すずきせいこの「日々雑感」

政治や暮らし、孫のことから平和・原発問題まで“本音でしなやかに”・・・

アフガンの希望、ペシャワール会中村哲さんの訃報

2019年12月05日 | 日々思うこと

昨日の午後は久しぶりの外出で、日本海から東の空に大きな虹を見ながら歯科医院へと車を走らせました。4時を過ぎ今回で最後という治療を終えて外に出るとフロントガラスを叩く初霰(あられ)で、虹を撮ろうと思いながら時すでに遅しです。

買い物や郵便局へ立ち寄って帰宅し、少し落ち着くとペシャワール会代表の医師の中村哲さん(73)が現地アフガニスタンで襲撃されたというニュースにビックリです。しばらくして死亡というあまりにも突然の悲報で、こんなカタチで尊いいのちが失われることに言葉がありません。

中村医師は35年前からアフガン復興支援で現地に入り、2000年にアフガン全土で干ばつが一挙に深刻化し、2001年には医療事業と平行しながら"水源確保事業"を開始、2003年に用水路建設に着手されてきました。また干ばつと戦乱により、首都カーブルに集中する国内避難民へ緊急食糧配給を実施し、空爆の下で2002年2月までに15万人に配給してこられました。 

この頃に私はペシャワール会の活動を知り、上越市(旧頚城村)のユートピア希望館で講演会があるというので、友人のJ子さんを誘って出かけました。「誰も行かない所でこそ我々は必要とされる」との信念で、長年にわたって人道支援に取り組んで「平和で争いを避けるには先ず食べ物があることが一番・・・」と話され、小柄ながら静かなエネルギーが伝わってきたことを思い出します。

医師でありながら中村哲さんは土木屋さんのごとく、干ばつで荒れた農村で耕地16,500ha(デズニーランド約320個分)の安定灌漑、65万人の農民の生活を護る「地域復興モデル」を目指し、長期的な復興事業に取り組み現在に至りました。現地アフガンでは神様のように慕われていたという中村哲さん、世界の紛争が痕をたたない中で誇れる日本人のお一人です。

いかなるいのちにも差がありませんが、このところの訃報に悲しむばかりで、中村哲さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

マガジン9「この人に聞きたい」 http://www.magazine9.jp/interv/tetsu/tetsu.php


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