気が重いよ…伊那篇

落ちるところまで落ちた男の日記

懐かしいことが幾つか---

2020-03-26 18:57:28 | 日記
眠い---。
例によって、月末の木曜日は早起きしてタウン紙を配ります。
今日がその日でした。
あ~、眠い。



昨日から懐かしいことが幾つかありました。
まず、昨日、会社で事務仕事をしていると、某損害保険会社の新旧営業所長がご挨拶にまいりました。
私は、その損保会社とは営業契約していないのですが、支店長が不在だったため、私が名刺交換を行いました。
新営業所長さんから名刺を頂き、名前をみると---。
んっ!?
なんとなんと、亡くなった私の親父と同姓同名だったのです。
さすがに、名前の読み方は私の親父は先日釈放された槇原某と同じ。
所長さんは、たかゆきでありましたが---。
久し振りに、親父のフルネームを見て、懐かしさでいっぱいになりました。



やはり昨日、銀行での話。
ロビーの長イスの隣に座っていたのは、高校の同学年生だったN君。
N君は、酒店店主で地元紙に連載を持っている利き酒師でもあります。
話をするのは、私が生保会社の営業社員だった頃以来ですから、10年振りくらいですかね。
「新聞に連載を持っていて、凄いじゃないですか!」と私。
「ラジオでときどき耳にする“おじゅう”と言うのは君だろう?」とN君。
そう、お互い会わなくても、メディアで見聞きしているので、とても10年振りの再会とは思えませんでした。



そして今日です。
一昨日のブログで登場した昨年3月まで木曽郡内で校長先生だった私の高校時代の同級生。
そう、御嶽海関の恩師・安藤均先生を紹介してくれた女性の同級生です。
この同級生女史と今日会ったのであります。
実は、私にとって高校時代の憧れのひと。
今でも、同級会等で会うときはドキドキです。
不思議な縁があって、私がUターンして就職した前述の生保会社。
上司(優績者)がこの同級生女史のお姉様でありました。
また、大相撲の国技館観戦では、昨年秋場所も今年の初場所も偶然同じ日に観戦していました。
(遥々伊那からの観戦ですからね---)
さらに、2年くらい前、木曽のある会議でこの同級生女史と私の弟が同じ会議に出席し、席が隣同士だったというのです。
(当時、弟は木曽町の公共機関に勤めておりました)
同じ日のほぼ同じ時刻、私は伊那で同級生女史のお姉様と偶然お会いして雑談をしていたのであります。
姉兄・妹弟が、それぞれ同じ日の同じ時刻に会話していたなんて、凄過ぎませんか!?

実は、同級生女史、4月からの職場が伊那の市街地になるのだとか。
私の実家の空いている車庫を使ってくれることになりました。
これも縁。

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