世襲制の禁止を言っていた民主党ですが、多くの議員が増えた途端に、秘書は家族からでも構わない と言い始めた…
(以下は社民党のブログ 少し前)
西松建設の献金問題でダメージを受けた民主党が矛先を変えようと世襲立候補の禁止を持ち出し、自民党も菅選対副委員長を中心にマニフェストに世襲立候補禁止を入れようとしたことから、急に国会議員の世襲立候補の制限が争点として浮上した。
たしかに、世襲には、①地盤を引き継ぎ知名度を生かせば当選確率は高くなるとか、②政治家ブランドイメージが浸透し、有権者に安心感を与える、③選挙基盤が安定し、新人議員のころから政策立案などにじっくり取り組める、④早くから政治に目覚め、若いうちから実績を積むことができる、などというメリット? がないわけではない。もちろん、政治家としての資質、識見に優れ、熱意と能力を併せ持つ議員も少なくない。
しかし、一方で、①楽な選挙ができるから、3世、4世が継承する「政治家業」一族が生まれる、②切磋琢磨しないからひ弱な凡庸な政治家が多い、③政治家の資質に欠けた人物であっても当選しやすい、④一般国民と意識が乖離し「痛み」がわからない政治家が多い、⑤多様な人材が政治家になる機会を失わしめ、民主主義を弱める、⑥政治から活力や躍動感を奪い、変革へのエネルギーを失わせている、⑦地盤、看板、カバン(政治資金)の「3バン」を容易に継承しやすく、不公平だ、⑧優秀な新人が進出するのを阻害するから、政治家が劣化する、⑨議会の硬直化を招きかねない、⑩政党が世襲を既得権益のように認めてきたことが国民に政治の私物化と映り、政治不信の一因になっている、などの点から批判が高まっていることも事実だ。安倍・福田の二代続けて世襲首相の政権放り投げも記憶に新しい。
そこで、誰を代表として選ぶのかについては、基本は有権者が判断することが大原則であり、世襲議員が多いことは日本の民主主義が未成熟である証拠なのだが、公正な競争の確保や有権者の選択権の拡大、多様で活力ある政治を実現する観点から、なんらかの制限や規制を検討すべき余地があるのではないかとも思える。
しかし、世襲禁止をマニフェストに取り入れようとしたとたん、自民党内から、「世襲禁止は憲法違反だ」という声が聞こえてきた。たしかに、憲法の保障する被選挙権や職業選択の自由、平等権(法の下の平等、門地による差別の禁止)とのかねあいをどう考えるかは、大きな問題である。衆議院法制局は憲法上、世襲立候補の禁止は困難という説のようで、なかなか立法化は難しい。
そこで、世襲禁止違憲論を少し考えてみることにする。
第一に憲法15条の被選挙権について。
15条は、「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」と定めている。これについて、被選挙権を選挙権と一体的にとらえ、参政権を保障している第15条第1項に被選挙権を含むという説がある。この場合、憲法の保障する「固有の権利」を法律で制限することは困難であろう。
しかし、憲法に被選挙権に関する明文の特別な規定はない。したがって、公務員に立候補する自由、すなわち被選挙権は憲法による保障を受けないとすれば、世襲候補の立候補制限は可能となろう。
第二に、憲法22条の職業選択の自由について。
22条は、「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する」としている。これについて、何人も職業選択の自由があるから、世襲候補者といえども立候補制限は困難であろう。
一方、22条の職業選択の自由については、身分や職能団体の縛りから自由に職業を選択することができなかったことに対し、封建制を解体し民主主義を広げるための人権として理解すべきものと言うことができる。そうであるならば、憲法上の要請は、世襲的な考えを排していると解することは可能ではないか。また、形式的公平に伴う弊害を除去する意味からも、権利の比較衡量の問題だが、「公共の福祉」による人権制約論を援用することで、一定の立候補の制限は可能ではないか。たとえば、すべての選挙区からの立候補制限でなければ許されるのではないか。
第三に、14・44条関係の差別の禁止・平等権について。
14条は、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と定め、44条は、「両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によつて差別してはならない」とする。そこで、被選挙権について、議員の資格を規定している第44条で規定されているとする説があるが、この場合、14条、44条の「門地による差別禁止」について、血統や家柄、門閥等で差別してはならないのであるから、世襲候補者であろうと出生や親の職業という本人の責のない事項に基づく立候補制限は許されないという説が有力である。
しかし、一方で憲法は、14条第2項で華族その他の貴族の制度を否定し、第3項で栄典の授与による特権を否定しその効力を一代に限っている。そうすると、「門地による差別禁止」は、高い家柄や門閥、名家の出身者が実際の社会においては優遇されがちだが、平等を保障する観点から優遇されてはならないということを意図していると解釈できる。この場合、公正な競争ができないということが世襲でない候補者に対する逆差別として平等権に反するので、世襲候補者に一定の制限は可能ではないか。
以上、憲法上も世襲立候補に対する何らかの制限は可能であると解することもできる。しかし、次の難関は、世襲として規制する範囲をどこまでにするのかについてである。親や祖父母が国会議員とするのか、配偶者の場合はどうするのか、配偶者の親族(本人が政治家の娘婿などのケース)はどうなのか、親族が自治体議員の場合は含むのか等々。また、親子でも、選挙区が違う場合など、世襲で受け継ぐ地盤がなく恩恵を受けていない場合も含むのかどうか。麻生首相は政治家一族の華麗な系譜にあるが、直接地盤を引き継いでいない。鳩山民主党代表も親とは違う選挙区だ。
いずれにしても、仮に違憲だという説を採ったとしても、政党の姿勢として、党則や内規などで制限するのであれば問題はない。さらに、立候補の自由そのものに抵触しない事項、たとえば現在は、政治資金であるとして無税で「相続」や「寄附」ができるが、立候補の公正競争の確保のため、政治資金管理団体や政党支部の継承を制限することは法律で可能である。
最後に、大事なことは、多様な人材から自分たちの代表にふさわしい人を選べるようにするということである。世襲でも立派に働いている議員はいる。世襲でなくてもだめな議員もいる。いずれにしても、その結果責任は自らに帰ってくるということである。世襲立候補の制限論と同時に、供託金の引き下げや、仕事を辞めずに立候補できる在職立候補制度の導入など、誰もが政治に参加しやすいようにすることもあわせて考える必要がある。