こぶた部屋の住人

訪問看護師で、妻で、母で、嫁です。
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24年度めぐみ在宅クリニック 追想の集い

2012-04-14 23:42:12 | めぐみ在宅緩和ケア関連
今日は、午後2時からめぐみ在宅クリニックの「追想の集い』がありました。

でも、昨日からうちではおばあちゃんが、肺炎で寝込んでいます。

午前中に、おばあちゃんの病状観察をしつつ、ロセフィンとヴィーンDを点滴し、食事をとらせ、家族の夕飯の準備もしつつ、自分のしたくもするために、バタバタとしていました。

おばあちゃんは、朝から調子が悪くぜーぜーとしていて、熱も上がっていました。
SPO2も90%あるかないかで、すごく心配です。
とにかく薬を飲ませるために、焼き立てのパンで一口大のジャムのサンドイッチ、温めた牛乳を持っていくと、食べることが出来ました。
薬を飲ませ、1時間後には点滴をしましたが、昼近くなるとまた具合が悪くなってきました。
トイレに動いた後からは、SPO2が下がったままで、努力呼吸でヒューヒューと気管の狭窄音がします。

小澤先生に連絡して、コカールの追加と気管支拡張剤を処方してもらいましたが、SPO2は85%から90%と低く、かなり苦しそうです。
病院へ行こうといっても、おばあちゃんは「大丈夫。行きたくない。寝れば治るから、病院は嫌だ。」といいます。
おじいちゃんも、「いいよここで。大丈夫だよ。」と楽観的・・。

それならばと、半ば強引にHOTをお願いしました。

私が出かけるギリギリに、フクダ電子から酸素濃縮器が届き、2.5Lでやっと92~93%でした。

その後、私は追想の集いに参加し、夫から定期的にメールでSPO2の値が送られてきました。
小澤先生も、年だしやはり入院がいいのではと言われましたが、何と言っても本人断固拒否なので、夜になってもその意思は変わらず、義姉や義妹もそれでいいと言う事のなので、このまま家で看ていくことになりました。

でも、帰宅後には薬で解熱したこともあり、SPO2は95%となり、おしゃべりもするようになったので、ちょっととホッとしました。
ただ、肺はまだバリバリ音がしますし、薬が切れればまた熱が出るとおもうので、まだまだ心配は続きます。

「追想の集い」は、今年初めてめぐみ在宅クリニック内で行われ、今まではお酒も出されましたが、今年は、コーヒー、紅茶、お茶とケーキとサンドイッチになりました。
・・が、このケータリングがあまりにひどくて、会の進行にも影響が出るし、あまりの不手際にみんな唖然としていました。
「これなら、みんなで料理も作って、会場も作ったほうがよかったよね~」という話で盛り上がったくらいです。

とはいえ、会自体はいつものようにそれぞれの家族の死を悼み、思いを馳せ、皆同じ痛みを持つ者同士の、独特の空気感の中で、進んでいきました。

今年も、3人のご家族がお話をしてくださいましたが、やはり愛する家族を失ったものの苦しみや、助けてあげられなかった悔しさなど、話されて胸に迫るものがありました。
病院で何度苦痛を訴えても、「何でもない。」と言われ1年半後に末期癌だと言われた妻の、最後の言葉が「誰も、恨まないで。」という言葉であったと話された方がいました。
その方は、「私の妻は、ぎりぎりまでとても元気で、はつらつとして、誰も病気だなんて思わないほどでした。私は何をしても妻にはかなわなかった。妻を本当に愛していました。」と言いました。
そして、「今日、その妻の病気で倒れる少し前の写真を持ってきました。本当に元気できれいな妻を、皆さんどうか見てください。」と言いました。
あとで見せて頂いた写真には、本当に美しくて、幸福そうな、はつらつとして奥様が写っていました。
本当に、心から愛していたのだと思います。

会の間中涙をぬぐう方、隣の人とお互いの家族の話を真剣にされる方、毎年繰り返される悼む時間であり、癒しの時間です。
最後に、ご家族のなかからお母さんと小学生の娘さんのピアノの連弾があり、一緒にみんなで合唱して終了となりました。
ピアノは、とても美しく旋律を奏でます。
「川の流れのように」「上を向いて歩こう」
その歌詞は、会場にいるみんなの心に、それぞれの思いでをよみがえらせるものでした。
歌を聴きながら、目をつぶりずっと大粒の涙を、ぽとぽとと落としていた女性・・。
お母さんの写真をずっと胸に抱いて歌っている女性・・
みんなの声は、静かに、とても美しく、それぞれの思いを載せて天に昇って行くように思えました。

私の友人夫妻も、お母さんを見送った家族として出席していました。
「うん。来てよかった。」そう言って帰っていきました。

参加された、ご家族の悲しみが、少しでも癒されることを、祈るばかりです。

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