か・・・「ク」が語末にくる、めずらしいケース。大和に「イトクの森」あり、漢風諡号で「懿徳」あり、土佐の縄文遺跡に「イトク」遺跡あり・・・語末に来る「ク」が本来の語法を反映している可能性が高い(かも)。「クキ国」とすると、「キ」は例の「柵、要害」を示す接尾辞。この地だとすると、背振山脈方面への高地へ登り行く入口に当たっており、重要地点。

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●「百」:「ハ」と読めるかどうか・・・当て字的、表音的な読み方かもしれない・・・
 大漢和・大字源:①ハク、ヒャク ②バク、ミャク  ②の音の意味は、励む・つとめる意。「距躍三百、曲踊三百」 (左伝・僖公?)
 漢字源:ヒャク、ハク *はげむ・つとめる意あり  「距躍して三たび百(はげ)む」・・・ *現行訓には「はげむ・つとめる」はナシ。
●「支」:「キ」音あり・・・「令支(レイキ)」で載っていた(大字源)・・・他の「キ」音の例は載っていなかったが、地名ではよくありうる(他の漢字を調べていても、よく、特殊な音読みの場合、地名であることが多い)。これも燕地方や倭地ではありうると思われるので、古田説も荒唐無稽ではないのではないかと思われる。
●「郡」:「ク」音はなし。辞典では「グン、クン」。ただ、「群来(くき)」という和語もあり、郡(むらがる意)≒群 との説明も辞典によってはあるので、「ク」と発音してもおかしくはないかもしれない・・・。

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