昨日、興魂太鼓の練習を見に、行ってきました。
途中、先生にご挨拶したとき、写経について教えていただきました。
爆裂娘が、まだ頑張って写経を続けていることをとても喜んで下さって、そのあとどうすれば良いかを細かく教えてくださいました。
(先生は、神官の免許も持っているそうです。)
16枚書いた写経を6枚ずつ3つに分けること。
まず、自分の住所の氏神様におまいりして、氏名を名乗り写経を処分する事をお願いする事。もちろん、これからの事もお願いする。
次に、3つに分けた1つは自宅の敷地内で、燃やす。
もう一つは、庭に塩をまいてから埋める。
もう一つは、なるべく近くの川に流す。
まずは、きちんとそれをやって、その後は、書き溜めてからでも良いとの事。
地道に向き合って300枚くらい書くと、すごく落ち着いてきて、いろんなことにちゃんと向き合えるようになるとの事。
先生は、たくさんの子供たちをこの太鼓で育ててきて、理屈ではなくていい結果をもたらす事を実感しているそうです。
「あの子は、本当にいい子ですよ。でも、学校に一歩入ったとたんまるで人が変わってしまったようになる。もしかしたら、あの子はいろんなものを、たとえば家の事なんかも全部しょっていて、そうさせられているのかもしれない。
自分が悪い事は、よーくわかっています。でも、学校に行くとうまく出来ない。
あの子が落ち着けば、周りもきっと良くなる。友達も、家族の中のうまくいかないことも。
出来たら、お母さんも少しでいいから一緒に書いてみてください。それで、あまり写経についてうるさいことを言わず、だまってやらせてみてください。その始末だけは一緒にやってみてくださいね。」
娘の事、本当に心配してくれていました。
きっと、ちゃんと落ち着いて、前を向ければ将来は人の役に立つ仕事に就けるはず、と。今、苦しんでいる事は、決して無駄にはなりません。
それが、将来、苦しんでいる人を助ける事になる。とも言って下さいました。
なんか、すごくありがたかったです。本当にうれしかったです。
うちは、特別強い信仰はなく、苦しいときの神頼みばかりでしたが、日本古来から、人々が受け継いできた写経には、やはりそれなりのものがあるのだと思いました。
漠然といつも思っていた事は、うちの子供たちは、いつも誰かに守られているな・・と言う事。
出来が良い訳でもなく、ボーっとしていて、ちょっと秋葉系の息子も、中学に入ってから突然爆裂した娘も、困ったときには誰かしら手を差し伸べてくれます。
私で支えきれない部分を、私の知らないところで、そっと支えてくれています。
小学校6年まで、お世話になった学童の指導員も、中学に入ってから知り合った興魂の先生も、学校で忍耐強くかかわってくれている先生方も、みんなで守ってくれています。
これは、きっと死んだばあちゃん(私の母)か、ご先祖様か、人知を超えた何かの導きかも・・・・。と、三輪明宏さんが大好きな私は思ってしまうのです。
そんなわけで、娘にも勧められ、写経に挑戦してみました。
うーん。難しかったです。手が震える。漢字が良くわからない。書き順だってかなり怪しい。でも、なんか一字一字丁寧に書いていくと、すごく神聖な気分です。
背筋を伸ばしていないと、ちゃんとかけないし、筆も立てて書かないと細かい線がかけません。バランスが悪いと気分も悪いので、丁寧に丁寧に・・・
2枚書くのにテレビも見ないで、必死でした。
娘は、すでに22枚、あれから地道にやっています。
文句言いながら、きっと自分の中の何かに突き動かされているのかも知れません。
今日は昼に娘と近くの諏訪神社にお参りしました。
「どうか、娘が穏やかに、前を向いて進めますように。写経をこの土地に返させてください。この子をお守りください」と。
それから、雨の中泉川にも、紙を流しに行きました。
それから玄関先で、6枚を燃やし、土砂降りになったので、埋めるのは来週にしました。
子供たちの笑顔が宝物です。きっと、いい方向に向かうと母は信じています。
