おめでとう、鶴竜。
ついに、念願の大関に昇進ですね。
11年前の4月に、大相撲愛好会の「日本相撲振興会・時田一弘会長」宛に送ったエアメールからすべては始まりました。
時田会長は、すぐに反応して、受け入れ先の井筒部屋を探し出してくれました。
当時、井筒部屋には外国人力士がいなかったことが幸いしました。
有難いことに、井筒親方も鶴竜の入門に前向きでありました。
後は、過去に何回もこのブログで紹介した通りです。
私も微力ながら連絡係を全うしたし、当時の井筒部屋マネージャーの島津さんも受け入れ態勢を整えてくれました。
また、当時大島部屋にいた旭鷲山関も関わってくださり、モンゴルでは旭鷲山関のお父さんがアナンド少年(鶴竜)に会いに行ってくれたりもしたのです。
この一部始終を知っているのは、私と島津マネくらいだと思うのですが、なぜかネットではいい加減な情報ばかり流れています。
私や島津マネに取材をしないで、真実が書けるのか…です。
まったく無名の鶴竜ですから、新弟子時代の写真すらマスコミは持ってないと思いますよ。
本当に良かった。
井筒親方の指導も立派です。
部屋伝統の技巧派(もろ差しからの寄りは痺れます)に育ちました。
でも、春場所、13勝も出来るとは、恥ずかしながら思いもしませんでした。
早くても、次の夏場所に大関獲りだと勝手に考えていました。
大した器です。
ついに、念願の大関に昇進ですね。
11年前の4月に、大相撲愛好会の「日本相撲振興会・時田一弘会長」宛に送ったエアメールからすべては始まりました。
時田会長は、すぐに反応して、受け入れ先の井筒部屋を探し出してくれました。
当時、井筒部屋には外国人力士がいなかったことが幸いしました。
有難いことに、井筒親方も鶴竜の入門に前向きでありました。
後は、過去に何回もこのブログで紹介した通りです。
私も微力ながら連絡係を全うしたし、当時の井筒部屋マネージャーの島津さんも受け入れ態勢を整えてくれました。
また、当時大島部屋にいた旭鷲山関も関わってくださり、モンゴルでは旭鷲山関のお父さんがアナンド少年(鶴竜)に会いに行ってくれたりもしたのです。
この一部始終を知っているのは、私と島津マネくらいだと思うのですが、なぜかネットではいい加減な情報ばかり流れています。
私や島津マネに取材をしないで、真実が書けるのか…です。
まったく無名の鶴竜ですから、新弟子時代の写真すらマスコミは持ってないと思いますよ。
本当に良かった。
井筒親方の指導も立派です。
部屋伝統の技巧派(もろ差しからの寄りは痺れます)に育ちました。
でも、春場所、13勝も出来るとは、恥ずかしながら思いもしませんでした。
早くても、次の夏場所に大関獲りだと勝手に考えていました。
大した器です。