働く人たちの願いに本気で応えよう
(毎日新聞から)
ニッポン密着・政権交代:介護現場、熱意頼み 重労働と低賃金…離職率は2割
◇「月給4万円上げ」民主に期待感
「死にたい」。老々介護で認知症の夫を支える80代の女性がベッドの下からロープを取り出すと、天井を見つめる仕草をした。9月上旬、横浜市の介護福祉士、田中道子さん(48)が民家を訪ねた時の光景だ。女性は気むずかしく、他人が自宅に入ることを嫌がったが、1カ月前に肩を骨折して受け入れざるを得なくなった。ロープを取り出したこの日、田中さんが温かいタオルで体をふくと表情が和らぎ、こうつぶやいた。「100歳まで生きられる」
介護の現場は重労働と低賃金で知られる。だが、それを支えるのは、人を助けたいという熱意と気概だ。田中さんの月収は40時間の残業代を合わせても、手取り20万円ほど。市内の訪問介護施設所長として管理業務をこなしながら、この女性のように対応が難しいケースは自ら担当する。「介護はボランティアと思われがちだが、仕事としてなくてはならない職種になっていることを分かってほしい」。民主党が言う「月給4万円引き上げ」は、財源を心配しつつも期待している。
「社会保障は安全保障と並ぶ国家の礎」。長妻昭厚生労働相は就任会見で、後期高齢者医療制度の廃止を明言した。だが、介護はなかなか話題に上らない。
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田中さんの同僚の介護福祉士、斉藤美恵さん(50)=仮名=の左手薬指には、小さな傷がある。認知症の女性の着替えを手伝っていて、指を強くつかまれたつめ跡だ。車いすから降ろそうとしても、女性は力を緩めない。無理に手を抜くと転倒するので我慢するしかない。
今年に入って夫に先立たれた。長女(21)は今春就職したが、長男(19)は大学生。手取り約18万円の月給で家計を支える。介護職の離職率は約2割。「仕事が多くて余裕がない。仕事に見合った報酬にして、働く人を増やしてほしい」と切実に願う。4月の介護報酬3%引き上げでは、定期昇給があっただけで賃上げは実現しなかった。事業者の経営が苦しく、アップ分が人件費に回らないのが実情だ。
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介護職の男性が、結婚を機に待遇のいい別の職種に転職せざるを得ないことを介護業界では「寿退社」と呼ぶ。熱意はあっても、介護職だけで暮らしを支えることは容易ではないからだ。
千葉県八千代市のホームヘルパー、坂谷則康さん(32)も、交際中の女性から結婚を望まれながら、踏み出せなかった。
もともと婦人服の買い付けや販売の仕事をしていたが、お世辞を言う「営業トーク」になじめなかった。ヘルパー2級の資格を取り、25歳で介護業界に。時給800円のアルバイトから始まり、1年後、正社員になったが、サービス残業や休日出勤を強いられた。
昨年1月に現在の介護事業所に転職。休みは取れるようになったが、年収は1割減の約360万円になった。「結婚して子供ができたら養っていけるだろうか」。やりがいはあっても不安が残る。転職から間もなく、5年間交際していた女性は去っていった。
給料が4万円増えれば、将来のために貯金するつもりだが「子ども手当など他の政策もある。本当に上がるのか、半分あきらめています」。給料アップのために、お年寄りの負担が増すことにでもなれば「本末転倒だ」とも思う。
毎日、お年寄りの家を車で回る。重さ15キロの組み立て式浴槽を運ぶ。エレベーターがない団地では、5階までかついで階段を上る。腰を痛めないよう、50分5000円のマッサージ店に時々通っている。
「認知症のおばあさんが、僕の名前を忘れないように自分の腕に書いていてくれたんです」。坂谷さんの目が輝いた。介護の仕事を長く続けていくつもりだ。
現場の熱意に、新しい政権はいつ応えてくれるのだろうか。【長野宏美】
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■ことば
◇介護報酬
介護保険制度で介護サービスを提供する事業者に支払われる報酬。保険給付の対象となるサービスの価格で、利用者が原則1割を負担する。03年度に2・3%、06年度に2・4%引き下げられたが、介護従事者の処遇改善や人材確保のため、自公政権下の今年4月、「月給2万円増」を目指し、初めて3%の引き上げが実現した。民主党はマニフェストで、自己負担や保険料アップにつながらない方法で介護報酬を引き上げ、月給を4万円程度引き上げるとしている。