途中、先生にご挨拶したとき、写経について教えていただきました。
爆裂娘が、まだ頑張って写経を続けていることをとても喜んで下さって、そのあとどうすれば良いかを細かく教えてくださいました。
(先生は、神官の免許も持っているそうです。)
16枚書いた写経を6枚ずつ3つに分けること。
まず、自分の住所の氏神様におまいりして、氏名を名乗り写経を処分する事をお願いする事。もちろん、これからの事もお願いする。
次に、3つに分けた1つは自宅の敷地内で、燃やす。
もう一つは、庭に塩をまいてから埋める。
もう一つは、なるべく近くの川に流す。
まずは、きちんとそれをやって、その後は、書き溜めてからでも良いとの事。
地道に向き合って300枚くらい書くと、すごく落ち着いてきて、いろんなことにちゃんと向き合えるようになるとの事。
先生は、たくさんの子供たちをこの太鼓で育ててきて、理屈ではなくていい結果をもたらす事を実感しているそうです。
「あの子は、本当にいい子ですよ。でも、学校に一歩入ったとたんまるで人が変わってしまったようになる。もしかしたら、あの子はいろんなものを、たとえば家の事なんかも全部しょっていて、そうさせられているのかもしれない。
自分が悪い事は、よーくわかっています。でも、学校に行くとうまく出来ない。
あの子が落ち着けば、周りもきっと良くなる。友達も、家族の中のうまくいかないことも。
出来たら、お母さんも少しでいいから一緒に書いてみてください。それで、あまり写経についてうるさいことを言わず、だまってやらせてみてください。その始末だけは一緒にやってみてくださいね。」
娘の事、本当に心配してくれていました。
きっと、ちゃんと落ち着いて、前を向ければ将来は人の役に立つ仕事に就けるはず、と。今、苦しんでいる事は、決して無駄にはなりません。
それが、将来、苦しんでいる人を助ける事になる。とも言って下さいました。
なんか、すごくありがたかったです。本当にうれしかったです。
うちは、特別強い信仰はなく、苦しいときの神頼みばかりでしたが、日本古来から、人々が受け継いできた写経には、やはりそれなりのものがあるのだと思いました。
漠然といつも思っていた事は、うちの子供たちは、いつも誰かに守られているな・・と言う事。
出来が良い訳でもなく、ボーっとしていて、ちょっと秋葉系の息子も、中学に入ってから突然爆裂した娘も、困ったときには誰かしら手を差し伸べてくれます。
私で支えきれない部分を、私の知らないところで、そっと支えてくれています。
小学校6年まで、お世話になった学童の指導員も、中学に入ってから知り合った興魂の先生も、学校で忍耐強くかかわってくれている先生方も、みんなで守ってくれています。
これは、きっと死んだばあちゃん(私の母)か、ご先祖様か、人知を超えた何かの導きかも・・・・。と、三輪明宏さんが大好きな私は思ってしまうのです。
そんなわけで、娘にも勧められ、写経に挑戦してみました。
うーん。難しかったです。手が震える。漢字が良くわからない。書き順だってかなり怪しい。でも、なんか一字一字丁寧に書いていくと、すごく神聖な気分です。
背筋を伸ばしていないと、ちゃんとかけないし、筆も立てて書かないと細かい線がかけません。バランスが悪いと気分も悪いので、丁寧に丁寧に・・・
2枚書くのにテレビも見ないで、必死でした。
娘は、すでに22枚、あれから地道にやっています。
文句言いながら、きっと自分の中の何かに突き動かされているのかも知れません。
今日は昼に娘と近くの諏訪神社にお参りしました。
「どうか、娘が穏やかに、前を向いて進めますように。写経をこの土地に返させてください。この子をお守りください」と。
それから、雨の中泉川にも、紙を流しに行きました。
それから玄関先で、6枚を燃やし、土砂降りになったので、埋めるのは来週にしました。
子供たちの笑顔が宝物です。きっと、いい方向に向かうと母は信じています。